ピリオド

  • since 12/06/19
 サンダルフォンは、小説家である。正確に言えば、引退をした小説家である。まだ、若い。二十代半ば。活躍が期待されていた。デビューしたのは数年前。短い、小説家人生だった。
 就職活動の最中、引き出しの奥から出て来たショートストーリーを、とある文学賞に投稿した。こんな賞があるのだと、話したことを思い出した。そのときは、あまり興味が無かった。ただ、受賞した作品は幾つか目にしたことがある。
 むしゃくしゃしていた。読み直したら、赤面するほど、拙い。恥ずかしい。けれど、捨てることを、躊躇った。
 就職活動が行き詰まっていた。エントリーシートを書いて、面接の練習をして、採用試験を受けて、合否ばかりを気に掛けているときに、入選したと連絡が入った。すっかり、忘れていた。
 大賞ではなかったものの、審査員を務めた大御所が、ひどく、気に入ったという。それからすっかり、依怙贔屓に、執筆依頼が舞い込むようになった。サンダルフォンは、職業作家として活動する覚悟を決めた。結局、就職活動は失敗していたから、仕方なかった。堅実とは程遠い、生き方だった。
 サンダルフォンは、職業作家であることを、友人や家族に公言していない。それどころか、顔出しすら、していない。作家と名乗ることが、恥ずかしかった。サンダルフォンのことを知っている人に、夢見がちな、赤裸々な部分を見られることに、躊躇いがあった。サンダルフォンは、リアリストを気取っていた。ナンセンス、なんて口癖みたいに呟く。馬鹿らしいと、否定する。サンダルフォンを知る誰もが、まさかと思う程のロマンスとはかけ離れている。だから、デビューをするとなったとき、経歴を含めてすべて、伏せることを条件にしていた。大御所が気に入っていたから、その条件は飲まれた。今でも、契約をする間際の会社側の苦虫を飲んだ顔を、忘れられない。
 サンダルフォンは職業の話になったとき、自営業と誤魔化している。突っ込んでくる知り合いには、著作権関連の手続きとか、なんて曖昧に、決して嘘ではない微妙な部分を、引っ張り出す。知り合いは、サンダルフォンの真面目さを知っているから、そうなんだと、それ以上に突っ込まない。
 経歴や顔、すべてを伏せているから作家仲間なんてものはいない。孤独だ。液晶画面に向かって、キーボードを打ちこんでいく。毎日、毎日、一人、空想を現実に持ちだす。現実になった空想は、どこか、余所余所しい。サンダルフォンの頭の中にあった華やかさもなければ、幻想さもない。ただ、薄ら寒い言葉の羅列ばかりが、並んでいる。
 作家になりたいわけではなかったのだから、情熱は、無かった。
 新人賞だとか、名誉ある文学賞なんてものにも、興味はなかった。サンダルフォンにとって、それは、ただ、食べるための手段に成り果てていた。けれども、皮肉なことにサンダルフォンが小説を発表するたび、世間に認知をされるようになる。謎の作家として、話題になっていた。その正体は、とある俳優なのではないのか、あるいは大御所作家の別名義なのではないかと、注目を浴びる。書かれた小説には、なんの価値もないのだと、サンダルフォンは山積みされる新刊を見て、つまらない気持ちになった。その新刊は、とある俳優がSNSに投稿したことにより、話題になった。売り切れが続出して、重版がかかった。今まで、細々としていた作家活動が、急激に華やいだ。担当が興奮気味に伝えてきた。平積みされている新刊のポップには、サンダルフォンの名前以上に俳優の名前が目立っていた。別に、目立ちたいわけではない。ただ、面白い気分ではない。サンダルフォンは、新刊コーナーを通り過ぎる。グルメコーナーと言われる一角を、吟味する。次の作品は、珈琲をメインにしようと考えていた。
 珈琲を切っ掛けとした、群像劇を脳内で組み立てていた。とある喫茶店を舞台に繰り広げられる人間模様をぼんやりと描いていた。
