ピリオド

  • since 12/06/19
 プラチナブロンドが眩しい見た目麗しい青年が、抱え上げた少女に何かを語り掛けていた。足元にはトランクがある。その姿を見ていた私は、思わず、首から掛けていたカメラを手に取ってシャッターを切っていた。覗きこんだレンズ越しに、目が合う。
「すみません!」慌てて頭を下げる。
 肖像権だ、なんだと言われている時代だというのに、すっかり頭から抜け落ちていた。頭には、この画は残さなければならない、焼きつけなければならないという使命感といえば聞こえの良い欲望が先走っていた。
 青年が少女に何かを言う。少女は首を振った。それから興味がないというように、青年の首に腕を回している。少女を抱いたまま、青年が近寄る。消して欲しい、と言われるのだろうと覚悟をする。当然の権利である。けれどもあの光景を消し去るのは、どうにも憚られる。誰にも見せないことを誓うから、どうにか残してもらえないだろうかともんもんと考えていた。
「良かったら写真を見せてくれないか」
 その声は風通しのよい駅のプラットフォームでもよく響いた。私はこくこくと頷いた。青年は少しだけ表情を和らげる。首元に抱き着いている少女はちらりと見るだけであった。人見知りなのかもしれない。
「ここに住んでいるのだろうか」
「はい、下宿をしています」
「そうか……。なら北の洋館は分かるだろうか」
「……薔薇のお庭がある?」
 青年はこくりと頷いた。私は思わず目を見開く。薔薇屋敷と私や友人たちが呼んでいる大きな洋館である。町の中心地から北は閑静な住宅地となっているのだが、そのさらに一等地と呼ばれる場所にたつ広大な屋敷である。年中薔薇が咲き乱れる庭が目印であった。誰が住んでいるのか、誰が世話をしているのか分からない不思議な屋敷である。
 青年は若く見えた。
 20代半ばか後半ほどだ。
 少女は、白いワンピースから伸びている手足の細さだけでは分からないが10歳になっていないくらいに思える。ただ、抱っこをするには大きいようにも思えた。
 写真を現像したら持っていくことを約束して、別れる。
 青年が振り向くと少女と目が合った。少女は、きょとりとしていた。私は手を振って笑って見せる。少女がおずおずと振り返した。
 なんだか、良いものが見れたと気分がよく私は電車に乗った。

