ピリオド

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 すれ違う看護師が、お疲れ様ですと労わるように頭を下げたので会釈を返した。何人かとすれ違いながら、目当ての病室に辿り着く。ふうと、ネクタイをきゅっと締めなおしてから、ノックをした。返事はないが、そのまま扉に手を掛けた。
「こんにちは、体調はどうかな?」
 無機質な部屋で、不機嫌な顔をしている青年に声をかける。鳶色の癖のある髪が無造作に伸びている以外は、健康的な青年である。手足どころか体には怪我の跡ひとつない。それでいて手足にはしなやかな筋肉がついている。とても、12年間、監禁をされていたとは思えない姿だった。
「サンダルフォンくん、だったね」
 名前を呼ぶ。
 彼の名前は■■■と調書では確認をされている。遺伝子鑑定により、両親との血縁関係も99,9パーセント証明されている。彼が12年前に誘拐をされた■■■であることは確証されている。しかし、彼は誘拐犯の洗脳により、自身を「サンダルフォン」だと思いこんでいる。自分はサンダルフォンだと繰り返し叫び、暴れる姿は錯乱をしていたとはいえ、痛ましい姿だった。
 洗脳が解けるまでは刺激をしないように、というカウンセラーの言葉により渋々であるが「サンダルフォン」と彼は呼ばれていた。
 サンダルフォン、なんて災厄の邪神の名前をと組織内部でも戸惑いがあったものの、■■■と呼んでも彼はなんら反応を示さない。
 じっと赤い目に見つめられると、身が竦んだ。
 ■■■が口を開いた。
「ルシフェル様は?」
「彼は、元気だよ」
「……お会いしたい」
 自らをルシフェルと名乗り、呼ばせる誘拐犯を慕う姿が哀れで、何も言わないでいれば、■■■は諦めたように嘆息をこぼして、病室の窓から空を見上げた。今日は晴天である。雲一つない青空が広がっている。とはいえ、便宜上は防犯のため、実際は脱走防止のために窓には格子がはめられていた。
 いくつもの切り分けられた青空から、目を逸らして問いかける。
「……彼とは、どのように過ごしていたのかな」
 ■■■は今度はうんざりとため息を零した。
「何度も言っているだろう。君達は情報共有も出来ていないのか? ただ、珈琲を飲んでいた。それだけだ。君たちが考えているような下衆な行為はなにも無い。期待をしたのか? 君たちこそ、下衆だな」
 はっと鼻で嗤う■■■の、明け透けな言葉に戸惑う。実年齢、17となる青年は、誘拐をされた時点で5歳だった。12年間の教育課程が抜けているとは思えないほどに、彼には教養があり、その度に彼を担当したカウンセラーや面接担当官は面食らった。
 何より、彼は両親以上に誘拐犯を慕っている。両親の面会にも興味が無く、ただルシフェル様はというのだから、両親がノイローゼ気味であった。息子が帰って来たという喜びが、今や困惑へとなっている。
 自身の身の安全のために、加害者に好意を抱ているのだと、一時的な状態なのだと医者からの説明を受けても、参ってしまった両親の姿は心打たれるものがあった。犯人を逮捕したから、解決をしたのではない。犯人を逮捕してやっと初めて、解決の一歩が踏み出せるのだと、熱血になる捜査官を■■■は鼻で嗤った。
 むっとなった捜査官に興味を無くした様子の■■■は空を見上げる。
 青い空が広がっている。
 なのにどうしてここにルシフェル様はいないのだろうと哀しく、虚しくなる。
「……ルシフェル様に、あいたい」
 取調室では連日、一人の青年に対して複数人での取り調べが行われていた。青年は、12年前の幼児誘拐事件の犯人である。現在は、25歳。当時、僅か13歳の少年の犯行と、誰が想像をするというのか。現場には痕跡もなく、プロファイリングにも浮かび上がらない、捜査線上に浮上することのなかった青年の犯行が明るみになったのは、偶然だった。
「なぜ■■■くんを誘拐した?」
「■■■?」
 誰の事だろうと言わんばかりの反応に取調官が声を荒げる。
「お前が誘拐した男の子だ!!」
 苛々と声を荒げる取調官に対して、青年は冷静であった。声を荒げた取調官を、補佐が宥める。取調官はふうと頭に上った熱を吐き出してから、冷静に声をかけた。
「……なぜ、■■■くんをサンダルフォンなんて忌々しい名前で呼ぶ?」
 初めて、青年が不快感を示した。
 威圧感に取調官はぶわりと汗をかいた。シリアルキラーを前にしても、恐怖を感じないというのに、幼児誘拐犯という変態相手に、どうして恐怖しているのか自身にもわからないでいる。
「忌々しく、あるものか」
 感情を露にした青年を前に、取調官は補佐に目くばせをした。
 青年は、財政界のトップである由緒ある一族の出身だという。警察には、圧力が掛けられている。精神鑑定をかけるという。男にとって、都合よく書き換えられた鑑定書が提出されるのだ。そして、圧力に屈した上層部は、それを、受け入れるだろう。そんなの、許されるものかと、どうにか男から言質を取ろうと、必死になる。
 タイムリミットが、迫っている。
「人間って面倒臭いですね」
 サンダルフォンはうんざりしながらため息を零した。珈琲の入ったカップを手にしている。そんなサンダルフォンの様子をルシフェルはにこやかに見てから、珈琲を啜った。
「どうしてなんでもかでも下衆に結びつけるんでしょう」
 やれやれとサンダルフォンは毎日入れ代わりに現れては、本統の事を言ってもいいんだよと、ありもしない行為をされたと言えと迫られる日々を思い出した。2年前のことである。間もなく取調擬きもなくなり、大人しくしていればサンダルフォンはあっさりと退院をすることが出来た。腫物扱いをする両親に、一人で暮らしたいと言えば両親は戸惑いながらも強く引き止めることもなく、家を出た。それから、ただ、ルシフェルを待ち続けた。
 幾千年の孤独に比べればたった2年の別れである。
 12年間を共に暮らした幸福がぎっしりと詰まった屋敷は、すっかり、荒れ放題であった。地元の人間からは曰く付きの物件だと、お化け屋敷扱いである。憤慨するサンダルフォンに仕方のないことだとルシフェルは笑った。
「今は私たちも人間だと忘れてしまっていた」
「うう……そうでしたね」
 掃除一つにしてもエーテルを操作して一瞬で片付けることは出来ない。掃き掃除に拭き掃除をしてやっと座る場所が確保できたのだ。
 ルシフェルもサンダルフォンもただの人間である。人間としてのルールを逸脱してしまった。自分達は悪くないのにと、まだ人間としての営みになれないでいるサンダルフォンは、再会をした14年前には舌足らずであった。人間は、成長する生き物なのだから自分たちも成長しなければなと、ルシフェルは次の命では間違えまいと静かに誓った。

Title:うばら
2020/11/15
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