ピリオド

  • since 12/06/19
 朝から、どことなく、団員の様子はそわそわと、ざわざわと、落ち着かないでいることにルシフェルは気付いていた。色めきだったような気配には思い当たる節がある。

──何か、催しか祭事でもあっただろうか。

 成り立ちの過程を見知っているルシフェルにとっては、時代の変遷を経て当初の目的とは異なりながらも、時代に合わせて変化していく祭事に関して、興味深く感じていた。この時期には何かあっただろうか、と考えるも大きな祭事は思い出せなかった。
 他に理由はあるのだろうかと考えながら、サンダルフォンの淹れた珈琲を啜る。サンダルフォンはカウンターに入って珈琲を淹れていた。喫茶室にはぽつぽつと、団員の姿があり、思い思いに過ごしている。ルシフェルの視線は、無意識に、ついサンダルフォンを追いかけてしまう。その視線に気づいたサンダルフォンが顔をあげた。視線が交わると、なんともいえない、微苦笑を浮かべるものだから、ルシフェルはまた、追いかけてしまっていたのかとやっと気づく。そんなことを、毎日のように繰り返す姿を、喫茶室の常連は呆れたような、もどかしいような、微笑ましいような、混ぜこぜに見守っていた。
 蘇って早々に、騎空団の一員として生活をするようになったルシフェルのフォローをサンダルフォンは率先して引き受けていた。騎空艇での過ごし方や、当番の仕事内容、細かなところでは上陸した際に、空の民らしく振る舞う方法について、サンダルフォンは補っていた。
 それこそ、自身の自由時間を潰しても、ルシフェルと共に過ごそうとするサンダルフォンに、ルシフェルはルシフェル自身が抱く感情とは別として、サンダルフォンにその行動を強いているのではないか、未だに天司長と麾下、もしくは創造主と被造物の関係に基づいているのではないか──あるいは、贖罪なのだろうかと勘繰った。
 蘇ってから暫く、純然な空の民ではないものの、騎空艇で生活する過程でルシフェルはそれなりに、空の民としての生き方を理解した。作られてから数千年単位で、天司として活動してきたものだから、その数千年とは別に、空の民という視点を持つことには少々苦心はしたものの、日常生活に問題ない程度には慣れていた。だから、これ以上のフォローは不要であるとサンダルフォンに告げたのだ。
 丁度、補給のために島に立ち寄ったタイミングだった。屈託のない笑みでルシフェルさま、と呼び掛けられたルシフェルは、息も出来なくなる罪悪感を覚えながら、サンダルフォンを自室へと招いた。人の無いところを態々選んだのは、それが疚しいことであるかのように、罪深いことであるかのように思っていたのかもしれない。
 サンダルフォンは疑う事なんてしらないとでもいうように部屋に入ると、静かにルシフェルの言葉を聞いた。
 それまで団員の話し声であったり活動する音が扉をしめ切っていても聞こえていたというのに、一切の音が消えたかのように、自身の言葉が部屋の中に響いたのをルシフェルは感じた。
 ルシフェルの言葉を理解したサンダルフォンは何かを堪えるように、控えめな微笑を浮かべて口を開いた。

「……ご迷惑でしたか?」
「いや、君にはいつも助けられている」
「でしたら──……不愉快でしたか?」
「そんなことはない。君と、再び共に過ごすことが出来るのはこの上ない幸いだ。けれど……そのために、君が犠牲になることを、私は望まない。私のことは良いから、君は好きなことをしなさい。私への償いだというのなら、尚の事だ」

 サンダルフォンは、きょとりとしてから、破顔した。あまりにも無垢な表情をするものだから、ルシフェルは一瞬だけ見惚れてしまった。

「俺がしたいからしているだけですよ」
「君はそう言うかもしれないが……」
「だって、ルシフェル様だって、そうだったでしょう? ルシフェル様だって、中庭に来てくださった、時間を割いてくださったじゃないですか」
「割いた、という程のものではない。それに、あれは私がしたいからだけのことで──……」

