ピリオド

  • since 12/06/19
 週明けの駅は混雑していた。駅員のアナウンスも、雑音にかき消され半端にしか聞こえない。吊り下げられた電光掲示板を見上げれば、運転見合わせの案内が表示されていた。苛立つ周囲の中、ルシフェルはその点に関しては冷静で、あるいは別の事柄にかんして酷く心がざわめいていた。ふいに、説明のし難い、直感めいたものだった。ちっとも科学的ではないが、ルシフェルは無意識に直感で動いていた。
「サンダルフォン?」
 わきを通りすぎた人影に、おそるおそると、けれども確信をもって、呼びかけていた。呼びかけられた青年は、億劫そうに、耳にしていたイヤホンを取り外して振り向いた。その青年を見据えて、ルシフェルは静かに微笑を湛えた。青年は、いぶかしむ素振りをみせてから、ルシフェルを認識すると「ああ」と言いたげに、やがて軽薄な微笑を浮かべた。ルシフェルはちょっとだけ、奇妙な違和を覚える。
「お久しぶりです、ルシフェルさま」
 慇懃な態度のサンダルフォンは、ルシフェルが覚えている姿よりも、作り出した姿よりも、幾分か、幼い。あるいは、若い。学生服が、原因なのかもしれない。ルシフェルが数年前に卒業した学校の制服だった。ルシフェルが学生であった当時のデザインから若干の変更はあれども、襟元の校章までは変更されていない。鎧を纏った姿以外をしらないものだから奇妙に感じるのかもしれない。推測しながらも、もやもやと抱き続ける違和を納得できる材料にはなり得なかった。
 朝の雑踏の中とはいえ「さま」という敬称は悪目立ちする。何事かと、通り過ぎ様にちらちらと様子を探る視線に、ルシフェルは苦い笑いを零した。サンダルフォンが眉間に皺を寄せて、鬱陶しそうに、そちらを見返せば、ばつが悪そうに、そそくさと通り過ぎていった。
 少し移動した、大きな柱の陰で小声になる。
「いつもこの駅を?」
「、はい」
 サンダルフォンの躊躇に、ルシフェルは踏み込まなかった。踏みこむ勇気が、なかった。
「また会えるかい?」
「貴方が、望まれるなら」
「そうか。なら……」そう言って日時を口にした。
 サンダルフォンは始終、憂鬱そうな表情で、「ええ」とか「まあ」といって、首肯するだけだった。どうかしたのかと、ルシフェルが訊ねようとすると運転再開を告げる駅員の声と、構内アナウンスが響いた。
「それでは、失礼します」
 サンダルフォンは、名残惜しむ素振りもなく淡々と別れを告げて、ルシフェルが乗るプラットホームとは逆を目指し進んでいく。その背中に、思わず声を掛けた。
「サンダルフォン、」
 やけに響いた声に、サンダルフォン以外もが振り向いた。サンダルフォンは眉間に皺を寄せて振り向いた。ルシフェルは、その表情に一瞬たじろぎ、しどろもどろと、
「また、」とどうにか声を振り絞った。
 サンダルフォンは小さく口を開けると、音もなく息を吐き出して、頭を下げた。そしてそのまま、ルシフェルを振りかえることなく、行ってしまった。

 約束をしたとはいえ、殆ど一方的であった。それに万が一、病気だったりとか用事が出来た場合の連絡手段もない。デジタル時代に逆行するようなアナログな方法であったことを、ルシフェルは待ち合わせ場所にて後悔をする。もっとスマートなやり方は幾らでもあっただろうにと、思いながら待ちぼうける。約束の時間よりも30分近く早い。今日の約束のことに気を取られた1週間は気が気でなかった。そわそわと、自分らしくないほどに浮足立っていた。秘書にも揶揄われるほどである。自覚があった。
「いつから、待ってたんですか」
 暫くしてから現れたサンダルフォンは呆れたような、戸惑ったかのような声音で口にした。遠くから、ルシフェルの姿を確認したサンダルフォンは意思とは裏腹に、駆け寄った。少しだけ息を乱すサンダルフォンに、ルシフェルは気恥ずかしくなりながら告げた。サンダルフォンは困惑を浮かべていた。
「きみだって待ち合わせよりも早いじゃないか」
「俺は……あなたを、お待たせするわけにはいきませんから」
 サンダルフォンが現れたのは、約束の時間よりも10分早い。サンダルフォンは卑下するように、自嘲気味に言った。
