ピリオド

  • since 12/06/19
 痛みから解放されて放心するサンダルフォンは、部屋に響き渡るおぎゃあという元気な産声にほっと安堵を覚える。ああ、良かったと安心をして、それから助産師に笑みを向けられる。「お母さん、元気な男の子ですよ!」そう言った助産師はサンダルフォンに向けて赤ん坊を見せようとする。サンダルフォンはちょっとだけ顔を動かして、それから安堵も安心も吹き飛んでしまう。
「ルシファー……」
「お名前、もう決めていたんですね」
「え、あー……はい」
 にこにことする助産師にサンダルフォンは曖昧に返事をする。その間ルシファーはすっかり泣き止んで、生まれたばかりでまだ首もすわってない赤ん坊らしからぬ態度でいた。
 ││あ、こいつ覚えているな。
 サンダルフォンはひくり、と頬を引きつらせてしまう。
 一連が今世においての母子関係となる、サンダルフォンとルシファーの出会いである。出会いから、五年が経つとそれなりの関係で落ち着いた。
 
 
 
 外はすっかり薄暗くなり、街灯が点いている。教室で図鑑を広げるルシファーに「お母さん遅いね」とにこやかに接してくる保育士は、どこか、特異点に似ている気がする。
 精神はすっかり成熟しているルシファーにとって、保育所でのなれ合いは心底に神経をすり減らす。理解不能な思考回路のガキ(自分の肉体と同い年であるというのに)を避けるうちに、やがて人見知りが激しく内気な子、と認識されているようだった。サンダルフォンは保育士から話を聞いて「……ルシファーが?」と訊き返したものである。
 保育士は「慣れない環境ですからね、お家でお話を聞いてくださいね」とフォローを入れた。
 とはいえ、問題を起こすことのないルシファーは保育士にとって手のかからない子どもとして、何より愛らしい容姿から人気である。何も知らないってすごいなとサンダルフォンは家ではかつてと変わらぬ尊大で傲慢な態度のルシファーと、保育士の話とのギャップに絶句した。
 
 サンダルフォンが迎えに姿を現すと、ルシファーは駆け寄る。お母さん大好きなんですね、と言った保育士にサンダルフォンは曖昧な顔をしてしまう。大好き、というよりも早く帰りたいだけなのだということをサンダルフォンは承知しているし、ルシファーもサンダルフォンのことを大好きというわけでもない。総ての事情を知っていることもあって取り繕う必要もないから楽な関係であると思うものの、それだけだ。
 
 家に帰るなり、ルシファーは黙々と取り寄せているサイエンス雑誌を読み始める。サンダルフォンには見慣れた光景であるものの五歳児が読むには渋すぎる。ちなみにサンダルフォンは中身を理解出来ないため、何がすごいのか分からない。
 
 野菜嫌いなルシファーにどうにか食べさせようと細かく切って混ぜ込んだハンバーグをもきゅもきゅと食べる姿は、まあ愛らしいなと思う。ルシファーだけど。サンダルフォンの視線にルシファーは鬱陶しそうな顔を向ける。口元にはソースが点いているから、あまり怖くはない。サンダルフォンはティッシュで拭ってやった。
 
 小さなアパートで二人で暮らしている。
 
 ルシファーは父親について訊ねることはないが、勘づいている。当然かもしれない。なんせ外見は以前と変わらない。母親であるサンダルフォンの遺伝子を感じさせない。なぜアイツは姿を見せないのか、とサンダルフォンに訊ねることはしない。大方、また面倒臭く、拗らせているのだろうと予想出来ていた。
 かつての最高傑作と、それからノイズと切り捨てたそれとの関係に呆れる。
 
 それでもなんだかんだで、ルシファーとサンダルフォンはそれなりに親子関係である。
 だからべつに、ルシファーも父親について今更欲しいとは思わずにいる。なので別に、今更姿を見せたかつての最高傑作に対して懐かしむ気持ちはない。
 
 
 相変わらずな日々の終わりは、唐突だった。
 
 
 サンダルフォンは手を繋いでいたルシファーの手を、思わずぎゅっと握りしめていた。汗ばみ、温度を無くした手が不快で、ルシファーはサンダルフォンを見上げた。顔色の悪い姿に今にも倒れそうだと思った。それから、サンダルフォンの視線の先に目をやる。そこには、かつての最高傑作がいた。
 母子二人で暮らす安アパートの部屋の前で佇む美丈夫は腕時計をちらちらと確認している。
 
 ││遠目からでも、分かってしまう。だってどうしようもなく焦がれて仕方なくて、身勝手に逃げ出してしまったのだ。だけど、分からない。なぜ、彼がそこにいるのか。自分を探して、なんて尚のことあり得ない。だってもう、天司じゃない。
 
