ピリオド

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 孵化から硬化を経た「それ」にルシフェルは戸惑いを覚えた。ルシフェルが初めて一人で作り出したこの世でただ一人は、どうしようもなく、無機質だった。製造過程において、間違ってしまったのかとルシフェルは確認をするも特別なことはなにもしていない。事故も起きていない。
 本来の天司であるならば、あり得ることではない。
──この子はいったい、どうしたのだろうか。
 ルシフェルが触れれば、温もりは確かにあった。
 とても、ルシフェルの手に負えるものではないと淋しい脳が判断をすれば、冷徹な思考回路は研究所所長にして天司に関するあらゆる権限を得ている友の判断を仰ぐという決断に至った。
 ルシフェルからの報告を受けたルシファーは、怪訝に眉を寄せた。
 考え込む。
「思考や感情に制御を掛けたわけではないんだな?」
「ああ、それは間違いない。制御に関する議論は始まってもいなかったものだ。……彼に関しては現在において確認しうる限りの至上の素材を注いでいる。孵化に関しても私が立ち合っているから、異常があれば察している」
 そもそも、ルシフェルが立ち合っている時点で異常も事故も起こり得ないのだ。
 ルシフェルの言葉に、ルシファーは怪訝に、考えこんだ。手元の資料を確認する。数値に関する異常はない。元素の分量、そして容量。ともに基準を大きく上回っている。それに関しては使用した素材の効果も大きいだろう。
──よりにもよって誤魔化しが効かん素材を……。
 溜息を押し殺す。
 なんせ同じ素材量で量産型の天司が何体作れたというのか。その素材をすべてまるっとたった一体に注ぎ込んだのだ。この程度の数値を実証してくれなくてはやっていられない。何より、面倒なのはこの素材をどこにやったのか最高評議会にとやかくと突っ込まれることだ。ここはまあ、実験に失敗しただとか適当に誤魔化すしかない。幸いにも口が達者な副官がいるのだ。それに内通者の男もいる。しかし、今取り上げるべき問題ではない。
「……俺が検査をする」
 そうか。と首肯したルシフェルの声音には安堵の色が乗っていた。
 天司長としての役割のため、研究所に留まることが出来ないルシフェルは名残惜しそうにしながら、去っていった。精神構造上、天司長としての役割を優先し、個よりも大勢を優先する。そのルシフェルが天司長としての役割と、役割も知らされていないどころか処分されかねない状態の天司を天秤にかけた。ルシフェル自らの手で造り出したとはいえ、それほどまでに愛着を持つことになるとはルシファーにとって予想外であった。その傾向が良いものであるとは、ルシファーには思えない。かといって、悪いものでもない。
 喉に小骨が引っ掛かったような呑み込めない不快感が居座る。
 ルシファー名義で使用されている実験室の奥に、それは待機命令をされたままに存在していた。確かにと、ルシファーは違和を覚える。気配に関しては天司だと自信をもっていえる。
「サンダルフォン、だったか」
 ルシフェルが名付けた個体名を口にする。サンダルフォンは顔をあげた。改めて検分をする。天司にしては、地味な外見だ。煌びやかな色彩でもなければ目を引く出で立ちでもない。男性型ではあるものの、筋骨隆々でもなければルシフェルと同等の体格でもない。むしろ、男性型にしては見すぼらしく、ルシファーには映った。なぜこの外見にしたのかと考えるも、天司に関して外見のアドバンテージは皆無に等しい。ただ、ルシフェルが同じものを作らなかったことに落胆をしている自分がいるのだと冷静に脳内完結をする。首に触れる。肌の温度がある。そのお陰でかろうじて、生命体であることを確認する。温度がなければ、精巧な人形のように思えた。
 触れてから、サンダルフォンがなんの反応を示さないことに考え込む。
 それは冷酷なまでに、サンダルフォンの用途についてだった。
 正直なところ、勿体ないと思っている。それは研究者として、都合が良いと得た研究所所長としての立場であった。感情や思考が基準に至っていない、確認されていないということはある意味では都合がよい。使い捨てにもしやすい。最高評議会の監視が厳しくなり、同等のスペックとなる天司を新たに作りだすことは困難だ。もしくは逆に、感情や思考が制御されている状態と偽ったうえで、これを自滅させる──否。それはだめだ。それでは既存の天司に関しても最高評議会にとって有利になる。ほらみろ、やはりなんて鬼の首を取ったかのように揚げ足をとってくる姿が目に浮かぶ。何よりもルシファーにとって不安要素なのは、これがルシフェルの、最高傑作のアキレス腱ならまだしも、逆鱗になりかねないということだ。名残惜しむ姿が未だ引っ掛かる。
