ピリオド

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 肌寒さに、サンダルフォンは目を覚ました。と同時に隣の気配に息を押し殺す。目覚めたばかりで目は暗闇に慣れていない。だというのに輪郭がくっきりと浮かび上がるほどに認識できる近さであった。驚きはない。ただ、いつ、記憶を失ったのか。毎度のことながら、慣れずにいる。対して、体のあちこちについていた噛み後や腰回りにくっきりと残っていた手の輪郭を消すことには慣れた。内部や、下腹部を伝っている名残も消し去る。
 隣で眠っている部屋の主を見る。目元の隈が気になるところだが、ぐっすりと眠っているように思った。サンダルフォンはそろりと寝台を這い出るとそそくさと部屋を立ち去る。──寝台に残されたルシファーは、小さな舌打ちを零した。広い寝台の上でごろりと寝返りを打つ。僅かに、サンダルフォンの温度が残っていた。
 何も知らないまま、簡素な服を構成したサンダルフォンは私室へと戻る。
 しんと静まり返った廊下は不気味に思うが、誰かとすれ違ったところでサンダルフォンは勝手にきまずくなるから、有難くもあった。
 この行為に意味はない。生殖機能を持たないサンダルフォンは何かを宿すことはない。残すことは出来ない。そもそも種族が異なる上に、同性間での行為だ。それらを踏まえて「都合が良いんだろうけど」とサンダルフォンは結論づけている。
 一人の部屋は落ち着く。
 水の元素を利用して喉を潤わせた。お陰様でひりひりとしていた痛みもなく、がらがら声から普段の声に戻った。サンダルフォンは数度、うん、と咳き込むように喉の調子を整える。腫れぼったい目元も冷やして、落ち着いた。それでなくても、天司としての機能に問題はない。朝がくるまでには万全の状態となっている。
──それにしても、頻度が多い。
 多い、と思うのだが一般なのか。それすらサンダルフォンには知りようがない。かといって、サンダルフォンにルシファーに逆らう、物申す度胸は無くても内心では辟易としてしまう。
 行為に対して嫌悪はないが、好ましくも思っていない。小耳に挟んだような、上手いだとか下手だとかもルシファーが初めてなのだから、較べようもない。ただ体を明け渡しているだけだ。
 初めての日のことをはうろ覚えである。ルシファーのスイッチが入る瞬間は未だに分からない。抵抗することも出来ず、サンダルフォンは戸惑って、それ以来、続いている。
「……愛玩と変わらないな、これじゃ」
 ルシフェルのもとで役割を果たすことなく、ただ中庭で待ちぼうける日々と、どちらが良い選択であったのか。サンダルフォンには分からず、自嘲を浮かべた。
 それでもサンダルフォンは、ルシファーとの関係に、回数を除けば、不満はなかった。触れられること……肌を重ねることも、サンダルフォンにとっては些細なことだった。重要な行為ではない。ルシフェルの、天司長の役に立つことが出来ないならば、役割がないならば、せめて誰かに、必要とされたいと、それは天司として作られた故の本能なのか、ないがしろに欺き続けられた故の劣等感からなのか分からない渇望だけだった。だから、サンダルフォンにとって無意味な行為であってもそれで、ルシファーが満足をするのならば、誰かの役に立てるならば、そこに、サンダルフォンの感情は不要なのだ。それでいい。本来ならばきっと、サンダルフォンであることにも意味はないのだと、理解している。都合が良い。いつだって廃棄が出来る。だから、選ばれたにすぎない。
 選ばれたなんて聞こえはいいが、ただの消去法だ。己惚れてはいない。自分の立場を理解している。愛玩にも至らず廃棄にも至らない。脅威にもならない。出来損ないの不用品。
 夜が明けていくのを、サンダルフォンは静かに見ていた。
 体を重ねた日の次は、何もない。ルシファーから何も命じられていないから、部屋を出るわけにもいかない。サンダルフォンは窓によると、ぼんやりと昇る朝日を見つめた。
 独りは慣れている。
 ルシファーの側は、心地よい。気は休まらないし、肉体にも負荷はある。それでも──妙な期待を抱かないで済むことはサンダルフォンに安堵を与えるには、十分だった。
 期待をしないから、裏切られないですむ。期待をしないから、一喜一憂をすることなく平穏でいられる。
 あとは、最期を迎えるだけだ。
 ルシファーに飽きられるまでだから、そう遠くはない。サンダルフォンは今度こそ終わりなのだろうと覚悟をしている。それから数日も経たず、肌を重ねた。痛くも、苦しくもない。頭の中がかき乱される。そして、矢張り意識が飛ぶ。寧ろ、とんだ方が使いやすいのだろうかと今更になってサンダルフォンは滲んだ視界で考えた。次は最初から意識を飛ばした方が、互いにとっても、便利なのかもしれない。サンダルフォンは目を覚ますなり思いついて、名案かもしれないなと内心で、ひとりごちた。
「おきたのか」
 少し掠れた声は一瞬誰のものかと思った。
「起こしてしまって申し訳ありません」
 慌てて謝罪を口にするも、その声はとてもではないが聞き苦しい、掠れたものだった。しまったとサンダルフォンは真っ先に思った。同時に咳き込む。早く抑え込まなければと思うほどに喉はひりついて、入り込んだ酸素すら過敏に感じてしまう。慌てて水の膜を喉に張りつける。違和感はあるが、応急処置であるのだから仕方がない。
「起こしてしまって申し訳ありません」
「……起きていた」
「そう、ですか」
 何を言えば良いのか、分からずにサンダルフォンは首肯した。なら益々、自分がいては休まらないのだろう。
「申し訳ありません、すぐに出ていきます」言いながら体を起こして寝台を出ようと慌てる。暗に、邪魔だ出ていけと言われたのだと認識をしていた。不興を買うことは本意ではない。けれど、手首をつかまれてままならない。
「なぜ?」
 サンダルフォンは戸惑う。なぜ、も何も役目を果たしたのだ。その戸惑いと困惑だけで、ルシファーには何を考えているのか、手に取るように分かってしまった。
「アレも情緒が育ったのは最近のことだったが、お前も相当だな。寧ろお前のほうが相当か」
「アレ……?」
 何のことを言っているのか、誰と比べているのか分からずサンダルフォンは困惑を浮かべる。呆れながらルシファーは上体を起こす。気怠そうにして、横目でサンダルフォンを見詰めた。その瞳は、冷淡でも冷酷でもない色をやどしていた。嫌な予感を覚える。逃げなければと、本能が訴えかける。だというのに、足は竦んでいた。手首をつかまれているからだけではない。体はサンダルフォンの意に反して、動かない。
「俺は無駄が嫌いだ」
 知っている。だから、役割を果たさないサンダルフォンは嫌われている。そんな当たり前のことをどうして今更に口にするのか。
「俺がお前を抱くのは」
 いやだと、聞きたくないとサンダルフォンは耳をふさごうとした。けれど、ルシファーが許さない。とびきりに残酷な優しい声が耳朶に触れる。
「お前が愛しいからだ」
 サンダルフォンの喉が、引き攣る。
「愛しいから、触れる。それだけだ。消去法でもなんでもない。サンダルフォン、お前だからだ」
「どうして、なんで」
 絶望を浮かべるサンダルフォンを、ルシファーは優しい顔で、慈しむようにするりと、冷たい頬を撫でた。混乱して、サンダルフォンの喉に張り付いていた水は制御を失い、口の端を滴り落ちる。
 ルシファーの指先が冷たい水を拭った。

Title:エナメル
2021/07/31
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