ピリオド

  • since 12/06/19
 生殖行為を必要としないとはいえ、好き合っているのだから、触れたいと思っても仕方ないことだ。と、サンダルフォンは誰にいう訳でもないというのに言い訳をする。有難い、と言えばよいのか分からないが嬉しいことに、サンダルフォンにとって唯一の、愛を捧げる存在もまた、サンダルフォンに触れたいと、そして、触れてくれたのだ。二千年以上を掛けて想いが通じ合って、さらに長くの時間が掛かった。サンダルフォンは騎空艇を降りて、小さな喫茶店を経営している。災厄の邪神と呼ばれる姿はどこにもない、穏やかな店主として、小さな島に馴染んでいた。それだけの月日が経って、やっと、触れ合えるようになったのだ。ただ、触れるだけであったことが問題であるのだが。

 夢心地で幸福であるべきはずのシチュエーションは、呆気なく双方にとっても地獄のような悪夢として終わった。

 ルシフェルの申し訳なさそうな顔ったら、創造主であるルシファーが存在したならば卒倒するようなものである。
 サンダルフォンの絶望した顔ったら、狡知が見ていたならば嬉々として「ねえどんな気分?」なんてウザがらみするものであった。

 悪夢が明けた朝は、いやになるくらいに清々しいものだった。サンダルフォンは、どういう顔をしたらよいのか分からずに、なるだけ、いつも通りに振舞う。いつも通りに、珈琲を淹れていれば、昨日と、そして一昨日、その前から変わらぬ頃合いに、気配を感じて振り向き、声を掛ける。
「おはようございます、ルシフェル様」
 ルシフェルもまた、ぎこちなさはあるものの、同じく、いつも通りに振舞う。穏やかな笑みで隠された戸惑いを、サンダルフォンは見て見ぬふりをした。
「おはよう、サンダルフォン。明日は私が淹れるよ」
 ぎこちなさと気まずさは残るものの、二人は、穏やかに振舞っていた。傷ついていないです、なんて明言をすることはないが、そのように、言外に語り掛けていた。
 時が経てば、二人のぎこちなさは無くなり、仲睦まじい姿に戻っていた。

 小さな島の夜は長い。店を閉めてから、明日の準備や売り上げの確認をしてからサンダルフォンはふと詰めていた息を吐き出した。
(何カ月、経ったかな)
 季節が巡るだけの時間を経た。それから、触れあうことはなかった。サンダルフォンが勇気を出して声を掛けようとしても、察したかのように避けられる。
「ルシフェル様、」
「おやすみ、サンダルフォン」
「、はい。おやすみなさい」
 嫌わているわけではないのだと、傲慢ではなく、信頼として、自覚をしている。大切にされているのだと、理解をしている。とはいえ、とサンダルフォンは項垂れる。肉体の再生機能は他の天司よりも優れていると自負している。だから、多少の損傷程度、問題はない。どうしてあの時、なんて悔やんだところで無意味である。サンダルフォンはいつだって後悔を繰り返してばかりであった。それもいつだって、後悔するのはルシフェルにとってのことだった。
 最近になると、自分は性行為を目的としているのではないかと不安になる。性行為、を実践したことはない。そのような機会がなかったわけでもないが、自暴自棄になっていたとはいえ、天司であるのに不要な行為だと、ナンセンスだと切り捨ててきた。それがいけなかったのだろうか。サンダルフォンは憂鬱に、過去の自分を恨めしく、溜息を吐き出した。
「どうかしたのかい?」
「あ、いえ……そうですね、そろそろ期間限定のメニューを作ろうかと考えていたんです」咄嗟に、嘘ではないとはいえ、考えていた内容ではないことが口に出ていた。
「もうそんな時期か。早いな」
「そうですね。ついこのあいだ、考えたばかりなのに」
 ついこのあいだ、といってサンダルフォンはひやりとしたものを感じた。丁度、その時期であったのだ。ルシフェルは何も言わないでいる。サンダルフォンは、自分ばかりが気に掛けているみたいになって、自分がひどく、ふしだらに思えて、消え入りたくなった。
 季節的にも、と真剣な様子でそれでも楽しそうにアイディアを出すルシフェルの言葉が遠くに聞こえた。

 必要のない行為だ。言い聞かせる。お互いに傷つくだけの行為ならば殊更に、不要だ。納得をさせる。あの御方は、望んでいない。だから、あれ以来、触れてこない。そんな行為がなくても、良いじゃないか。触れ合うだけが、すべてじゃない。自分たちは心が通じ合っているのだ。なんて、綺麗ごとをひたすらに並べても、サンダルフォンの心は納得もせず、言い聞かされてもくれやしない。

「そもそもなんでこんな欲があるんだ」
 どっふり夜も更けた深夜。サンダルフォンは悶々と考え込んでは夢現に落ちて引き戻されてを繰り返しているうちに、閃いたかのように、天啓でも降りて来たかのように辿り着いた。
 サンダルフォンは、未経験だ。ルシフェルと、なんて想像も全て思いが通じ合ってやっとするようになるほどに、性的な話題を忌避していた。興味もなかった。なんせ自分とは関係がないのだと思っていたのだ。だからこそ、なのかもしれない。自分はそういう行為に途方もない、憧れのようなものがあるのかもしれない。ルシフェル様と、と考えているが本当は違うのではないか。そんなことを、つらつらと、考えてしまう。自覚のない、思い込みと勘違いと空回りという三重苦の悪癖がサンダルフォンを追い立てる。
(こういうのは、一度、体験するべきか)
 幸いにも、というべきか日付は変わって今日は店が休みだ。ルシフェルと出かける用事や約束もない。善は急げというし、思い立ったが吉日ともいう。サンダルフォンは胸のつっかえが取れたかのように晴れやかな気持ちで、眠りに就いた。