 思考を巡らせるも、ぐるぐるとさ迷う。快刀乱麻にサンダルフォンという爆弾の使い道を導きだすことが出来ず、ルシファーはくぐもったうめき声をあげる。天才と持て囃されそれまでなんだって自力で解決してきた自分が、どうしてこれほどまでに悩む必要があるのか、理不尽にも思えた。
 サンダルフォンは依然、ぼんやりとした様子で、本能的に不快であるはずの首に触れられても目に触れられても反応を示さない。
「……ああ──面倒だ」
 やはり、ルシファーがサンダルフォンの反応を確認することはない。──サンダルフォンはほっと、安堵をしていた。夢なのかと思った。でなければ性質の悪い星晶獣の悪戯である。ありえないことなのだ。──ルシフェルさまが天司長として存在するなんてことは! 冒涜だ。あの御方の言葉を踏みにじる。裏切りだ。あの御方との約束を破ってしまう。それでもルシフェルという存在を否定できずにいた。サンダルフォンをサンダルフォンたらしめるルシフェルへの敬慕は日々積もり積もって重なってサンダルフォン自身も、どうしたらよいのか分からない大きすぎる感情へとなっていた。気づいたときには、そのどうしようもない感情故なのかあるいはサンダルフォンの経験則による咄嗟の判断なのか、感情や思考が成熟していないとみなされた次第であった。それはサンダルフォンにとって嬉しい誤算となった。
 本来ならばルシフェルにすべてを打ち明けるべきなのだ。けれど厄介なほどに膨れ上がった敬慕はサンダルフォンから感情と思考を奪った。サンダルフォンはルシフェルを前にすると、すべてが消え失せるのだ。当初こそ、この状態に大いに悩んだ。けれど、ふと思ったのだ。このまま俺が廃棄されたらあるいは──。
 たとえ世界が許さなくても、ルシフェルは許す。あの人は、許してしまう。痛みも苦しみも、すべてを呑みこんでしまう。サンダルフォンがダメだと言っても、困った顔をするだけなのだ。サンダルフォンは嫌だった。あの人には笑ってほしかった。それだけだ。サンダルフォンの世界なのだ。あの人がいてこそ、完成される。
 そもそもの原因がサンダルフォンなのだ。
 それは痛い程に苦しい程に理解をしている。
 その自分がいなければ、あるいは、終わりはもっと良いものではなかったのか。
 考えてしまうと、サンダルフォンの後ろ向きに前向きに突っ走る脳内はシフトチェンジしてしまう。自分がいない未来はきっと明るい。確かに、団長との旅は悪いものばかりではなかった。だけど世界にあの人はいなかった。だったら、もしかしたらこれは悪い夢ではないのかもしれない。
 こうして、サンダルフォンは思考と感情をコアの奥底にしまい込んで夢心地に世界を傍観する。自分が処分されるいつかを夢見て、きっとルシフェルさまが天司長であるならば世界は苦しまずに、ルシファーの終末計画を挫くのだろうと無責任に勘違いをして、眠りに就くのだ。
 けれどサンダルフォンの期待とは裏腹にこの世界は行きどまりとなる。ルシファーがサンダルフォンを処分したところで、個よりも集団を尊重し、天司長としての役割を優先するルシフェルは違和を感じながらも判断を正しいと認識をする。そして、ルシフェルがこの世界を守る理由は永遠に失われ、星の民が空の世界を捨て去ると同時に天司もまた世界から立ち去る。そして、空の世界を狙う侵略者たちは全てを奪い去っていくのだ。その後に空の世界が文明を取り戻したとして、サンダルフォンが生きていたような時代を迎えることはない。空の世界の未来は閉ざされる。空の世界に対抗する力なんて残されていないのだから、危機に立ち向かうことは、出来ないのだ。そんな世界を想像することもなく、サンダルフォンはきっとこの世界は救われたとひとり満足に、きっと善い選択をしたのだと、ほんの少しでもルシフェルと触れ合えて幸せだったじゃないかと淋しいと嘆く心に言い聞かせた。
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