 ルシフェルにはその姿が痛々しく映った。サンダルフォンはその視線に気づきながらも、気付かないふりをして訊ねる。
「どこにいきますか?」
「近くに懇意にしているレストランを予約している。そこにいこう」
 サンダルフォンはルシフェルに追従した。
 ルシフェルが懇意にしているということに格式高いのだろうと身構えたレストランは、一見すればどこにでもあるようなレストランだった。けれども会員制であるらしい。「お待ちしておりました、ルシフェル様」と出迎えるスタッフに、サンダルフォンは妙に納得をしてしまった。ルシフェルの後ろを静かに、居心地悪く追従しているサンダルフォンに、スタッフが笑みを向けた。サンダルフォンは戸惑いながら、視線を、前を歩くルシフェルの足下に向けた。傷一つない磨かれた革靴だった。
 通されたのは半個室の部屋だった。
 見知らぬ出来事の連続に、サンダルフォンは小さく、気疲れを覚える。ふと、息を吐き出した。
 向い合った席に座る。真正面からとらえられると、いよいよ逃げ場のない緊張感がサンダルフォンを襲った。対してルシフェルは穏やかだった。
「懐かしいな」
 にこやかなルシフェルに対して、サンダルフォンは物憂い気に、あるいは諦念を浮かべた。
「この時間は珈琲がメニューにあるんだ。きっと、君も気に入ると思うよ」
 そう言うルシフェルの声があまりにも優しいから、サンダルフォンは頬の内側をきゅっと噛みしめる。
 部屋に設置されていたベルを鳴らすとスタッフが現れた。ルシフェルが注文をすると静かに立ち去る。暫くしてから、注文をした珈琲と共に現れると、また静かに立ち去った。
 珈琲に、罪はない。
 サンダルフォンは自身の前に置かれた珈琲に、おずおずと手をのばした。カップを手に取り、香りを味わう。芳ばしい香りに知らず、小さな笑みが浮かんでいた。その笑みに、ルシフェルは眩しいものを見たかのように目を細める。その視線にはっと、気付いたサンダルフォンは罰が悪そうな顔で、笑みを隠して珈琲を口にした。ルシフェルは残念になりながら、珈琲を口にする。
 しおらしく振る舞っていたサンダルフォンは、だんだんと自分の中で抑え切れない苛立ちがあふれ出していくのが分かった。ふつふつと、込み上がって来る。どうして、この男はのうのうと自分に話しかけて来るのか。理解できない。理解出来る相手ではないのだろう。だからこそ、自分の叛乱に、裏切りに、意味はなかったのだ。お互いに、理解できない。一方通行。すれ違うことはない。平行線。けれども一方で、どこかで不自然さを感じていた。本当に、この男はルシフェルなのかと疑っている自分がいた。憎み、恨んだルシフェルに相違ないのか。サンダルフォンは、確実性を、持てなかった。怪訝に、どこか不安に、ルシフェルを見た。ルシフェルもまた、サンダルフォンを見詰めていた。今、目の前にいる彼がサンダルフォンであることは確実である。けれども、抱く違和を払拭することが、サンダルフォンであることを認めることが、出来ない。確信が、もてない。
 お互いが、お互いを違和をもって見つめる中で口を開いたのはルシフェルだった。
「記憶の整理をしよう」
 それ以外にないだろうと、サンダルフォンは首肯した。

「私がかつて、天司長であったことに間違いはないね」
 そこからなのかとサンダルフォンは思ったが、言わずに首肯した。そして言葉を続けた。
「ええ、そして俺はあなたに作られた……スペアとして」
「……そうだ」
 一瞬だけ、ルシフェルが言葉を濁らせた。サンダルフォンをスペアとして作った認識を、ルシフェルは持っていない。友であるルシファーから、作るようにと命じられて、己の理想を注ぎ込んだだけだった。スペアという役割についても、ルシフェルが知ったのは随分と、後の事である。ルシフェルのまごつきに、サンダルフォンは知らないふりをして続ける。
「俺は叛乱に加わり、パンデモニウムに収容された。その後脱走をして、災厄を引き起こして──……」
 サンダルフォンは言葉を詰まらせた。いざ、口にすると途方もない感情が湧き上がる。後悔なのか、安堵なのか、分からない。胸が締め付けられるような苦しみに呼吸がままならなくなる。心配そうなルシフェルを前にして、サンダルフォンは必死に取り繕う。数度、言葉を音もなく呑みこみ、続けた。
