ピリオド

  • since 12/06/19
 喫茶室の扉を開けてひょっこりと顔をのぞかせる。
「きみは表の看板が見えなかったのか?」
 サンダルフォンが呆れながら言った。グランはえへへ、なんて笑って聞く耳を持たない。喫茶室に足を踏み入れると、もはや指定席と言わんばかりのカウンターを陣取る。表の扉には読みやすい文字で「準備中」と書かれていることはグランもしっかりと、確認をしていた。サンダルフォンは仕方なさそうに「ちょっと待っていろ」と言って、締め出すことはしなかった。暫くすると珈琲牛乳が用意される。グランが好む甘さに調整されていた。常連って感じがするなと、グランは大人になったような気持ちになってこそばゆくなる。飲んでいるものが珈琲牛乳なのは格好がつかないから口にはしない。
「喫茶店のマスターって感じがする」
「そう、か?」
 グランの軽口にサンダルフォンはどうなんだろう、と言いたげに戸惑った。
 シェロカルテの伝手で経営修行と称してあちこちの商店で手伝いをしているが、未だ自分自身ではしっくりと来ていない。利益を求めていないこともあるのかもしれない。ただ、美味しいものを飲んでほしいだけだった。シェロカルテは眩しそうに素敵な理由ですね、なんていうから、サンダルフォンは反応に困る。何か、話しを変えたいとサンダルフォンはつい先日のやり取りを思い出した。
「そうだ、団長」
「なに?」
「ルシオと付き合うことになった」
 サンダルフォンがそういえば、と告げた言葉にグランは、ぽかんと間抜けな顔をしてしまう。
「一応、君には報告をしておいた方がいいと判断をした。内密に、という程でもないがあまり大っぴらにするつもりは無い。……どうした?」
「付き合うって?」
「そのままの意味だ」
「どこかに、行って来るってこと?」
「何を言っているんだ。それなら行先を告げるだろう。交際という意味だ」
 何を言っているんだはこちらの台詞だ。と正気のグランならば後先考えずに口にしていたが、今は理解が追いつかずに未だ、混乱の最中であった。
 ルシオとサンダルフォンの関係というのは、夏のアウギュステでどうやら一悶着あったものの以来、喧嘩するほど仲が良い、というよりもサンダルフォンがルシオに対して向き合っている姿は見かけることはあった。露骨にルシオを避けることもなくなり、嫌な顔をしつつも珈琲を用意している。もっとも、自分で作ってもいないのに「サンちゃんが淹れてくれた珈琲」と思い込んで目の前で珈琲を飲まれるのは相当に精神に来たようだった。傍からみていたグランも内心では「うっわ」と引いていた。イケメンでも許されないことってあるんだなあと思ったものである。アレをされるくらいならばと用意をするようになった。
 ルシオは味の違いが分かるらしくサンダルフォンの珈琲を仕切りに褒める。サンダルフォンは嬉しいようだが、まだ、ルシオのその容姿がどうにも受け入れられないでありながらも、以前に比べれば態度は柔らかなものである。二人の関係は、どうにか知り合いという程度に縮まったものの、決して友好的ではない。主にサンダルフォンがルシオに対して、未だ、余所余所しくある。それがどうして過程をすっ飛ばして付き合うことになるのか、意味が不明であったり理解不能であった。
「……弱みでも、握られた? でも、ルシオがそんなことするはずないし、サンダルフォンが嘘つく理由もないよね」
「深く考えなくていい、そのままの意味だ」
「そのままの意味でルシオとサンダルフォンが付き合うっていうことが理解できないんだよ!!」
「そう、か? まあ、俺は男の姿をしているが元が人間ではないから問題はないだろう」
「いや、あの、性別の問題じゃなくてね。付き合うって、好き同士じゃないと成り立たない関係なんだって!──ルシオはサンダルフォンのこと好きなんだろうけど……サンダルフォンはルシオのこと、好きなの?」
 グランはおそるおそると、確認するように問いかけると、サンダルフォンはわかり切ったことを言うなと言うように、
「好きな訳有るか」
 と言い切った。
「じゃあ、なんで付き合うの?」とグランは口にしようとしたところで、タイミングを見計らったように喫茶室にルシオが現れる。当人がいる前で口にすることは、流石に、憚られる。
「きみも表の札が読めなかったのか?」
