ピリオド

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 艇内を香ばしい匂いが立ちこめる。くんくんとルリアとビィが鼻を利かせながら辿り着いたキッチンでは、サンダルフォンが珈琲を淹れているところだった。入口の気配にサンダルフォンは振り向くと、微笑を浮かべて「君たちも飲むか?」と訊ねる。ルリアとビィが目を輝かせると、サンダルフォンは「少し待ってくれ」と言ってカップを用意する。
「オイラのはミルクと砂糖、たっぷりでな!」
「私も!」
「わかってるさ。……きみは?」と訊かれたグランが「同じで」と言えばサンダルフォンは苦笑する。
「まったく、こんなものを飲んで胸焼けしないのか……? 空の民にはふつうなのか?」サンダルフォンは淹れたばかりの珈琲を台無しにする量の牛乳と砂糖を注ぎ込みながら疑問を抱く。見ているだけで、作っているだけで口の中がじゃりじゃりと甘ったるかった。サンダルフォンにとって珈琲は素のままで味わうものであった。初めて振舞った時には、砂糖や牛乳を入れるなんて冒涜だという気持ちと、同時にこんな飲み方があったのかという衝撃に打ち震えた。今となっては、当たり前になってしまった。サンダルフォンとしては素のままの珈琲を味わってほしいところだが、美味しいと笑みを浮かべる姿は悪い気持ちはしない。
「ありがとうございます、サンダルフォンさん」
 そう言ってからごくごくと飲む姿を、サンダルフォンは信じられないと言わんばかりの目で見てから、口直しのように珈琲を啜った。心地よいほろ苦さが口に広がる。
「美味しいよ! やっぱりサンダルフォンは珈琲淹れるの上手いよね」
「そんな砂糖の塊を飲んだうえで、言われるのは素直に喜べんが……誉め言葉として受け取っておくよ」
「あはは……」ルリアは苦笑してしまう。
「でもラカムたちもサンダルフォンの珈琲は美味いって言ってたぜ?」ビィが言えばサンダルフォンは満更でもなさそうな顔で、照れ隠しのように珈琲を啜った。
「喫茶店で働いてたんですか?」
「いや、ただの趣味だ」
「趣味にしてはレベルが高過ぎる……」
「飲んでもらう人がいたからな、下手なものを出すわけにはいかない。それに、俺も楽しかった」サンダルフォンはその日々に浸っているかのように優しい声で言った。
「大事な人なんですね」
 サンダルフォンは誤魔化しあぐねているように口を噤んだ。あまり、触れられて欲しくないらしい。
 立ち寄った島で巻き込まれた事件をきっかけにして、サンダルフォンは騎空団に加わった。やや真面目過ぎるところがあり、世間知らずなところがあるサンダルフォンだったが珈琲を淹れることに関しては団内一である。ちなみに団員数は両手で足りる程度であり、団員はまだまだ募集中である。

 サンダルフォンは珈琲を啜りながら特異点と蒼の少女、そして赤き竜をちらりと観察する。作られてからこの方、サンダルフォンが接した存在といえば創造主である天司長ルシフェルと、それから指教の天司、あとは時折、四大天司程度である。彼らはサンダルフォンよりもはるかな時間を生きている。二千年生きているとはいえ、サンダルフォンなんて彼らにとっては赤子同然であった。サンダルフォンにとって自分よりも年下の生き物というのは新鮮であった。

 サンダルフォンが誕生したのは二千年前である。といっても、作られ、稼働をしたのは何もかもが終わった後のことである。天司による叛乱は鎮圧され、星の民は既に空の世界を去っていた。天司長ルシフェルにより、パンデモニウムの監視という役割を持つ天司として、サンダルフォンは最後の天司として作られた。

 サンダルフォンは封印の施されたパンデモニウムを見下ろしながら、彼らはなにが不満だったのか、何を求めたのかと考えていた。パンデモニウムの封印は天司長ルシフェルが施したものだった。サンダルフォンが監視者という役割に就いて以来、二千年間の中で、ただの一度の緩みもなかった。サンダルフォンは自分は必要なのかなと疑問を抱きながらも役割に不満を抱くなんてと自らを恥じて、粛々と監視を続けていた。とはいえ、日がな一日ではなかった。監視者としてどうなのだろうと思ったものの、声をかけてきたのが上官である天司長であるならば従うほかない。
 ルシフェルに連れられて、誰も立ち寄ることの出来ない空域で、珈琲を飲んだりして日々を過ごしていた。天司長ともなると気軽に休むことも出来ないのかと、サンダルフォンは珈琲を啜るルシフェルを見て思った。ルシフェルが顔をあげると視線が交差した。サンダルフォンは気恥ずかしくなって俯いて珈琲を啜った。そんな仕草が小動物のようで、ルシフェルは愛らしいと胸があたたかなもので満たされていくのをたしかに感じていた。
 サンダルフォンは烏滸がましくも、とびっきりに甘やかされていると自覚がある。
 同族同士の争いを知らないまま、ぬくぬくとパンデモニムの上空を飛び回っているだけで、役割とはいえ、自分が役立っているという思い微塵も湧くことのないまま二千年が過ぎ去っていた。
「俺は必要でしょうか……?」サンダルフォンは不安を口にした。ルシフェルが顔をあげるも、サンダルフォンはうつむき、頼りなく膝の上に揃えていた掌を握りしめていた。
「パンデモニウムの封印はルシフェル様が施されたもので、万が一ということはまず考えられないと思うのですが……」
「万が一、ということは起こり得る」
「そう、でしょうか」
「そうだとも」と言ってルシフェルは珈琲を啜る。サンダルフォンもまだ不慣れな珈琲を啜った。口に広がる苦味に、歪みそうになる顔を必死でにこやかに保つ。

 ルシフェルは珈琲をにこやかに飲むサンダルフォンの様子に穏やかな気持ちを覚える。最後の天司が、実は以前から作られていたということは、最早誰も知らないことである。ルシファーに命じられて作り掛けていた天司であった。しかし、作りかかったところで、ルシファーから「不用となった」と言われて、結局、完成されることはなかった。そのまま眠り続けていたサンダルフォンを完成させたのは、ルシフェルの意思だった。

 放棄された研究所の中、忘れ去られた姿に、ルシフェルは手を伸ばしていた。

 サンダルフォンの言う通りに「パンデモニウムの監視」という役割は、重要ではない。なんせ封印を施した張本人であるルシフェルは、パンデモニムに異常があれば感じ取ることが出来る。だというのに、態々サンダルフォンを配置した。サンダルフォンを天司として手元に置くための理由であれば、なんだってよかったのである。職権乱用であるのだが、それを突っ込む存在はこの世に存在しない。
 サンダルフォンはルシフェルの寵愛を受けつつ、ぼんやりとした役割を全うしながら日々を謳歌していた。監視なんて必要なのかと疑問を抱きながらも、生真面目な性格だから気を抜くこともない。そして万が一の事態は突如として起こった。その直前までなんら変化のない封印が、突如として綻んだのである。僅かな隙間目掛けて這い上がる堕天司や幽世の住人たちをサンダルフォンは必死で抑え込むも、実戦経験が皆無であった。幾らか取り逃がした。サンダルフォンは青ざめる。駆けつけ、再度の封印を施したルシフェルに被害を抑えたことを「よくやった」と言われるもののサンダルフォンの心は晴れない。それどころか追い詰められる。追い詰められた故に、行動を起こす。

──役割を全うできなかった。

 かくしてサンダルフォンは役割を全うするため、パンデモニウムから脱走した堕天司や幽世の存在を追うため、奔走した。ルシフェルすら想像しない行動であった。そしてその最中に特異点と、蒼の少女そして赤き竜と出会ったのである。彼らが出会ったことがパンデモニウムの封印を解いたことだと察し、そして彼らを狙って脱走した連中が現れることは安易に想像できた。サンダルフォンは躊躇することなく旅への同行を願えば彼らはサンダルフォンの心配を他所に笑顔で頷いた。サンダルフォンが心配になるほどにあっさりと、サンダルフォンの加入を喜んでいる。以来サンダルフォンは何食わぬ顔でグランサイファーに乗っている。堕天司はサンダルフォンの顔を知らない。サンダルフォンはにこやかに彼らを警戒しながら、グランサイファーで珈琲を淹れる。そして、役割を全うして、ルシフェル様のお役に立つのだと自身を奮い立たせていた。そんなサンダルフォンの姿をルシフェルがはらはらと見守っていることを、サンダルフォンは知る由もない。

Title:約30の嘘
2021/01/01
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