ピリオド

  • since 12/06/19
 ルシオがサンダルフォンに対してやけに優しく接していることは団内では知れ渡っていた。サンダルフォンは今となっては、ルシオを通して「誰か」を見ていない。「誰か」の面影を探すことは無い。ルシオのことをルシオとして、苦手に思っている。

 サンダルフォンは、研究所時代は中庭と自室、そしてその後の二千年もパンデモニウムで過ごすだけの軟禁状態であったから常識に欠けているし、俗世に疎い。とはいえ二千年以上は生きているのだから子どもではない。だというのに、ルシオはサンダルフォンのことを子どものように扱うのである。子持ちの団員たちが冗談交じりで揶揄うような扱いではなく、真剣な子ども扱いである。
 少し肌寒くなってきたら「風邪をひいてしまいますよ」と言ってマフラーやブランケットを巻き付ける。怪我をしようものなら焦った様子で治療をする。サンダルフォンが「この程度すぐに治る」と言い張っても無理矢理に治療をする。なんならかすり傷であっても重傷のように大袈裟な対応をする。流石にそこまでしなくても良いんじゃないかというくらいの対応である。
 あまりの過保護にサンダルフォンはうんざりとしていて、ルシオに対しての苦手意識は根深くなっている。今ではルシオが近づくだけで身構える。だというのにルシオときたら気にすることもない。最近ではサンダルフォンが町へ繰り出す時にまで付いて回っているという。
 サンダルフォンは文句を言う気力も失せていた。見ていられないと立ち上がったのは団長である。
「子ども扱いなんてしていませんよ」
「してるよ」
「いえ、していません。女性扱いをしているだけです。だってサンちゃんは女性なのですから、当たり前でしょう?」
「どこからどう見ても男だよ!?」
「君たち、そういうのは本人がいるところでする話じゃないだろ」
 ルシオと団長の会話にサンダルフォンは呆れながら、カウンターの中で珈琲が滴り落ちるのを待っていた。喫茶室に珈琲の香りが立ちこめる。
「だってルシオがいるところって大体サンダルフォンがいるんだよ! 仕方ないじゃん」
「仕方なくない。だったら、こいつだけ引っ張りだせば良いだろう」
「酷いことを言いますね」
「どっちがだ!」と言いかけたものの、サンダルフォンは溜息を漏らしてそっぽを向いた。「ほら怒ってるよ」とルシオに耳打ちする団長の声が聞こえる。耳打ちの意味がないではないかとツッコミたいのを堪える。
 ルシオは動揺することもなく微笑を浮かべ、サンダルフォンを見詰めていた。視線をひしひしと感じて、サンダルフォンは居心地悪くなる。

「元の姿には戻らないのですか? きっと愛らしいのでしょう?」
「もう……ルシオには何が見えてるの?」
「それは勿論、サンちゃんの可愛らしい姿ですよ」
 サンダルフォンはルシオの妄言にいよいよ耐え切れないと言わんばかりに「チッ」とお手本のような舌打ちをしてジロリと睨んだ。ルシオは臆した様子もなければ怯むこともなく、泰然とした態度である。
「気に障りましたか……勿論、今の姿も愛らしいと思いますよ?」
「ルシオ、もう黙りなって」
 サンダルフォンは深く息を吸い込み、それから長く吐き出した。頭が痛くなる。これだからルシオは苦手なのだ。ペースに呑まれる。その上でこちらの言葉はふわふわと宙ぶらりんになる。一方的な会話で、疲れる。何より、知る由もないことを知っていることに、どうしたって警戒してしまう。

 サンダルフォンはルシオの言う通り「女性」として作られた天司である。サンダルフォンにとっては作られたばかりで、まだぼんやりとしていた時期でったから記憶にはない。サンダルフォンの明確な記憶にある自らの肉体は「男性」として作り変えられていた。故にサンダルフォンにとって性自認は「男」である。
 天司に性別という概念は重要ではなかった。しかし、空の民の集団生活においては求められる。サンダルフォンは当たり前のように「男」として過ごしていた。寧ろそれ以外での過ごし方を知らないでいる。

 情報として「女性」として作られたという事実を把握しているものの、実感はない。女性としての振る舞いなんぞ分からず、今更振る舞うこともできない。サンダルフォンの立ち振る舞い総ては、誰から見ても「男」として過ごしている。隠しているわけではないが知らせる必要もない。サンダルフォンの肉体も精神も「男」であるのだから問題はない。

 創造主であるルシフェルや、研究所所長のルシファーが空の世界に存在しない現状、サンダルフォンの作られた当初の性が「女」であることはサンダルフォン以外に知る由もない。だからこそ、ルシオの子ども扱いが、実は女性扱いであったことに驚いた。何より、女性であることを見抜かれたことは率直に言えば、気持ち悪いと思ったのである。

