ピリオド

  • since 12/06/19
 間延びした単調な教授の話は、昼下がりにはうってつけの子守唄であった。既に半分以上の生徒は撃沈をして突っ伏している。残りも、うつらうつらと船を漕ぎつつも、必死に子守唄──ではなく、教授の言葉に耳を傾けていた。
 サンダルフォンもまた、欠伸を珈琲で流し込みながらどうにか眠気と戦い続けている。この講義の時間ばかりは、珈琲は眠気覚ましという名の戦友であった。味は二の次である。求めるは覚醒作用である。
 教授が繰り返している、おそらく重要な箇所をメモをしている姿は、真面目な優等生の鑑であった。

──あの御方は、どこにいらっしゃるのだろうか。

 くるりとペンを回して、眉を寄せる。さも、講義に集中をして、考え込む姿勢であった。教授から気に入られる姿である。今時には珍しいくらいに真面目で熱心な生徒だと評価されている。実際には、講義を掛け離れて魂に刻まれたお方へと思いを馳せているに過ぎない。
 人の身として生まれ落ちてから、二十年が経った。二千年以上を生きた記憶を持ち越したサンダルフォンにとって、たった二十年である。二千年に比べれば二十年など、とはサンダルフォンは比較できない。二十年は二千年と等しい濃度であった。
 天司として作られたサンダルフォンは、肉体の成長をしない生き物だった。人間となったことによる肉体の変化を伴う成長は、初めての経験であった。体の構造や機能が、日々着実に変化していく。完成された生き物ではない証。完成へと近づこうとする生き物の証。
 幼少時には、天司であった頃には当たり前に出来たことが出来ないことに歯噛みして、感情を制御できずに癇癪を起すこともままあった。舌足らずな口。小さな手足。飛べない。元素を操ることも出来ない。なんて、無力な肉体なのだろうと呆然とした。
 今となっては、「天司であった頃に縋り付いて傲慢極まりない」とサンダルフォンは羞恥を覚える。生涯、誰にも言うまいと、胸の奥底に秘めるべき黒歴史である。

 生涯。
 サンダルフォンの胸にずしん、と鉛が沈む。

 人はか弱い。病気の一つで死ぬ。怪我の一つで死ぬ。あっさりと、死んでしまうのだ。サンダルフォンは多くの死を看取った。親しい存在の死、というものには、慣れることが出来なかった。ぽっかりと、虚しさが広がる。いなくなったという現実を受け入れられない。理解が出来ない。そこにいるかのように錯覚をして、その度に「もういないんだった」と思い出して、打ちひしがれる。
 置いていく方は、いつだって勝手だ。
 サンダルフォンはいつだって、置いていかれる側だった。
 しかし、今となっては自分も置いていく側になるのかと思うと、サンダルフォンは気が気でなくなる。明日、この後、今一瞬で、命が散るかもしれないのだとおもうと、恐ろしくて、たまらなくなる。死ぬことは、とても、恐ろしい。あの人に会えないまま、産まれているかもわからないまま、命を終えることが、サンダルフォンは何より恐ろしい。あの人に出会えない人生に意味はあるのかとどっぷりと耽っていれば終わりを告げるベルが高らかに響いた。それまでぐっすりと眠っていた面々はむくりと起き上がる。うとうととしていた面々は耐え抜いたほっと満足な顔をしている。
 サンダルフォンはノートとペンをしまい込む。通常でれば、次にも講義を入れている。出席と簡単なレポートで単位がとれると聞いて、渋々と受講している。必修でなければ選択肢にも入れることのなかった講義である。天敵であるのだ。普段であれば、憂鬱で気が滅入る。しかしながら、今日はうきうきとしている。教授が急用であるために欠講となったのだ。時間を持てまして、何をしようかと考えてすっかり、浮足立っていた。

──普段とは違うことをしようか……いや、やっぱりコーヒーショップを覗こうか。と行動した自分を、サンダルフォンは「君は英断を下した!!」と褒めてやりたい。

 電車を乗り継いで日頃は立ち寄ることのない場所をきょろきょろとさ迷う。携帯のマップアプリと睨めっこをしながら、どうにか辿り着いたコーヒーマニア必見の店の前でサンダルフォンはほっと一息ついた。携帯を仕舞い、急く気持ちを押しこめて扉を開く。

「サンダルフォン?」

 そう呼びかける声を、間違えはしない。

「ルシフェル、」様と最後まで呼ばせてくれなかった。わっ、とサンダルフォンは思わず声を上げてしまう。視界一面が真っ暗になって、それから嗅ぎ慣れない、けれど好ましい香りに包まれる。ぎゅうぎゅうと苦しくて、厚みのあるスーツ越しだというのに、トクトクという音がサンダルフォンにも聞こえる。
 噛みしめるように「サンダルフォン」と呼ばれ、じわじわと現実なのだと実感する。サンダルフォンは、おずおずと背中に腕を回そうとした。しかし、「ごほん」とわざとらしい咳に慌てふためく。そりゃそうだ。二人きりじゃない。ごほんと咳き込む声に、サンダルフォンはもがもがと腕から逃れる。見上げれば、ルシフェルは残念そうな顔をしていた。自分から離れていながら、サンダルフォンは名残惜しい気持ちになった。逃げるみたいに店を出た。
 ちらちらと視線を向ける度に、ルシフェルはにこりと微笑を浮かべる。サンダルフォンはつられるように、ルシフェルが安寧と呼び愛しいと思った微笑を浮かべた。さてどこに行こうかと考えると我慢ならないように、
「サンダルフォン、7ZSR@ZSXT@DWEQYQ@>GNFEJ9TZQO」とルシフェルが言った。
 サンダルフォンはルシフェルを見上げる。ルシフェルの目は優しく、サンダルフォンを見詰めた。その目に映るサンダルフォンは、ひくりと頬を引きつらせる。サンダルフォン、という言葉だけは理解を出来た。
「……ルシフェル様、あの……お言葉の意味が……」
 ルシフェルはサンダルフォンの言葉に、僅かに目を丸くした。
 二人は顔を見合わせる。

 まったく、何を言っているのか理解できない。

 再会を果たして積もる話は山のようにある。だというのに、二人は翻訳アプリを通して、ちまちませっせと、どうにか連絡を交換することだけで精一杯だった。

 よりにもよって、その言語なんですかとサンダルフォンは思った。サンダルフォンの天敵である言語であった。必修でなければ一生涯関わるつもりはない言語であった。呪文のように聞こえる。言語として認めていない。リスニングは何より苦手であった。

 よりにもよって、その言語なのかとルシフェルは思った。もしかしたらサンダルフォンと出会えるかもしれないという可能性のために出張の多い部署を志望した。そのためにあらゆる語学を取得してきたルシフェルが、唯一取得できなかった言語であった。発音が、出来ないのだ。

 翻訳アプリは、正しく言葉を伝えているのだろうか。サンダルフォンも、ルシフェルも不安になった。それに、矢張りもどかしいったらない。
「GNKBSF@W@0QDK6MEをBK94UMD@W@<0QDK6MET@ZQ0.SFSWM<6M5UE>」
「ルシフェル様……」
 サンダルフォンはしおらしい顔でルシフェルを見詰めた。それから、
「何言ってるのかぜんぜんわからないです……」
 たぶん、なにかいい言葉を口にされたんだろうなと思った。
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