ピリオド

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 青白い月が浮かび上がる。団員の多くは眠りにつき、艇内はしんと静まり返っていた。静寂に包まれる艇内であったが、唯一、白熱した一室があった。
「さあさあ、サンちゃん。どうぞ」と妙に意気込むルシオを前にして、サンダルフォンは眉間に皺をよせて口を引き結び、険しい顔であった。躊躇いながら口が小さく開かれるものの、ややあってから、矢張り、きゅっと結ばる。その様子にルシオが「頑張ってください、サンちゃん」と声援を送る。
 サンダルフォンはぎゅっと眉間に深く皺を刻んでから、ルシオを見つめる。そして、脱力した。ふにゃふにゃにしょぼくれる。
「……やっぱり、ダメだ」
「諦めてはいけません! さあ、私を見てください。ほらほら、さあさあ」
「どうして君はそんなにぐいぐい来るんだ!? ……あれだけ、別人なのだと、言っていただろう」
 サンダルフォンはしどろもどろに言った。
 今でこそルシオのことを一個人として認められるようになった。あるいは、一個人であるのだと認めざるを得なくなったことも多いに影響する。なんせルシオを通して面影を探していた本人を、探す理由が無くなったのである。サンダルフォンにとって唯一の尊い御方は奇跡が形を成して、同じ艇に乗り、共に喫茶室を営み、そして今の時間であれば眠りに就いている。
「おやすみ」と声を掛けられる度、サンダルフォンは毎夜、胸の奥がぶるぶると震えて、「おはよう」と声を掛けられる朝を迎える度に、世界が生まれ変わっていくように思った。世界はこんなにも、輝いていただろうか。サンダルフォンは、騎空艇に身を寄せて空の世界で生きていく中で、ルシフェルの愛した世界は、かつて滅んでしまえと憎んだ空の世界が美しいと知ったつもりであったけれど、実は知らなかったのだなと思い知った。
「ほらサンちゃん」
「ぐぅ……」呻きながらサンダルフォンは断腸の思いとでもいうように、苦渋の決断とでもいうべき禍々しく、苦々しい声音で「お慕いしております」と口にした。ルシオは残念そうな顔でサンダルフォンを見た。サンダルフォンは気まずげに俯いた。
「いくらなんでも、そのように渋々とでは伝わる想いも伝わりません。ルシフェルさんだってびっくりますよ、ほらサンちゃん次です」
 まさにぐうの音も出ずに、サンダルフォンは苦い虫を口の中いっぱいに放り込まれたみたいな顔でルシオの言葉を聞き入れる。聞き入れるものの、その通りに振舞えない。いざ、ルシオをルシフェルの身代わりとして、言葉を吐き出そうとするたびに、罪悪感が湧き上がる。そして同時にこの男は違うと思うのだ。サンダルフォンは項垂れながらぽつりと漏らした。
「……君とルシフェル様は別人なんだな」
「そうですよ。同じ顔は世界には三人存在している、と言ったでしょう?」
「そう、言っていたな」もう一人とは、ルシファーのことだろうなとサンダルフォンは思うと微妙な気分になった。ルシファーとルシフェルが似ているとは思えない。見間違えることは一度も無かった。
 サンダルフォンの知るルシフェルは、陽だまりのように温かな存在である。優しく、穏やかな微笑を浮かべている。
 その御方を、心から想っている。
 敬慕の情の中に芽生えていた思慕は摘み取ることも出来ずに花開いていた。気づいたのは、終末を阻止した後、喫茶室で珈琲を淹れていたときであった。
 香ばしい匂いを胸に吸い込み、美しかった日々に思いを馳せた。笑みを思い出す。言葉が耳朶に蘇る。優しい時間を忘れられず、切なくなって、そして、胸の中に広がっていた感情に、愕然とした。
