ピリオド

  • since 12/06/19
──間もなく1番ホームより発車します。
 改札を駆け抜けたサンダルフォンは、プラットホームを流れる抑揚のないアナウンスに階段を飛び降りる。プシュー……と閉まりつつある扉に、体を潜り込ませてから、ほっと、一息つく。浮かび上がった汗を拭った。
──駆け込み乗車は大変危険ですのでおやめください。と流れるアナウンスにバツが悪くなった。じろじろと迷惑そうに向けられる視線に申し訳なくなり、こそこそと逃げるように車両を移る。
 座席は埋まっているが、比較的すいている車内にほっとする。肌寒いくらいの空調に、急いでいたとはいえカーディガンを羽織ってきて良かったと思いながら、扉近くに位置すると、手持無沙汰に、車内に流れる映像をなんとなしに見ていた。
 にこやかなキャラクターが今日の星座占いと明るい調子で格付けている。残るは1位と最下位の発表のようだった。
 1位の星座が発表される。サンダルフォンは職場の先輩を思い出した。誕生日と星座まで意識している。ちらっとした会話の内容も覚えている、なんて気持ち悪いと思われるだろうかと考え込む。
 残念、というナレーションで表示されるのはサンダルフォンの星座だった。最下位らしい。
 サンダルフォンは占いなんて信じちゃいない。とはいえ、アラームのセットをし忘れて、いつもの家を出る時間に起きて慌てて着替えて家を飛び出そうとしたところで、履き慣れたパンプスのヒールがぽっきりと折れた朝のどたばたを思い出すと、最下位なだけはあるな、なんてちょっとだけ信じてしまった。
──今日のラッキーアイテムは……と発表をされる前に、次の駅に着く表示に切り替わる。あと、5駅かとサンダルフォンは妙に真剣に見入ってしまったことを、人知れず恥ずかしく思いながらホームを見る。
 ホームにはみっちりと人が詰め込まれていて、憂鬱な気持ちになった。
 扉が開くなり、ぞろぞろと乗り入れする客にもみくちゃになりながら、サンダルフォンは奥へ奥へと押し込まれていく。だから、満員電車は嫌いなのだと、アラームの確認をしていなかった昨日の自分を恨む。
 ただでさえ乗り物酔いをしやすいのに、見知らぬ人間にもみくちゃにされるなんて、それが毎日だなんて耐えられない。普段は満員電車を避けて出勤時間を早めている。それに、早くに出勤すれば、先輩と会える時間が増えるのだ。
 朝早くのしんとしたオフィスで、先輩と二人で珈琲を飲む。約束をしているわけではないが、いつしか習慣となっていた。サンダルフォンはその時間が何よりの楽しみだったから、早朝の出勤はちっとも苦ではなかった。
 先輩にとっては何事もないくらいの時間だ。少しだけ、いつもの時間に来ないことを心配してくれるかな、なんてサンダルフォンはあるわけないかと思いながら、ため息をこぼした。
(ルシフェル、先輩……)
「おはよう、サンダルフォン」
「!? ぉ、はようございます!!」
 唐突に、思っていた人の声にサンダルフォンは顔をあげ、目を白黒させて返事をした。きまりが悪くなりながら、どうして先輩が電車に乗っているのだろうと不思議に思う。
「車での通勤ではありませんでしたか?」
 残業で遅くなったサンダルフォンを、車だから送ろうかと何度か気遣われたことがある。その度に、遠回りになるからと有難く思いながら断った。この程度は、覚えていても気持ち悪くないだろうとたずねる。
 ルシフェルが苦笑を浮かべる。
「エンジンがかからなくてね、今日だけ電車なんだ」
「それは……朝から災難でしたね」
「そうでもないよ」という言葉をルシフェルはのみこんだ。
「君は?」
「今日は、少し」
 寝坊をした、とは憧れの先輩相手に言えずに笑ってごまかした。
 ふと、星座占いが再開していることに気付いた。今日も一日頑張りましょう! と明るいテロップで表示されている。ラッキーアイテムを見逃してしまったな、と思ったが占いなんて所詮は「後付け」で、気休めでしかない。先ほどまで真剣に見入っていた自分を棚にあげて占いを否定する。なんせ、朝から先輩に会えて最下位だなんてありえない。それに、先輩は1位だというのに否定はしているが災難に見舞われている。矢張り、占いなんてあてにならないなとサンダルフォンは改めて確信するのだ。
 車内アナウンスが駅名を告げる。
(あと、3駅……)
 電車が駅に着くや、車内はより一層ぎゅうぎゅう詰めになる。
 人の重みに傾く車内に、それまではどうにか、サンダルフォンに気付かせることなくルシフェルがさりげなく壁になっていたのだが、今やぴったりとくっ付く形になっている。サンダルフォンはルシフェルの胸に飛び込む体勢になっていた。
「大丈夫かい?」
 満員の車内でも、長身のルシフェルは頭一つ分は余裕がある。
 大丈夫です、と言うものの心なしか息苦しそうな様子のサンダルフォンは身動きが取れない様子で俯いていた。この鮨詰めでは仕方ないとはいえセクハラになりはしないかとルシフェルは心配になる。サンダルフォンはといえば、それどころではなくなっていた。
(つけ忘れた!!)
 サンダルフォンは就寝中、ブラジャーをしない。締め付けられる感覚が苦しいのだ。毎朝着替えるときにブラジャーをつけるのだが、今日に限って、朝のあわただしさに、つけ忘れてしまった。幸いというべきか、カーディガンを着ているために目立ちはしない。ルシフェルとの間で擦れるたびに変な気持ちになっていた。今になって気付いてしまった。意識してしまうとささやかな胸の先端が擦れる度に、むず痒い感覚にもじもじとしてしまう。「気分が悪いのか?」と心配をするルシフェルにサンダルフォンは申し訳なくなった。
 はやく、はやく着いてくれ……!! なんてサンダルフォンの願いも空しく電車は駅に着く前に緩やかに止まった。信号点検のため、なんていうアナウンスに絶望をする。「あ、すいません」という声がすぐ後ろでしたのと、事故とはいえ押される感覚に力なく、ルシフェルに倒れ込むのはほとんど同時だった。
 ふにゅりと柔らかな触感にルシフェルは目を丸くする。
「っひゃん!!」
 声をあげたサンダルフォンに周囲が視線を送った。サンダルフォンはうつむく。ルシフェルは瞠目して、ただ胸の中のサンダルフォンを見下ろした。
 最初は、ボタンか何かの感覚だろうと思っていた。そんなはずがないと、まさかと考えた自分を恥じた。しかし、反応を見て、それから、意識してしまうと駄目だった。その柔らかな感覚を知らないほど、ルシフェルは無知ではない。
「サンダルフォン、「あ、あの、つけわすれてしまって、」
 決して、痴女ではないのだとアピールをするサンダルフォンは顔を赤くして、涙目にルシフェルを見上げた。追い打ちみたいな状況にルシフェルは息を呑む。
 電車はまだ、動き出す気配はない。

Title:馬鹿の生まれ変わり
2020/11/06
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