ピリオド

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 とっつき難い。どのように接したら良いのか分からない。近寄りがたい。怖い。──当初こそ、協力関係に過ぎないと明言して、最低限のコミュニケーションしかとることのないサンダルフォンに対して、団員もまた同じく接し方を探りあぐねていた。しかし、それも最初ばかりだ。なんせ特異点が率いる騎空団。一癖二癖どころではない団員たちが集っている。王侯貴族にお尋ね者、騎士に盗賊、はたまた……と挙げだしたらキリがない。そんな団員たちは無自覚であったり意図的にであったり、トラブルを引き寄せ、引き起こすことが度々あった。すっかりトラブルに慣れっことなっている特異点や団員たちはまたか、なんてやれやれ顔であるが、サンダルフォンはたまったもんじゃない。こんなところで足止めを喰らうわけにはいかない、ルシフェル様との約束を果たさなければとガムシャラにトラブル鎮圧に働きかけた。その甲斐があったのか、サンダルフォンは騎空艇に馴染むことが出来た。
「サンダルフォン」と名前を呼ばれるたびに、サンダルフォンはムズムズとした。名前を呼ばれることに、不慣れだった。作られてから長い時間を過ごした研究所では殆ど監禁状態で、名前を呼ぶ相手というのも創造主であるルシフェルしか咄嗟に挙げることが出来ない。時間があれば、数人程度は上げられるものの、その数人とも顔をあわせることは殆どない。だから、あちこちから名前を呼ばれて、「荷物を運ぶのを手伝ってくれ」だとか「討伐依頼に組み込みたいけれど予定は空いているのか」だとか、「おまけでもらったお裾分け」だとか言われても、サンダルフォンは、どのように反応すればよいのか、振る舞えば良いのか、分からない。
 そもそも、サンダルフォンは敵対者だった。特異点や蒼の少女、そして赤き竜を傷付けただけではなく、空の世界に対しての敵対者だった。サンダルフォンは、彼等を傷付けたということを、自戒していた。だからこそ、協力関係を結んだだけと線引きをしていたのだ。それはサンダルフォンなりのある種の思いやりであった。敵対者であった自分に気を使わないで良いように、恨み憎しんでも良いようにと機会を設けていた。だというのに、特異点や蒼の少女たちはその線引きを悠々と飛び越えてくる。飛び越えて、サンダルフォンの手を引っ張るのだ。サンダルフォンは戸惑うしかなかった。
 元々サンダルフォンは対人関係というものが希薄だった。言葉を交わすことが多かったのはルシフェルであるけれども、サンダルフォン自身でもあまり参考にはしていない。なんせルシフェルはサンダルフォンにとっては特別な存在であるので幾ら特異点たちとはいえ同列に扱う訳にはいかなかった。だからこそ、どのように接すれば良いのか困惑をする。特異点たちから声を掛けられ、応じながらもこれが普通なのだろうかと心配を浮かべるサンダルフォンの姿を、報告のために騎空艇に姿を現した麾下となった天司たちは微笑ましくだったり、はらはらとだったりとしながら、見守っていた。



 サンダルフォンと特異点は机を挟んで向き合って座っていた。机の上には書き込みやメモが貼りつけられた地図が置かれている。サンダルフォンは真剣な顔でとある地点を指さす。特異点はそれに対して報告書の一部を理由に否定する。そんなことを繰り返している。

「ちょっと休憩しよう」
「そう、だな。珈琲を淹れて来る。きみは?」
「お願い」
「わかった」

 細々と集まった情報をまとめても、依然として足取りは掴めていない。けれども当初に比べれば随分と進展はしている。同時にサンダルフォンとも信頼関係を築けたんじゃないか、と特異点はサンダルフォンに入れてもらった砂糖たっぷりの珈琲を口にしながら確信していた。騎空艇に身を寄せた時のふてぶてしい様子からは考えられない行動である。お願いをすれば珈琲を淹れてくれる。何もわずに砂糖を入れてくれるのだ。──サンダルフォンが諦めているのだと特異点は微塵にも思っていない。
 会話を続けることを避けているようだったサンダルフォンが、今では一緒に珈琲を飲むまでになっている。サンダルフォン曰く珈琲と呼びたくはない、砂糖水珈琲風味を飲みながらちらりとサンダルフォンを見た。視線が合う。どうした、と聞かれたものだから、ほんの少しだけ気になっていたことを問いかけた。

「天司長ルシフェルって、どんなひとなの?」

 ひと、と形容して良いのか分からないが相応しい言葉を特異点は思いつかなかった。
 問われたサンダルフォンは珈琲を一口飲んでから、考え込む。言葉を探していた。天司長ルシフェル。実のところ、サンダルフォンは天司長ルシフェルについて語る言葉を、持っていなかった。それを特異点はしまったと言いたげに、取り繕う。

