ピリオド

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 額に汗がにじむ。一息つきたいところだが、ひっきりなしに注文が入ってきてそれどころではない。何より、人間である団長たちも同じく汗をかきながらも働いているというのに自分一人が音を上げるだなんて、サンダルフォンの自尊心が許さないでいた。それに、任されたという責任感もあって、サンダルフォンはこの調理場から離れるという選択肢はない。
「──しまった、フルーツが切れる。おい、いったんオーダーを」「私が取ってきますよ」
 にこやかな──常夏のリゾート地に相応しい日焼け肌に水着姿のルシオの言葉に、サンダルフォンは胡乱な視線を向ける。逡巡。苦々しい声で「頼んだ、手前の箱だ」と任せるしかない。
 へとへとの団長に頼めるわけもなく、何よりサンダルフォン以外にこの嵐のように舞い込んできたオーダーを裁ききるほどの調理経験があるメンバーはいない。ルシオに任せることが最善であることは分かっているのだが、なんとも釈然としない気持ちになる。「わかりました、直ぐにお持ちしますね」と言ったルシオに躊躇う隙もなく、頼んでいたフルーツの入った箱を手に帰ってきた。一瞬ばかり呆気にとられたサンダルフォンであったが、ルシオに聞いたところで解答が得られることはないと、団長たちに較べれば短くはない付き合いで分かっていた。
「ありがとう。君は休んでいてくれ」
「いえ。サンちゃんや団長たちが働いているなか私ひとりだけ休むだなんて」
「いいから、休んでいてくれ」
 確かに客は有難い。しかし、完全にキャパオーバーであった。サンダルフォンを含むスタッフだけではなく、店の規模として、とてもではないが収容しきれない。海の店にあるまじき行列は、ルシオがいなくなると徐々に途絶えていった。最後の客をさばききると、本日閉店の看板をぶら下げる。
 一息ついたサンダルフォンはどっと疲れが出たように感じた。接客関連は任せっきりであったというのに、どうにも気疲れをしているのか、疲れを感じる。
 団長やルリアたちにさきに上がってもらうと、サンダルフォンは店の片付けをする。客の出入りが激しく荒れていた店内にサンダルフォンが操る元素が満ちる。ある程度は仕方ないという許容範囲を超えた客がそのつもりはなくとも持ちこんでしまった砂や、零したであろうジュースのべたつき、シロップの痕。団長たちは自分たちも手伝うと言ってくれたが、疲れていた様子であったし、サンダルフォン一人で、片付けたほうが手っ取り早かったのだ。元素を操るにしても、この程度の片付けならば疲れはない。気持ちだけもらっておくと言えば不満気な顔をされた。何が気に食わなかったのかと思いながらも片付けは終わった。机は目視でも汚れは一切見当たらない。満足な気持ちに浸りながら、後は明日の仕込みをするかとスケジュールを立てる。
「お疲れ様です、サンちゃん」
 声を掛けられたサンダルフォンはびくりと肩を揺らした。ルシオだと分かっていながらも、ふとした瞬間、未だに間違えそうになる。そんな思考回路を読んだかのように、ルシオがじっとサンダルフォンを見る。居た堪れなさに、サンダルフォンは視線をそらして誤魔化すように声を掛けた。
「ありがとう、きみも疲れただろう」
「いえいえ。サンちゃんたちに較べれば。それよりも──……」続けた声音が真剣であったから、サンダルフォンはつい身構える。思わず固唾を飲み、ルシオを見た。思わず見間違えるほどに、かの御方とよく似た表情を浮かべていた。サンダルフォンを耳鳴りが聞こえるほどの緊張が包む。手足の感覚がなく、汗ばんでいた体が急激に温度を無くし、呼吸を忘れ、あえかな吐息が口から零れた。
「その姿は暑くありませんか?」
 ヒュっと一瞬呼吸をする。それまで包み込んでいた緊張が和らぐと、がくしと体が支えを失ったかのように倒れかけて、慌てて机に手をついた。言うに事欠いて……いな、あそこまで真剣な面持ちであったというのに? 暑さ? なんだ、とサンダルフォンは混乱をして、思わず吹き出す。ルシオはなぜサンダルフォンが笑っているのかわからずにきょとりとしてから、むっと眉間に皺を寄せた。
「心配をしているのですが……」
「いや、悪い。暑さは問題ないよ」
 心配をされたくすぐったさにむずむずとするものを感じながら答える。実際問題として、暑さはあまり感じていない。鎧は脱いでいるし、以前に立ち寄った島で購入したシャツとスキニー、それからエプロンという服装は普段に較べれば涼しいものだ。それに団長たちには内緒にしているのだが水の元素を仕込んでいる。流石に動き回っている時には効果は薄いものの、普段の動作程度ならば問題ない程度に温度を保っている。
「それに飲食物を扱っているんだ。ある程度は着込んでいた方が良いだろ」
「そうですか」と何やらしょぼくれた様子のルシオに対してサンダルフォンは少しばかりしてやった気分に浸る。今まで散々にルシオに振り回され、学習をして、これだと言わんばかりのとっておきの回避策であった。この男はきっと水着を薦めてくるぞと予見していた。しかし、ある程度、自身の女性体に慣れたとはいえ、水着などという露出の激しい服装は避けたかい。練りに練ってここは下手な理由を考えるよりも暑さ対策を万全にするべきだと至ったのだ。一か八か──なんせルシオは聡い上に強引な所があるものだから、ひやりとしたものであるが反応を見るに渋々であるが納得をしているようだった。
「……そうですか。サンちゃんにも海遊びを楽しんでほしかったのですが」
 ぐっとサンダルフォンの良心がちくちくと刺激をされる。演技だ。こいつは役者だと言い聞かせないと、つい、首肯しそうになってしまう。サンダルフォンはしょぼくれた顔に弱い。それが、ルシオだからなのか、それともよく似た、殆ど同じであるあの御方を思わせるからなのか、分からない。それでも、その表情を浮かべられて頼み事をされると、狼狽えてしまう。決心が揺らいでしまう。決意が有耶無耶になる。
 今度ばかりはと意思を固める。けれども、
「団長たちもサンちゃんと遊ぶのを計画しているようなのですが、仕方ありませんね」
「……ずるいぞ、団長たちを持ち出すのは」
 ふふふとルシオが得意気に笑った。サンダルフォンは嘆息を零す。純真で疑うことなく信頼を向ける団長と、境遇が似ているためかルリアからの頼み事にサンダルフォンは弱い。頼られることがなかった過去の承認欲求を満たすかのように、必要とされたならば、是と首肯してしまう。その内悪い人に騙されそうと心配をしてきた団長の柔らかなほっぺをつねって君が言うなと言ったのは古い記憶ではない。
「水着のご用意は?」
 サンダルフォンは渋々とした声で「ある」と応える。買ったわけではない。買う訳が無い。団員からの贈り物である。ほとんど着た切り雀なサンダルフォンに思う所があったのか、あるいはサンダルフォンから何やら感じ取ったのか某ハッピーエンドデザイナーに日頃の御礼だと渡された水着を、所持していた。
 ルシオはご満悦と言った具合にそうですか、と笑った。



