何時ものように黒子は青峰と黄瀬と一緒に部室棟へ向かっていた。何時も、という割にはただ目的地が同じなだけで待ち合わせをしている訳でもない。ただクラス位置が対して変わらないため顔を合わせる事が多いのでそのまま一緒に行っているだけだ。
お喋りとはとても言い難い黒子と、興味の無いことにはとことん興味を持たない青峰を余所に1人でぺらぺらとしゃべり続けていた黄瀬が不意に口を噤み体育館脇を凝視していた。急に黙り込んだ黄瀬に、青峰と黒子も不思議に思ってそちらの方を見る。
顔は随分と離れた距離であるため見えないので、制服だけではかるしかないのだが、どうやら女子生徒と男子生徒のようだ。その片方―男子生徒の赤髪は確かに見知ったものだと気付く。はっと気付いたような青峰は慌ててそれを妨げようとするも、
「あれって、赤司っちじゃないっスか?」
「馬鹿!」
「え!?あっ!?」
はっと2人の関係を思い出したかのように黄瀬が取り繕おうとするも、当の黒子はと言えば不思議そうに慌てている黄瀬と青峰を見ているだけだった。
「どうかしました?」
寧ろ普段通り過ぎて黄瀬と青峰の方が不思議なくらいだった。もしかしたら自分たちに気を使っているのだろうかと手当たり次第に話題を変えようとする。
「えーっと・・・今日は天気が良いっスよね!」
「そうだな、こういう時はバスケだな!」
しかしそれも黒子には通じない。
というよりも2人の反応はあからさま過ぎるのだ。 黒子は其処まで気を使わせてしまったのかと申し訳ないような気持ちになる。
「今日は曇りですけど? それにバスケなら毎日体育館でしているでしょう・・・ あの、気を使わなくても良いですよ? 赤司くんに事情を聞いていましたし」
「えっと・・・」
「赤司くんは会って間もない人を懐に入れる程優しくて良い人なんかじゃありません。 手当たりしだいに誰で似も愛を振り撒くなんてこと絶対にしませんから」
きっぱりと言い切る姿は男らしいくらいだった。言っている内容はただの惚気でしか無いと言うのに。
「なんというか、余裕っスね」
その言葉に黒子はきょとんとした後に、うっすらと黄瀬や青峰には分からない程度の、微笑を浮かべた。
カフェテリアでの昼食は都合がつかない限りはレギュラーメンバーで固まっていた。何かと目立つ人間ばかりだからか一か所に固めておいた方が楽らしいのだ。其れで無くとも特に黄瀬や紫原は見知らぬ人間に構われがちで本人達のストレス緩和のためだ。
「黒子」
赤司が名前を呼ぶと黒子は心得たとばかりにそっと醤油を差し出した。
「どうぞ」
「ありがとう」
それにぽかんと見とれていたのは紫原だ。
「・・・なんで黒ちん、赤ちんの欲しいもの分かんのー?」
何が欲しいも言ってないし眼も合わせていない。だというのに黒子は赤司が望んでいたものが分かっていた。それが紫原には不思議でならない。
「なんでと言われましても・・・どうしてでしょう?」
言われてみればと黒子も首を傾げる。赤司は知らぬ顔で醤油を慎重に垂らしていた。使い終えた醤油を何も言わずに差し出して、それまた黒子は自然な所作で元あった場所に戻していた。
紫原はぼーっとそれを見て面白いなと思ったのだ。思い付きで口にする。
「俺にもやってよー」
やってよと、と言うが紫原は既に食べ終えていて、デザート代わりのお菓子をもしゃもしゃと食べているのだ。黒子はどうしたものかと苦し紛れに当てずっぽうで思ったことを口にする。
「ええっと・・・まいう棒が食べたい?」
「違うし」
紫原が現在食べたいものは残念ながら、まいう棒ではない。チョコレートの気分だった。さらに、赤司とのやり取りと違う気がする。
「なんていうんだっけ」
ざっくりと言い捨てたのを気にもせずに紫原はうんうんと唸っている。黒子はちょっとばかりのショックを受けたが紫原の遠慮のなさは知っているしこんなもんだろうと割り切った。
(夫婦漫才とかそういう・・・)
その言葉は違うと分かっているが、大体そんな感じの・・・。
思いつく限りの言葉を思い出しているとはっとこれだと言わんばかりの単語が飛び出した。
(ツーカー!)
