ピリオド

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 何時から根付いていたのか、ルシフェルは正確に把握できない。気づけば芽生え、根付き、育っていた。ふとした瞬間に脳裏をよぎる凶暴な想像に、得体の知れない恐怖を覚えた。ふとした瞬間に抱いた凶悪な欲望に、まさかと息を呑んだ。
 幸いなことに、稼働に、役割に支障をきたすほどのものではない。けれどもルシフェル自身が自覚している不具合を放置することは出来ない。今後、支障をもたらすかもしれないという危険性がある。だからこそ、ルシフェルは研究所に帰還をするなりルシファーに報告したのだ。
 ルシフェルの姿を見るなりルシファーは少しだけ、驚いて見せた。
 なんせルシフェルときたら、ここ最近すっかり自らが作った天司にかまけている。研究所に戻ってきていると報告があり、何かあったのかとルシファーが考えているうちに、研究所を出て行ったと知らされる。ルシファーは呆気にとられた。
 果たしてどのような理由があって、研究所に帰還したというのか。
 そもそも今までのルシフェルはといえば、ルシファーが命じなければ帰還をする意思を見せたことはなかった。それは必要性がない、という極めて冷静な状況判断である。報告する程の重要な事柄はない。そもそも、報告であれば役割を持つ天司がいる。寧ろルシファーに報告をするような問題が発生していないというだけだった。故にルシファーも流石は俺の最高傑作だな、無駄がないと内心でほくそ笑んでいたものである。だというのに、最近ではほとんど毎日のように研究所に帰還している。そしてその一度としてルシファーに姿を見せることなく、ずんずんと中庭へと向かっているのだ。最早呆れるしかない。
 ルシファーがその役割故に存在を秘密にしようにも、ルシフェルが知ったこっちゃないとでもいうように存在をひけらかす。ルシフェルにその意図がなくとも、天司長という立場であったり、それまで寄り付かなかった研究所にわざわざ帰還して、真っ先に向かっているという行動を怪しむなというほうが無理がある。そんな、ここ最近のルシファーの悩みの種が、沈痛な面持ちで、ルシファーを見下ろす。
 ルシファーの個人研究室はあまり整えられていない。入室するものが限られていることもあるのと、ルシファーが使い勝手が良い、ルシファーが何がどこに保管されているのかを把握しているために、一見すれば乱雑に放置されている。そんな部屋のなか、ルシファーは研究結果をまとめていた。研究レポートが机に広がっている。そこそこに座り心地の良い椅子に腰かけたままのルシファーは、ルシフェルを見上げて情けない顔だと、同じ顔でありながら思った。同時にこんな顔を自分もできるのだろうかと思った。

「何か、あったのか」

 黙りこくったままのルシフェルに問いかける。
 ルシファーの知る限り、空の世界に異常はない。進化も滞りなく、そして、何より、ルシファーの思惑が漏れている気配はない。まさか自分の知らないところで問題が発生しているのかと考える。ルシファーは決して万人に好かれる性質ではないと自覚している。それどころか、妬みや嫉みを集めやすい気質であり、実際にこれまで何度も暗殺されかかったという過去を持つ。天司を作りだしてから、そして研究所所長という立場となってからもうんざりとする程の件数である。その度に補佐官であるベリアルだったり、ベリアルが妙に可愛がっているサリエルだったりが阻止しているためにルシファーは面倒臭いとありありと顔に浮かべながら機械作業のように関わっている人物を処分していった。随分と風通しがよくなった、とベルゼバブが可笑しそうに言っていたものだ。
 問いかけに、暫くまごつかせるように言葉を探していたルシフェルは、意を決したとでも言うように、重い口を開いた。

「──胸の中に、形容し難い違和感がある」

 ルシファーは眉を顰める。
 ルシフェルは感情表現が豊かとは言い難い個体だ。殆ど同時期に作ったベリアルが創造主であるルシファーですらもやかましいなと思う程に感情豊かであるからなのか、より顕著に感じる。とはいえ、皆無ではない。それでも、天司長という公平さを求められる立場と進化を司るという役割故であるのか、以降に作られ感情を抑制された天司と殆ど同じ程度のものだった。感情を顕わにすることが無かった。創造主であるルシファーですら感情を発露させるルシフェルを見た事が無かった。もっとも、ルシファーにとっては不本意ながら、最近では、作らせたサンダルフォンにかまける……基にサンダルフォンと共にいることで感情が育まれている。ただ、元よりあった感情がようやっと正しく存在しているのだと、ルシファーは事実に抵抗するように認識している。しかしながら、どれも、今更なことだ。サンダルフォンが作られてから、かまけてから、中庭に通い詰めるようになってから。どれだけの時間が経っているのやら。変化の乏しい研究所で、ルシフェルの行動が当たり前になってから。サンダルフォンの存在が天司長のお気に入りであると噂されてから。歳月は立ち過ぎている。だからルシファーもまた、ルシフェルが違和感と称したそれを事実として受け入れた。真っ先にコアの異常かと考えたのだ。そしてあわよくばコアの異常を理由にサンダルフォンを排除できないか、と考えた。