「あなたに、処罰された。俺の記憶はこれでおしまいです。当然でしょう? コアを破壊されているんですから……どう、したんですか?」
 それまで静かに聞いているだけで、時折苦し気に眉を寄せるだけであったルシフェルが顔を挙げて、ぎょっとサンダルフォンを見詰めた。その様子に、サンダルフォンは驚いてしまう。今までに見たこのない様子であった。冷静で、冷徹で、感情を露にすることのない、天司長にはあり得ない姿だった。戸惑うサンダルフォンに、ルシフェルは不審にまさかと言わんばかりに問い掛けた。
「私が、きみを処罰した? 私が、きみのコアを破壊したというのか?」
 まるで責め立てられているかのような言葉に、サンダルフォンは恐怖を感じる。かつて、叛乱に加わったときにも、災厄を引き起こして罪人となったときにもかけられることのなかった重圧に怯んだ。それでも、軽薄に、不遜に、応えて見せた。
「そうでなければ、今ここにいる俺は何だというんです? 確かに、俺は天司長──貴方の手で、罰せられた」
 最期に見たのは、無数に降り注がれる光だった。痛みがないのは、慈悲であったのかわからない。直前まで、やめてください!と蒼の少女の悲痛な叫びが響いた。対してサンダルフォンは穏やかな気持ちだった。罪人として処罰されることに、安堵を覚えていた。今際に、苦し気な声音で「サンダルフォン」と呼び掛けられたのは、きっと、それが願いだったのだ。ルシフェルの心に、疵を遺せた。サンダルフォンが唯一、なし遂げれた。それが、かつて天司であったサンダルフォンの最期である。
 サンダルフォンの言葉に、ルシフェルはありえないと首を振った。
「私は、きみを処罰はしたが……コアを破壊していない」
 眉間に皺を寄せたサンダルフォンが、続きを促した。
 ルシフェルにとって、その記憶はあまりにも残酷な出来事の連続だった。
「けれど、君は……私を庇って、」
「庇う? 俺が、あなたを?」
 その状況をちっとも思い浮かべることができないサンダルフォンであるが、ルシフェルにとってその出来事は忘れることができない。
 空の世界の復興を課したサンダルフォンを、特異点に委ねた。そしてルシフェルもまた、サンダルフォンが凶行に走った原因が自らにあることを理解していたから、災厄の後始末に務めていた。その最中、かつて封じ込めたベルゼバブと共謀したベリアルによる強襲により傷を負った。天司長としての稼働は不可能であると覚悟をしたルシフェルの身代わりとなったのは、サンダルフォンだった。天司長が行動不能になった際の一時的な代用品。その役割を、果たしてしまった。果たされてしまった。ルシフェルの傷を引き受けたサンダルフォンのコアは修復不能であった。自らが起こした災厄における特異点との戦闘や、四大天司の羽を三枚も取り入れたことにより負荷もあったのだろう。容量に問題なくとも、度重なる負荷にコアが耐えきらなくなっていた。そこに、天司長がうけたダメージを引き受けたのだ。
 心臓ともいえるコアは、耐えかねて、朽ちた。
 特異点に委ねたサンダルフォンが、なぜカナンの地にいるのかルシフェルには分からなかった。恨んでいるはずの、憎んでいるはずの自分を、助けたのか、分からなかった。
 その後に駆けつけた特異点は、物悲しそうに、呆れるように溜息を零すだけだった。
「貴方は、生きていたんですね」
 ルシフェルの言葉を聞いたサンダルフォンは、安心したように言葉を紡いだ。自分で口にしておきながら、はっとした様子を見せる。無意識であった。濁すかのように、珈琲を口にする。少し冷めていた。
 ルシフェルは、おめおめと生きてしまった。あの場において、それは、天司長として相応しい選択であったのだ。けれども、空の世界に役割を還元して、一人、ただの命としてぽつんと遺されたとき、耐え難い程の後悔が押し寄せて来た。
 ルシフェルは、最期を覚えていない。
 原初獣であり、天司としての能力は喪えども、その性能は比類なきものであった。封印された覚えはない。かといって、致命傷を負わされた記憶もない。麾下も去り、世界を見守りながら、サンダルフォンの面影を探し続けていたことをぼんやりと、覚えている。どうやら世界にそのまま、消え失せたのだろう。