 ドン引きしているサンダルフォンに、ルシオは苦く笑ってから珈琲を啜る。ほろ苦さが口に広がると自然と笑みを零した。
「とても美味しいです」
 サンダルフォンは視線をさ迷わせて「どうも」とぶっきらぼうに言った。
「愛想がないよ、マスター!」
「こいつは客じゃないだろ……」
 団長とサンダルフォンのやりとりにルシオは楽しそうに笑みを零す。

「サンダルフォンが女の子だったらって考えられないなあ。……今と変わらなさそう」と言って団長が朗らかに笑う。サンダルフォンは「そうだな」と適当な相槌をうつ。サンダルフォンにとって微塵も興味のない話題となっていた。それよりも、珈琲の抽出を終えたことを確認して満足そうな微笑を浮かべる。
 ルシオは何も言わずに珈琲を啜る。総て、終わったことである。もしも、は摘み取られた。
 サンダルフォンが「イヴ」になり得た未来。ルシフェルと共にあった可能性。何もかもが、途絶えた明日であり、赦されることのなかった未来である。
 消し去られた昨日を振り返る意味なんぞない。
「まあどんな俺であっても、きっとルシフェル様のために生きるだろうな」
「そうでしょうね……まったく、ルシフェルさんは果報者ですね」
「君がルシフェル様を語るな、と言いたいところだが……そうだな、そう、あればいい」
 サンダルフォンは、ルシフェルによって作られ、ルシフェルのために存在している。それがサンダルフォンである。
──彼女は「私」のイヴにはならないのだろう。
 ルシオには、それだけは分かった。

〇 〇 〇

「なんだ、それは」ルシファーはみっともなく、震えそうになる声を必死で抑え付けた。しかし、頭では冷静に振舞ったつもりであっても、抑えきれない怒気があふれ出している。そんな「友」を前にしてもルシフェルは微笑を浮かべて、まだぼんやりと微睡みの中にいる天司を紹介する。
「彼女はサンダルフォン。私が作った天司だ」
 ルシフェルは、創造主すら聞いたことのない優しい声音で、穏やかな微笑を浮かべて隣で支えている天司を見つめて言った。
 ルシフェルが一人で作り上げた天司はゆらゆらとして、支えられていなければぺしゃんと座り込んでしまいそうなほどにふらついていた。話し込んでいるルシフェルとルシファーの言葉をぼんやりと訊きながら、ルシフェルにもたれかかるようにして、やっと立っている状態である。

 ルシフェルは「彼女」と称した。

 受肉して、硬化してから時間は然程経っていないらしい。防具の代わりに、白い布を体に巻きつけられている。心許ない襟首からはささやかな谷間が覗いた。華奢な白い手足が伸び、ゆったりとしたラインからでも体の細い線が分かる。
 ルシファーは、愕然とする。

「……女、か?」
「君からは好きなように作れと言われたと記憶している」
「確かに言った記憶はある。……だが、なぜ性別を女にした?」
「理由が必要なのか?」
「理由もなく女としたのか?」
「天司に性差は無いのだから、問題は無い」
「答えになっていない」
「……理由が必要なのか?」やけに食い掛るルシファーに、ルシフェルは不満そうに眉を寄せた。

 言われなかったから、女の天司を作った。ただそれだけであっても、ルシファーは気に食わない。ルシフェルが作るべき天司は「男」でなければならない。それが、ルシファーの半身として、欠乏感を埋める存在である、ルシフェルに求めた結果であった。
 気紛れであった。「もしも」というリスク回避のためにスペアが必要ではないかと考えた。そのスペアを、ルシフェルに作らせてみようか。そのスペアは、きっと同じであるはずだ。同じでなければならない。だというのに、実際には、女の天司を作った。それだけではない。ルシフェルが、自らが作った天司を見つめる視線は麾下を見る目ではないことに、ルシファーですら察してしまった。

 丹精込めて作った作品を愛でる目ではない。
 それは、男が女を求める目である。
 あり得ないことだ、あってはならないことだ。
 これは、ダメだ。
 この天司は、ルシフェルにとって「害」となる。排除しなくては、ならない。
 冷ややかな怒りが、ルシファーを冷静にさせた。

「それは廃棄しろ」
「なぜ?」
「それが、女だからだ」
「しかし天司に性差は関係ないことだ。女だからという理由では、」「これは命令だ。作りなおせ」ルシフェルの言葉を遮り、ルシファーが言い放つ。ルシフェルの目の奥に、ちらりと感情が揺らめいた。