 口にして、ルシフェルはしまったと思ってしまった。
 サンダルフォンは勝ち誇ったような、にんまりとしたり顔でルシフェルを見ている。これはルシフェルの負けだ。それを言われると、ルシフェルは何も言えなくなる。苦し紛れに、どうにか口にしたのは負け惜しみのようだった。

「それは、君が私に、甘えているということだろうか」
「……そうですよ。俺は、あなたに甘えているんです」

 ルシフェルはすっかり、参ってしまって苦笑した。サンダルフォンは照れくさそうに、口をまごつかせていた。それからというもの、ルシフェルの生活にはサンダルフォンが当たり前の存在となっていた。中庭で過ごした以上の時間を、二千年の空白を埋めるように、共に過ごしていた。
 こんなにも幸福で、満ち足りて、良いのだろうか。不安になるほどに、騎空艇で過ごす日々はルシフェルにとって、かつて描いたそのものだった。
 サンダルフォンを追っていた視線を、意識して、珈琲に移す。
 ルシフェルが二千年間求めていた味は、毎日飲んでも、飽きることはない。きっと、飽きる日は来ないだろうなと、予感めいたものすらルシフェルは感じていた。
 そういえば、サンダルフォンはあまり、そわそわとしていないなと改めて気付く。そして、何かに気づいたらしいサンダルフォンが声を掛けた。

「どうかしましたか?」
「……うん、今日は艇内がどうにも、落ち着かない様子だから何かあったかと考えていた」

 ルシフェルの言葉に、サンダルフォンはきょとりとした顔をして逡巡、合点がいったように一人首肯した。置いてけぼりのルシフェルは困惑を浮かべてサンダルフォンを見る。はっと気づいたサンダルフォンは申し訳なさそうな顔で、口を開いた。

「報酬の配布日なんです。当番の手当てだったり、依頼で引き受けた報酬に対して配分されて、今日、配布されるんです。そろそろ団長が来ると思いますよ」

 サンダルフォンの説明になるほど、とルシフェルは納得をした。それから暫くしてリストを手にしながら訪れた団長に、ルシフェルは封筒を受け取った。ずしりと重い。手にしたルシフェルは嬉しいとか、感慨深さよりも、まず、戸惑いが浮かんだ。
 ルシフェルは、長く、時には、脅威を退けつつも、基本的には、空の世界を見守り続けるというスタンスを取って来た。その中で、空の民の文化の進化は、目覚ましく感じていた。相互互助という関係から、物々交換。物々交換から、価値のある物品を基準にした物品貨幣。そして物品貨幣に代わる、金属紙幣貨幣を持用いた経済活動。その過程をルシフェルは記憶している。しかし、金属紙幣貨幣を手に取ることは無かった。なんせ空の世界に対して、ルシフェルは不干渉を貫き通していた。──つまるところ、ルシフェルは手渡された封筒の中身の使い方が分からないのだ。
 団長はルシフェルに封筒を渡すと、次にサンダルフォンに手渡した。サンダルフォンはありがとう、と言ってあっさりと受け取っている。団長もまたよろしくねと言ってそれからリストにチェックを入れるとお邪魔しました、と去って行った。ルシフェルが引き留める隙はなかった。なんせ、騎空艇に乗っている団員の数は相当であるし、騎空艇自体も中々に広いため、まだ報酬を渡し切れていない団員が多く、団長は少しだけ急いでいたのだ。

「私には、不用なのだが……」
「必要になりますよ。空の世界で生きるのなら、尚の事」
「そう、だろうか」

 戸惑ったような、不安な表情を浮かべるルシフェルを珍しく思いながら、サンダルフォンは首肯する。それから、ルシフェルははっとしたような顔でサンダルフォンを見ると、封筒をそのまま、手渡すものだから、サンダルフォンは目を丸くした。

「喫茶室で飲ませてもらっていた珈琲の代金だ。少ないかもしれないが」
「この喫茶室は無料ですよ。他の団員からも貰ってませんし、騎空団のコミュニティ施設のようなものですから」
「……ならば普段の珈琲豆の代金に」
「それこそ、俺の趣味に付き合ってもらっていることですからますます受け取れません」