 私は社会人だから、連れてきたのは私だからというルシフェルの言葉に、サンダルフォンは記憶の整理にぼんやりしていて、レストランを出たことに気づけなかった。
 なぜ、二人の記憶が異なるのか、分からない。
 どちらが、正しい記憶であるのか、分からない。
 確認をする術はない。
 違っていたとしても、果たして正したところで、意味はあるのか。
 それを考えると、サンダルフォンは何も、正しさが分からなくなる。
「もしかしたら、ここは私たちの知る世界線ではないのかもしれない」
 人々が行き交う大通りを見つめながら、レストランを出たルシフェルが言った。サンダルフォンはそうかもしれないなと、内心で同意をした。──あるいは、どちらも正しい記憶であるのかもしれない。
 サンダルフォンは、目を伏せた。清掃が行き届いたレストラン前の通路は、嫌になるくらいに綺麗であった。
 世界に取り残されたような気持ちがして、落ち着かない。
 レストランの前で、別れた。夕方にもなっていない。サンダルフォンはバイトがあった。送ろうかと提案するルシフェルに、サンダルフォンは遠慮した。
 駅とは真逆の道を行くサンダルフォンは、なんとなく、振り向いた。丁度そのタイミングでルシフェルが振りかえったものだから、気まずくなる。頭を下げた。それから、振りかえることなく、足元を見ながら歩く。
 あのルシフェルを庇ったというサンダルフォンの気持ちを、分かってしまう。それが、嫌だった。安堵を覚える自分が、気持ち悪かった。
 ルシフェルを憎んで、恨んで、そして罰せられたというだけで、良かった。それで、サンダルフォンは過去を割り切ることができる。割り切れていた。割り切ろうとした。なのに、今更になって、どうしてと不快感が込み上がる。
 罰せられることを望んだ。サンダルフォンにとって、降り注がれる光は自らの証明だった。天司長にとって、ルシフェルにとって、脅威とみなされた。それで、満足であるべきだというのに──羨ましいと、思った。ルシフェルのために生きることができた自分がいる。自分ではない。けれど同じ存在だ。経緯は同一だ。なのに、どうしてと思ってしまった自分が、許せないでいた。
 あの人は嘘を言っていない。ルシフェルに違いない。だけど、ただ、サンダルフォンを作り、罪に相応しい裁きと罰を与えたルシフェルと異なることに、納得できていないのだ。けれども、それでも彼をルシフェルと認める自分が、どうしようもなく嫌で嫌で、堪らなかった。

 世界から除け者された気持ちになったのは、サンダルフォンだけではなかった。それまで、何とも思っていなかった、感じることのなかった疎外感を突き付けられたのは、ルシフェルも同じであった。
 以来、ルシフェルと顔をあわせる。親し気なルシフェルに対して、サンダルフォンは反応に困る。彼は、ルシフェルであれどもサンダルフォンのルシフェルではない。一度たりとて、サンダルフォンのものではなかったけれど。それでも、サンダルフォンが恨み、憎み、そして、求め求められたいと願った人ではない。だというのに、サンダルフォンはその面影を探している。
 憎め、恨め、罰しろと言っておきながらと自分が情けなくて涙が出る。
 それは、ルシフェルも同じだった。
 出会ったサンダルフォンは、ルシフェルが作った存在ではない。根底は同一であっても、決定的に異なる。微々たる誤差であっても、それを見過ごすことは出来ない。ただその違いを見てしまうたびに、彼は私のサンダルフォンではないと突きつけられる。
 所詮は、疵のなめ合いでしかない。
 チェーン展開するコーヒーショップで買った珈琲を飲みながら、サンダルフォンは内心でせせら笑う。
 数百円ながらも悪くはない。ルシフェルはサンダルフォンに連れられて初めて購入したそれを、新鮮に思いながら味わっていた。気に入ったのか、少しだけ笑みを零す。同じ笑みを浮かべるのだと、サンダルフォンは息苦しいほどの懐かしさを覚えた。
「どうかしたのかい?」
「いえ、なにも」
 サンダルフォンは誤魔化すように珈琲を口にした。
 奇妙な関係が続いている。