1人喉に刺さった小骨がとれたようなすっきりとした紫原はご機嫌にがさごそと袋をあさりチョコレートを取りだした。突然唸りだしてすっきりとした紫原を見ていて置いてけぼりとなった黒子は首を傾げて赤司を見ると赤司はまだ食事に夢中だった。
黒子も、自身の食事に手を付ける。
食事トレーニングの一環でおかずもご飯も減らしては貰えなかったので、何時もならば既に食べおているのだが、今回はまだまだ残っている。
憂鬱な気分のまま箸を付ける。
普段なら気にもならないのに、相変わらずの視線の五月蝿さも、憂鬱な気持ちに拍車をかけた。
じろじろと黒子を見ているのはちょっとした有名人である女子生徒だった。黒子は興味を持たなかったのだが、男子生徒の間では学年の美少女ランキングというのがあり其処に名前が連なっていたように記憶している。ちなみに1位は桃井である。それだけは覚えているのだがそれ以外は耳にした名前はあるものの、黒子の中では顔が出てこないものばかりだった。
ストレートの黒髪にぱっちりとした二重、真白な肌と彼女は人形のようだと言われてる(らしい)。
「なんだ、私の方が赤司くんに相応しいじゃない」
「は?」
腕を掴まれたと思えば不躾な視線をよこされて口を開けばこのさまである。
驚いた黒子は眼を見張るも彼女は知ったことかとでもいうように口を開く。
「別に同性愛についてとやかく言うつもりはないけど、どうして貴方が其処まで気に入られているのか全く分からないわ」
何処までも馬鹿にした良いようだった。自分の『可愛らしさ』を理解したうえで赤司も自分を好きだと勘違いしていたのだろうと黒子は考える。実のところこういった状況は初めてではない。それこそ両手では数えきれない程度には遭遇してきたのだ。だから対処も分かっている。
「そうですか」
こういった状況では聞き流すことが最良の手段だ。
それに気に喰わないのは彼女1人だった。黒子は彼女のことなんて『どうでもいい』のだ。
「なに? 自分は赤司さまに愛されてるって余裕ぶってんの?」
「いいえ、まさか。余裕なんてありませんよ。ただ赤司くんの言葉を信じているだけです。それにボクに構う暇があるならば、彼に相応しくなる努力をすればいい。していない時点で、貴方は彼が求めている人間では無いと思います」
「んな!?」
黒子は基本的には女性に優しくしている。それは、女性は守るべき存在だと教え込まれてきたからだ。
「では、失礼しますね」
冷静さを欠いた女生徒に対してあっさりと普段通りの何を考えているのだか分からないと言われているポーカーフェイスのままに、その手から抜け出すとそそくさと姿を消す。残された女生徒は怒りやら羞恥やらでぷるぷると震えていた。
こっそりと(赤司の指示でもしもの場合は助けられるようにと)様子をうかがっていた
緑間と黄瀬は目の前で繰り広げられた修羅場に内心慄いていた。
「黒子っちって、結構過激っスね・・・」
口を開いたのは黄瀬だった。
黄瀬自身は修羅場に遭遇したのは初めてではないし、自身も巻き込まれていたことが何度かある。決して思い出したくは無いのだが、他人のものとなるとどんびくものがある。さらに、先ほどの修羅場は部活仲間と、黄瀬も可愛いなと思う程度に可愛い女子生徒だ。おそろしい。
「赤司と付き合い初めてから益々過激になったのだよ・・・」
「えー・・・」
「元からの性格もあるだろうが、8割は赤司の所為だろう」
「どんだけ性格悪いんスか」
「というよりも、そうでなければあの男と付き合いきれないのだよ」
「あー・・・」
思わず納得してしまった黄瀬は悪くない。ただ2人はぞくりとした悪寒を感じて何度か周囲をきょろきょろと見回した。
文字列を追うふりをしながら、こっそりと机を挟み向き合って部誌を書いている赤司を覗き見る。
美醜については、黒子はあまり深く考えたことは無いけれど、赤司は端正な顔立ちだと思う。覗き見ているということを忘れてまじまじ見ていると視線が交わった。
慌てる素振りをしても無駄だ。なんせ、赤司は黒子が覗き見ていた時から既にその視線に気づいていたようなのだ。だから黒子もそのままに思ったことを口にした。
「赤司くん、女性には優しくしてくださいね」
黒子の言葉は少しばかり以外というか突拍子もないものだったため、赤司は面食らう。それでもそんな素振りちっとも見せない。
「十分優しくしているけれど?」
「それならあんな方は現れませんよ」
「また来たのか」
知っているくせに、と喉まで込み上げた言葉を呑みこんだ。
「ええ、君がこっぴどく振る所為です」
「優しく接したら付け上がるだけだったろう」
「そうですけど・・・」
思わず言い淀む。確かに勘違いがフルスロットルしたらしい女子生徒がストーカー化したことがあって、その時は危うく警察沙汰になりかけたのだ。どうにかして学内と両家間で終わらせることができたが彼女は気付けば知らぬ間に転校していた。幾ら部活動では全国区で名前が知れているとは、ストーカーなんて行為には赤司もどん引きした。
「それに、黒子が不機嫌になるじゃないか」
「・・・だって」
黒子の顔が僅かに歪む。
「ごめん、からかいすぎた」
降参だとでも言わんばかりに両手を上げる。
「キミは、人の心について知るべきです」
「ああそうだな」
他人事のようだが何れ苦労するのは赤司自身だ。黒子は何も言わず再び本に視線を戻した。
「ボクは別に不機嫌になんて、なっていませんから」
これだけは訂正しておかねば。
「ちょっとだけ、不愉快で不安になっているだけです」
「・・・そう」
赤司はそれは不機嫌で良いのではないかと思ったのだが、口を噤んだ。なんだかんだで、他人の心は分かっているつもりなのだ。それを滅多に、自分よりも優先しないだけである。
少し考えている素振りのある返事だったが、赤司が理解したようで満足した様子のまま黒子は小説の世界に入り込んだ。置いてけぼりの赤司は仕方なさそうに、目を輝かせている黒子を見てから部誌へと眼を移した。