ピリオド

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 季節外れの雨の日が続く。そうなると、サンダルフォンは少しだけ気分が良くなる。自分でもどうかと思ってしまう性根の悪さは、敬愛してやまない先輩には知られたくないものだ。嫌われたくないと猫被りに愛想よく振る舞っておきながら、今更なことじゃないかと呆れる性根の悪さはどうしようもない。だからこそ、この付き合いは長いのかもしれない。
 天気予報をBGMにしながら、鼻歌混じりに腕まくりをすると、小さな台所に立つ。玄関から続く廊下に取り付けられている台所は、一人暮らしなのだから、当然に狭く、使い慣れたとはいえ、欲を言えばもう少し場所が欲しいものだった。部屋選びをしていた当時は、こんなに料理をするとは思っていなかったのだから、仕方ないことだと言い聞かせながらサンダルフォンは引っ越しを検討している。家賃が安いとはいえ、駅から少し遠い。懐事情にもゆとりが出来たことだし、とつらつら考えながらも手は動いたままである。
 不味いも美味いも、何も言わないものの好き嫌いはあるようだと、観察をして気づいた。魚よりも肉を好み、酸味は苦手だ。濃いめの味付けだと、量を食べる。とはいえ、状態を考えればさっぱりとした味付けになってしまう。そもそも何が食べたいだとかのリクエストはきいていないし、来る、とも聞いていないのだからどうして自分はあれこれ考えているのかと、そもそも来ることを前提にしている自分に気づくと、サンダルフォンは気恥ずかしいような気まずいような感情が湧き出て、わっと叫びたくなるのを誤魔化すみたいに包丁に力をこめて、乱暴に野菜を切っていく。
 天気予報が終わるとバラエティーに切り替わった。その頃になるとサンダルフォンは平常心であったから、最近このタレントがよく出ているなと声を聞きながら思っていた。世間離れをして天然気味らしいタレントは演技をしている時とは別人のようだった。
「似ているな」となんとなく言えば嫌そうな顔をされたことを思い出す。サンダルフォンは別にそのタレントが特別好きではないが、老若男女問わず人気があるのにと不思議に思ったものだ。
 聞き慣れないアラーム音にびくりとして、テレビ画面を見ればテロップが表示される。どうやら雨の勢いが増しているらしい。サンダルフォンは少しだけ、なんだか心配になってしまって、携帯を手に取る。当然ながら連絡を期待しているわけではない。ただ、電車の状況が気になるだけだ。明日の通勤のこともあるしと、サンダルフォンはニュースアプリを開いた。
 どうやら一部区間では運転取りやめとなっているらしい。別に自分が通勤で使っている路線ではない。たまたま目についたものだ。それにアイツがこの路線を使っているとは限らない。なんなら、家に帰ればいい。
 サンダルフォンは、彼の家が自分の家よりも勤め先である研究所に近いということを知っている。何度か訪ねたこともあるし、家の中に入ったこともある。卑屈でもなくただの疑問として、どうして自分の家に出入りするのか分からないほどに広くて立派な部屋であった。生活感は全くなかったけれども。その代わりのように、サンダルフォンの家だというのに、自分以外の生活品が増えていくことにサンダルフォンはもう何も言わなくなった。なんなら、自分宛てではない宅配便が届いても疑問に思わないで受け取る。それくらいに慣れてしまっている。
 友人、という程きさくな関係でもない。かといって知り合いという程味気の無いものではない。名前の付けられない奇妙な関係は彼是数年の付き合いになる。
 カンカンカンとアパートの階段を上る音にサンダルフォンは、まさかなと思う。こんな雨なのだから自宅に帰るだろうと思う反面、だけどアイツだからなと根拠のない曖昧な無意味な信頼があった。
 カチャリと開錠される。
──ああ、やっぱり! サンダルフォンは嬉しいような残念なような、混ぜこぜの感情を押し殺した。
 滅多にない残業で日付がぎりぎりなってどうにか帰るなり、玄関前でこくこくと舟をこぐ男の姿に肝が冷えた。何時からいたのか、と聞いても応えない。
「遅かったな」と嫌味混じりに言われても、青白い顔なものだから、サンダルフォンは別に悪いことをしていないというのに申し訳ない気持ちになった。以来、合鍵を渡している。渡すことに抵抗はなかった。寧ろ、男が奇妙な、どうやら驚いている様子であった表情を見ることが出来たのでサンダルフォンは満足した。
 生憎と合鍵が使われることは滅多にない。
 サンダルフォンの残業は本当に滅多にないことで、当然のことであるのだが、家につく時間も早い。基本的にはホワイトな会社である。寧ろ男の職場環境の方が、労基に突っ込まれるのではないかと勝手にサンダルフォンが心配するほどに真っ黒であった。その職場のトップが当人であるのだから、サンダルフォンはしみじみと上司がこの男でなくて良かったと他人事として思うのだ。
 サンダルフォンは風呂場からタオルを持って、律儀に──以前、濡れたまま入ろうとしたのをとめてからは──待っている男に渡した。すっかり濡れネズミである。ぽたぽたと髪の先から雫が滴り落ちている。鞄の中身はきっと濡れても問題のないものなのだろうけれど、それでも酷い有様であった。
 ちょっとだけ、可哀想に思ってしまうほどだ。
「雨、すごいんじゃないのか」
「天気予報をみてないのか」
「こんな雨なんだから、家に帰ればいいのに」
 馬鹿にするみたいに言われるものだから、サンダルフォンも言い返してしまう。負けず嫌いで意地っ張りな性質は、幼い頃からサンダルフォンの後悔の原因となっていた。その性質は成長とともに形を潜めて、社会人になったとともにすっかり消え失せたように思っていた。だというのに、男に対してだけはどうにも、我慢ならずにひょっこりと顔をのぞかせる。
 売り言葉に買い言葉。カーン、とゴングが鳴る。こともなく、男がやれやれと、呆れたみたいにして息を吐き出した。それで、おしまいである。
 男は雨の日になると途端に弱くなる。弱さを見せまいと振舞っているくせに、分かりやすく弱くなる。体調が悪いのか気分が悪いのか、気圧の影響なのかと色々と勝手に調べているものの、男は症状を口にするわけでもないから、サンダルフォンには原因は分からない。
 男自身、どうこうしようとするつもりは見られなかった。
 サンダルフォンはその姿を分かっていながら、口を滑らせて意地悪を言ってしまったという負い目が生まれた。後悔だ。いつだって、後悔ばかりを繰り返す。だから、この生来の気質がいやでいやで、たまらない。
「先に風呂に入ってこい」
 びしょびしょの男のために作ったタオルの道は、役目をはたしてすっかりびしょびしょである。風呂場からはシャワーの音が聞こえる。サンダルフォンは洗濯機を回す。ごうんごうんと鈍い音をする洗濯機はそろそろ買い替え時かもしれない。
 やっぱり引っ越そうと決めた。
 もう少し駅近くが良い。勿論、台所は広くトイレと風呂はセパレートだ。
 それから、どうせなら家具も買い換えたい。
 洗濯機はもうすこし大きめにする。ついでに冷蔵庫と、それから……と考える。勿論、半分はこの男にも出させるのだと、サンダルフォンはびしょぬれの鞄をタオルで拭き取りながら決意していた。
 雨は、すっかり、やんでいた。

Title:天文学
2021/07/29
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