ピリオド

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「浮気なんですか?」首をかしげて言ったサンダルフォンに、ルシファーはむせた。口の端から珈琲が零れる。サンダルフォンは慌てて、どうぞとナプキンを渡した。ごほごほと未だ咽るルシファーに、サンダルフォンはピッチャーから水を注ぐと手渡す。ルシファーは豪快に水を飲み干した。
「誰が言った」
 ドスの利いた声にサンダルフォンは怪訝に思いながら説明をする──それは三日前のことだった。ランチラッシュを終えてゆったりとした時間に、一人の令嬢が現われたのだ。しがない喫茶店には不釣り合いなブランドで武装をした令嬢は勝気にサンダルフォンを見るなり鼻で笑った。曰く──「ルシファーの婚約者です」とのことだ。サンダルフォンは勢いにそうですか、と言うだけであった。戸惑いやら困惑やらでいっぱいな中で、婚約者令嬢は捲し立てるようにサンダルフォンと店を貶すだけ貶して去っていった。嵐のようだった。思い返すと腹立たしい、というより面白くなってサンダルフォンは少し笑う。そんなサンダルフォンを可愛いなと思いながらルシファーは意味が分からないでいた。
「婚約者なんていない」
「そう、なんですか」
 サンダルフォンは少し、驚いた様子だった。それがルシファーには不快だった。
「いたらどうする」とつい意地悪を口にする。サンダルフォンはそうですね、と手元の珈琲を見ながらぽつりと言う。
「ううん……忘れるように、頑張ります」
 それ以来ルシファーが店を訪れない。サンダルフォンから事のあらましを聞いたベリアルは絶句した。
 上司であるルシファーの気が立っている。それを部下に八つ当たりすることはないのだが、ピリピリと張りつめた空気感に此方が参ってしまう。部下の中でも補佐として最も経歴が長いベリアルに白羽の矢が立ち人柱となったのだ。また、部下の中でも唯一ルシファーとも私生活でもつながりがある。それが、妹のサンダルフォンだった。
 両親にとって意のままに振舞わないベリアルは失敗作であり、女であっても扱いやすいサンダルフォンはお気に入りであった。ベリアルはそんな両親にうんざりして早々に家を出たのだが、サンダルフォンは両親が事故死するまで縛られたままであった。両親が亡くなって、親族はおらず兄妹二人きりになった。成人をしているというのに、自分で何も選択できないサンダルフォンにベリアルは苛々としながらも、内心では罪悪感もあって、共に暮らしていた。段々と、サンダルフォンはそれまで押さえつけられていた自己を確立させて、それなりに人間らしい生活を送っている。
 アルバイトを始めて、そして恋人が出来たと言うのだからベリアルは驚いた。そして紹介された人に会ってまた驚いた。なんせ上司である。ルシファーである。ルシファーも驚いていた。
「……なんでそんなこと言ったわけ?」
 珈琲を啜る。味の良し悪しは分からないが、飲みやすいと感じる。
 営業時間を終えて片付けに入っている店内にはサンダルフォン一人だった。元々店主の道楽で始めた喫茶店らしく、小さな店である。カウンターと、それからボックス席が2つ。近所の中高年のたまり場なのだと、サンダルフォンが言っていた。ベリアルはふうんと話半分に聞きながら、中高年に珈琲を振舞うサンダルフォンを思い浮かべてなんともいえない気持ちになった。
「それ以外、何を言えば良いんだ」
 サンダルフォンはふて腐れたように言う。両親の言いなり期間が長すぎて自己表現が下手すぎるのだ。ベリアルに対しては、両親から散々に聞かされたお陰であるのか畏まった様子はない。また庇護下にあったということもサンダルフォンなりに認識しているために、気心はしれている。それでも、サンダルフォンは矢張り、言葉足らずだった。
「そりゃあ、絶対に別れません!とか可愛いこと言ったら良かったんじゃないか?」
 ベリアルがサンダルフォンを真似るように裏声で言ってみれば冷ややかな視線が注がれた。ふんとサンダルフォンは鼻を鳴らす。
「嘘は嫌いだ」
「嘘も方便だよ」
「それでも、嘘をつかなきゃ続かない関係なら遅かれ早かれ、終わるだろ」
「お前は一体何を見て来たんだよ」
「別に何も見てない」
 サンダルフォンはベリアルを見ないまま、慣れた手つきで仕込みをしていた。新開発のメニューだ。店主は基本的に店にノータッチであるらしく、サンダルフォンの好きにして良いと言っている。雇われ店長である。実際、アルバイトという立場であるものの給料は良い。店主が一体何者であるのかベリアルは知らず、見たことも無い。
「それに、分からないし」
 ぽつりと呟いた言葉が、何よりの答えなのだ。
「何が分からないんだ?」
「疑っているわけじゃないけど、仕方ないって思ったんだ」
 令嬢を見たとき綺麗な人だと思ったのだ。自分に自信があって、しゃんと胸を張る姿。掛けられた言葉には傷ついたけれど、サンダルフォンは仕方がないと思ってしまったのだ。自分よりも、相応しく思えたのだ。
「そもそも、どうして俺なんかを好きになってくれたのか、分からないし」
 可愛げが無くて卑下ばかりする。楽しい話題もないし、女性らしい気遣いも、かわいらしさも無い。サンダルフォンは自嘲して言った。
「俺はサンディのこと、世界一可愛いって思うよ?」
「身内びいきのお世辞はいらない」
「そういう可愛くないところも可愛いさ。まったく自慢の妹だよ」
 ベリアルが苦笑しながら珈琲を啜る。サンダルフォンは、もうあの人はこないだろうなと思っていた。我ながら、可愛げが無い。強がりだった。忘れられるわけがない。一生涯思い続ける。だって初めての人だった。誰かのために何かをする。強制されるわけではない。悩んで不安で、それでもいてもたってもいられなかった。
 なのに、終わらせてしまった。愚かな自分が、終わらせてしまった。眼球の裏側が熱くなって、サンダルフォンは振り払う。
 その人が来たのは次の日ことだった。
 閉店時間で、締め作業をしていると現れた。サンダルフォンは吃驚した。なんせ昨日の今日である。ベリアルから何か言われたのかと、身構えた。
 何か口に仕掛けては閉ざしてを繰り返したルシファーは、目を伏せると苦悶を浮かべてから「珈琲を、」と言った。サンダルフォンは、閉店時間だったけれど「少々お待ち下さい」と言って用意をする。これが、最後かもしれない。とびっきりの、美味しいものをいれないとと、意気込んでいた。
 ルシファーはいつものカウンター席の端を陣取っていた。その席から見ることのできる、サンダルフォンの横顔が、一番に美しいと知っていたのだ。もちろん、誰に言う訳でもないがどの角度から見てもサンダルフォンを美しいと思っている。
 ここ数日のあわただしさがどっと、疲れとして現れる。サンダルフォンの言う婚約者を名乗る不審な女は、以前、会食で紹介をされた取引先の秘書のようだった。付き合った過去は一切ないが、どうやらアプローチを掛けられていたらしい。気づきもせず、サンダルフォンに夢中であった。然るべき機関に訴え、取引先にも連絡をいれた。そして、見つめる横顔の美しさを焼け付けながら、ルシファーはスーツの内ポケットの小箱の感触を思い出す。言っても理解しないなら、手段を選ぶ理由はない。
 給料三カ月分で理解されないなら、ルシファーの一生を掛けて理解させるだけのことだった。

Title:誰花
2021/08/11
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