「おやそんなものありましたか? サンちゃん、珈琲を淹れてくれませんか?」
「……わかった」
 二人のやり取りには恋人らしさがない。それどころか、サンダルフォンは相変わらず素っ気なく、顔を見ようとしない。今は珈琲を淹れるためというフォローが出来るものの、この場でなくても、サンダルフォンはあまり、ルシオの容姿を見ようとしない。ルシオと通して、敬慕するルシフェルの姿を思い浮かべることをやめようというサンダルフォンなりの努力だった。
 カウンターに座ったルシオはニコニコ顔で、おや、と今気づいたとでもいうようにグランを視界に認めた。「おや、団長」まるでいることを咎められているような気持ちになって、グランはなんだか居た堪れず、カップに残っていた珈琲牛乳をすっかり飲み干すと、ごちそうさまと喫茶室を出て行った。
「忙しい奴だな」
 慌ただしく去って行ったグランに、サンダルフォンは呆れながらぽつりとつぶやく。ルシオと二人きりというのは、気まずいのでもう少しいてほしいのだが、仕方がない。サンダルフォンは珈琲を無心で淹れながら、ルシオの視線に気づかないふりをして過ごした。
 横目で見ればニコニコ顔のルシオが何が面白いのか、見ているだけである。
 沈黙が重く感じるのはサンダルフォンだけであるようだった。
 サンダルフォンは口をまごつかせて仕方なく、というように口を開く。
「団長に君と付き合っていると報告をしておいた」
「そうでしたか。道理で……」
 ただ声を掛けただけなのに、どうしてだか大仰に反応をしたグランに納得をする。
「団長には報告をするべきだと思ったのだが……まずかったか?」
 不安そうに、心配な顔をしているサンダルフォンにルシオは表面上は億尾にも出さないものの、少しだけ、驚いてしまう。
「大丈夫ですよ、ただサンちゃんと付き合っているのだと噛みしめていただけですから」
「なんだそれは」
 呆れたように言ったサンダルフォンにルシオは笑みを向ける。サンダルフォンは眉間に皺を寄せて、困ったような笑みを、器用に浮かべた。
「サンちゃんは器用ですね」
「嫌味か? 喧嘩を売っているのか?」
「そんなまさか。だって、私のこと好きじゃないでしょう?」
 カチャリと、サンダルフォンがカップを置いた音だけが喫茶室に重々しく響いた。緊張が、ピンと張りつめる。僅かなエンジン音がやけに大きく聞こえる。サンダルフォンが視線をあげれば、ルシオは矢張り、変わらぬにこやかな笑みを浮かべている。どこか、だらしない笑みだった。見慣れていないのに、すっかり当たり前になっている。あの御方が、浮かべる笑みとは似ていない。くしゃりとサンダルフォンの表情が歪んだ。
──どうして、
 浮かんだ言葉を呑みこんだ。
「……好きではない。だが、嫌いではないと言ったはずだ」
「随分と進歩しましたね」
「ああ。進歩したさ」
 静かに笑うルシオに、サンダルフォンは自嘲気味に言った。
「そもそも言い出したのは君だろう」
「それもそうでした」
 ルシオはまたにこにこ笑って思い出したように首肯した。サンダルフォンは呆れて物も言えない。なんせルシオときたらサンダルフォンの気持ちをわかり切ったうえで持ち掛けたのだ。その言葉に乗ったサンダルフォンもサンダルフォンであるのだが、と自分を棚に上げた。
 ルシオの正体をサンダルフォンは把握していない。ただ人間ではないのだろうということだけを理解している。お互いに、人間ではないのだ。人間の営みを模しているだけなのだから、付き合ったところで、生産性はないことを、承知していた。ナンセンスだ、と拒否することは容易であったというのに首肯したのはサンダルフォンにとっても、持ち掛けたルシオにとっても、想定外であったのだ。何度も繰りかえして、「ほんとうに良いんですか?」と口にしたルシオに、サンダルフォンもなんだか自棄になって「良いと言っている」と応じた。「こういうことをするんですよ」と言って手を触れられて、唇に唇を合わせられた。ああこれがキスというものか。とか、コイツ、手が早いな。と思ったもののサンダルフォンもすっかり意地になっていたから「わかっている!」と受け入れたのだ。ちっともロマンティックの欠片もないやり取りの果てに、一応、付き合っている。
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -