ピリオド

  • since 12/06/19
「いってきます」と小さな声と共に、ガチャリと施錠された扉の音に目を覚ました。
 ベリアルは手探りで携帯端末を手に取ると時刻を確認する。日付を回り、空が白みはじめた頃に帰宅をした身としては、ちっとも眠った気になれない時間だった。
 ごろごろとベッドの上で転がってからややあって、のそのそと起き上がる。そういえばと言うように、「う……ッ」と込み上がる吐き気に口元を覆いながら、よたよたと部屋を出るとトイレへと駆けこんだ。げえげえと吐き出してから、がんがんと痛む頭をおさえ、ふらふらとリビングの椅子に辿り着いた。
 目が覚めてから1時間が経っていた。
「やべぇ……飲み過ぎた」
 背もたれに身を任せ、後悔にぽつりと口にした。
 滅多に、どころではない。ベリアルは自分の許容量を把握していた。しかし、昨夜はそれを越す量の酒を浴びるように飲んだ。誘った手前か、それとも飲まなければやってられないという状態のベリアルを哀れと思ったのか、ルシファーは何も言わずに最後まで付き合っていた。吐き気と頭痛が収まり、腹のむしがぐうぐうきゅうきゅうと鳴きはじめたのはそれから2時間後のことであった。
 ふらつくことなく歩ける程度には回復をしたベリアルは、こんな状態でも腹は減るのかと虚しい気持ちになりながら冷蔵庫を開けた。几帳面な台所の「主」らしく、整理整頓をされてすっきりとした中身に、めぼしいものは見当たらない。
「俺も出掛けるから」なんて言わなければ良かったかとベリアルは後悔を覚えた。らしくもない、つまらない意地を張ってしまった。
 1日くらい食事を抜いたところでと思ったが、ぐうぐうと鳴る腹に仕方ないと口にしたことだしなと思いながら、出掛ける支度をした。



 浴びるように、朝方まで飲んでも結局気分はまぎれることは無い。今日は昼から飲むぞと家を出た。駅前の通りの居酒屋ならば、昼間からも開いているはずだと、選んだ道にベリアルは後悔をした。
「ベリアル? なんでここに?」
「サンディは……一人かい?」
 デートだったんじゃないのかと言えば、むっと眉を寄せて唇を尖らせるサンダルフォンの姿にベリアルはにやにやと笑ってしまう。
 駅の真ん前には出来たばかりのショッピングモールがあり、人の出入りが激しい。壁に背を向けて手持無沙汰でいるサンダルフォンに、「せっかくおめかししたのにね」と追い打ちをかけて見れば、サンダルフォンはふんとそっぽを向いてしまった。それから、「あ、」とサンダルフォンが嬉しそうに声を漏らしたのと、ベリアルが声を掛けられたのは殆ど同じだった。
「彼女に何か用だろうか」
 淡々とした声には覚えがある。つい朝方まで飲み歩いたルシファーと殆ど同じであった。しかし、彼ではないと確信できる。
 ぎこちなく振り向けば、驚いたような顔をしている男がテイクアウト用の紙カップを二つ抱えて立っている。間抜けな姿だなぁと思いながら、ベリアルはとびっきりによくあたる嫌な予感を覚えた。
「ベリアル?」
「ルシフェルさん……知り合いなんですか?」
「ああ、彼女に何か用でも?」
 あちゃあとベリアルは頭を抱えた。サンダルフォンはベリアルを見つめる。知り合い何て聞いてないぞ、と言いたげな不満顔だ。ベリアルはこっちだってルシフェルと知り合いだなんて聞いていない、何より今日の相手はあいつだったのかとサンダルフォンを見つめる。お前には関係ないだろ。負けじとサンダルフォンは見つめ返した。そんな二人だけのやり取りを、ルシフェルは不愉快そうに見守っていた。
 はぁとため息を零したのはベリアルだった。
 サンダルフォンを背に隠すように、ルシフェルを見る。
「なんだ、キミってロリコンだったのか」
 ベリアルの言葉にぎょっとしたような顔をしたルシフェルだったが、突然蹲ったベリアルに今度はおろおろとする。ルシフェルには、ベリアルの脛を思いきり蹴ったサンダルフォンの姿が見えなかったらしい。
「失礼なことをいうな!!」
「そうは言うけどサンディ、年の差を考えてみろよ。お前はまだ15だろ? あいつ、俺と同い年だぜ」
「うっ」
「サンディが俺の事大好きなは知ってるけどさぁ……」
「はぁ!? 嫌いだが!?」
「照れるなよ。まだ反抗期か?」
「照れてない!!」
「ついこの間まで一緒にお風呂に入った仲なのに?」
「お前のついこの前は10年前になるのか!?」
 一緒にお風呂、という言葉にルシフェルが一瞬だけ鋭い視線を向けたが10年、というサンダルフォンの言葉にほっとした様子を見せた。
「君に妹がいたなんて知らなかったな」
 言い争う二人をルシフェルはのほほんと見守っていた。見た目がよく似ている。何よりベリアルもサンダルフォンも、互いに気心が知れた様子であった。
 ルシフェルの言葉にサンダルフォンもベリアルもきょとりとしている。矢張り、よく似ているなとルシフェルは一人納得をしていた。