 珈琲は、集中をしたいときに、よく口にする。頭がすっきりとした気分になる。この機会に、バリスタが淹れた珈琲を、飲んでみるのも悪くない。果たして自分に、珈琲の良し悪しが分かるのかは別として、取材をしてみたい。珈琲を淹れる入門所の試し読み部分を頭にいれる。それだけでは、分からない。実際に、見てみたいと思った。サンダルフォンは、担当に連絡を入れた。構想中だが、と前置きして取材をしたいことを伝える。取材は、二日後に行われた。
 壮年のバリスタが淹れた珈琲は、インスタントとは全く違った。爽やかで、後味がすっきりとしている。けれども、しっかりと珈琲の芳ばしさを感じる。
 話を聞く。仕事に誇りを持っていることが伝わった。
 良い経験をさせてもらったと、サンダルフォンは担当と別れる。混雑する駅で切符を買うと、プラットホームで待ちぼうける。その時間で、体験を組み込んで、構成する。電車がくるまでの十数分という迫りくる感覚と、話し声やアナウンス、車の音のざわめきが、神経を尖らせる。
 アナウンスのあと、電車が来た。
 ぎゅうぎゅう詰めの電車に乗り込む。息苦しい。頭の中で並べられていた文字列が、いくつか、零れ落ちたような感覚がした。携帯のメモに、打ち込めばよかったと、後悔する。家に着くなり、憶えているいくつかだけをリストアップする。それから、思い出した羅列を盛り汲む。大体の流れを作り出した後、登場人物を作り出していく。メインとなる人物と、そこから派生していく人物。関係性が、枝分かれしていく。その瞬間、サンダルフォンは自らが神様にでもなったかのような気持ちになる。
 サンダルフォンの頭の中で生み出された命は、サンダルフォンの手によって運命を定められる。
 一気に書き上げたそれを、担当に送った。
 すっかり、夜が明けていた。
 ほとんど半日、机にかじりついて書き上げた作品は発表されるなり、話題を呼んだ。また、例の俳優が、話題にしたようだった。そして、それに乗じるように映画化の話が舞い込んだ。
 悪い内容ではなかった。
 原作であるサンダルフォンの作品を丁寧に読み込んだのだろう脚本は、悪くなかった。映像化するにあたり、文字だけの限界を超えた監督の手法は、悪くなかった。映像化に関して、サンダルフォンは概ね、任せるつもりであったが、ただ、俳優だけが、気に食わなかった。
「この俳優だけは、やめてください」
 サンダルフォンが言えば、脚本家も、監督も、そして担当も顔を顰めた。
 サンダルフォンの作品が売れた一因は、この俳優にあることを、理解している。けれども、彼は、違うのだ。彼は、サンダルフォンが描いた登場人物ではない。サンダルフォンの作品の中に、彼はいない。
「ルシフェルはいま、一番、人気がありますよ」──そんなことは知っている。
「彼を起用するなら、映像化はしません」
 きっぱりと、言う。関係者が、渋い顔をする。サンダルフォンは知らん顔で、珈琲を啜った。バリスタが淹れたものとは、全く違う風味は、馴れたインスタントのものだった。
 結局、ルシフェルを起用しないということで、落ち着いた。
 サンダルフォンは、滅多にしない、SNSを覗いてみる。ルシフェルの投稿には、サンダルフォンの作品を読んだ事が書かれていた。それから、珈琲が映っている。少しだけ、罪悪感。サンダルフォンはファンを大事にしている。ルシフェルが、サンダルフォンの小説を見て、珈琲に興味を抱いたのなら、こそばゆい。ファンのコメントをみる。あの登場人物はルシフェル以外に考えられない! 実写化をするならと、勝手に、と盛り上がっている。本当に、読んだのかと、眉間に皺が寄った。
 映像化が公表されると、また一段と、盛り上がっていた。そして、出演者が発表されるや、見当違いな方向から、出版社に問い合わせがあった。──どうしてルシフェルがでないのか!
