ピリオド

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 サンダルフォンが倒れた。その知らせを受けたルシフェルは迷うことなく、仕事を早退した。親族の急病にすら平然と業務をこなしていたルシフェルのただならぬ、鬼気迫る勢いに何も知らない部下はざわめいた。昔からの知り合いは、慣れたものである。ルシフェルの早退理由はサンダルフォン以外にない。同じく有休消化理由もサンダルフォンに関わることであった。届け出に詳細は省いているものの、親しい関係であれば察するものである。
 ルシフェルは部下たちの戸惑いや困惑、親しい知り合いからの生暖かい視線を気にも留めることなく、駆けつけた病院で看護師に走らないでくださいと注意されるほどに、慌てていた。
 看護師の言葉を耳にしたものの、足は速度を緩めることなく、息を切らせて病室に駆けこむ。病室らしい無機質な部屋の中、サンダルフォンはベッドに横たわり、ぎょっとした顔で入口を、ルシフェルを見ていた。その顔色は青白いものの、ルシフェルはほっと、息を吐き出す。やっと、生きた心地を覚えた。思い出したように、汗が噴き出る。
 サンダルフォンには、なぜルシフェルがいるのか──自分が病院にいることを知っているのかが分からなかった。疑問を察したルシフェルは息を整えると、滲んだ汗を拭って、静かにサンダルフォンの横たわるベッドの傍らの小さな丸椅子に座り、
「君を診たのはルシファーだよ」
 サンダルフォンは納得したと同時に、個人情報どうなっているんだとルシファーに対しての八つ当たり気味な感情を抱く。
「私が、ルシファーに頼んだんだ。君は、言ってくれないだろう?」
 ルシフェルは淋しそうに言った。サンダルフォンは首肯する言葉を口にすることができない。気まずく、遣る瀬無い、曖昧な微笑を浮かべた。ルシフェルは口惜し気に、口を引き結んだ。
 サンダルフォンの細い腕には注射針が刺さっている。その先には点滴のパックがある。
「ただの、貧血です。大袈裟なんですよ」
 痛々しい表情をするルシフェルに、サンダルフォンは気丈に振る舞う。
 不治の病というわけではなく、ただ単純に、サンダルフォンは、体が弱い。産まれてから間もなく、孤児院の前に捨て置かれていた。雪が降り積もる真夜中のことだった。見つけられた時には生きていることが奇跡と言われるほどに衰弱していた。それが原因であるのか、はたまた生まれながらであるのか不明であるが、体が弱く、度々倒れることがあった、幸いなことに、周囲に恵まれている。仕事仲間や上司、それに友人たちに──恋人であるルシフェルも、その体質を理解していた。これ以上望むことはなにもない。過ぎた願いであることを、サンダルフォンは幸福を噛みしめて欲深くこれ以上を望もうとする自分に言い聞かせる。だから、ルシフェルに連絡をしない。何があっても、いつものように倒れても、突拍子のない事故や事件に巻き込まれても、ルシフェルには連絡をすることはない。サンダルフォンなりのプライドであり、何よりルシフェルの優しさを、愛情深さを知っているからこその判断であった。
 ルシフェルは多忙である。役職者であり、本来ならば時間の融通が利かない立場である。そんな彼が、ただの貧血程度で倒れた人間のために時間を割いている。その現実に、サンダルフォンの傍からは太々しくも、ルシフェルに対してだけは人一倍に、誰よりも繊細で卑屈気味になりがちな心が悲鳴を上げる。サンダルフォンは、理解しているのだ。
 ルシフェルは、サンダルフォンを優先することを、烏滸がましくも、承知していた。だからこそ、連絡をしないでいた。
 ルシフェルはもどかしさを覚える。いじらしいと言えば、愛らしさがあるものの、後から倒れたことを人伝に聞かされるルシフェルとすれば、堪ったものじゃない。
 サンダルフォンの青白く、冷たい頬に触れた。サンダルフォンは一瞬だけびくりと震えたものの、その手のぬくもりにほっと息を吐き出す。やがて言い訳をするみたいに、仕方なさそうに、
「……キリがないですよ」
 倒れることも、緊急搬送されることも、一度や二度ではない。
「それに、他人の俺なんかのために時間を割くことはありません。勿体ないですよ」平気なふりをして口にしておきながら、くしゃりとサンダルフォンの顔が歪む。ルシフェルを傷付ける言葉であると同時に、サンダルフォンもまたその言葉に苦しむ。ルシフェルは端正な顔を歪める。
 サンダルフォンの言わんとしている意味を、ルシフェルははき違えることなく、理解している。
「そう、か」
 ──他人であることが理由なのか、とルシフェルは考える。ならば他人でなければ良いのだろう。
 屁理屈だ。けれども、何度言ってもサンダルフォンは頑なである。であれば、ルシフェルとしても手段を選ぶことはない。元より、考えていたのだ。あとは、タイミングだとか諸々の用意だとか、時間だとかの話であった。それが早まっただけのことである。
 サンダルフォンは何も言わないルシフェルを怒らせてしまった、愈々愛想を尽かされたなと自虐気味に口を引き結び、泣きそうになるのを堪える。ルシフェルは怒っていない。だから笑みを向けて、サンダルフォンの名を呼んだ。サンダルフォンはおずおずと視線を向ける。
「家族になろうか、サンダルフォン」
 サンダルフォンは言葉を一瞬、理解出来なかった。
 ルシフェルは微笑を浮かべてサンダルフォンを見詰める。やがて、サンダルフォンはルシフェルの口にした言葉を脳内で繰り返して、やっと、意味を理解した。困惑を浮かべるサンダルフォンは、ルシフェルを見上げて、
「……意地になってるだけですよ」
「意地にもなるさ」
「後悔しますよ、そんなの」
 サンダルフォンは自虐だなと思った。いつだって意地を張って、その度に後悔を覚えて、苛むことになる。
「しないよ……いや、しているかもしれない」
「ほら、やっぱり」と言いかけたサンダルフォンの言葉をルシフェルが遮る。
「指輪を用意して、言葉やタイミング……シチュエーションも、考えていたんだが……いざとなると、ダメ、だったな」
 ルシフェルは気まずそうに言うものだから、サンダルフォンは何も言えなくなった。だって、それでは売り言葉に買い言葉、なんてものではない。ルシフェルは、ずっと、考えていたのだ。それが、どうしようもなく、誤魔化しきれないほどに嬉しい。否定しなければならない。自分なんかには、と言わなければならない。これ以上、ルシフェルに背負わせてはならない。優しさに、甘えてはならない。なのに、嬉しくて、極まった感情があふれ出す。眼の奥が熱い。視界が歪む。針の刺さった腕を動かせないことが、もどかしい。片腕で顔を隠そうとした。ルシフェルが目ざとく、その腕に触れる。その手は、サンダルフォンでも分かるほどに冷えていて、それでいて汗ばみ、震えていた。
 隠し切れない感情を見つめられる。
 冷静な部分が、ルシフェルが人間であることを、当然だというのに、思い出させる。
 完璧であっても、時折、どこか世間知らずなような、天然なところがある。きっと誰も知らないのだろうなと、サンダルフォンは少しだけ嬉しく思ってしまう、可愛いところがある。口にはしないけれど、優越感を、覚えてしまう。自分だけが知っているルシフェル──サンダルフォンは堪らなくなって、苦し紛れの鼻声で「ずるい」と拗ねるように言うことしか、出来なかった。


Title:誰花
2021/12/31
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