 そもそもの話、サンダルフォンにとってルシフェルという存在は自業自得とはいえ死因であるし、ルシフェルにとってもサンダルフォンの死は自らに起因することゆえの、負い目があった。お互いに、あわせる顔が無かった。結局、ルシフェルはその姿を認識した瞬間に負い目も何もかもを忘れて求めていたのだけれど。
「私たちはどのように思われているのだろうね」
 ちらちらと向けられる視線を感じながら、ルシフェルがなんと無しに疑問を口にした。サンダルフォンはちらっとだけルシフェルを見る。相変わらず、端正で涼やかな佇まいであった。チェーン店のロゴが高級ブランドのように感じる。店員が露骨に色目を使っていたことを思い出すと、むかむかと気持ち悪くて、それを自覚しているから尚の事、不快になった。
 親子にしては近すぎる。兄弟にしては似ていない。
「友人、ですかね」
 サンダルフォンは白々しく口にした。あり得ないことだと、嗤笑すら浮かべる始末である。だというのにルシフェルといえば、満更でもない様子であるから耐えられない。
「なれない、だろうか?」
「ほんとうにそう思ってます?」
「……きみとなら、なれるのではないかと、期待をしているんだ」
 じわじわと、首が絞めつけられた気がした。呼吸を忘れ、じっとルシフェルを見た。ルシフェルは穏やかだった。少しだけ、緊張したような素振りをみせている。けれども、なんてことはないように、振舞っている。
「あなたが、のぞむなら」
 絞り出した声に、ルシフェルは愛し気な顔を見せたから、サンダルフォンは泣きたくなる。

 ルシフェルの一方的な言葉であったとはいえ、了承をしたのはサンダルフォンだった。白々しい友人なんて関係を、築いている。社会人と学生であるから、生活サイクルは異なるため、たまの休みの日に予定があえば、顔をあわせる程度だ。殆どはルシフェルの予定に合わせていた。
 ルシフェルは友人といっているが、サンダルフォンは不定期な面談のように感じた。ルシフェルはその心算はなくとも、サンダルフォンにとっては監視のように居心地悪く思えた。あるいは、在りし日のことを思い起こさせた。自分は待つばかりであった。「いってらっしゃいませ」とお行儀よく澄まし顔で見送り、過ごしておきながら内心では駄々をこねていた。行かないで欲しい、一緒にいて欲しい。遠い日に忘れ去ろうと、置き去りにしようとし願いを思い出して、悶絶する。恥ずかしくてきまり悪い。その真たるは、今更になってどうしようもないことだということを理解しているからこその、ばつの悪さだった。──お互いが異なる経緯を辿っているとはいえ、ルシフェルとサンダルフォンの本質は変わっていない。同じであるからこその共通の趣味は、珈琲であった。
 不意に勘違いを覚えるのは、お互い様であった。
 サンダルフォンは、ルシフェルの身代わりになっていない。庇っていない。
 ルシフェルはサンダルフォンを壊していない。手に掛けていない。
 過去の、天司であった頃の話を二人はしない。最初の一度だけである。聞きたいことはある。けれども、その答えを、お互いに持ち合わせていなかった。だから、何も言えないまま、もやもやとしたものを抱えていた。
 駅の構内は朝の混雑が嘘のように静かだった。ルシフェルは物淋しい気持を覚えながらふと、見知った人影に気付いて声を掛ける。
「こんな時間にどうしたんだい」
 ルシフェルに気付いていなかったサンダルフォンは罰が悪くなったように、きまずげに視線をそらした。日はどっぷりと暮れていた。電車の数もない。サンダルフォンは、その時間に出歩くには相応しくない制服姿であった。補導をされかねない。
「バイトです、人が足りなかったので」
 言い訳するようなサンダルフォンに、ルシフェルは怪訝な表情を浮かべる。そんなルシフェルに、サンダルフォンはいやな気持ちを覚えた。居心地悪く、冷たい言葉が口に出る。
「あなたには、関係のないことでしょう?」
「関係はあるだろう」
「どうして?」
「友人だから、ではいけないのか」
「友人だったらどこまでも踏みこんで良いって思ってるんですか?」
 サンダルフォンは小ばかにするように笑って言った。ちらりと、災厄を引き起こした姿を思い起こさせた。痛々しい、本来とはかけ離れた姿である。無理に、邪悪に振舞う姿。苦痛がルシフェルの顔を歪ませた。その顔が、サンダルフォンをどうしようもなく、苛立たせる。