「……コアに異常はない」
「そう、か」

 ルシフェルのコアに変化はない。完璧である。当然である。最高傑作。自画自賛。しかし、ルシファーの言葉はルシフェルの憂いを晴らすには足りない。

「……治療なんて俺は専門外なんだがな」

 独り言ちたルシファーは、それから検査を始めた。
 天司がまさか病気にかかることはない。けれども進化を司るという特異なポジションであるルシフェルが当事者であるだけに、すべてを否定することは出来ない。空の世界は未知である。何かしらの関与により、完成された存在であっても歪められる危険性はある。あらゆる方法でルシフェルは検査された。けれども検査結果はすべて問題無し。

「稼働に問題はない、役割に支障はない……だが今後異常をきたす危険を考えれば排除すべきなのだろうがそもそも排除すべき箇所がわからん。具体的にお前は何をもってして不具合と判断した」
「……ムラッとする」
「は?」
「いや、悶々……?」

 真剣な面持ちで妙な擬音を発するルシフェルに、ルシファーは素っ頓狂な声で聞き返した。これまでの真剣な会話が馬鹿らしくなる。形容し難い違和感といっておきながらなんだその馬鹿みたいな、と思いながらルシファーは嘆息を零しカッとなった脳を冷やそうと試みる。

「どの状況下でその反応が起こる」
──自分はいったい何を真面目に尋ねているんだか。
「特定の状況下、という訳ではないのだが多くはひとりでいるとき、だろうか」
──そしてコイツは何を真面目に答えているんだか。

 ルシフェルは自分を揶揄ってはいない。これがベリアルであったならば揶揄うなと一蹴できる。あれは妙なコミュニケーションを好む。しかしルシフェルは心底真面目であるから性質が悪い。誰が作った。俺だった。
 一般的な診察問答をしてからルシファーは馬鹿馬鹿しくなる。ルシファーとて、長く生きていない。その中で、ルシフェルの言うムラっとだとか、悶々だとか、思い当たる節はある。けれども認めたくはない。認めてはいけない。思い当たる節に対していやな顔をしたルシファーは、はぁと面倒臭くなって、溜息を吐き出した。
 腰かけたルシファーに対してルシフェルは影のある──不安なのか、緊張なのか曖昧な顔でつっ立っている。それから、ルシファーは真面目ぶった顔でルシフェルに向き直る。

「問題はない」
「不具合ではない、と」
「ああ、元よりあった機能の一つに過ぎん」
「そう、なのか」
「そうだ。何も、問題は、ない」

 納得しきれていない様子であるルシフェルだったが、友である以上に創造主という立場であるルシファーの言葉を否定は出来ない。役割や稼働に支障をきたすことがないのであれば、確かに、問題はない。
 用がないならさっさと出て行けと部屋を放り出されたルシフェルは、それから迷うことなく、中庭へと向かう。人払いをされている中庭はしんと静まり返っていて、時折吹く風が、ざわざわと木々を揺らした。扉を前にして、ルシフェルは覚えのある「ムラッ」としたざわめきを感じる。ルシファーから問題ないと太鼓判を押されたものの、ルシフェルは不安で心配でたまらない。
 ルシフェルの強靭な理性をもってして、どうにか抑え込んでいる凶暴、というべきか、凶悪で質が悪いその感覚。無茶苦茶をしてしまいたい。そんな理不尽で悪辣な感情を向ける相手というのが、

「ルシフェル様!!」

 扉を開けた姿を視界に入れるなり、ぱっと顔を輝かせる。ルシフェルは途方もない罪悪感と同時に、途轍もない満足感を覚える。張りつめていた心が安らぎを感じる。一点の曇りもない信頼を向けるサンダルフォンに対して、邪で醜悪な欲望を抱いている。サンダルフォンに合わせる顔なんてないじゃないか。だというのに、手放したくない。手放せない。そんなこと、出来はしない。
 ルシフェルをテーブルに案内するサンダルフォンは、ルシフェルが抱いている感情を微塵にも察していない。全幅の信頼を寄せている。天司長として創造主として、そしてルシフェルだからこそという信頼である。

「珈琲の用意をしますね」
「ありがとう、サンダルフォン」

 感謝を伝えれば、一瞬だけ固まり、照れくさそうに、けれども破顔する。愛らしいなとルシフェルは胸に暖かなものが込み上がる。
 幸いなことに、サンダルフォンと向かい合っているうちには、狂暴で凶悪な感情は静まり返っている。そんな感情ありません、とでもいうようにどこにも見当たらない。ただただ、穏やかで優しい気持ちだった。だからこそ、ひとりになった途端に、サンダルフォンがいない時を狙って湧き上がる感情を、サンダルフォンを汚すように思えて、ルシフェルは、疎ましく感じていた。

Title:エナメル
2022/07/11
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