「あんまり、知らないから。知りたいなって、思っただけ。言いたくないなら、言わなくて良いよ」
「妙な気遣いは不要だ。天司長は空の世界に顕現することはなかったと言うし……そう、だな。……あの御方は、公平無私で、役割の無かった……否、知らされていなかった俺にすらも慈悲を与えてくださる。別に、あの御方の言葉を否定するわけじゃない。だけど、そういう、ことだったんだよ。あの場所では」

 あの場所──研究所は命に意味がなければ、存在が許されることはなかった。今でも、脳に焼け付いている。思い出してしまう。腐った水と鉄錆が合わさった臭気。存外に、自分は研究所の深部を覗いてしまっていたのだと今さらになって気付いてしまう。なんせ研究所において、サンダルフォンが存在を許されていたのはルシフェルによる影響が大きかったのだ。もっとも、真実はサンダルフォンがルシフェルのスペアだからという理由なのだけれども、それを知るまでは、の事である。
 天司長ルシフェルによって作られたから、役割がなくとも、天司長ルシフェルが存在を許しているから。それだけしか、理由がなかったのだ。

「でも、あの言葉はきっと、慈悲なんかじゃなかったと、思うけど」
「すべて、あの御方の、御慈悲だ。俺には、勿体ないくらいの」

 慈悲だと言い切るサンダルフォンが、一瞬だけみせた、隠すことの出来なかった、泣く寸前のようなくしゃりと歪んだ顔に、特異点はそれ以上否定することが、出来なくなった。サンダルフォンは、それが、有難かった。
 最後に言葉を交わしたのは、サンダルフォンが災厄を引き起こしたときである。けれども、あの時のサンダルフォンはといえば、見当違いな逆恨みばかりが先走って、結局、言葉を交わしたとは言い難い。お互いが──殆どはサンダルフォンが言葉を吐き出して、ルシフェルの言葉を否定するだけだった。
 もしもあの時と考えるのは、今更なことで、ナンセンスでしかない。だから、サンダルフォンは考えない。想像しない。
 あの御方が嘘をつく事はない。けれども、その言葉に縋ることを、サンダルフォン自身が許せない。唇を引き結んでしまう。

「僕たちにも珈琲を淹れてくれないか?」
「もう喉がからから!!」
「──喉が渇いているのなら珈琲よりも水の方がいいとおもうが……。わかった、少し待っていろ」

 張りつめた空気が霧散する。サンダルフォンは仕方なさそうな、納得しきれていない顔で、けれど、言い出したらきりがないと分かっているからこその諦めもあって立ち上がった。ついでとばかりに、飲み切って空になっていた特異点のカップも回収して、部屋を出て行った。
 お願いをしたハールートとマールートはやったと暢気なものである。特異点は他人事ながら、天司長に対して良いのだろうかとほんの少しだけ、思った。自分自身も、団長として偉ぶることはないし団員たちからも恭しく接せられても困るのだけれど、天司にそれは対応するのかと思ってしまう。

「まさか天司長に対してそんなこと出来やしないよ」
「ルシフェル様にそんなことしたら不敬ですもの」

 心を読むような言葉に特異点はひやりとした気持ちになった。天司、そういうところある。もしかしたら、自分が分かりやすいだけかもしれないという可能性を、特異点はちらりとも考えていない。

「それにして、まさかサンちゃんの珈琲が飲める日が来るだなんて思いもしなかったわ」
「そんなに? 確かに、淹れてもらえるようになるまでは時間がかかったけど」
「勿論。とんでもないことさ。……まあ、昔でも、サンちゃんならお願いしたら淹れてくれたのかもしれないけれどね」

 苦笑いを浮かべるハールートとマールートに特異点は疑問符しか浮かばないでいた。

「まあ、サンちゃんは天司長様と過ごされることが多かったし、天司長様がいらっしゃるときにそんなお願いができっこないってこと」

 合点がいった特異点もまた、苦い笑みを浮かべてしまう。易々と想像がついた。あの時、すっかり特異点たちを蚊帳の外にして二人だけの世界を作って、そして当事者であり被害者であった特異点の意思なんてお構いなしに、サンダルフォンを掻っ攫っていったルシフェル。聞こえは悪いものの、特異点にしてみれば、そうとしか言いようがない光景であった。

「昔からそうだったの?」
「そうね、中庭のサンちゃんといえば、有名だったのよ。天司長に報告するときは真っ先に中庭に行くのが常識ってくらい」
「懐かしいなあ! でも中庭は立入禁止だから待つしかなかったんだよね」
「サンちゃんの姿もその時にちらっと見たくらいだったわ」

 懐かしむハールートとマールートは顔を合わせてくすくすと笑い合う。置いてけぼりの特異点は、思っていた以上に、ルシフェルがサンダルフォンに対して入れ込んでいるというよりも麾下としての扱いをしていないものだから、サンダルフォンはこれでも否定するのかといっそ悲しくなった。報われることのないルシフェルに同情した。
 暫くして、珈琲を淹れて来たサンダルフォンは妙にとぼけた雰囲気を出す特異点たちを怪訝に見て、何も言わないでいた。

