ピリオド

  • since 12/06/19
 中庭におりたサンダルフォンはてきぱきと珈琲を淹れる準備をする。すっかりと手慣れた手つきだった。お湯の温度を調整しながら、ルシフェル様は帰還されるのだろうかとそわそわと落ち着かないでいる。手持無沙汰に珈琲豆を数えてみたり、お湯の温度をあえて冷まして、また沸騰させて、なんて無為なことを繰り返した。
──今日は、来られないのかな。
 珈琲豆は3度数えて、すっかり同じ数であることを確認している。
 お忙しい御方なのだから、仕方のないことだと思いながらも、サンダルフォンは淋しい、なんて思った自分が恥ずかしくなる。欲深で、我儘で、付けあがっている。ルシフェル様の情けに、慈悲に、報いるために、役立たちたいというのに。これではと、歯噛みした。
──俺の役割はいつになったら、与えられるのだろう。
──そもそも、役割もないままに作られた天司なんて、いるのだろうか。
 薄暗い憂いがサンダルフォンの胸を巣食っていた。数え終え、戻し損ねた珈琲豆が、ぽつんと机の上に落ちていた。何気なく手に取る。小さな粒だ。戻し損ねても、気づかないでいただろう。自分のよう、なんて思ってからサンダルフォンはちょっとだけ笑った。
 珈琲豆であれば、役立っている。あの御方が好まれている。自分を重ねるなんて、烏滸がましい。
「なにか楽しい事でも?」
「うわぁ!?」
 思わぬ声にサンダルフォンは飛び跳ねて、その拍子に手にしていた珈琲豆をどこかに放りだしてしまった。コン、と跳ねた珈琲豆だったがその音はサンダルフォンが驚いた拍子に立ち上がった音で掻き消えた。目をぱちぱちとさせるサンダルフォンに、ルシフェルは驚かせてしまったかと済まなさそうな顔をする。
 それから、部屋を不思議そうに見まわした。
 サンダルフォンも倣うように、部屋を見る。しかし、いつもと変わらない部屋だ。しいて言えば、どこかに珈琲豆が飛んで行ったことくらいか。
「甘い香りがしたのだが……」
 甘い香り? サンダルフォンもくんくんと嗅いでみるがそのような香りはしなかった。首を傾げる。
「……気の所為、だろう。サンダルフォン、今日は私が珈琲を淹れよう」
 良いのですか!? なんて目を輝かせるサンダルフォンの姿にルシフェルは笑みをかえす。
 嗅いだことのない香りだった。
 甘やかで芳醇な、熟れた果実のような香りだ。
 思い出しただけで、喉が鳴る。
 思考がぼんやりと霞掛かるような、くらくらとする香りだった。
「ルシフェル様!! 零れてます!!」
「あ、あぁ……」
 らしくない姿に、サンダルフォンは不敬かもしれないと思いながら心配になる。完璧、と言われているルシフェル様には珍しいミスだった。カップから溢れた珈琲の元素を分解している姿に、サンダルフォンは声を掛ける。
「なにか、心配ごとですか?」
「……いや」
 きみは案ずることは無いよ。そんな言葉が聞きたいわけじゃない。ルシフェル様が悩むようなことなのだから、自分では力添えなんて出来ないだろう。せめて、心配を知りたいなんて、役割のない自分には過ぎた真似だったのだろうか。サンダルフォンは自らの言動を恥じた。
 また、ルシフェルはきょろりと周囲をみる。くん、と嗅ぐ仕草に例の香りかとサンダルフォンもくんと嗅いでみるが、矢張り感じない。
「甘い香りですか?」
「ああ……これから、友に話してみようと思う。きみも来てくれないか」
 サンダルフォンは嫌だ、とは言えずにいた。
 香りを感じているのが正常なのか、感じていないのが正常なのか。二人で食い違っているのだから、当然であるのだ。
 ルシフェルと共に所長室へと向かえば、冷徹な視線を向けられてサンダルフォンは生きた心地がしない。
「甘い香り?」
「ああ、今もしている」
 怪訝に、くんと嗅ぐ仕草をするもののルシファーは何も感じない。それが腹立たしい。ルシフェルに、最高傑作に不調なんてありえない。
「お前は感じないのか」
「は、はい」
 強張った声でサンダルフォンは頷く。ルシファーは苛立たしく舌打ちをする。それからルシフェルに向かい検査をすると告げた。ルシフェルはわかったと神妙に頷くと、サンダルフォンに部屋に戻っていなさいと命じた。
 サンダルフォンは心配に思いながらも、自分が心配をしたところでとおもいなおすと虚しさを覚え、はいと頷き所長室を出た。
 ルシフェルのコアを観察するも歪みもなく安定している。ならば香りとはいったい何のことだとルシファーは眉を寄せ考える。
「戻ったよ……ってなにこの香り」
 呑気に帰って来たベリアルは部屋にルシフェルがいることと、それから嗅ぎ慣れない香りに目を丸くした。
「きみも感じるのか」