 伝えるべき御方がいないのに、咲き誇るものだから、サンダルフォンは苦しく、どうしたら良いのか分からずにいた。いつか慣れるだろうかと、今際まで胸に秘め続けるつもりであったというのに、奇跡が起きて、サンダルフォンは戸惑う。嬉しいという気持ちは勿論ある。同時に、秘め続けると決意した思慕はサンダルフォンが抑えきれないほどに成長していった。いつか口にしてしまいそうで、そしてルシフェルの迷惑になるのでは、困らせるのではと一人で深刻に思い悩んでいたサンダルフォンに声をかけたのはルシオだった。
 ルシオとしては、これまで世界を守り続けていたルシフェルにも、そしてサンダルフォンにも報われてほしいと思ったのだがどうやら後押しが必要であろうから、これは「友人」としてひと肌脱ごうと思い至り、毎夜、サンダルフォンの部屋に押し掛けては、「きっとルシフェルさんも嬉しいと思ってくれます」だとか「好意を寄せられて嫌悪を抱くことはありません」とサンダルフォンを説得した。サンダルフォンが「そうだろうか」とやや乗り気になったところで、次はいかに想いを告げるかという特訓に入ったのである。
 二人は真剣であった。
 ルシオの言葉もあって、サンダルフォンは後ろ向きに、前向きに考えていた。別れというものが突然訪れる。せめて、この想いを伝えてからさようならをしようとサンダルフォンは真剣に、ルシオと向かいあう。ルシオも手助けしたいと、そして友人らしく後押ししてやりたいと真剣に向き合う。
 艇内で広がる「ルシオとサンダルフォンが出来ているらしい」なんて噂を知る由もなく、二人は毎夜の特訓に明け暮れていた。「悪いが、今日も頼む」なんてルシオに声をかける姿に、団員が物言いたげにルシフェルに視線を送る姿をサンダルフォンには見えていない。ルシフェルが浮かべる淋しさなんて、サンダルフォンは気づくこともなかった。
 いかに想いを伝えるか。
 二千年分の想いはこびりついて頑なで、ルシオで幾ら練習しようとも納得できない。そもそもルシオに向かって、ルシフェルへの言葉を口にするということが、サンダルフォンは裏切りのような気持ちがした。サンダルフォンの、一方的な好意であると自覚していながら、その行為を偽りとはいえ、練習とはいえ別人に向けることにサンダルフォンの潔癖が反応する。折角付き合ってくれているというのに申し訳ない気持ちになる。ルシオは分かっているとでも言うように、にっこりと笑みを浮かべた。
「サンちゃんはルシフェルさんのことが大好きなんですね」
「大好き、なんて言葉じゃ足りない」笑みを浮かべるルシオから、サンダルフォンは視線をそらして言った。
「そこまで想われるルシフェルさんは幸せ者ですね」
「そうだと思うか?」
「ええ、思います」
「そうだと、良いんだが」サンダルフォンは自信なさそうに呟いた。
「……やっぱり言わない方が良いんじゃないのか? 言って関係が変わるくらいなら、言わないまま、このままの関係じゃダメなのか?」
「サンちゃんは良いんですか?」
「俺は……」サンダルフォンはその続きを口にできない。別に構わない。訳が無い。今にもはち切れんばかりに想う気持ちは膨らんでいって、サンダルフォンは必死に抑え込んでいるのだ。意図せぬ爆発なんてしようものなら、サンダルフォンはたちまち空の彼方に飛び散ってしまう。
「さあさあ、サンちゃん」と言ってルシオは言葉を待つ。サンダルフォンは仕方なく向き合うものの矢張り口にできないからルシオが「なら手を取り合っては?」「なら抱き着いてみては?」などという。そのやり取りを、心配して様子を見に、サンダルフォンの部屋の前まで訪れていたルシフェルは扉越し耳にして、居た堪れない気持ちになって、そっと離れた。
 くっつかせようとして離れさせる元凶になっていることをルシオは知らず、サンダルフォンは必死で、ルシフェルは愛しいサンダルフォンの幸せを願えない自分にやっと気づいた。誰も知れないところで拗れた恋愛事情は後日、白日に晒され、後にサンダルフォンは羞恥で飛びだすことを、まだ誰も想像にもしていない。

Title:約30の嘘
2021/01/04
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