ピリオド

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 憂鬱な日がやってきた。
 サンダルフォンは歎息を零しては、とぼとぼと研究所をあるく。本来ならば出歩くことは禁止とされているが、この日に限っては許可が降りていた。
 検査の日は、気が重くなる。痛い事をされるわけではない。だというのに、検査担当である研究者が、恐ろしくてたまらない。敬愛してやまないルシフェルとそっくりであるからこそ、恐ろしさが一入であった。
 ルシフェル様はどうして彼を友と呼ぶのだろう、と不思議にすら思う。天司長の思慮に触れるなんて不敬も甚だしいとはいえ、サンダルフォンにとって優しいルシフェルと、恐ろしくてたまらないルシファーは全く正反対であった。ルシフェルの優しさを知るのがサンダルフォン一人であることを知らないからこその傲慢であり、抱いた疑問であることを、サンダルフォンは知らない。
 部屋の前について、サンダルフォンは息を整える。知らず、呼吸を詰めていた。じんわりと手汗が滲んだ掌を指で包んで、扉を叩く。しかし、幾ら待ったところで返事はない。部屋を間違えた、なんてことは無い。留守なのだろうかとサンダルフォンは、それならば、どうしたらよいのだろうと思案する。ややあってから、入れと低い声が掛かってサンダルフォンは何だいたのか、と残念なような、安堵のような気持ちになりながら、「失礼します」と部屋に入った。
 部屋は雑然としている。散乱している訳ではないし、本があちこちに飛び出ているわけでもないのに、取っ散らかっている印象を入室者に与える。サンダルフォンはあまり部屋を見ないようにする。ルシファーは何やら書類を確認していた。邪魔をしてはいけない、と思いながらも検査を考えれば、声を掛けなければならない。しかし、サンダルフォンはルシファーに声を掛ける、なんてことが出来ずに内心でおろおろとしながら、立ち竦んでしまう。それからルシファーに気づいてくれないかなと視線を送ってみたり、少しだけ、業とらしく、服を擦れさせてみたが、余程集中をしているのか、ルシファーは気づく素振りを見せない。
 サンダルフォンは愈々、声を掛けた方が良いのだろうかと決心をするが、苛立ちを抑え切れない舌打ちを思い出すと、躊躇ってしまう。

「……おい」
「ッ!」

 唐突に話しかけられて、サンダルフォンは大袈裟に肩を跳ねさせた。いつの間にかルシファーは此方を見ていたのだ。サンダルフォンの挙動不審さに、ルシファーは眉根を寄せている。

「何をしている、さっさと用意をしろ」

 すっかり委縮しているサンダルフォンは、おどおどとしながらも、どうにか用意──着替えを始める。エーテルで構築した鎧やインナーを解く。検査の為に衣服を全て脱ぐように言われているが、それは、サンダルフォンにとって気が重くなる一因だった。
 敬愛してやまないルシフェルに作られ与えられた肉体に、恥ずべき箇所はない。それでも、研究者といえども──人前に裸体を晒すことに、抵抗を覚えていた。けれども、サンダルフォンの意思はルシファーの前には無意味でしかない。抵抗はすっかり、諦めていた。検査を早く終わらせるには、この拷問に等しい時間を終わらせるには、ルシファーの指示に従うことが最も手早い手段だった。
 サンダルフォンは疑問を抱かない。なんせ、他の研究者どころか天司とすらも接触を許されていないために、ルシファーに言われれば、命じられれば、そういうものなのだと刷り込まれる。
 ぺたりと、足裏に冷たく硬い感触。日頃、ヒールの高い靴を履いているために視界の高さが異なることに、落ち着かない。
 診察台に横になる。
 ルシファーは書類に目を通して、ペンを走らせている。時折、確認のために手を止めた時にだけ視線を上げるので、観察されていると改めてサンダルフォンは自覚する。その度に緊張してしまうのは、仕方のないことだった。身体を固くさせてしまう。もしも、不具合が見つかってしまったらと思うと、気が気でなくなる。
 ルシファーの冷たい指先が脇腹に触れたときに、思わず出し掛けた声を慌ててのみこんだ。空気が漏れるような音がした。体が強張った。ルシファーが手を止めて顔を覗き込む。瞳の奥の感情を読み取ろうとするが、何も読み取れない。サンダルフォンの怯えが滲んだ瞳はただただ虚空を見つめるばかりで、恐怖以外の何かを見出すことが出来ない。