 夕刻と呼ぶにはまだ早く、太陽はさんさんと砂浜を照らしている。海に反射した陽射しがきらきらと眩しく輝いている。砂浜を埋め尽くす人々が陽気にはしゃぐ声が虚しく耳朶に響いた。
 用意をされた水着はおそろしくピッタリであった。水着としては当然程度であるものの、心許ない布面積に、体を縮こまらせる。
「似合っていますよ」
「どーも」
 素っ気ない返事をしながら、ルシオの影に隠れる。ルシオは苦笑を浮かべるしかない。すっと、見惚れるような視線からサンダルフォンを隠す。
 元より乗り気ではなかったと認識をしている。それでも、少しでも気分が晴れたらと、少しでも空の世界を好きになってくれたらと、殆ど脅迫染みた手段で誘ったという自覚があった。羞恥を誤魔化すためなのか、慣れない砂の感覚をヒールで歩くのに集中しているのか定かではない、俯いている隣のサンダルフォンを見下ろせば、柔らかな谷間が映った。つうっとその間を汗が伝っている。
 視線に気づいたサンダルフォンが顔をあげた。
「どうかしたのか?」
「いえ、なんでもありませんよ」
 笑みを浮かべてそっと来ていたシャツを被せる。サンダルフォンはきょとりとしていたが、ありがとうと言うと羽織った。
「歩きづらいでしょう? どうぞ」
 言って腕を差し出す。サンダルフォンは躊躇しながらも絡める。手を繋ぐのは嫌がるのに、どうして腕は良いのだろうとルシオには基準が分からなかった。
 夏の陽射しと同じ熱量の視線が注がれても、サンダルフォンは気づくことなく、ルシオは気付いていながらゆったりとした歩幅で砂浜を横切る。

2021/08/18
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