 〇 

 現像した写真には想像していた通り、目にした光景が切り取られたように映し出されていた。自分で撮っておきながら見惚れてしまう。同時に、見覚えがあるような気持ちにもなる。珍しい画ではないから、既視感というものかしら。──これは彼らに渡さなければならない。名残惜しむ気持ちを共に封筒におさめる。
 そういえば連絡先は聞いていない、と思い出す。
 いつでもいる、ということだろうか。けれど、あの屋敷には人の気配は昼夜、感じられない。昼間には気配もなく、夜も電気が灯っているところは見たことが無い。
 私は封筒を鞄に入れると、玄関へと向かい、靴を履いた。
 住宅街へと向かうまでにケーキ屋で手土産を見繕う。ショートケーキが目を惹いた。あの少女を思い起こさせた。それから数種類のケーキを購入する。学生には手痛い出費である。
 屋敷の重苦しい門を前に、いざとなると緊張を覚える。インターホン、らしきものは見当たらない。ノッカーがあるだけであるが、これで通じるのかと不安になる。あるいは今日は諦めるかと買ったケーキを全部食べる心算になっていたとき、ぎぃと鈍い音が響いた。ひょっこりと、ふわふわとした癖毛が覗く。
「あ、」
 覚えのある少女であった。少女は私を見て照れくさそうに口元に笑みを浮かべると門を引いた。人が通れるぶんの隙間を作った少女がどうぞ、というように門を支えている。私はおっかなびっくりと、足を踏み入れた。
 門から屋敷へと続く石畳を、少女の後に続いて歩く。
 少女は当然であるのだが、慣れた様子で歩いている。私は微笑ましい気持ちで、それからどうして今日はカメラを持ってきていないのかと後悔を覚えていた。視線に気づいた少女が私を見上げる。それから、照れくさそうに澄ました様子を纏う。私は微笑ましいものを見た気持ちで、再度の後悔を覚えた。
 数メートルの石畳を歩くと重厚な扉が待ち構える屋敷に辿り着いた。慣れていると思わしき、とはいえ少女にこの扉を開けさせるのは忍びないと扉に手を掛けると殆ど同時に開いた。ぎょっとしてしまう。どうやら、タイミングよく、先日の青年が扉を開けたようだった。少女は青年の後ろにそそくさと隠れてしまった。
 青年は苦笑しながら、少女の癖っ気を撫でると私を見て微笑を浮かべた。
「よく来てくれたね、写真が出来たのかい?」
「はい、あと、よろしければお詫びと言っては何ですけど……」
 青年の言葉に私は封筒と、そしてケーキの入った箱を渡した。青年はきょとりとしてから申し訳ない様子で受け取った。
「お詫び、か……そういった心算ではなかったのだが……」
「いえ勝手に撮ってしまって、本当に申し訳ありませんでした」
「わかった。有難く、受け取るよ。これからお茶の時間なんだが、良かったらきみもどうだい? 勿論、無理にとは言わないよ」
 少し迷ったものの、私は有難くお呼ばれされることになった。
 青年と少女が気になったのは勿論であるのだが、薔薇屋敷と呼び続けてひっそりと憧れていた屋敷の内部が気になったのだ。門から屋敷までの数メートルすら、現実味のない空間だった。
 とはいっても、屋敷の中を見せてくださいともいえずに案内をされた庭先でお茶を待つだけだった。薔薇に圧巻される。何度目か分からない後悔を覚え、紛らわすかのように手でフレームを作る。どこを切り取っても、最高の画となる。
 フレームの中に、不意にふわふわとした癖っ毛が入り込んだ。
 わっと思わず声を上げしまう。悪戯が成功したみたいに嬉し気に少女が跳ねてから、ぱたぱたといつの間にか現れていたトレイを手に取った青年の後ろに隠れてしまう。怒るというよりも、参ってしまって私は頬を掻いた。
「こら、サンダルフォンがすまなかったね」
 少女の名前はサンダルフォン、というらしい。続けるようにそういえばと、ルシフェルと青年は名乗った。美しい名前に似合う二人に対して、私はといえばありきたりで平凡な容貌であったから、なんとなく恥ずかしく感じた。
 庭先のテーブルの上には上等なティーセットが並べられる。屋敷の様子から分かっていたとはいえ、落としたらどうしようと不安になってしまう。
「おもたせだが」
 大きなお皿の上に買ってきたケーキが並ぶ。商店街のケーキ屋で買ったものが一気にデパ地下で買ったかのような高級品に思えた。
「きみから選ぶと言い」とルシフェルさんが言うものの、サンダルフォンちゃんという年下を前に選ぶことができない。私がどうぞと言えばサンダルフォンちゃんはルシフェルさんを見た。ルシフェルさんが頷くと、ならと言うように、きっと決めていたのだろう、ショートケーキを選んだ。
 何やら微笑ましくて緊張感が薄れる。
 お茶会は静かなものであったが、緊張はなく、ケーキもそして、珈琲も美味しくいただいていた。
 サンダルフォンちゃんはケーキを食べ終えると、先ほどの私の真似なのか、指で四角を作って遊んでいる。
「カメラが気になるの?」
 声を掛けるものの、もじもじとして一度として声は聞いていない。ルシフェルさんが済まなさそうに言った。
「人見知りでね」
 やっぱりと思ってしまった。