 ルシフェルの中で初めての反抗であった。たとえ、創造主の命令であっても、従うことが出来ない。唯一、ルシフェルには出来ない。ルシフェルはサンダルフォンを支える腕に力が入るのが分かった。サンダルフォンが、ふとルシフェルを見上げる。
 廃棄を理解していない、無垢な瞳がルシフェルを見つめた。
 静かな紅色に瞳に見つめられ、ルシフェルは矢張り、私には出来ないことだと思い至る。彼女を喪うことに耐えられない。
「女だからということは、男に作り変えれば問題は無いのか」とルシフェルは問いかける。ルシファーは何も応えることはない。ややあってから、ルシファーは仕方なさそうに溜息を吐き出した。ルシフェルはほっと胸を撫でおろしてから、ぼうっとしているサンダルフォンをそっと抱き寄せて、柔らかさを名残惜しく、記憶に刻んだ。
「サンダルフォンの役割を教えてくれないか」
「今は知らなくていい事だ」
「……わかった」とルシフェルは言うと、サンダルフォンに「行こう」と声をかけ歩き出す。サンダルフォンは身体を支えられながらルシフェルに追従すると、不意に振り返った。

 深い紅色がルシファーを射貫く。

「サンダルフォン」と呼び掛けられると何でもなかったのように歩き出す。ルシファーのことなんて忘れたかのように、ルシフェルにぴったりと寄り添う姿に、ルシファーは、失敗だったと気づいた。アレは既に「女」として成立していた。求められ、縋られ、そして堕とす「女」だ。作り変えたところで、変わらぬのだと「男」としてのサンダルフォンを見て確信を抱いた。
 サンダルフォンを見詰めるルシフェルの目は変わらぬ色であった。結局、スペアは不用であるから、廃棄に変わらないが、女であるよりは、マシであると自らに言い聞かせる。

 中庭からは二羽の鳥が、羽ばたいていく。

「きみがきみであることに変わりはないことだ」と懐かしむように言ったルシフェルに、サンダルフォンは何を言えば良いのか分からず曖昧に苦笑を浮かべた。「女性」として作られたことを知ったのはその時であった。
 中庭で見かける二羽の鳥が、実は番であったという話をした。茶色い鳥と白い鳥。自分たちのようだと微笑ましく思っていたから、サンダルフォンは気まずいような気持ちになった。言わないでいよう、と思っていたのだ。しかし、ルシフェルが「以前に言っていた鳥は最近は見ないのか?」と訊いてきたので、自分が口にしたことを覚えていてくれたことが嬉しくて、ついと喋ってしまった。
 サンダルフォンは口にしてから妙な気恥ずかしさを覚えた。うろうろと視線をさ迷わせて、話題を変えようとした。しかしルシフェルはといえば、「やはり、そうか」と言った。ルシフェルには思い当たる「節」があったのだ。それから「実は」と口にしたのがサンダルフォンの当初の性であった。

 ルシフェルから与えられた肉体である。サンダルフォンにとっては自慢である。だけれど、羽は他の天司に比べると煌びやかとは言えないと、自覚はしていた。不満はなくとも、漲る力が溢れたような清廉な美しさをもつルシフェルの羽や四大天司、空を駆ける指教の天司たちを見ていると羨む気持ちはあった。なぜこのような羽なのだろうと思っていたことに、理由が判明した。
 生物の雌雄は雄が美しく、対して雌は目立たない。
 そんなことは進化を司るルシフェルが、把握していて当然であった。
 雌を惹きつけるために雄は美しくある。
 どうやら自分は本当に「雌」としてあった存在らしいと、サンダルフォンは納得した。

「でも、未だに俺の役割はわからないままなんですね」
「……案ずることは無いよ、サンダルフォン」いつもの言葉に、サンダルフォンは切ない気持ちを押し殺して「はい」と言った。ルシフェルは満足そうな顔で、珈琲を啜り、サンダルフォンも同じく珈琲を啜る。優しい時間が流れ、サンダルフォンは息苦しくなる。無為な営みの中で、ふとサンダルフォンは声をかけていた。
「もしも、俺が女性の姿のままだったら」
──役割は、与えられていたのでしょうか。変わっていたのでしょうか。口にしようとしたが、最後まで口にすることが、出来なかった。恐ろしくて、黙りこんだ。
「きっと、変わらず、こうして珈琲を共にしている」そう言ってルシフェルは笑みを浮かべる。サンダルフォンは「そうだと、嬉しいです」と言いながら、心の中ではたとえ女であっても役割は無いのだと淋しく、笑った。

2020/12/31
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