 サンダルフォンは、ファンって怖いなあと思いながら、次作を考えていた。次は、親子ものが良い。ぼんやりと頭の中で命を作り上げる。入れた珈琲を啜る。今日のは妙に酸味が濃い。手順通りに淹れたけれど、何かが違ったのだろう。
 映像化祝いにと購入した、それなりの珈琲を淹れるための機器にはまだ触り慣れていない。苦労して飲んでも、首を傾げる。バリスタには当然ながら遠い。かといってインスタントは物足りない。

 それから、いくつかの作品が映像化された。初めて映像化された珈琲を題材とした群像劇は評判が良かった。次作であった親子ものも、映像化をされた。脚本家も、監督も、同じである。サンダルフォンは顔を知られたくなかった。同じ制作陣であることは、心強い。そして、彼らはすっかり、サンダルフォンはルシフェルが嫌いなのだと、思い込んでいた。
 サンダルフォンは否定はしない。けれども、訂正をするならば、嫌いではない。ただ、ルシフェルはサンダルフォンのなかでのイメージに合わないのだ。それでもルシフェルのSNSには、サンダルフォンの作品が、それこそ新作が出るたびに投稿される。新作がなくとも、過去の作品が紹介される。その度にサンダルフォンの作品が売れるから、サンダルフォンは、居心地が悪い。実力ではないように、思った。サンダルフォンの作品だから、売れたのではない。ルシフェルが紹介をしたから、売れている。サンダルフォンは、書く事が、虚しくなった。自分でなくても、良いのだと痛感をする。
 サンダルフォンは孤独に、机に向き合う時、息詰まると、どうしようもなく途方に暮れる。こんなの、誰が望んでいるというんだと、誰が読みたいと言っているのかと、ばからしくなる。途中まで書き上げた小説を、すべて消し去りたくなる。サンダルフォンが書いたという、世に出回ってしまった駄作をすべて、燃やし尽くしたくなる。そんなこと出来るはずがないのに、考える。サンダルフォンの荒唐無稽で非現実を繰り広げる妄想は、なるほど作家だと評価されるものであった。
 サンダルフォンは珈琲を飲んだ。いつだったかに、担当経由で、ルシフェルから贈られてきた。ルシフェルにとって、珈琲を題材とした作品は特にお気に入りだったらしい。彼は、サンダルフォンのファンなのだ。
 皮肉だなと、サンダルフォンはするりと喉に零れた珈琲が美味しいものだったから、気まずくなる。また、机に向かう。途中まで書き上げたものを読み直して、訂正していく。登場人物がすこしだけ、色濃くなった。
 バラエティ番組で、サンダルフォンの特集が組まれた。当然、サンダルフォンは出演しないが、コメントを、求められていた。当たり障りない内容をまとめた。特集がくまれて有難く、嬉しいこと──そのコメントを、ルシフェルが読み上げている。奇妙な気持ちで、サンダルフォンは気持ち悪さよりも、恥ずかしさでいっぱいになった。
 そこまですると、どうしてルシフェルがサンダルフォンの作品に出演しないのかと話題になった。サンダルフォンも、ルシフェルも明言しない。けれども、どこから漏れたのかサンダルフォンがルシフェルを嫌っているとリークがあった。一時、炎上状態となった。けれども、結局、バラエティ番組や特集の度、ルシフェルが出て来るから、否定をされた。それも、ルシフェルは滅多にバラエティ番組には出ないのに、サンダルフォンの特集だから出演をするのだと公言している。ならばなぜと、堂々巡りになっていた。
「一度、先生とお会いしたいです」ルシフェルが毎度のように言う。
 サンダルフォンは白けた気持ちになって、珈琲をぐびっと飲んだ。
 会ったところで、話すことはない。
 作品が映像化され、多くの俳優が、サンダルフォンの空想世界を演じている。新作だけではない。過去の作品も、映像化されることになった。ルシフェルが、とびきりに思い出深いと紹介をしていた作品に、ルシフェルは出ていない。ルシフェルは、残念がる素振りもなく、映像の出来を素晴らしいと表現していた。サンダルフォンは、なんだか、面白くなかった。
「やはり、ルシフェルは出しませんか?」
 映像化の度、問われる。
 サンダルフォンは、首肯する。
「この役は、ルシフェルではないです」
「なら、ルシフェルのための役は、できませんか」
 サンダルフォンは、眉間に皺が寄った。
「話題になりますよ」
「考えてみます」サンダルフォンは、考えることなく、話しを進めた。担当はもう、すっかり諦めていた。脚本家は、残念そうにしていた。
 打ち合わせの帰り道、サンダルフォンはルシフェルを浮かびあげた。プラチナブロンド。青い瞳。世界で最も美しいと評価されている。スキャンダルもない。学生時代の作品で注目を浴び、評価され、そのままデビューした。学生の作品だというのに、一際に異彩を放っていた。彼だけが別次元だった。彼は、あまりにも完成をされていた。空想の生き物が、そのまま現実に落ちてきてしまったかのように、現実味がない。ある意味では、サンダルフォンの理想、そのものであるが、だからこそ、触れることができない、聖域のようだった。サンダルフォンが、触れてはならない存在であった。