「まぁこんだけ主張が強いとねえ」
 ルシフェルはほっと、ここにきて自分だけが感じる香りではないことに安心を覚える。
 甘い香りは、天司にしか感じ取れないのかと仮説を立てる。しかし、サンダルフォンは感じていなかった。役割の有無か、と考え込むルシファーはルシフェルのコアを戻した。あるいは、サンダルフォンに異常があるのかと結論付ける。
「香りに害はないのか?」
「害……というほどのものだろうか」
 珍しく、要領を得ない様子のルシフェルに、お前はどうだとベリアルに視線を向ければこちらも困り顔であった。ベリアルは兎も角として、ルシフェルの態度に不快感を覚える。
「何か分かればすぐに戻れ。それから、サンダルフォンを連れてこい」
 なぜ、と言いたげなルシフェルにため息を零す。
「アレの検査もする」
 ルシフェルに命じられたサンダルフォンは、部屋で待機をしていた。ルシフェル様、何事もなければ良いけれど、なんて考えて一人、昏い気持ちになっていた。コンコンとノックの音に誰だろう、と珍しく思いながら扉を開けるや思いもよらぬ、ルシフェルの姿にぎょっとした。
──甘い香りがする。
 くらくらと、ルシフェルは頭の中がぼんやりとして、ふらふらと香りを求める。
「ルシフェル様」と声を掛けようとしたサンダルフォンだったが、不意に至近距離に迫られて思わず、後退る。それを赦さないというように肩を掴まれた。加減のない痛みに思わず呻き声をあげるサンダルフォンの様子もお構いなしに、ルシフェルはじっと、サンダルフォンを見つめる。ルシフェルの異常はサンダルフォンも感じ取っていた。じっと見つめているものの、その目はサンダルフォンをみていない。徐々に近づく顔に、その目がすわっていることに気付いた瞬間。がぶり。
「……ったぁ!?」
 サンダルフォンの僅かに露出した首元をすん、と嗅いだかと思えば遠慮なく噛みつかれる。
──喰われる
 すわった目や、普段の紳士的な振る舞いを考えればなにかあったに違いないと、異常であるとサンダルフォンは足掻くも、天司長ルシフェルに対してはとてもかなわない。噛みつかれたかと思えば舐められ、嗅がれる。何が起こっているのか、サンダルフォンはわからない。
「ル、ルシフェル様!!あ、の!?」
 暴れようともルシフェルは鬱陶しそうにするだけで、容易く、抵抗を抑え込む。それでも暴れるサンダルフォンを苛立たし気に、床へと押し倒した。ごつりと、頭をぶつけたサンダルフォンは痛みに呻く。それから真上にかかる陰に怖気づいた。
 すわった目で、感情の一切を削げ落とした顔がサンダルフォンを見下ろす。恐怖で声が出ない。頭上で手をひとまとめに拘束され、足掻いた脚の間に体が割り込まれる。ぐっと、股の間に感じる感覚にサンダルフォンの頭の中でパチン、と何かが弾けた。
「……っあ」
 なんだろうか、今の感覚はと目を白黒とさせるサンダルフォンを無視するように、くんくんと迫った顔がサンダルフォンの首筋を確かめるように嗅ぐ。その間もぐりぐりと体の中央の部分が刺激されて、サンダルフォンは息を荒げる。
 その先は、いけないのだと、おそろしいと、逃げ腰になるのを、ルシフェルに抑え込まれる。
 ぐりと、押し付けられた感覚にびくりと震える。心細さにルシフェル様と呼びかけていた声は、あえかな母音だけを零している。あともう少しの刺激で込み上がっている何かが、と期待をしているサンダルフォンに、ぐらりとルシフェルが倒れ込んだ。サンダルフォンはきょとりと明るくなった天井を見上げた。そんなサンダルフォンを、ルシファーが見下ろす。手にしているのは、仕込み杖だった。
 中々サンダルフォンを連れてこないルシフェルに痺れを切らして、自ら出向いてみれば、盛っている姿を目にしたルシファーの複雑な心境ったらない。何をしている、と一応は声を掛けたものの盛った獣は聞こえていない。それどころか盛り上がっている様子であるのだから、仕方なく、仕込み杖をフルスイングした。それから納得をした。甘い香りも、騒動の元凶も、サンダルフォンだ。面倒を引き起こしてくれる。舌打ちを零し、ぼんやりとした顔のサンダルフォンに命令する。
「……暫く部屋に籠っていろ」
 体に籠る熱を感じながら、サンダルフォンはその命令に深く頷いた。
 ぐったりと意識を失っているルシフェルをルシファーが鬱陶しそうに、引き摺って行く姿を見送って、部屋の鍵をしめる。
 この熱はどうやって鎮めるのだろうと、サンダルフォンは足を摺り寄せて憂鬱な、熱っぽい吐息を吐き出した。

Title:約30の嘘
2020/11/09
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