「それで、報告は?」

 珈琲を飲みながら、ハールートとマールートは調べた内容を告げる。地図に書き込まれる。いよいよ決戦が近いのだと、特異点も、サンダルフォンも予感していた。



 眠りたくはない。眠れば夢を見る。夢を見たくない。夢を見れば悲しくなる。我儘だ。それは自分自身の罪から逃げることでしかない。サンダルフォンは眠らなければならない。眠って、天司長の力をコアに馴染ませなければならない。だから、サンダルフォンは毎夜、おそるおそると目を閉じる。
 中庭で向かい合って珈琲を飲んでいる姿は在りし日の光景であった。

「淹れ方一つでも、珈琲というのは奥が深いですね」

 よくもいけしゃあしゃあとかまととぶるなと自分に想う。
 珈琲の研究を始めてから、研究所で一人過ごす時間は苦痛ではなくなった。珈琲の研究は、純真なものではなかった。少しでもルシフェル様に褒められたい、あの御方の好むものを理解したい、と決して無垢とは言い難い、私欲だらけで、強欲な悪辣な感情が奥底になったのだ。果たしてその感情を気付かれることはなかった。それが良いことであるのか、サンダルフォンには判断できない。それどころか、その感情をサンダルフォンは許すことが出来ない。役割がない天司が、天司長に縋っただけ。それだけのことでしかないのだと、思い過すしかない。ちがうと言う自分を、否定するしかない。
 美味しいと言われる度に、許されたような、劣等感が満たされた気持ちを覚えた。それが、息苦しい。

「うん。淹れる温度の差異でも味の変化がこうも出るのは興味深い発見だ」
「珈琲豆の渋みや苦味に合わせて、温度を変えても良いかもしれませんね」

 笑みを浮かべるサンダルフォンに、ルシフェルは微笑を浮かべる。自分は、大切にされているのだと、勘違いをしてしまう微笑だった。そんな勘違いで、自分は付けあがって、勝手に絶望して、お門違いな逆恨み。恩知らず。恥さらし。
 そんなサンダルフォンを、ルシフェルは知らない。ただ優しい笑みを向けるだけだった。余計に、苦しくなる。自分の愚かしさこそが、憎い。

「お前の所為だ」

 あの御方は、あの人は、絶対に言わない。そんな確信をしている自分を、サンダルフォンは許せない。だからこそ、甘えた感情を抱く自分が、許せない。自分の所為だというのに、烏滸がましくも、尚も縋る自分に、怒りを抱いた。その本人に、許されたのだから、もう、どうしようもないのだけれど。
 サンダルフォンは珈琲を用意する。
 騎空艇で育てている珈琲の木を収穫したのだ。団長が誕生日に強請るものでもあるのだが、今回ばかりは、最初の一杯はルシフェル様と共にと決めている。なんせ譲り受けた、原初の珈琲である。現代の珈琲に比べると、どれだけ淹れ方を工夫しても味は劣る。それでも、サンダルフォンにとっては特別な至高の一杯である。
 どうにかそれらしく、喫茶室してと改装された一室の営業開始日は明日に迫っていた。サンダルフォンはここ数日のばたばたと、トラブルでもなんでもないのに慌ただしかった日々を思い出して、人知れず微笑が零れた。 
 天司達は徐々にではあるが、役割を空の世界へと戻している。それは天司長ルシフェルの遺志であり、引き継いだサンダルフォンの意思でもあった。
 天司長ルシフェルは空の世界に遍く存在し、空の世界を見守っていた。けれども、サンダルフォンは今までのように、騎空艇に身を寄せることを選んだ。誰も、その選択を否定することはなかった。

「……懐かしい、味ですね。初めて飲んだ珈琲です。本当は、あの時、あまり美味しいとは思えなかったんです。バレていた、でしょうか……勿論、今は美味しいと思えるのですけれど……この珈琲は、ルシフェル様とだけ飲もうと決めていたんです。初めて淹れるときは、ルシフェル様に捧げようと、思っていたんです。……ここの部屋は喫茶室として貸してもらって、明日からの営業になるんです。不安もあるんですが、楽しみという気持ちもあるんです。メニューはこれから増やしていくんですけれど……」

 語り掛ける。
 返事はない。
 サンダルフォンには、役割はない。天司長といっても、従える天司はもはやいない。だからサンダルフォンは、認めた。否定しても無意味だった。
 天司だからとか、作られたからとか、役割がなかったからだとかは、否定する根拠にならなかった。言い訳にも満たない。しょうがなくなくなって、顔をくしゃりと歪めたサンダルフォンは、珈琲が注がれたカップ二つを前に、笑ってしまう。

2022/07/18
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