ピリオド

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 夜闇をゆったりと航行する騎空艇の一室で、サンダルフォンは孤独を突き付けらる。決して孤独ではない。騎空艇が航行しているということは、操舵士が起きていることだ。それに隣の部屋にも団員がいる。万が一に備えて、警戒のため夜通しで起きている団員もいる。だというのに、宵闇がしんと世界を覆い隠してしまったかのように、気配が感じられない。
 
 押し寄せてくる孤独に、サンダルフォンは縋るように記憶を引っ張り出す。
 
 自業自得とはいえ、サンダルフォンの歩んできた歳月は絶望と憎悪、逆恨み、そして後悔が占めている。生きている歳月に比べれば、サンダルフォンにとっての幸福の記憶は僅かなものだ。けれど、幸福の記憶は美しく彩られている。
 
 今か今かと、帰還を待つ期待と、不安、それから緊張感をサンダルフォンは今でも覚えている。あの御方は美味しいと言ってくださるだろうかと不安を覚えながらも、何度も何度も練習を繰り返した珈琲の淹れ方は今ではすっかり、慣れて、団員たちから好評であるし、サンダルフォン自身でも少しだけ得意と言えるだけの技術となっている。
 
「戻ったよ、サンダルフォン」その言葉にサンダルフォンはいつだって言葉に出来ないくらいの喜びが胸の中に浮かんだ。伝えきれないくらいの感激にまごついた。どうにか声を振り絞って「おかえりなさい、ルシフェル様」と口にすれば、ルシフェルは穏やかな微笑を浮かべたのだ。
 
 ルシフェルを前にするとサンダルフォンは研究者を前にしたときとは異なる緊張を覚えた。失敗をしたくない、失望されたくない。そんな恐怖と不安にも似た緊張を上回る歓喜。
 
 その微笑を思い出すと、サンダルフォンは胸が温かくなって、孤独も忘れ、口元が綻ぶ。きっとあの方の微笑は自分にだけ、向けられたものなのだと、意地の悪い得意な気持ちを抱く。
 だって、彼の麾下ですら知らないと言っていたのだ。
 
 
 話題の切っ掛けは些細なことだった。団員であるルシオだ。四大天司ですら初見では「ルシフェル様!?」と思わず呼んでしまうほどにそっくりな男である。けれど、ルシオが浮かべる微笑や雰囲気は彼らが知るルシフェルには無いものだった。だから別人であると納得をしたのだ。そもそもルシフェル自体が創造主であるルシファーそっくりに作られていることは有名であったし一目瞭然であった。果たして自然物として同じものが生まれるのか、という確率については別として姿が似ているということについて、四大天司はあまり重要に思わないでいた。サンダルフォンとしては納得できない。なんせルシオの浮かべる笑みとルシフェルの浮かべる笑みが違う。そのことを口にした。
「それは本当に天司長、いや││ルシフェル様なのか?」
 ミカエルが怪訝そうに言った。
「あの御方が笑みを……確かに表情を和らげることはあったが、笑み、というものでは……」
 むっとした顔をするサンダルフォンに、すぐ傍で珈琲を口にしていたガブリエルが可笑しそうにくすくすと笑うから、サンダルフォンもミカエルも気が削がれてしまう。
「ごめんなさい、思い出し笑いよ。サンちゃんの言うルシフェル様の笑み││私、見たことがあるかもしれないわ」
「ほらみろ!!」
 どや! と言わんばかりのサンダルフォンをガブリエルは微笑ましそうに見つめて、ミカエルは呆れたように嘆息を零した。
「といっても遠目だったけれど。……なんだか嬉しそうに中庭の方へ向かっていたの。中庭は立入禁止区域って通達されたばかりだったからよく覚えているわ。きっとサンちゃんに会うのが楽しみで笑っていたのね」
「確かにあの御方はよく研究所に居られたな。研究や立場のために寄っていたのかと思っていたが……そういうことか」
 ふむと合点がいったようなミカエルに対して、ガブリエルは総てお見通しと言わんばかりに目を丸くするサンダルフォンを見て笑みを深くした。
 
 サンダルフォンは思わぬカウンターを喰らって、呆然とした。
 
「ルシフェル様に直接報告するなら、まず研究所だったなぁ。そういえば」とウリエルは懐かしむように言った。ラファエルも同意するように首肯する。
 それがどうかしたのかと問われたサンダルフォンは気になっただけだと曖昧な表情で言った。ウリエルはふうんと興味なさそうであったが、何かを察したようなラファエルの視線が生暖かく、サンダルフォンは居た堪れなくなった。
 
「そうね、私たちはよく中庭から出て来られるのを待っていたわ」
「中庭は原則として立入禁止だし、流石に天司長様にはお見通しだからね」
 指教の天司はそれがどうかしたの? と首を傾げる。
 サンダルフォンはいや、なんでもないというしか出来ない。
 
 
 彼らの言葉を鼻で笑うには、根拠が薄い。寧ろ、サンダルフォンはだんだんともしやと思うようになっていたし、ガブリエルの推測は間違いでないような気、すらあった。思い上がり甚だしいかもしれない。烏滸がましいかもしれない。けれど、否定しようにも中庭にはサンダルフォンしかいないのだ。サンダルフォンのために立入禁止にした、中庭なのだ。
 
「サンダルフォンと過ごす時間が安らぎであった」と言っていたルシフェルを疑う気持ちはない。今際に、天司長ではなく、ルシフェルとして、願い、側に描いてくれた。それが、彼の真実なのだ。だから、サンダルフォンの中には純粋な、戸惑いしかない。
 
 研究所でサンダルフォンは軟禁に近しい扱いを受けていた。研究者や天司との接触も皆無で、与えられた部屋の中でぼんやりと過ごす毎日だった。その日々の中で気が狂わなかったのは、ルシフェルの来訪があったからだ。時間間隔は失われていた。だから、その感覚は一瞬のようにも思えたし随分と離れていたようにも思えた。今となっては確認する方法もない。けれど、来訪の度にサンダルフォンの心は生き返って、そして育っていったのだ。
 
 あの頻度はもしかしたら、とサンダルフォンは考えてしまう。研究所内において昼も夜も曖昧なほどに管理をされていたから分からないでいた。多忙な中、時間を割いてくださっていたとはいえ、ちらりと烏滸がましくも思ってしまった。
 
 
「ルシフェル様はもしかしたら、公正無私、ではないの、かも……」
 サンダルフォンは不敬だなと自分自身で思いながら、呟いてみた。だってサンダルフォンただ一人のために中庭を立入禁止にした。そのうえで、研究所にいるのが当たり前のような頻度で帰還をしていたという。確証はない。状況証拠と推測だけだ。サンダルフォンの願望も入っている。
 不敬な呟きは夜の静寂に溶けていく。中庭の思い出の果てには、後悔しかない。だけど、それでも、サンダルフォンは優しい笑みを記憶から呼び起こす。そして、記憶の再生であっても、あの御方と共にと願いながら瞼に描くのだ。
 いつか、あの御方に聞いてみようかな。そんなことを思いながら、サンダルフォンは心地よいまどろみに身を委ねた。

2021/04/28
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