「あなたは、ルシフェルさまじゃないのに」
 言ってはならないことを、口にしたと気づく。取返しのつかない言葉を口にしてしまったと、青ざめる。咄嗟に、申しわけありませんと言いかけた口を閉ざした。ルシフェルは何も言わないでいる。ただ、静かで、やがて静かに、物憂いな微笑を浮かべた。
「すまない」
「どうして、あやまるんですか。あなたは、いつだってそうだ」
 荒げそうになるのを押し殺した声はみっともないほどに震えていた。強張らせた表情は、何かを耐えるかのように、歪む。唇をかみしめるサンダルフォンに、ルシフェルは声を掛ける。
「今日は私の家に泊まると良い」
 優しい声に、サンダルフォンは何も言わない。ただ俯き、後悔に唇をかみしめる。
 最後の電車が去っていた。口実だということを、ルシフェルは理解していた。ただ、今のサンダルフォンを独りにすることができなかった。夜遅い時間に、制服のままで出歩いていることを含めて、サンダルフォンが口にするバイトということも含めて、ルシフェルは何も知らない。どこに住んでいるのか、家族についてのことも、なにもかも。知らないでいたのだ。友人なんていっておきながらと、ルシフェルは自身で口にした言葉だというのに寒々しく思えた。思えば、友という存在はルシフェルにとっても一方的であった。友でありながら、彼との関係は創造主と被造物であったのだ。それを踏まえると、自分は友とよく似ている。──彼は、私がつくったサンダルフォンではないけれど。
 ルシフェルの家は駅から十分ほどの距離にある真新しい高層マンションの最上階だった。サンダルフォンはルシフェルの仕事は知らないが、会員制レストランであったり、身につけている時計や財布がブランド品であることを知っていたから驚きはなかった。いっそ、庶民的なアパートであったら驚いていたかもしれない。
 二人で乗るエレベーターの息苦しさったら、ない。だというのに、サンダルフォンは逃げることもせずに、その考えに至ることもなくルシフェルに追従した。罪滅ぼしだった。
 しずしずと追従するサンダルフォンに、ルシフェルは心苦しい気持になった。
「待っていてくれ」
 部屋にあがるなり、リビングに通す。サンダルフォンは静かに、言われたままに膝をソファに座って膝を抱えて待っていた。暫くすると、芳ばしい香りが漂う。サンダルフォンは顔をあげた。
 ティーカップを二つ手にしたルシフェルが立っていた。サンダルフォンはまた、泣きたくなった。ティーカップが差し出される。サンダルフォンは、おずおずと受け取った。ルシフェルは笑みを浮かべるとサンダルフォンの隣に座った。肩が触れる距離だった。
「……ひどいことをくちにして、やつあたりして、もうしわけありませんでした」
「良いんだ、サンダルフォン」
 ルシフェルは言って珈琲を口にする。淹れ慣れた珈琲だ。サンダルフォンも、ルシフェルに倣うように珈琲を口にして、涙がぽろぽろと溢れた。懐かしい。あの日の味だった。中庭に引き戻される。苦くて酸っぱくてとても飲めたものではなかったのに、いつしか飲めるようになっていた。美味しいものを飲んでほしいと思って何度も研究に研究を重ねたけれど、ルシフェルが淹れた珈琲には、及びもしなかった。
 珈琲を啜るサンダルフォンの穏やかな横顔に、声を掛けた。
「きみのルシフェルでなくてすまない」
 一瞬、言葉を失い動揺をみせる。けれども、観念したようにこたえた。
「あなたのサンダルフォンでなくて、申し訳ありません」
 そういって二人は、傷ついた微笑を浮かべる。結局、疵のなめ合いにもなれない。
 隣り合って触れた温もりが、かつて願ったものだったから、余計に淋しくて、苦しくて、静かに肩を寄せ合った。ルシフェルが目を覚ました時、隣の温もりは嘘のように何もなかった。ティーカップが二つ、ローテーブルに並んで置かれている。ルシフェルはただ静かに、唇を震わせ、引き結ぶ。どうしようもなくて、笑った。冬の訪れを感じる、冷たい朝のことだった。

2021/10/29
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