「おい、声を出すな」

 そうして漸く発せられた言葉に、無茶を言うなと思ったが、それをルシファーに口にできるほど、サンダルフォンは無謀ではなかった。
 腹部を圧迫され、呼吸がしずらくなった。息苦しさが徐々に増していく。内臓を探られている。痛みはないが、違和感を覚える。ルシファーの指先がやがて胸へと移動をしていき、体が跳ねた。

「っは、」

 思わず声が漏れてしまった。ルシファーはちらっとサンダルフォンを見ただけで、咎める言葉は無かった。ただ、指が、手がサンダルフォンから離れることもなかった。サンダルフォンは頬の内側を噛み、耐えるという選択肢以外になかった。
 胸部の薄い皮膚をなぞられ、サンダルフォンは身をよじる。呼吸が浅く、荒くなった。
 ルシファーの検査は、いつもと変わらない内容だ。肉体を構築、分解を繰り返す天司が長時間の肉体を維持することにおける不具合の確認である。天司長であるルシフェルでさえ、サンダルフォン程の長期間、肉体を維持し続けたということはなかった。
 天司という規格を作りだしたルシファーにとっても、それは興味深い内容であったからこそ、多忙を極めるルシファーが、態々検査を買って出たのである。
 肉体の維持、及び固定化によるコアへの影響や、あるいは肉体の変化か継続されるのか。
 それらは、ルシファーの興味を惹きつけた。
 それに、サンダルフォンだ。役割を全うされることはない。不具合があったとしても、観察対象としては、問題がない存在である。そんなルシファーの胸の内をサンダルフォンは知らないでいる。それどころか、ルシフェルですら知らない。もしもルシフェルが知っていたらならば検査はただちに中止をして、天司長権限だとか、創造主権限を駆使してでも、サンダルフォンのエーテル化の許可をもぎ取っていた。けれども、そうはならなかったからこそ、ルシファーはサンダルフォンを観察しているのだ。
 ルシファーはサンダルフォンを見下ろす。
 初めて検査という名目で触れたときには、体が強張っていた。平常時の状態を知りたいルシファーとしては面倒でしかなく、コアを弄って強制的に睡眠状態にさせた。ふにゃんと力の抜けた身体に触れたかぎり、肉体に不具合はない。詰まらない結果であった。それから、数回、矢張りサンダルフォンは身体を強張らせるばかりで、コアを弄ってと繰り返したのだ。やがてサンダルフォンがルシファーの検査に対して慣れというべきか、諦念を持って挑むようになると体の強張りはまだ許容範囲になっていた。許容範囲といえども、あくまでも、肉体の防衛本能上の強張りである。ルシファーは無遠慮に体に触れた。肌の状態、手足や指の関節を確認。内臓の位置や骨格。サンダルフォンは瞬きを繰り返して、ルシファーのなすが儘にされている。されるしかなかった。
 サンダルフォンの肉体の変化を、ルシファーだけが知っていた。
 体に触れるたび密かに漏れる吐息。じわりと汗ばむ肌。脈が乱れている様子。
 医学に突出しているわけではないが、あらゆる分野を修めている優秀な脳は、サンダルフォンが興奮状態であることを冷静に認識していた。ルシファーはサンダルフォンを観察することに、少なからず、楽しみを見出していた。依然として、サンダルフォンが不用品であるということに変わりはない。ルシフェルがなぜサンダルフォンを気に入っているのか理解できない。けれども、それはそれとして、自らの手で変化させる、変化していくサンダルフォンの姿には溜飲が下がったのだ。ルシファーが触れることで、サンダルフォンは反応を示す。
 長期間における肉体維持の観察だけが、ルシファーの目的ではなくなっていた。ルシファーの手が離れる。サンダルフォンは堪えるために寄せていた眉を下げて、安堵する。

「あの、おわりました、か……?」

 問い掛けられたルシファーは無言のまま、視線だけを寄越す。サンダルフォンは、居心地悪そうにするも逃げ場はどこにもない。診察台の上でルシファーを見上げるだけだった。その視線を受け止めながら、ルシファーは再び手を伸ばす。脇腹に触れて、撫でる。

