ピリオド

  • since 12/06/19
「……後は若いお二人で」

 常套句の後、退席したのは互いの両親だった。置き去りにされた二人は気まずい気持ちになって、それまでは互いの両親、特に母親同士が必至のアピール合戦をしていたものだから、余計に部屋の静寂を感じ取っていた。
 ぴっちりと閉じられた大きな窓からは、風がそよそよと緑の葉を揺らしていた。時折小鳥が囀っている。よく聴く鳴き声だけれど、なんという鳥なのか、サンダルフォンは知らないでいる。それどころか、その姿も分からない。そんな現実逃避の果てに、手元に落としていた視線を、おずおずと上げた。すると、視線が交差する。その時になって、やっと顔を認識した。それはルシフェルもまた同様だった。互いに、労わるような、同情するような笑みを自然と浮かべてしまう。それまでの雰囲気でもしやと思っていたが、物語る表情で確信する。

「きみも?」
「あなたも、ですか?」
「……両親も安心をしたいのだろう」
「ああ、わかります……」

 苦笑を零したルシフェルは、喉の渇きを思い出してカップを手に取った。すっかり冷めている珈琲を一口飲む。
 二十代後半に差し掛かるルシフェルは、三男坊として生まれた。しかしながら、長兄は俳優として、そして次兄は研究者として出奔しており、家を継ぐのは自動的にルシフェルとなった。ルシフェルも家を継ぐことに不満はない。兄たちを恨めしく、憎たらしく思う気持ちも皆無であり、兄弟仲は悪くはない。また三男坊のくせに、御鉢が回っただけに過ぎない、などとルシフェルを貶める声もない程にルシフェルの人柄に文句の付け所はない。理想の次代である。であるのだが、両親に不安があるとすれば何時まで経っても浮いた話が無いことである。
 あの手この手で両親が根回しをして、魅力たっぷりの女性けし掛けてもルシフェルは、その根回しに気付いているのかいないのか不明でありながら、けし掛けた女性が哀れにも自身の魅力が足りないのかと不安を覚えるほどに、紳士的対応で送り返すのである。
 紳士としてパーフェクトな振る舞いであるのだが、さらなる安心──ひいては孫を望む両親としては違う、そうじゃないと項垂れざるを得ない。何度か繰り返したものの戦果は御察しであった。ならばもう仕方ないと縁談を取り付け、正面突破を目論んだ次第である。縁談の数は両手両足の指を超えている。今やルシフェルの嫁選びはその界隈では有名な話だった。難攻不落。狭くはないが広くもない界隈で、縁談についての噂は瞬く間に広がった。どこそこの娘。あそこの娘。……なら内の娘はどうだろうかと売り込んだ家は少なくない。あわよくば家同士の結びつきを考えるのは仕方のないことだ。それでも、ルシフェルの家は名家である。選ぶ自由があるのはルシフェル側である。
 この娘の家は悪い噂が尽きない。あの娘は品行がよろしくない。その娘は少々、頭が足りない。──その中で、サンダルフォンは選ばれた。
 家柄が劣る点がまず良い。浮いた話は無く、品行方正、箱入り娘であるが世間知らずではない。学業の成績も優秀だった。まだ十代後半とルシフェルとの年齢差はあるものの、そのくらい年が離れていた方がルシフェルも無碍に扱うことは出来ないだろうと、最後の希望と言わんばかりに勝手に期待を寄せられていたのがサンダルフォンである。
 サンダルフォンは自分がその評価をされているとは知らずに、自分に廻って来た縁談を訝しんでいた。末っ子長女であるサンダルフォンには兄が二人いる。長兄は、家が手掛ける仕事とは肌が合わないと自分で会社を興し、次兄が家を継いだ。順風満帆とまではいかないものの、悪くはない業績である。家を継いだ次兄は、サンダルフォンを家に縛り付けるつもりはなく、手伝いにせよ家を出るにせよ応援をしているという立場であり、長兄にしても家を出るなら手伝うという言質を取っている。ただ、両親もサンダルフォンを心配しているからこそ、縁談を取り付けたのだということをサンダルフォンも理解しているからこそ、心苦しく、憂鬱になる。兄二人と年が離れ、そして娘であるからなのか、両親の溺愛振りはすさまじいものだった。結婚相手についても昔から心配をされてきた。自分はそんなに頼りないのだろうか。数年前、反抗期のサンダルフォンが長兄にぼやけば、長兄はお前が可愛いんだよと鳥肌が立つ台詞を口にしたものだ。
 思い出すと矢張り、鳥肌が立つ。サンダルフォンは切り替えるために、カップを手に取った。冷めた珈琲であるものの、高級ホテルとだけあって悪くはない味である。どうせなら、淹れたてが飲みたかったものだと考えてしまった。
 ルシフェルはその表情を見て、そういえばと記憶をたどって、口を開いた。

「珈琲の研究が趣味だったね」
「どうして、あ、そっか……お母さまが言ってましたね」

 サンダルフォンが照れたように言いなおす姿は、ルシフェルには愛らしく思えた。とはいえ、それは妹や幼い子どもに向けるような感情である。妹がいれば、このような感覚なのだろうかと考える。それは、とてもではないが、恋愛対象に向ける感情ではなかった。ルシフェルは年下趣味ではない。そもそもルシフェルは、これまでの人生で恋愛感情を抱いたことが無かったのだ。これからも抱くことはないだろうと、さして悲観することなく、冷静に判断をしている。両親にはほんの少し申し訳ない気持ちがあるが、子どもにしても養子という手段を考えている。自分が他人を愛すること、血を分けた子どもを持るという想像図をこれまでの人生で浮かべたことはなかった。
 年上らしく、きまずくならないようにと話を振るルシフェルの姿はサンダルフォンには好意的に映る。といっても、同様に、兄のような感覚である。
 サンダルフォンの珈琲研究、という少々マニアックな趣味を隠すことなく母が口にしたのはルシフェルの家が農園を手掛け、その中に珈琲が含まれているからだ。サンダルフォンも勿論、その珈琲を口にした。フルーティーな味わいでありながら癖が少ない面白い味であったことを覚えている。
 なんだか話題作りに利用されているようで、あまり良い気分ではなかったが、やめてとは、口にすることが出来なかった。サンダルフォンはルシフェルがそのことを覚えていたことが意外であり、揶揄う様子がないことを嬉しく思っていた。