「いや、俺の妹だとしたらおふくろが何歳の時のガキだよ。流石に無理だろ」
 サンダルフォンも同意してしまう。
「ならば、君達の関係は……?」
 不思議がるルシフェルに、サンダルフォンはベリアルを見て問い掛けた。
「……言ってないのか?」
「言う必要もない相手だよ」
「でも」
「サンディ、帰るよ」
 この話は終わりだと言わんばかりにサンダルフォンの言葉を遮ると、ベリアルはサンダルフォンの手を取ろうとした。しかし、サンダルフォンはむっとしてベリアルの手をぱしりとはらった。
「サンディ」
 聞き分けの悪い子供に言い聞かせるようなベリアルの言葉にも、サンダルフォンはつんと唇を尖らせて不満を浮かべ、不貞腐れている。そういうところが、まだ、15歳の子供なのだと、ベリアルは呆れてしまう。守らなければならない子供だ。そんな子供を、ルシフェルに任せるなんて正気でいられるわけがない。
 意地を張るサンダルフォンに、ベリアルは溜息を零した。
「サンダルフォンを責めないでくれ。誘ったのは私だ」
 ルシフェルが無理強いをしたとは思えない。不本意ながら、ベリアルの中でルシフェルは信頼に値する、誠実な、詰まらない男である。
 ベリアルはルシフェルに向けていた視線をサンダルフォンに向けた。サンダルフォンは泣きそうになるのを耐えているようで、唇をぎゅっと噛んでいた。その姿は母親によく似ているから、ベリアルは遣り切れなくなる。
 どうして母親にばかり、年々似てくるのか嫌になってしまう。
「ごめんなさい、ルシフェルさん……お父さん」
 お父さん、と呼ぶほどに真剣に反省をしている様子のサンダルフォンの頭をくしゃりと撫でた。自分の所為で、ルシフェルにも迷惑をかけているのだと、自覚をしたのだろう。
 憔悴しきっている様子のサンダルフォンは、髪の毛を掻きまわす手を止めろとも言わず、俯いたまま、しおらしい。
「おとうさん?」
「やめてくれ。虫唾が走る。鳥肌が立ったじゃないか。お前にだけは呼ばれたくない。お義父さんって呼ばれるならファーさんがいい。サンディ、こいつとファーさんそっくりだし、ファーさんにしときな?」
「やだぁ……」
「ファーさんもサンディのこと結構気に入ってるからいけるって」
「……むり」
「無理かぁ……。今ならルシフェルが弟についてくるけど……それでも?」
「それでも」
「……君たちは、親子だったのか」
 なるほどと、合点がいったというようなルシフェルに、ベリアルはぶつぶつと立った鳥肌をさする。それから、ベリアルがいつもの調子で軽口を叩くうち、サンダルフォンも調子を取り戻していた。
 しおらしいサンダルフォンなんて調子が狂ってしまう。
「……保護者であるなら、君も一緒にどうだろうか」
 こいつ本気で言ってるのかとベリアルはルシフェルを見た。本気ですかとサンダルフォンもルシフェルを見た。二人はよく似ているなと、視線を向けられたルシフェルは思った。
 ルシフェルは何かおかしなことを言っただろうかと不思議そうに首を傾げているから、ベリアルは大切な娘を託すには心配で不安で仕方なくなってしまう。
 保護者同伴のデートなんてありえないだろうと、言いたくなったが「じゃあお邪魔しようかな」とこたえれば、サンダルフォンは正気かというようにベリアルを見上げた。



 雨曝しに、塗装がはげてむき出しになった階段をのぼる。カンカンと耳障りな音がした。
 携帯電話から、目当ての人物の連絡先を表示するとコールをする。暫くして、この電話は現在……というアナウンスに、ベリアルは溜息を零した。
 アパートの二階の一番奥が、彼女の部屋だった。
 空き巣やひったくり、痴漢の多い地域に、ベリアルがいくら引っ越せといっても、引っ越しをする気配がない彼女とは、別段に恋愛関係にあるわけではない。それでも、嫌な予感を覚えて、連絡がとれないことを心配してしまうくらいには、その身を確認しに来るくらいには、ベリアルは彼女のことを気に入っている。
 呆れるくらいに要領が悪く、真面目すぎる女は総じて地雷であるのに、手をだした。彼女気取りに振舞うか、被害者ぶるかと思った女との関係は、変わらないままだった。ベリアルが別の女の気配を纏っていようが女は何も言わない。精々が「そろそろ刺されるんじゃないか?」と言う程度だった。
 壊れたインターホンの代わりに、コンコンと扉をノックする。しん、としていた。
 いないのだろうかと、ベリアルは無駄足だったなと思う。それから、携帯電話から女の連絡先を消去しようとした。自分らしくないことだ。来るもの拒まず、去る者追わずである。それから、ポケットに入れていた女の部屋の鍵を取り出す。これも返しておくかと、扉の新聞受けに入れようとした。新聞受けの隙間から、か細い声が聞こえたのはきっと運命だったのだ。新聞受けに入れようとした鍵で、扉を開けた。