 難しい顔をしたルシフェルに、サンダルフォンは微笑を浮かべる。

「ルシフェル様の御自身のために、使ってください」
「それが一番、難しいな……」

 ルシフェルは困ったように眉を寄せて、考え込むようにして黙ってしまった。サンダルフォンは、ルシフェルの困惑に覚えがある。なんせ、同じく、手にした金銭に戸惑った経験があるからだ。
 ほんの少し前のことだ。
 ルシフェルを喪って、約束を果たすために、復讐のためにと特異点たちに共闘を持ち掛けて騎空団に身を寄せた。その中で、サンダルフォンは騎空団に所属するならばと当番やら依頼やらを引き受けざるを得なくなり、報酬を得たのだ。サンダルフォンにとっては、共闘の対価が騎空団での活動であったために、報酬は過ぎたものであったのだが、特異点に無理矢理に渡された。空の民の営みであり、自分には無関係であると報酬は部屋に備え付けられていたクローゼットの中で忘れ去られていたのだ。そんなことを、ルシフェルの姿をみて思い出した。

「きみの使い道を聞いても良いだろうか?」
「俺、ですか? そうですね、俺は趣味に使っていますね。珈琲豆の購入が主ですが」

 言いながらも、初めて購入したのはコーヒーカップだった。
 見覚えがあるデザインだと思って気が急った。けれど、手にしてみれば、ただ白磁というだけで全く違っていた。虚しくて笑った。誰にも言うことはなく、しまい込んでいた。そのカップを今、ルシフェルが手にしている。愛しくて、口元が緩みそうになる。

「他の団員に聞いてみるのはどうでしょうぁ。それこそ、彼等の方が詳しいですから」
「そうしてみよう」

 サンダルフォンの提案にルシフェルは、こくりと頷いて見せた。それから珈琲をゆっくりと味わうと御馳走様といって喫茶室を後にする。サンダルフォンにいってらっしゃいませと見送られたルシフェルは、人の姿があるだろうと、甲板に向かうことにした。
 ルシフェルの予想通り、甲板には団員たちの姿がちらほらとあった。
 中には報酬の入っているであろう封筒を手にしている姿がある。報酬とは、嬉しいものであるようだった。ルシフェルは丁度良いと声を掛けた。話しかけられた団員は驚いた顔をしたものの、快く、あるいはなんでもないように、ルシフェルの問いかけに答えた。
「お茶会の茶菓子」「武器の購入と修繕費用」「印刷代」「新しい玩具」……代物は多岐にわたるが、まとめあげるならば、趣味への投資だろうとルシフェルは結論付ける。騎空艇での集団生活をしているために、食事だとか住居についてかかる費用はない。では、手元の金銭の用途はといえば、貯蓄か趣味、あるいはたまに島へ上陸した際に遊興費として消費されることになる。自己満足なのだ。趣味であれ遊興であれ、自分が満足を得るために、金銭が不可欠になるということ。──ならば、はたしてルシフェルが満足を抱くものといえば。
 ルシフェルはふむ、と考えると幾つか、封筒の中身の使用用途を思いついた。それから、次に立ち寄るであろう島のことを思い出す。はじめて、島への上陸を待ち遠しく思えた。
 喫茶室に戻って来たルシフェルの様子には戸惑いはなく、すっきりとした様子だった。団員たちから有意義な回答を得られたのだろうと、サンダルフォンは良かったという気持ちと、ほんの少し、自分だけが力になりたかったなという小さな傲慢を抱く。独占欲に苦い気持ちを抱けども、排除しきることは出来ない。排除しても次から次へと、湧き出るのだ。もう、こればかりは仕方ないことだと受け入れるまでに随分と時間が掛かった。