「ここの珈琲、冷めていても悪くないですけど、淹れたてはもっと美味しいだろうなと思います」
「そうだな、勿体ないことをした。自分で淹れることはあるのかい?」
「はい。喫茶店巡りもするんですけど、淹れ方とか、ブレンドとか、自分で組み合わせるのが好きなんです……あなたは?」
「……私も、自分で淹れることがある。それに淹れている時は、待ち遠しく、ひとしおに美味しい気がする」
「わかります、あの時間が美味しさを引き立てているでしょうね」

 ぽつぽつと会話が弾んでいく。ルシフェルもあまり大っぴらに口にしないものの、珈琲に関して数少ない好ましく思う嗜好品である。付き合いだから、と無理に合わせることなく、話が合うサンダルフォンとの会話を純粋に楽しんでいた。
 恋愛対象ではないものの、ルシフェルもサンダルフォンも互いにこれまでの縁談相手の中で、悪くはない相手として好意的に感じていた。そして勿体なく感じる。
 この縁談が流れてしまえば、これから先、会うことは難しくなる。独り者になる未来を描いているルシフェルは気楽なものであるが、十代であるサンダルフォンは悪い噂が流れてしまえば一生付き纏うことになる。ルシフェルとしては、本意ではない。

「もしも良かったら、今度、きみのおすすめの喫茶店を教えてくれないか」
「それ、は」

 サンダルフォンが、顔を強張らせる。言葉に迷う。自分の家と立場を理解しているから、無碍に出来ない。けれども、まだ十代という少女の意思はそこまで柔軟ではない。自由恋愛がしたいわけではないけれど、この人は良いのかと、不安が過る。悪い人ではない。だけど。堂々巡りな思考回路に落ちたサンダルフォンをお見通しとでもいうように、ルシフェルは続けた。

「この席で言うのはマナー違反なのだろうけれど、私は結婚をするつもりはないんだ」
「そうでしょうね」
「分かりやすかっただろうか?」
「いえ……同じだからわかります」
「うん、だから君には言えた。だけど幾ら断ったところで、舞い込んでくるものだからいっそ取り付けようかと思ってね。君も同じなら、悪くはない話だと思うのだが……。勿論、このまま結婚することはない。期限にしても君の好きなように設定してくれて良いし、きみの都合が、そうだな、好きな人が出来たら終了しても良い。その時になっても、君の経歴に疵がつかないようにすることを約束する。……君とは、純粋に楽しい時間を過ごせた。君の珈琲の研究を成果を聞きたいというのは、私の純粋な、好奇心だ。……私は、ずるい大人だからこうすることでしか友を作れないのだが、その……君さえよければ、友になってはくれないだろうか?」

 長々と、それらしい理由で説得しておきながら、最後に至っては子どもよりも拙い、情けない申し出になっていたからサンダルフォンは強張らせた顔から力が抜けて、へにゃりと笑ってしまう。

「本当にずるい人は、自己申告なんてしませんよ」

 サンダルフォンが小さな鞄から、携帯電話を取り出した。番号良いですか? と声を掛ければ、ルシフェルは、慌てたようにいそいそと携帯電話を取り出すと緊張からか、不慣れな手つきで番号を表示させる。サンダルフォンは、自分の携帯にルシフェルの番号が登録されたことがなんだか信じられない気分になりながら、登録した番号に自分の連絡先を送った。初期設定の着信音の後、ルシフェルが笑みを浮かべて、登録したよというものだから、少し、気が抜ける。
 それから話していると、両親が帰って来た。今まで黙りこくっていた二人が会話していることに、何かを察したの、かにやにや顔を隠しながら、そろそろ、と言ってお開きとなった。ふと、ルシフェルは前を見る。席を立つサンダルフォンの頭に、真っ白なレースのベールが顔を隠すように、ちらついて見えたルシフェルは目をこすった。それから目を開けると心配した顔をするサンダルフォンに、なんでもないよと声を掛ける。

「彼女に合わせて、ゆっくりと話を進めていきたい」

 どうだったのかと期待する両親に言えば、ルシフェルの言葉に安心したように、了承した。ほんの少しだけ、罪悪感を覚えた。連絡を受けたサンダルフォンの両親もにこやかなものであるから、サンダルフォンはちくちくとした痛みを覚えながら、生温い視線を感じつつもルシフェルに、これで良いだろうか失礼じゃないかなと考えながらお礼の文章を送る。
 ルシフェルはその文章を読んで、ふと別れ際の姿を思い出す。何だったのだろうか。疲れているのだろうか、考えながら、新しく登録された連絡先への返信に、これで良いのだろうかと何度も読み返しては修正をいれて、簡潔になってしまった文章を送る。そわそわとしながら連絡を待つルシフェルは、それから一年後、かつて白昼夢かと思った白いベールで顔を隠したサンダルフォンを隣に、同じホテルで挙式するとは夢にも、想像にもしていなかった。

2022/06/13
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