 〇 

「良かったらまた来ると良い」と別れ際に言われてからというもの、タイミングが分からないでいる。社交辞令なのだと分かっていても、もう一度あの二人に会いたい、そしてあわよくば写真を撮らせてほしいと思ってしまうのだ。
 毎日あの時間にお茶をしていると言っていたものの、狙うのは意地汚い。しかし、それ以外のタイミングが分からない。
 私は下宿先でカメラを手に、あの光景を思い出しながらぼんやりとしていた。
──薔薇の咲き誇る庭先で悪戯に振舞う妖精のような少女と、それを見守る美麗な青年。
 思い出すたびに恍惚の息がもれる。
 撮りたいと思ったらいてもたってもいられなくなっていた。
 私は靴を履いていた。カメラを首から下げていた。手土産の一つでもなければと思うのに、頭の中は撮りたいということだけでいっぱいだった。
 屋敷の前に辿り着く。門が開いていた。不用心だ。そうだ、不用心だから、声を掛けるために入るのだ。これは、正当な理由だ。言い訳をしながら、踏み入る。どっどっと心臓が煩く脈打つ。
 今の時間は、お茶と言っていた。だから庭にいるのだろう。このまま、屋敷沿いにぐるりと回れば庭にでる。私はどうしてだか、息を殺していた。カメラを手にする手が震える。ばくん、ばくん……と心臓の音が、うるさい。
「おいで、サンダルフォン」静かな声が響いた。
 私は屋敷の影に隠れていた。
「はい、ルシフェルさま」
 その声は、誰のものであるのか分からなかった。低い、男性のものである。ハスキーな女性とは思えない。呼びかけられたのはサンダルフォンちゃんである。同名の別人かしらと不思議に、影から様子を見る。
 薔薇の匂いに眩みながらも、やはりルシフェルさんとサンダルフォンちゃんの姿しか確認できない。
 サンダルフォンちゃんはルシフェルさんの膝に乗っている。そして甘えるように首に手を回している。その姿は娘が父親にするような仕草ではない。もっと艶めかしく、蠱惑的で、稚い少女には不釣り合いな恰好である。
 ルシフェルさんがサンダルフォンを抱えなおす。ああ、叱るのだろうと思っていた。安心をしたかった。揶揄ってはいけないと、悪戯はやめなさいと、あの日のように言うのだろうと思ったのだ。
「サンダルフォン」
 呼びかける声は娘を呼ぶものではない。そもそもあの二人はどんな関係なのだ。一度だって娘と父だと言ったのか。あるいは妹と兄だと言っていたのか。そもそも、あの二人のどこが似ているというのか。
 一瞬にして疑問が湧き出ている。
 瞬時にして脳が冴えわたる。
 サンダルフォンちゃん──どこか、見覚えがあると思っていたのだ。あの子は、そうだ随分と昔に、行方不明となった子と似ている。出掛けた先で、忽然と姿を消した。特番で大々的な創作活動が行われている。何度も、写真を見た。可愛らしい、癖のある髪の毛のくりくりとした赤い目──男の子だ。何より、生きていたら私と同じくらいのはずだ。そんなわけない。
 じゃれあうように二人は唇をあわせていた。私はただ呆然とその姿を見つめていて、あ、めが、あった。

 〇

「やっぱり、美味しかった」とサンダルフォンは恍惚に満足そうにつぶやいた。口の周りを汚しているから、夢中だったのだろう。それに久しぶりの食事だった。
 私が口回りを指摘すれば、照れくさそうに指で拭うと、名残惜しむようにぺろりとなめている。子猫のようだと漠然と思った。
「ああ、でももう食べられないなんて……」
「一度きりだからこそ、とびっきりに美味しいものだ」
「美味しいからこそ、もっと食べたいのに!」そう言って我儘を口にするサンダルフォンに苦笑を零す。不意の我儘は出会ったときと変わらない稚い、どうしようもない無理難題ばかりである。
「もう元に戻っても良いのでは?」
「この姿は御嫌ですか?」サンダルフォンは悪戯に笑う。来ていた白いワンピースは無惨にも真紅が跳ね返り、歪な模様を描いていた。私は苦笑を零す。
「どんな姿の君も愛らしいよ」
 満足な答えだったのだろう。サンダルフォンは「本当ですか?」なんて言いながら、少女から、見慣れた青年の姿へと変貌する。姿が落ち着くやサンダルフォンはぐうと背伸びをした。
「ああ、肩が凝った!」しなやかな手足が伸びる。衣類も何も纏っていない姿で恥ずかしげもない。もっとも、サンダルフォンの身体で私の知らない部位はないから、恥じらいもないのだろう。
「君ときたらこの街に戻って来てからずっとあの姿だったろう、無理もない。いつもなら嫌がるというのに、どうして戻らなかったんだい?」
「面倒くさかったんです」
「サンダルフォン?」
 今のサンダルフォンに作り変えた私に対して、偽りは通じない。サンダルフォンは分かっていながら口にしたのだ。サンダルフォンは心底楽し気に笑った。気分が高揚しているらしい。
 それから、座りこんだまま、既に食べ終えた彼女が持っていたカメラを手に取って、私に向けるとレンズを覗きこんだ。
 当初こそ、カメラを不快に感じていたサンダルフォンであったが彼女が現像して持ってきた写真を気に入ったらしい。それが彼女にとっての幸であったのか、不幸であったのか私はどうでもよかった。
 私にとってはサンダルフォンが幸福であるかだけが重要であるのだ。
「あの姿だったら甘えられるんです」
 それが真実だと分かってしまうから、私は仕方ないなと思ってしまう。
「そのままでも甘えてくれていいのに」
「ダメですよ、この姿は大人なんだから」
「私にとっては子どもだ」
「子どもにあんなことをするんですか?」
「だってサンダルフォンだからね」
「なんですかそれ」サンダルフォンは可笑しそうに笑っている。少女であった頃のままの笑みを浮かべるその頬には、かぴかぴに乾いた血が返り付いていた。
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