「使い道は決まったんですか?」
「うん。次の島で、気に入るものがあればと思っている」

 眦を和らげる、嬉しそうな様子に、サンダルフォンも共感するように、嬉しくなってしまう。何を買うつもりなのだろうかと気になる気持ちを押しとめて、そうですかと相槌を打った。ルシフェルがこうして、生を謳歌していることが、何よりだった。そこに、隣で息をすることを許された。だから、サンダルフォンは非常に、戸惑う。

「団長、少し出掛けて来る」
「いってらっしゃい! ……あれ、サンダルフォンそんな服持ってた?」
「……いただきものだ」
「ルシフェルかぁ……いつの?」
「前に訪れた島だ」

 ちらっとサンダルフォンは隣のルシフェルを見る。ルシフェルは素知らぬ顔、どころか視線があうとどうしただいと言いたげに、微笑を浮かべるだけだった。サンダルフォンは伝わり切らないもどかしさを覚える。
 金銭の用途に思い悩んでいたのが嘘のようだった。
 何がきっかけであったのか、吹っ切れたかのように、ルシフェルは一切の迷いもなく、立ち寄った島で気に入ったものがあれば購入して、それをそのままサンダルフォンへと贈るようになった。
 初めて贈られたときには、普段の御礼だからと、恐れ多くと固辞しようとしたサンダルフォンに、殆ど無理矢理に受け取らせた。おずおずと、受け取り広げた中身はコーヒーカップだった。

「中庭で使用していたカップと似ているように思ったのだが……こうしてみると、あまり、似ていないな」

 サンダルフォンは、耐え切れなくなって、つい、と普段ルシフェルに振舞う珈琲に使用しているカップについて口にした。だって、全く、同じ気持ちであったことを、サンダルフォン一人で抱えきることが、出来なかった。
 顔を見合わせると、思わず、笑みがこぼれた。
 それきり、とならなかったのが、サンダルフォンにとっての誤算である。
 団長があっさりとルシフェルの名前を出したように、それが浸透している。サンダルフォンにとって、忌々しき事態である。
 どうやら、ルシフェルはサンダルフォンに贈り物をすることに何かしらの喜びなのか、楽しさを見出したようだった。島に上陸するたびに、服やら靴といった身につける物であったり、珈琲豆や人気店の茶菓子であったりと、サンダルフォンに贈ろうとする。サンダルフォンが固辞しても、悲し気な顔をされると、サンダルフォンは強く出ることができない。わかっていてやっているのではないかとサンダルフォンは少々、疑っているものの、いざその表情をされると、矢張り、どうしようもなく、弱い。

「ルシフェル様にはご自身のために、使ってほしいのだが、きみからも何とか云ってくれないか」
「言ってもさあ……それでルシフェルはどうなの?」
「私は自分のために使っているのだが」
「どこがですか?」
「君の事を想いながら、君の為に選び、君に贈ることで、私は満たされる」
「なるほど。ルシフェルなりの推し活ってことかあ」
「これが、推し活……」
「おい、ルシフェル様に妙な言葉を吹きこむな」

 寧ろルシフェル様の行動は貢ぐという形になるんじゃないか。とは、サンダルフォン自身が不敬すぎて口にできなかった。

「迷惑、だろうか」

 しょんぼりとした、悲し気な顔で見られると、本当に、サンダルフォンは弱くて、参ってしまう。

「……迷惑では、ありません。嬉しく、有難く、思っています」

 だからといって、それは免罪符ではない。ルシフェル様には限度だとか、頻度だとか、そういうものを考えてほしい。けれども、そこまでを口にするには、サンダルフォンが抱く崇拝に等しい敬愛だとかが立ちふさがっていた。
 サンダルフォンの言葉にぱっとしょんぼりとした顔を引っ込めると、微笑を浮かべて目を細めたルシフェルに、サンダルフォンはそれ以上言えなかった。多分、このちょっとした買い出し先ですら、何か気に入ったものがあれば贈られてしまうのだろうし、それを自分は拒否できないのだろうなと簡単に予想がついて、遠い目をしてしまう。
 行って来るよ、と団長に声を掛けてサンダルフォンの手を引いたルシフェルの足取りは軽やかだった。

Title:エナメル
2022/08/15
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