 家に帰ると、珈琲を淹れた。最近はインスタントよりも美味しく感じる。自分好みに、仕上がってきた。珈琲を飲みながら、画面の前で、難しい顔をする。書きたい話がなくなっていた。創造の限界。枯渇。そろそろ、潮時だった。

 サンダルフォンは、俳優と小説家の話を、書き上げた。陳腐なラブストーリーだった。小説家は、俳優に惚れ込んでいる。俳優のために小説を書こうと、悪戦苦闘する。だけど、その俳優を描くことができない。俳優でなくてはならないキャラクターでも、物語でもない。特別な、満足な作品でないから、映像化しようとしても、俳優を起用しない。そのジレンマの果てに、俳優はどんどんと、明るい表舞台で輝いて、対して、小説家は廃れていく。心を病み、体を病みながら、俳優のためだけの物語を書き終えたとき、息絶える。俳優は、何も知らないまま、舞台に立ち続ける。スポットライトの下で、脚本家が考えた愛を、語るのだ。後味の悪い、ラブストーリーはサンダルフォンの引退という話題があったものの、売れなかった。しかし、サンダルフォンは生涯で、一番の作品と、言い切れる。
 それきり、小説家として、引退をした。
 書くことに、見切りをつけた。引退作品である恋愛小説は、散々に叩かれたが結局、その程度である。サンダルフォンを惜しむ声は掻き消えた。唯一、ルシフェルだけが残念がっている。今でも、SNSに持ちだす。けれども反応といえば「そういえば、そんな作家もいたな」くらいであった。サンダルフォンもそういえば、自分は作家であったということを思い出す。
 サンダルフォンは余生と呼ぶには長い、第二の人生を、歩んでいる。
「これは私たちの話ではないのか」
「まさか。自意識過剰ですよ。それに貴方はずっと、売れっ子でしょう?」
「そう、だろうか」
 サンダルフォンは何でもない風に、言って珈琲を淹れた。引退したとはいえ、印税は入って来る。作家生活も、悪いものではなかったと、思った。
 サンダルフォンはそれ以上なにも言うことができないで、出来上がったという脚本を読む。最後の恋愛小説が、映像化される。ルシフェルが制作陣に加わること、そして主演であることは、伏せられている。公開も小さな、映画館に限定される。自主製作。ルシフェルが、信頼のおける知人に声を掛けて、作る。学生時代を思い出す。数年前のことだというのに、懐かしい。何度か、手伝った。学生時代から、人を惹きつける人だ。良くして貰った。仲は悪くなかったが、就職活動のあれこれがあって、疎遠になっていた。ルシフェルは既に、芸能事務所に所属していた。勝手に、距離を置いた。負い目のような、嫉みのような、気まずさがあった。結局作家デビューをしても、進路を告げることができなかった。一方的であったから、会うことが、気まずかった。だから、動転をした。どうして、自分が作家であることを知ったのか、不思議でならなかった。名前は当然、伏せている。顔をあわせる関係者も、極僅かだ。どこから、漏洩したのか、不安だった。ルシフェルはくすくすとおかしそうに笑って、文章を読んだら当然だと言った。ルシフェルに小説を見せたことは無かった。だから、疑問は尽きなかった。
「きみは、映像を視覚ではなくて、文章で表現をしている」
 サンダルフォンは思い当たる節がある。ルシフェルの生温い視線が、恥ずかしくて、目を伏せた。顔が熱い。何よりも、ルシフェルが、サンダルフォンが書いたことを知りながら、作品を読んでいたことが、恥ずかしくて、たまらなくなる。全て、忘れ去ってほしい。平気なふりをしながら、気が気でない。
 サンダルフォンは関わらないつもりであったのに、ルシフェルがしつこいものだから、少しだけ言葉を掛ける。この場面は外さないで欲しいと伝える。ルシフェルはにこりとしてから、わかったと言って脚本を書き換える。 サンダルフォンは楽し気なルシフェルこそ、作家に向いているのではないかと思った。しかし、この人の美しさが世に出回らないのは、勿体ないなと思い直した。それから、好き勝手したらいいのに、と思う。引退をしている。表舞台にたつことはない。だというのに、ルシフェルはサンダルフォンの作品だから、汚したくないのだと言ってきかない。冗談めかしでもなく、真剣に、熱心に、正面から告げられたサンダルフォンは、息苦しい程の羞恥をひた隠して素っ気なく、振舞うしかないでいた。

Title:sprinklamp,
2021/09/02
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