ピリオド

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 テーブルに並べられたティーセットにサンダルフォンは満足な笑みを零す。今日はあの淹れ方にしよう、それなら珈琲豆の煎り具合はと用意をすすめると、唇を引き結び、緊張を浮かべる。
──今日は、来られるのだろうか。
 研究所での生活は変化が乏しい。故に時間間隔も曖昧になる。サンダルフォンにとって一日の切り替えは、ルシフェルとの珈琲の時間だった。ルシフェルと顔を合わせ、言葉を交わす時間が切り替えとなるのだ。故に時折、ルシフェルの来訪の無い日が続けば延々と一日が続くことになる。最近ではないことであるが、暫く前は空の世界でいざこざがあったのかその対応に追われたルシフェルは研究所に寄る時間もなかった。
 物憂い気に考え込んでいるサンダルフォンの耳朶に、きいと扉が開く音が触れた。ルシフェル様だ、と喜びに顔をあげるも、視界に入ったローブに口元が引き攣る。
「ル、シファーさま?」
 思わず名前を呼んだサンダルフォンに、ルシファーは気怠そうな眼を向けるだけだった。ルシファーは何も言わずにつかつかと部屋に踏み入ると、サンダルフォンの前──ルシフェルの定位置である椅子に腰かけた。
 サンダルフォンは戸惑う。
 なぜ、ルシファーがここにいるのか分からない。なんせ今までにないことであった。そもそも、この中庭でルシフェル以外を見かけたことはなかった。
「……ルシフェルは来ない」
 ルシファーが口を開く。サンダルフォンはひゅっと喉を鳴らした。
 その言葉をどのように理解すれば良いのか──サンダルフォンは、悪い方へと理解した。ルシフェルは二度とこない。ルシファーが口にしていない言葉が勝手に脳内補完された。見捨てられた。否。見限られた。役割が無い存在だから、役に立たないからとそれまで抱いていた不安がここぞとばかりにわき上がる。顔色を無くしたサンダルフォンに、ルシファーは鬱陶しそうに言葉の続きを紡いだ。
「研究所に戻ってきて早々に連れ戻されていった。まだ報告には上がってないが問題が起きたんだろう」
「そう、ですか」
 理由に安堵を覚えた。同時に、歯痒かった。役割のないサンダルフォンにはどうすることも出来ない。手伝いも、何も。しかし、腑に落ちない。ルシフェルがこない事情は理解したにせよ、それがルシファーが今ここにいる理由にはつながらない。サンダルフォンの疑問が手に取るように理解できたルシファーは、いよいよ、遣る瀬無い溜息を吐き出した。
「俺は、たまたま、居合わせただけだ」
 ルシフェルは、たまたま居合わせただけの友であり、創造主であり、研究所所長であるルシファーに伝言役を依頼したのだ。了承したルシファーもルシファーである。基、ルシファーが了承とも拒否とも応えないうちに、ルシフェルは既に姿を消していた。呆気にとられ、使い走りにされた事実に最早乾いた笑いが零れる。仕事や山のようにあったのだが、いっそ天司長直々の指名だからと理由をつけて放棄をした。
 事情を聴かされたサンダルフォンは何とも言えない気持になった。ルシフェルには何ら他意はない。今日に限っては、どうしてそのような事態がと困惑をする。今までも事情があって研究所に寄らない日があったというのにと考える。ルシフェルに他意はない。しいて言うならば、サンダルフォンの存在を麾下や星の民といえども知らしめたくないのだ。独り占めしたいだけである。その理由を口にせず、はたまた自覚もしていないながらも察知しているルシファーは呆れ半分と、厄介さで口を閉ざす。
「それが珈琲というやつか」
 ルシファーが興味深そうに視線を向けた。ルシフェル様にと用意をしていた珈琲である。サンダルフォンは戸惑いながらも、声を掛けていた。
「よろしければ、お淹れします」
 ルシファーは逡巡、迷ったようだが興味が勝ったらしい。淹れて見せろと言われたままにサンダルフォンは緊張しながら、手の震えを感じながらも淹れて見せた。時折、ルシファーは何のためにこの手順を踏むのかと問われ、まごまごと説明を淹れる。とはいえ、サンダルフォンにも原理は分かっていない。ただ淹れた方によって酸味が飛ぶ、苦味が出る、という傾向は把握していた。珈琲はまだまだ、奥が深い。
「ふん……悪くはないな」
 淹れた珈琲を口にしたルシファーが感想を零した。
 珈琲に関してはルシフェルが気に入っていること、そしてサンダルフォンと共有している話題であることを把握していた。食事や娯楽に興味が薄いルシファーにとっては関係のないことであった。故に、珈琲を口にしたの初めての事だった。
 サンダルフォンは嬉しさで綻びそうになる口元を必死で保ちながらよろしければと二杯目を勧めた。ルシファーは遠慮ではなく、時間が惜しいために去った。研究所所長であるルシファーは忙しい。本来ならば優雅に珈琲を口にする時間はないのだ。以来サンダルフォンは、ルシファーに珈琲を淹れる機会を虎視眈々と狙っている。──もしかしたらルシファー様は怖い人ではないのかもしれない。

Title:エナメル
2021/11/03
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