「っあ、」

 声が上がった。想像にしていなかったルシファーの行動に、サンダルフォンは声をあげてしまった。慌てて口を塞ぐサンダルフォンを見下ろしながら、ルシファーは更に手を伸ばしていく。するりと、撫で挙げるように触れる。サンダルフォンはぞくぞくとしたものを感じて、混乱しながら、戸惑いながら、ルシファーを見上げる。相変わらずの、冷え切った視線で、何を考えているのか分からない表情。

「……声を抑える必要はない」
「えっ、あっ」

 サンダルフォンは戸惑う。咄嗟に口元を隠そうとした手を、ルシファーに押さえつけられた。サンダルフォンは、その腕を振り払うことは出来ない。

「抑えなくていい」

 二度言わせるな。そんな言葉が聞えたような気がした。
 呆れたように、淡々と、許可をされる。言ってることが違う、とは言えず、サンダルフォンは戸惑いながら、首肯する。サンダルフォンを抑えつけていた手が離れるも、サンダルフォンがほっとする間もなく、また体に触れられる。許可をされたとはいえ、サンダルフォンの口からは小さな吐息が漏れるだけだった。
 サンダルフォンの知識の上で、ルシファーの行為を名付けるものはあくまでも「検査」である。検査? いかがわしいマッサージだろ? と狡知を司る現所長補佐官が口にしてしまうような行為、光景であっても、サンダルフォンはその行為を検査であると信じ切っている。それに、検査以外でルシファーが自分に関与するとは思えないのだ。
 許可をされたとはいえ、声を抑えてしまうのもその所為だった。
 サンダルフォンは知識がなくとも、その声が、検査の場に相応しくないものであると、本能で、察していた。だからこそ、自らのあげる声を恥じていた。
 ルシファーは、サンダルフォンの反応を観察する。肌が僅かに赤みを帯びてじわりと汗ばんでいる。吐息が漏れる。ルシファーが手を滑らせるたび、小さく体が跳ねる。その反応が、顕著である。声に比例するように、サンダルフォンの瞳が揺れる。それでもまだ、検査だと思っているのだから、ルシフェルの教育はどうなっているんだかと考えるも、手は止まらない。
 サンダルフォンの身体に異変が起こっている。けれども理解しない。そもそも、自分の肉体がどういう状態なのかも知らない。
 サンダルフォンの身体は熱を持っていた。
 その熱すらも、サンダルフォンは自覚していないのだろうということは、ルシファーには分かっている。
 ルシファーの冷えた手が脇腹に触れる。それから、徐々に上がり、肋骨に触れた。薄い皮膚の上から、肋骨の形をなぞった。爪が、僅かに皮膚にひっかかった。怪我とも言えないような、赤い筋が普段は隠されている皮膚に映えた。ピリリとした痛み。その瞬間に、サンダルフォンは、ひくっと喉を鳴らした。足先が丸くなる。ルシファーも、思わず目を見張った。
 サンダルフォンは何が起こったのか分からずに、ただ気怠さで体を弛緩させた。

「いまの、は……」
「検査は終了した、起きて鎧を構築しろ」
「…っ、はい」

 ルシファーに説明を求めたサンダルフォンであったが、命じられた言葉に慌てて体を起こす。体の奥でくすぶるように熱がちりちりと燃えていた。どうしたのだろうかと思いながら、言われたままに起き上がり鎧を形作る。ルシファーはすっかりサンダルフォンに興味を無くしたように、書類にペンを走らせていた。サンダルフォンは意を決したように、声を掛けた。

「ルシファー様、俺の身体に、異常はありませんでしたか……?」
「問題はない。お前こそ、異常は感じたのか」

 その問いに、サンダルフォンは一瞬だけ言葉を詰まらせた。先ほどの感覚。初めての感覚だった。何かが弾けたような、体験したことのない、初めての衝撃だった。あれは、長期間の肉体維持よる、影響なのかすらも、サンダルフォンには分からない。それでなくても、役割が無い自分は、何がきっかけで、廃棄をされるのか、分からない。サンダルフォンは、引き攣りそうになる喉を震わせて言った。

「いいえ、何も」

 ルシファーはそれ以上、追及することはなかった。
 何を考えているのか分からないルシファーを前にして、サンダルフォンは居心地悪くなった。退出するタイミングが分からないでいた。ルシファーは呆れ混じりに、再度、告げた。

「検査は終了した」
「──っ失礼します」

 サンダルフォンは逃げ出すように部屋を後にする。
 一人になった部屋で、ルシファーは小さく、変化と分からないほどの微笑を浮かべた。

Title:エナメル
2022/08/29
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