「なんだ、起きたのか」
サンダルフォンの腹の上に乗っていたのはルシファーであった。
起きたことを悪びれない様子に、呆気にとられる。金縛りだとか、ラップ音だとかは全て、やはり、あり得ないことで、原因はルシファーであったのだとサンダルフォンはほっと安堵を覚えた。しかし、ルシファーの様子に嫌な予感を覚える。妙に、楽し気である。あるいは満足気に見える。ルシファーの機嫌が良い時というのは、得てして、ろくなことが起きない。サンダルフォンにとって悪いこと、あるいは不都合な展開ばかりである。これは、経験則である。
(あいつ、何を持っていた……?)
ルシファーは乗り上げていたサンダルフォンの上からそそくさと退いていた。圧迫感から解放はされたものの、サンダルフォンはもやもやとした収まりの悪さで、目が覚めてしまった。
目覚めのぼんやりとした記憶を呼び起こす。なんだと、驚いたような口調であったものの気分が良さそうな姿。起こしたことに対する悪びれもない。思い出すと、苛立ちを覚えてしまう。今は、それが重要なことではない。何かを手にしていた。手元を描く。小さなミシン。起きたきっかけ。バシンという音。じんじんとしている痛み。サンダルフォンは点と点が繋がったかのような閃きと同時に、おそるおそると、思い当たる箇所に手をのばした。
(まさか、アイツでも……いや、ルシファーだからな……)
ルシファーに対するある種の信頼である。信用ではない。
耳たぶに、触れた。
そして、予想があたっていたことに、乾いた笑いが零れる。
眠る前までには無かった穴がある。小さな穴である。しかし、身に覚えはない。誰に開けられたのか。察している。ルシファーでなければ、寧ろ恐ろしい。
「消毒だ、手を退けろ」
ピアッサーを片づけたルシファーが消毒液とコットンをもって現れた。サンダルフォンは成すがままである。体を起こすと、ルシファーはその行動が当たり前であるかのように、手早く耳たぶに消毒液を吹きかけた。鈍い痛みに、眉を寄せる。
ルシファーはサンダルフォンの小さく、柔らかな耳たぶに触れて、達成感が溢れかえっていた。求めていた実験結果を得たときと同等。あるいはそれ以上の高揚感を覚える。油断をすれば、こぼれそうになる笑みを頬の内側を噛んで隠す。
学会で出向いた先で、珍しく買い物をした。宝石鉱山による採掘が主だった産業である土地である。
ルシファーは宝石だとかブランドに興味はない。そして、サンダルフォンも同じであることを知っていた。サンダルフォンが執着をしているのは珈琲に関するものであるが、アレは所謂オタクめいたものである。ブランドだから、というよりも珈琲好きだから、一度は呑んでみたいという気持であった。
見かけたのはピアスである。ガーネットが鈍く輝いている。その色を見て、真っ先に思い浮かんだのはサンダルフォンであるから、遣る瀬無くなる。気づけば、ピアスを購入していた。寒々しさを覚える。掌で転がした。
気づけば傍にいることが当たり前になっている。何気ないものに、サンダルフォンを重ねる。思い出す。その度にルシファーは、どうしようもない、遣る瀬無さでいっぱいになる。
陰鬱な気持で学会を終えて、帰宅をしたルシファーを出迎えたサンダルフォンは、そんな気持なんて知らないのだろうと苛立ちを覚えた。
サンダルフォンがピアス穴をあけていないことを、ルシファーが知らないわけがない。なんせサンダルフォンの背中のほくろを知っているのだ。ピアス穴がないなら、開ければいいだけだ。それだけであった。
「……片耳だけなのか?」
サンダルフォンの問いかけにルシファーは答えない。深く追求したところで、不機嫌になるか、鼻で笑われるかということを、サンダルフォンは分かっていた。サンダルフォンは欠伸を零す。規則正しい生活を送っているサンダルフォンは、夜更かしが得意ではない。そもそも、一度眠れば起きることは滅多にないほどに、深い眠りに就く体質である。
サンダルフォンは暢気な寝顔を晒している。その寝顔を見ていると、ルシファーも眠気を覚えた。眠っているサンダルフォンの耳たぶにピアスを通そうと思ったが、諦める。暗がりでは、ピアス穴の位置が中々分からなかった。朝にでも通すかと、ルシファーはベッドサイドの引き出しにピアスを片方、しまい込んだ。
もう片方のピアスは、ルシファーの片耳にひっそりと輝いている。開けたばかりのピアス穴がじんじんと鈍く痛みを発していた。