ピリオド

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「あ、ルシフェルさん!!」と見かけた姿にルリアが声を掛ける。珈琲を片手に、自室に戻ろうとしていた青年が振り返る。騎空団を立ち上げた初期から加わっている古参の団員の一人であった。腕は立つのだが世間知らずで、時折、突拍子もない言動をしては周囲をひやひやとさせる。
 少し前のことだ。騎空艇の甲板でシーツを干していた際に、思いがけない突風と、それから移動中であった偶然が重なってシーツがひらひらと青空に舞い上がっていたことがある。仕様が無い事故だと洗濯当番が諦めていたら「私が取ってこよう」と言ってルシフェルは欄干に足を掛けたのだ。何を言っているんだ、早まるなと慌てて、洗濯当番全員でしがみついて止めたのだ。
 ルシフェルはなぜ止められたのかと不思議な顔で思い出したように「そういえば、飛べないな」と言ってのけた。疲れ果てた様子の掃除当番たちの話を聞いて、団長は苦笑することしか出来なかった。
 しかし、ルシフェルは常識を欠けた行動を時折見せるものの、誰よりも教養がある。麗しい容姿も相俟って、もしかしたら高貴な家柄の出なのかもしれないなと言ったのは、誰だったろうか。自身の出自に関しての噂を耳にしたルシフェルは、呆れ果てて否定出来なかったのか、当たらずとも遠からずといった所を突いたのか、判断をしかねるような、曖昧な微苦笑を浮かべた。
「どうかしたのか」
「みんなで作ったので、よかったら食べてください」
 そういってルリアは手にしていたバスケットから、ラッピングしているマフィンを二つ取りだすとルシフェルに渡そうとして「あ、」と声を上げて苦笑する。
「すみません」
「……いや、ありがとう。二つ、頂いてもいいだろうか」
「はい、どうぞ」
 マフィンを二つ手にしたルシフェルは、ありがとうと言って去っていく。その後ろ姿を見送りながら、ルリアはどうしてかなあと不思議に首を傾げる。ルシフェルからはいつも、二人分の気配を感じるのだ。ぼんやりと、けれど確実にルシフェルではない誰かの気配があるのだ。ルリアはその気配を悪いものだと認識していないのだが、その気配を感じ取っているのはルリアだけのようだった。
 人によっては気分の悪い、不気味さに戸惑うだろう接し方なのだと注意をされたけれど、つい、ルシフェルを前にすると「二人」とカウントしてしまう。ルシフェルは、気分を害した様子はない。それどころか気配に心当たりがある様子だった。気配の話をするとき、ルシフェルは表情が和らぐことを知っているのはルリアだけである。表情の変化の乏しいルシフェルの数少ない変化であった。



 ルシフェルの部屋は物が少ない。つい最近、入って来たのかと言われても仕方がない程に持ち物がない。部屋にはベッドとテーブルとセットの椅子、それからチェストがあるだけだった。ルシフェルはテーブルの上に珈琲と、それから抱えていたマフィンを二つ置いた。椅子に座り、珈琲を手に取り呼びかける。
「サンダルフォン」
「なんでしょうか」という声が返ってくることは無かった。
「蒼の少女たちがマフィンを焼いてくれたという。騎士の彼女は、洗濯当番だから関わってはいないだろう」
 ルシフェルすら一瞬、意識が遠のく腕前である。
 一人語り掛けるルシフェルは、縋るようにサンダルフォン、と名前を呼んでから目を伏せた。手にしている黒い水面には、情けない顔が映りこむ。とても、天司長として世界を陰ながら守り続けている姿はない。
「……まだ、怒ってるのかい?」



 廃棄か、愛玩かと問われたルシフェルは、廃棄することで、サンダルフォンを守った。ルシファーの計画にサンダルフォンが利用されるだなんて、ルシフェルはとても、我慢できなかった。サンダルフォンに事情を説明することも惜しく、ルシフェルはサンダルフォンを破壊した。そして、そのコアだけは大切に、傷付けることなく、ルシフェルは誰にも見つかることのないようにと自身の中に取り込んだのだ。ルシファーにすら、気付かれることはなかった。果たしてルシファーの計画は何処までが筋書通りであったのか、ルシフェルには知る術はない。兎も角として、ルシファーの計画のために利用された堕天司たちはパンデモニウムに封じることとなった。
 叛乱の後始末を終えたルシフェルは安全を確認したうえで、サンダルフォンの顕現を試みた。簡単なことだと思っていたのだがサンダルフォンの返答はない。幾らルシフェルが呼びかけても黙りこんでいる。
 それが、サンダルフォンの返事であった。
 サンダルフォンは怒りと悲しみでいっぱいであった。廃棄か愛玩かという選択が屈辱であったし、役割にしても、虚しさと悔しさでどうにかなりそうだったところに加えて、追い打ちをかけるようにルシフェルの手によってバラバラにされたのである。痛みはなかった。それが創造主なりの優しさであったのだと、サンダルフォンは知っている。だから、戸惑い、素直になれない。
 コアだけは回収をされて、ルシフェルのコアの奥底で強制的に眠りにつかされた。起きたときには何もかも様変わりをしていた。ルシフェルの語らいにより、大まかな事情は把握をした。理解をした。しかし、赦すかは別問題である。
 二千年が経ち、サンダルフォンはそろそろ赦してもいいかな、なんてどこから来たのか分からない上から目線で思い直したタイミングが、また悪い。



 ルシフェルが写身をおろした。蒼の少女と赤き竜の邂逅、そして大いなる咆哮をきっかけにルシファーの計画が再始動されるのではないかと危惧して、彼らのもとに写身をおくったのである。
 例えるならば大木である。本体という大木を支える根っ子に、サンダルフォンは身を潜ませている。そして写身は大木から派生した枝であるのだ。
 団員たちから信頼され、何食わぬ顔で旅に同行している姿を、蒼の少女に気配を覚られたことは予想外であったが、サンダルフォンは内側から見ていた。

──写身なんていつのまに作れるようになったんですか? 一度もみたこと、ありませんでしたけど?
 つい最近できるようになった、なんて信じない。ぽんと、送りこんだのである。片手間のように作り上げた写身は空の世界で違和感がないようにと、調整をされている。

──へえ、そうですか。ふうん。彼らには写身を送り出す価値があるんですか。俺にはないんですね、へえ……ほお……ふうん……。
 サンダルフォンはすっかり、いじけて、不貞腐れた。



 有無を言わせずにバラバラにされたのはなんだったのだろうか。コアを取り込まれたのも何もかも、全部、ルシフェルに触れまわされて、サンダルフォンの意思なんて置いてけぼりである。サンダルフォンは面白くない。不貞腐れて、ますます意固地になって無視を決め込んだ。サンダルフォン、という情けなく呼びかける声をザマアミロなんて気持ちで無視をする。お話したい、珈琲を共にのみたい、一緒に、旅をしたいという淋しい気持ちを誤魔化した。

Title:約30の嘘
2020/12/12
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