 すっきりと目を覚ます。眠る間際の閃きは、残ったままだった。夢現になんてことを考えていたんだ、なんて羞恥どころか、サンダルフォンはその閃きに妙な自信を抱いていた。

 澄んだ青空は絶好のお出かけ日和である。

 小さな島には娼館なんてものはない。それどころか島民の殆どが顔見知りである。知識のないサンダルフォンでも、肉体関係を持ってその後の気まずさは理解をしている。身支度を整えながら、さて、どこが都合が良いかと考えていると、こんこんと扉が叩かれた。
「起きているかい? サンダルフォン」
 休みとはいえ、中々顔を見せないサンダルフォンを心配したのだろうルシフェルが声を掛ける。サンダルフォンはそんなに時間が経っていたのかと驚いてしまった。確かに、窓越しの太陽は起きたときよりも高く昇っている。サンダルフォンは心配を掛けてしまったことを申し訳なく、同時に、心配を嬉しく思う自分に呆れながら、扉を開けた。

 サンダルフォンの姿を確認すると、ルシフェルはほっと安堵をする。それから、よそ行きに身支度を整えているサンダルフォンに、「出かけるのかい?」と不思議そうに声を掛けた。
 サンダルフォンは、あまり、自主的に出かけることはない。仕入れや買い出しで必要に駆られることを除けば、家にこもりがちだった。それはサンダルフォンの育った軟禁紛いの環境が要因でもあったし、あるいは、ルシフェルのいる場所こそがサンダルフォンの存在すべき場所であるという無自覚な刷り込みでもある。閑話休題。
 問われたサンダルフォンは、どのように説明をすれば良いのだろうかと考えてから、ああこれは裏切りになってしまうのだとようやっと、自分の閃きが、過ちであると気づかされる。
「天気がいいからね。私も良いだろうか」
 早まらずにいて、良かったと伺い立てるルシフェルを前にして、断るわけなんてないのにと思いながら、サンダルフォンは是非、と笑みを浮かべてこたえた。

 ルシフェルと二人で歩く。並び立って歩く、なんてとても、考えられなかったなと今でも現実なのか、それとも夢なのか、曖昧になるほどの幸福に浸る。
 からりとした天気の中、空気が澄んだような気持ちで、気分が良い。
 ちらと横を見れば、視線に気づいたようなルシフェルと目が合う。気恥ずかしさを隠すように笑みを浮かべて、視線を落とした。
 ルシフェルの手は無防備に揺れている。その手に触れたいと思って、サンダルフォンはそうか、と当たり前だったことを思い出した。好きだから、触れたいのだ。他の誰でもない。誰かじゃいやだ。この人だけ、ルシフェル様じゃないと、ダメだ。
 サンダルフォンは手をのばす。
 ルシフェルの手はびくりと震えた。けれども、振り払われはしなかった。掌を重ねれば、指が絡められる。視線をあげてみれば、その横顔は、強張っていた。
 暖かな温度を分かち合う。だけど──物足りない。サンダルフォンは自分の欲深さに呆れる。いつから、なんてわかりきっている。何時からも何も、最初からだった。サンダルフォンはルシフェルを求めてきたのだ。

「ルシフェル様」
 呼びかけた声は、サンダルフォン自身でも驚くほどに穏やかなものだった。どうしたいだいと応じたルシフェルの声もまた、穏やかだった。
「もういちど、やり直しましょう」
 何を、とは言わなかった。それでも通じた。ルシフェルは無言だった。それは、何よりの拒絶を示していた。それでも、サンダルフォンは諦めなかった。諦めるほどができるなら、悩みはしない。諦めることが出来たら、求めることもなくなる。
「ぐちゃぐちゃにされても、痛くても、俺は、ルシフェル様が欲しいんです」
「君を傷付けたくない」
「それでも、俺は、あなたになら、あなただったら、」
「サンダルフォン、困らせないでくれ」
 傷ついた顔をするサンダルフォンを見詰めて、ルシフェルは辛そうに、自嘲気味に言った。
「抑えが、効かなくなる」
 ぎゅっと、絡められた指に力が込められた。その僅かな痛みすら、サンダルフォンは愛しくてたまらなくなる。
「良いです、ルシフェル様になら酷いことをされても、傷付けられても、俺は嬉しい」
「……どこでそんなことを覚えたんだい」
 呆れられてしまっただろうか、幻滅されてしまっただろうか。サンダルフォンは口にしておきながら、心配と不安でいっぱいになる。おずおずと、様子を見る。ルシフェルは仕方なさそうに、全くと言わんばかりの顔であった。その顔は、どういう意味なのか。──問いかけるのは、野暮なのだろう。
「帰ろう、サンダルフォン」
「え、でも」
「待ってと言われても、止めないよ」
 ルシフェルの手は強くて、そして言葉通りにサンダルフォンの制止も聞かない。さんさんと陽射しが降り注ぐ中、慌ただしく流れ込んだ部屋の中でした口づけは、今までになく、理性どころか、情緒の欠片もない、幸福の味がした。

Title:天文学
2021/07/07
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