ピリオド

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「恋仲になりたいわけじゃないんだ」
「へぇ」
「……名前を呼んでもらって、珈琲を一緒に飲んで、語り合うことが出来たらこれ以上の幸せはないと思っていた」
「ふぅん」
「全部、叶ってしまっているんだ。本当に、俺は恵まれていると思う」
「ほーん」
「今以上に望みはないんだが、」
「あぁ!! 死んだ!!」
「聞いてるのか!?」
「聞いてるさ、ルシフェルが滅茶苦茶好きって話だろ」
 サンダルフォンはジトリとベリアルを睨んだ。ベリアルは気にした素振りもなく、「あとちょっとで新記録だったのに」と残念そうに言った。さして残念に思ってもない癖にとサンダルフォンは内心で悪態をつく。
 サンダルフォンは苛々とした気持ちを、珈琲を飲むことで誤魔化した。一息ついた様子を、見計らったかのようにベリアルが声を掛ける。
「で、結局──何が言いたいんだい?」
「ルシフェル様と距離を置こうと思う」
「……良いんじゃないか?」
 一瞬の間を置いてから、ベリアルは同意した。サンダルフォンは少しだけ驚いたように目を丸くした。理由を聞くこともなく、同意をされて、肩透かしを食らっていた。
 止めてほしかった訳ではない。止めてほしいなら、そもそも口にもしない。
 ベリアルはゲームオーバーと表示されている携帯ゲーム機の電源を切る。それからサンダルフォンに向き合う。にやにやと企み顔であるかと思えば、真剣な顔であったから、サンダルフォンは雰囲気に呑まれて、居住まいを正す。
「距離を置くっていうのは、物理的に? 精神的に?」
「両方だ」
「そうか。──微塵も興味はないんだが一応、聞いておく。理由は? ルシフェルに愛想を尽かしたってわけでもないだろ?」
「ルシフェル様の所為じゃない。ただ、俺が許せないだけだ」
 優しさに付けあがる自分に、サンダルフォンは愕然とした。
 もう一度、お会いしたい。叶ってしまった。名前を呼ばれたい。叶ってしまった。共に、珈琲を飲みたい。叶ってしまった。語り合いたい。叶ってしまった。なら、次はと、自分の欲深さに呆れ、そして過ちを繰り返すのではないかと青ざめた。
──また、自分のことしか考えていないじゃないか。ルシフェル様は、本当に、望まれているのか?
 考えて考えて、サンダルフォンは決断した。
 そうだ、離れよう。
 優しさに甘えてしまう自分も、勘違いしてつけあがる自分も許せない。ルシフェル様は、優しいから、きっと、困らせてしまう。ますます自分に怒りが湧いてしまう。寧ろ愛想を尽かされるのは自分なのだろうとサンダルフォンは覚悟している。いつか、この浅ましさを、厚顔な欲深さを知られたらと思うと、生きた心地がしない。
 ルシフェル様の望むサンダルフォンでいたいのだ。
 ひっそりと、隠して、隠して、やがて破裂しそうなほどに膨れ上がっていた。
 この欲望を、処分せねならない。処分しない限り、ルシフェル様に合わせる顔がない。
「……別にルシフェル様と二度と会わないつもりはないよ。ただ、落ち着くまでは会わないつもりだ。それに、その間にルシフェル様が俺を忘れるかもしれないしな。そうなったら、そうなったで構わないさ」
 サンダルフォンは思い出だけで生きてきた。愛しい記憶は朧げることなく、鮮明に、サンダルフォンの魂に焼き付けられ、刻まれている。今更、数十年程度、どうってことない。我ながら、低燃費だなと自嘲するサンダルフォンを、不細工だなとベリアルは思った。
「アイツがお前を忘れるとは思わないけどね」
「そうだと良い、のか?」
 複雑そうに、歯切れ悪く、サンダルフォンが言った。
「まあ、理解は出来ないが納得はしとく。で、どうして俺に言うんだ?」
「……ルシフェル様はお前を友人だと言っているからな。あの御方のことだから、何も言わなければ心配をすると思う。聞かれたら、実家に帰ってる、とでも伝えといてくれ」
「友人とかマジで勘弁してくれ……」
「名誉なことだろ」
 ベリアルはうんざりと、おえっと吐く仕草をした。サンダルフォンは不敬な奴だなと思った。友人として、認められている。羨ましい事だとサンダルフォンは思う。なぜ友人と呼ぶのか、サンダルフォンには理解できないが、理解しようとすることが烏滸がましいのだと考えないことにした。
──自分は、ルシフェル様にとっていったいどういった存在なのだろう。と、考えても、分からない。
 今や人間だ。創造主でもなければ、作られた存在でもない。赤の他人である。年も離れている。生まれも育ちも異なる。経歴が被ることはない。巡り合えたのは、本当に奇跡なのだ。巡り合うことなく、すれ違うこともなく、生きているのかすら分からないまま、生涯を終える未来も、きっと、存在していた。いよいよサンダルフォンは、利己的な感情を捨て去らなければと強く、ほぞを固める。
 過ぎた欲望の行き着く先が破滅であることをサンダルフォンは知っている。痛い程に、理解している。
「で、実際は何処に行くんだ?」
「海が見たいから、そのあたり」
「へんな所で大雑把になるなよ……」
「着いたら、一応、連絡する。じゃあ、そろそろ飛行機の時間だから」
「……は? これから出るのか?」
「アパートの契約が今月までだからな。丁度良いだろ」
 思い切りの良さにベリアルは乾いた笑いを零した。変な奴だなと思いながらサンダルフォンはボディバッグを手に取った。最低限の衣類を詰め込んだスーツケースは既にホテルに送っている。鞄一つの身軽さは、これから旅行する姿には見えない。
「土産をよろしく頼むよ」
「忘れなければな」
 サンダルフォンはベリアルに「じゃあ、頼んだぞ」と別れを告げて喫茶店をでた。カランと涼やかなベルチャイムが鳴る。
 サンダルフォンはカツンカツンとヒールを鳴らして歩きながら、名残惜しむ気持ちをぷつんぷつんと断ち切る。今度こそ、今度こそ、と自身を奮い立たせる。
 ルシフェル様が望むサンダルフォン。それこそが、サンダルフォンのありたい姿だ。身勝手な感情を押し付けようとするサンダルフォンを、サンダルフォンは屠らねばならないのである。そんなサンダルフォンを、勝手な奴だと思いながら見送ったベリアルは携帯を取り出すと、一切、迷うことなく呼び出した。
──ああ、きみか。サンダルフォンのことだろう?
 電話越しでも分かるおっかない、刺々しさは、どうやら、サンダルフォンに頼られていることが不快であるらしい。信頼なんてない、消去法だろうとベリアルは口にはせずとも思った。
「あっそ。俺のことは黙っといてくれよ」
──承知している。
 身勝手な奴らだ、とベリアルはうんざりとした。

Title:約30の嘘
2020/12/03
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