ピリオド

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 運ばれてきたランチのパスタセットを前に、空腹はピークに達していた。ジータはいそいそとスプーンとフォークをカトラリー容れのバスケットから取り出す。そんなジータを前にサンダルフォンは、ふと、
「振られたよ」
 珈琲を啜りながら、なんでもないように、当然のことのように、さらりと簡潔な報告をした。ジータはといえば、スプーンとフォークを手に取って、きょとりとしている。振られた。その意味が、理解できずにいた。

「好きです」と伝えた。ぽつりと、油断をしていたように、秘めていたものが口から零れ落ちていた。ムードも何もない。休日前の夜、なんとなくつけていたテレビには今日のニュースが流れている。事件や事故、そして政治の話題が取り上げられて各地の天気予報が流れていた。
 自分でも何を口にしたのか一瞬、分からないでいた。はっとして、顔を挙げればルシフェルが目を丸くしていた。ただ、その言葉に対して、ルシフェルはといえば嬉しがる素振りは一切なかった。サンダルフォンはしまった、と真っ先に思った。やらかしたと、口にしたことを後悔した。けれども、今更取り繕うことは出来ない。沈黙がただ、気まずい。ルシフェルは困惑を浮かべていた。やがて、曖昧な微苦笑を張りつけて、口を開いた。
「ありがとう、きみの好意は嬉しいよ」
 拒絶を、されたわけではない。いっそ、拒絶をしてくれたならば、意識をしてくれたのだと、サンダルフォンは少しだけ傷つきながらも、変化を受け入れることができる。けれども、ルシフェルは変わらないでいた。
 ニュースが終って、バラエティ番組が始まっていた。サンダルフォンが何かを言う前にルシフェルは先に眠るよ、おやすみと寝室へと向かってしまった。サンダルフォンはその背中に、まってくださいとも、ちがうんですとも、何も言う事が出来ずにいた。リビングに、場違いなバラエティ番組の明るいBGMが流れる。サンダルフォンは苛立たしく、テレビを消した。それから、しんと静まり返ったただっ広いリビングが居心地悪く、私室へと戻った。
 私室に戻るなり、途方もない後悔が押し寄せる。あんなこと、言わなければよかった。そんなことを悶々と考えているうちに夜が明けた。寝不足で、頭が重いなか、けれどもいつもと違う行動をとれば、心配をかけてしまうという確信があったから、重い足取りで私室を出た。
 リビングをそっと覗いた。サンダルフォンは途轍もない気まずさがあった。けれどもルシフェルには微塵もなかった。いつものように、
「おはよう、さあ早く食べようか」
 と、朝食を作っていた。トーストにスクランブルエッグとカリカリのベーコン。それからサラダと珈琲。テーブルに用意をされている。サンダルフォンは、呆気にとられながら席に着いた。ルシフェルが前に座る。きまずさの欠片もない。昨日のことが、無かったかのように、変わらぬルシフェルの振る舞いに、サンダルフォンは、ああ、なんだと思い知らされた。自分はどうやらまた、間違えた。

 珈琲を啜るサンダルフォンを前に、何か言いたげなジータであったが口に入れたパスタを咀嚼するのに必死だった。サンダルフォンはそんなジータを見てふっと笑った。それから、何かに気づいたように携帯電話を取り出した。すまない、とジータに断りを入れると確認をする。
「迎えに来られるみたいだ。俺は失礼するよ」
「え!?」
「何を驚く必要が?」
「迎えに来るのって、だって……」
「ルシフェルさまだが?」
「だって、その、振られたんでしょう? 気まずいとか、その、ない?」
 サンダルフォンははぁ。と溜息を吐いて、言った。
「その程度のこと、ということだ。そもそも俺は、受け入れられるはずがないとわかっていたぞ」
──それを、きみたちが唆したんじゃないか。と、口に仕掛けて、のみこんだ。八つ当たりだった。サンダルフォンは、傲慢にも、口では「そんなことあるか」なんて言いながらも、期待をしていたし、満更でもないでいたのだ。そんな自分がいたからこその、慢心で、後悔。痛々しい顔をしているサンダルフォンに、ジータは声を掛けようとした。そんな瞬間を見計らったように、迎えが来てしまう。
 ルシフェルがきた途端に、サンダルフォンは痛々しい表情を笑みで隠してしまった。
 ルシフェルはジータに気づくと「久しぶりだね」と簡単に挨拶をして、サンダルフォンを連れて店を出て行った。サンダルフォンはジータに「また学校で」と告げてついて行った。ジータは思う所がありながら、手を振るしかない。
 ふと気づけば伝票は下がっている。どうやら、ジータの分も含めて会計を済ませていたようだった。
「こういうところはスマートなんだよね」
 ジータは誰に言うでもなく、つぶやいた。