「……どうして、」サンダルフォンは呆然と、小さく呟いた。隣のルシファーがかろうじて聞き取れるような小さな声だった。だというのに、遠いはずのルシフェルと視線が合ってしまう。
 
 ああ、そうだ。この子か。サンダルフォンは手を繋いだ先で、自分を見上げる子どもに気づくと泣き出しそうな顔で笑みを向けた。その顔が不愉快で、ルシファーはむっと眉を寄せた。
 
 すぐ傍に駆け寄ってきた彼は、サンダルフォンの姿にほっとした顔をむけてから傍らの小さな、かつて友であった男の姿を認めた。
 
 
 
 母子二人で暮らすにしてもやや狭いかという具合であった室内は、ルシフェルがいると更に狭く、そして重苦しく感じる。
 
 ルシフェルは物珍しい気持ちを抱きながら、部屋をちらちらと見てしまう。ルシフェルの知らない、サンダルフォンと、そしてルシファーの造りだした部屋に、物淋しい気持ちと、温かな気持ちが入り混じる。サンダルフォンはルシファーから登園用の鞄を受け取るといつものように「手洗いうがい」と声をかける。ルシファーは「わかってる」といってとてとてと洗面所へと向かった。その光景は、ルシフェルには遠いものだった。
 
「あの子は、」とルシフェルが声をかけるとサンダルフォンはびくりと震えた。その姿に、ルシフェルは淋しげに目を伏せて、気付かないふりをした。それが、サンダルフォンの求める姿なのだろうと、察していた。
 サンダルフォンは言葉を口にしようとして、だけど、喉元で引っ掛かって、まごついて、ただ俯くことしか出来ないでいた。
 
 途方もない罪悪感が身を包む。
 
「俺の子どもです」
「私の、でもあるだろう」
 
 サンダルフォンは違う、とは言えなかった。
 事実、ルシフェルとの間の子どもだ。
 ルシフェルがいながら、なんていう不誠実で不道徳な関係をサンダルフォンは持っていない。何より、ルシファーの外見はどうしたってルシフェルの生き写しであった。
 
 何も言わないでいるサンダルフォンにルシフェルは虚しさを覚えると同時に、存在を感じて、そして場違いだと理解していながら愛しさが募る。
 
 サンダルフォンが姿を消したとき、ルシフェルは荒れた。サンダルフォンの変化に気づけずにかつてと同じ、繰り返しであることに、成長していない自分に怒りを覚えた。サンダルフォンを探して、そして五年以上が経っていた。
 
 その間にサンダルフォンはどうやら、ルシフェルの身内によって追い出されたということと、ルシフェルには見知らぬ婚約者が仕立てられたことをしったから、ますますルシフェルは自分が赦せなくなる。サンダルフォンのことだから、立場だとか出自だとかを負い目に感じて身を引いたのだろうということは、ルシフェルにも理解できていた。それでも、気付けないでいた、姿を消すほどに追い込まれていることを知らないでいた自分が赦せずにいた。
 
 サンダルフォンの消息を知ると、何も考えずに、飛び出していた。仕事も何もかもを投げだしていたことを、ふとルシフェルは思い出した。携帯には職場からの連絡が入っているのだろうけれど、どうでも良いことだった。
 
 何を言えば良いのか、お互いに、分からないまま立ちつくす。
 
 洗面所から戻って来たルシファーは立ちっぱなしの二人を見上げて怪訝な表情を浮かべた。
 
「なぜ立ちっぱなしなんだ?」
「あ、あぁ……申し訳ありません。すぐにお茶を用意しますからかけていて下さい」
 
 ぱっと出てきた言葉にサンダルフォンの言動は魂に刻まれているのだなとルシファーは思った。そのサンダルフォンの言葉に何も言わないまま、ただ居心地悪そうに小さな座卓の前に座るルシフェルのまた、同じであるらしい。
 
 今や天司でもなく世界の命運をかけているわけでもないのだから、気ままに振舞えば良いというのに。
 ルシファーは珈琲を全く感じない珈琲牛乳を啜りながら、珈琲を優しい顔で口にするルシフェルと、その様子を見て微笑を浮かべるサンダルフォンに呆れてしまう。甘ったるい空間だ。むず痒いったらない。そういえば、こいつは父親なのかと思うと奇妙な感覚を覚える。
 
 それから呆れてしまう。
 なんだ、結局、そういうことだろうと散々にすれ違っているくせに、結局は二人して変わらずにいるのだから、馬鹿馬鹿しい。
 はやいところくっついてしまえと、口にせずとも思った。

Title:天文学
2021/02/27
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