「いるのか?」
 心臓がばくばくと嫌にはやい。
──あー……というか細い音が聞こえたのは、風呂場からだった。
 もつれそうになる脚で、風呂場の扉をあける。
「お、い……」
 ぐったりと浴槽にもたれる女の顔は血の気が失せていた。真っ青を通り越して、土気色だった。おそるおそると、触れても、ぞっと冷たい。呆然と、その姿を見つめていた。
 ふと、か細い声が、ベリアルの耳朶をうつ。
「……は? マジか、おい」
 女が大切に抱えている腕のなかで、しわくちゃの、サルのような赤んぼうが泣いていた。ひゅうひゅうと苦し気に藻掻いている。目も開けられないでいる、産まれて間もない姿に心臓が冷えていく。
 どうして一人で産んだのか、どうして何も言わないでいたのか、父親はいったい誰であるのか──疑問はいくらでもあるはずであった。だというのに、考える間もなく、ベリアルは赤ん坊を抱えると、部屋を飛び出した。
 それから病院へと駆けこんだ。
 赤ん坊を看護師の手に託して、ぼんやりと立ちつくしていた。お母さんはどちらにと、看護師の言葉に風呂場の光景を思い出して、ベリアルは嘔吐した。胃の中身を空っぽになるまで吐き出して、胃液を吐いた。
 事件性があると通報をうけ、駆け付けた警察により、女の死は事件性のない事故死であると結論付けられた。産気づいたものの、病院にいくこともできずに、自力で産み落とした。その際に、命を落としたというのだから、ベリアルはおかしくなってしまった。要領が、悪い女だと、笑いながら、泣いた。
 赤ん坊はあと少し遅ければ命が無かったのだという。点滴に繋がれている赤ん坊の姿を見る。痛ましいのだろうなと、ベリアルは他人事のように思った。
 もしも自分がもっと早くに駆けつけていれば、女は死なずに済んだのではないか。引越しをつよくすすめていれば、人の気配が多い地域に引っ越しをさせていれば。そんな考えが過る度、風呂場の女を思い出し、吐いた。
 両親のいない女の葬儀は静かに終わった。
 数少ない参列者であったルシファーはじっと、赤ん坊を抱いて喪主を務めるベリアルを見つめて、重い口を開いた。
「アイツの代わりにするつもりか」
「まさか。俺の子どもだからだよ」
「お前にそんな甲斐性があるとは思えん」
 ひどい言われようだとベリアルは肩を竦めた。まあ止むを得なしの評価であるし、自覚はある。
 自分で引き取ると言っておきながら、自分でも何を言っているのだと思ったのだ。
 医者から、もしかすると後遺症がと危惧された赤ん坊は元気そのもので退院をした。
 サルとしか思えないでいた赤ん坊は、徐々に人間のようになっていた。しわくちゃの顔はふっくらとして、閉ざされていた目はまんまるくっきり深い紅色である。ふわふわと癖のある鳶色の髪がくすぐったい。
 ベリアルの子供であると誰もが信じてやまないでいるが、ただ、母親に似ただけである。そして、その母親とベリアルが、よく似ていただけのことだ。とはいえ、見た目は似ているが、中身は正反対であった。それでいてどうして、アレで釣合は取れていたなとルシファーは思いを馳せる。
「んーん」
 式の間、大人しくしていた赤ん坊がぐずりだす。ベリアルはぎこちなく、あやすものの、子供のあやし方なんて知らないでいる。
「どうした、飯なら食っただろう? おむつか?」
 赤ん坊に向かって「サンディ」と呼びかけるベリアルにルシファーは苦い虫を噛んだみたいな顔をする。
「遺伝子鑑定は本統にしないんだな」
「しないよ」
 この子は俺とサンディの子どもだ。そう言い切るベリアルに、ルシファーは諦めを覚えた。
「……その子供にサンダルフォンなんて名前をつけるお前も大概だな」
「どうする? サンディ。ファーさんに褒められちゃったよ。赤飯でも炊くか?」
「別に褒めていない」
 父親が喜んでいると認識をしたのか、むずがっていたサンダルフォンはといえば、きゃっきゃと声を上げてご機嫌な様子で笑っている。どうして笑っているのか理解できていない様子のベリアルであったが、機嫌がなおったことに安堵をした。ぐにゃぐにゃとしているサンダルフォンを抱くベリアルを危なっかしいなと思いながらルシファーは何もしないでいる。
 母親が死んだことも理解をしていない、理解できるはずがない赤ん坊に対して、無邪気なものだと感想を抱くのはこの世界でルシファーくらいだ。
「男運まで母親に似たら笑ってやろう」
「ひでぇ」
 ベリアルはけらけらと笑った。
 そう思うよなサンディと、同意を求めるサンディとは、腕に抱いている赤子なのか、死んだ女のことなのか、ルシファーには分からなかった。

Title:約30の嘘
2020/11/14
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