 ルシフェルは当たり前にサンダルフォンをエスコートすると、助手席へと乗せた。その間、休日の繁華街の視線を独り占めしていたのだが本人は無自覚である。サンダルフォンは居心地悪いと思いつつも、その視線にはそこそこに慣れていた。
 車がゆっくりと動き出す。
「彼女とはよく出掛けるのかい?」
 なぜ今更そんなことを問われるのだろうかと違和感を覚える。関係ないでしょう、と言いかけた。しかし、サンダルフォンは家庭の事情でルシフェルの家に居候をさせてもらっている身であるし、保護者としての責務を果たそうとしているのだろうと、納得をさせた。
「そうですね、仲は良い方だと思いますが、出掛けることはあまり。今日もたまたま会ったついででしたから」
 何かとお節介な彼女は、今でもサンダルフォンを気に掛けている。その様子が、どことなく姉妹がいるならばこのような感覚なのだろうかとサンダルフォンに錯覚させた。もっとも、何かとトラブルメイカーな彼女が身内というのは神経も体力も含めて疲労するなと思い直した。

 サンダルフォンは、朝食を摂ったあと、家にいることが気まずくて、出掛けたのだ。ルシフェルにとって一晩眠ればなかったことに出来る出来事であっても、サンダルフォンにとっては整理がつかないでいた。口にした本人でありながら、断られると微塵にも思っていなかったかのような傲慢が、恥ずかしくて居た堪れないでいたのだ。出掛けてきますと、言って家を出た。ルシフェルはわかったと言って、行き先や帰る時間を聞くことはなかった。そういえば、ルシフェルに知人と過ごすところを見られたのは初めてだったかもしれないとサンダルフォンは記憶を引っ張り出して思った。
 ジータとは約束をしていたわけではない。本当に、たまたま会ったのだ。普段は誰かしらと一緒にいるジータが一人でいるものだから、声を掛けるのはやめておこうとかかとを翻したサンダルフォンを目ざとく見つけて声を掛けて来たのは張本人のジータであった。ジータは別にひとりで休日を楽しもうという心算ではなく、たまたま、誰ともタイミングが合わないでいたらしい。それでも家を出ているあたりの行動力に、サンダルフォンは少しだけ感心をしてしまう。サンダルフォンには出来ないことである。

 ジータの話をするサンダルフォンに、ルシフェルは言い知れぬ、不快感を覚えた。
「きみは私のことが好きなのだろう」
 言いかけて、半端に口を開けたルシフェルは、慌てて閉ざした。なぜ、そのように、詰るかのような言葉を口に仕掛けたのか、分からないでいた。
 サンダルフォンとジータには、性的な関係性はない。ない、と信じたいだけなのかもしれない。過去の経緯からジータのことを信頼している。だから、何も言わないでいる。もしもジータが男性であったならばと、考えるが、それでもルシフェルは不安に駆られている自身を容易に想像できた。
 不安でならないのだ。
 サンダルフォンを取り巻くすべてに対して、ルシフェルは必要以上に、心配になってしまう。全てを把握したいと、思ってしまうのは流石にいかがなものかとサンダルフォンを一時的にとはいえ預かるにあたり、現状の関係をいえば親子に等しいだろうと教育関連の書物を読み漁り、過干渉になるぎりぎりの部分であったのかとひやりとした。もっともお前は親じゃないしそもそも互いに中身は年相応でもないだろう、だなんて言葉があれば、もっと冷静に状況を分析していたのだ。けれどもルシフェルはサンダルフォンと暮らせるという事実に既に舞い上がっていたのだから、どうしようもない。

 人間になっても三半規管が敏感過ぎて、乗り物酔いが激しいサンダルフォンは、ルシフェルの運転する以外の車はてんでダメである。そのルシフェルの運転も、スムーズで安心してしまうから、サンダルフォンはルシフェルの車にのると睡魔と戦うことになる。戦うといっても全戦全敗である。いつも、うとうとと微睡んでしまう。隣で運転をしてもらっているのにとサンダルフォンはどうにか起きようとするのだが、くすりとルシフェルは笑って「寝ていなさい」と言うのだ。サンダルフォンは、その言葉に、甘えてしまう。
 ルシフェルはサンダルフォンの乗り物酔いの体質を知ってから運転免許を取得して、車を購入したのだが、その経緯をサンダルフォンが知ることはない。

 そこまでしているのに好意がない、というのは奇妙なことであるのだが、それはルシフェルにとっての当然の、空が青いことのように常識であるから、疑問を抱かないでいる。ルシフェルがサンダルフォンに抱く感情もまた、然りであった。それがどのような感情に分類されるのかということを、数千年にも及ぶ時間は鈍感に曖昧にさせていた。もっとも嫌悪感は皆無であるのだから、それこそ御察しであると彼らを知る周囲を呆れさせている。

 ひとり、店に残されたジータはまだ温かいパスタをフォークに巻き付ける。それから、なんとなく、まだまだ残っているパスタを前に、お腹が膨れた気持ちで、はあ。と溜息。
 迎えに来たルシフェルは一目散にサンダルフォンを見つけた。それからジータを見て少しだけ安心をしたように息をついたのを、ジータは見逃さなかった。見知らぬ人間でないことに、ほっとしていたのだ。どう見たって相思相愛に違いないのに、ルシフェルはどうしてサンダルフォンを振ったのか、てんで理解できない。同じ人間であるのに、その中身は天司であるがままのように、こちらの常識外である二人にやきもきとする。

Title:まよい庭火
2021/09/11
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