ピリオド

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 中庭で珈琲を飲む時間はサンダルフォンにとって掛け替えのない、幸せな時間だった。孤独を忘れ、敬愛してやまないルシフェルとの語らいだけがサンダルフォンの心の支えだった。中庭でひとり心細く、不安と期待でいっぱいになりながら、待ち焦がれた。
 中庭に現れたルシフェルの姿に、サンダルフォンは嬉しくなって駆け寄って「お帰りなさいませ」とその帰還を心から喜び、珈琲を共にした。サンダルフォンの生活に変化はない。ただ、肉体を維持するだけだった。しかし、今では珈琲があった。珈琲の研究を報告すればルシフェルは興味深そうに耳を傾けていた。それが、サンダルフォンは嬉しかった。勿論、ルシフェルが語る空の世界についての話も大好きだった。だけど、知れば知る程に、焦がれて、どうして役割がないのかと苦しくなっていた。
 時間を忘れて、語らい、そしてやがて、ルシフェルが珈琲を飲み干した。
 空になったカップを見て、サンダルフォンは必死さを押し殺して声を掛ける。
「お代わりをいれましょうか?」
「いや……そろそろ行かなければならない。御馳走様、美味しかったよ」
 立ち上がり言ったルシフェルに、サンダルフォンは行かないでください、なんてとても言えずにいた。言えるわけがない。言ったところで、ルシフェルは行かなければならない。言ったところで、ただ困らせるだけだ。
「行ってらっしゃいませ」
 サンダルフォンは淋しい気持ちを飲み込んで立ち上がると、笑みを浮かべて見送る言葉を口にする。その言葉は、暖かくあり、同時に、きゅっと、淋しい顔を隠す姿にルシフェルの胸が軋んだ。部屋をでる。じくじくと淋しさを抱きながら問いかけた。
「どうかなされましたか?」
 サンダルフォンは自分が、どのような表情を浮かべているのかちっとも自覚をしていない。考え込んでいたルシフェルが、サンダルフォンの頬に手を寄せる。それから、顔が近づいた。睫毛が触れそうだと思いながら、サンダルフォンは睫毛どころか、唇に感じた触感に目を瞬かせた。
「ルシフェル様? これは?」
 顔が離れる。サンダルフォンは首を傾げた。記憶を辿っても、該当する触れ合いはない。ルシフェルはサンダルフォンの言葉に一瞬だけ、息を呑んだ。
「空の民の交流方法だ。親しい者への挨拶、といったところか」
「そう、なんですか?……空の民は不思議な挨拶をするのですね」
 ルシフェルの説明にサンダルフォンは疑問を抱くことなく、唇を触れ合わせることを可笑しく思いながら笑って見せた。しかし、ルシフェルは笑うことはない。サンダルフォンは、笑ってはならなかったのだろうかと不安になる。
「不快ではなかったか?」
 どうしたのだろうかと、この行為に意味はあるのだろうかと不思議に思ったくらいで不快なんて気持ちは微塵もない。そもそも、ルシフェルからの行為をサンダルフォンは不快に思ったりしない。寧ろ役立てるならば喜んでその身を差し出す心意気である。サンダルフォンは首をフルフルと振って、不快感はなかったことを伝えた。
 そうか。とルシフェルは安心をした様子であった。行ってくるよと言って中庭を飛び立つ姿を見送る。ふと、サンダルフォンは、常であれば感じていた淋しさが存在しないことに気付いた。挨拶、と言っていたがあの行為は、淋しさを無くす意味があるのだろうかと、流石はルシフェル様だとますます、敬慕の情が募っていく。
 唇に触れてみる。
 言葉を紡ぐ、飲食をする以外に意味はないと思っていた器官だった。
 それが特別になった。
 一瞬の出来事であったから、驚きが勝っていたが思い返してみれば、そわそわと落ち着かないでいる。あんなにも至近距離で、それも触れ合うことなんて数える程しか無かった。
 目覚めたばかりの頃の稼働検査、以来だろうか。
 今更になって、胸が弾んだ。空の民か、とまだ見ぬ彼らに感謝しながら、サンダルフォンは珈琲を淹れる器具を片づけ、与えられた部屋へと戻る。向けらえる研究者の視線も気にならないほどに、ルシフェルから教えられた「挨拶」はサンダルフォンを勇気づけていた。
 それから、見送る度に唇を触れ合わせる空の民流の挨拶をするようになった。いつしか、出迎える時にもするようになっていたがサンダルフォンはちらりとも疑問に抱くことは無かった。
 ただ、ふとこれは親しい者への挨拶なのだということを思い出すと、息苦しさを覚え、途方に暮れた。
 サンダルフォンにとっては、ルシフェルだけだった。名前を呼び、帰還をすれば気に掛けてくれる。創造主だから、なのかもしれない。天司長だから、なのかもしれない。それでも、ルシフェルだけが、サンダルフォンにとって特別な「親しい」存在だった。役に立ちたいと思い、焦がれる唯一の存在だった。
 しかし、ルシフェルにとってサンダルフォンは多くいる「親しい」内の一人でしかない、と考えては、勝手に落ち込んだ。自分だけが特別に思っているだけなのだと、舞い上がっている自分を戒める。
──自分以外にも、あの挨拶をするのだろうかと、醜い感情が胸を巣食う。ただの挨拶だと思いなおして、必死に、醜い感情に蓋をした。
「おかえり、サンダルフォン」
「ただいま戻りました」と買い出しから戻ったサンダルフォンを出迎えるルシフェルは、ララとロロが仕立てたサンダルフォンと揃いのエプロンを身に着けている。
 喫茶室に備え付けられている棚に、買ってきた調味料を収めていく姿はまだ見慣れないでいる。苦笑しながら、サンダルフォンは手伝いますとカウンターに入る。
 覚悟をして、再会を約束して別れてから短いような、長いような歳月のなかで、再び共に生きる道を見出した。新たな肉体を得て、ただの命として生きる姿は、奇跡で出来ている。
 休憩がてら、珈琲の試飲をしている最中のことだった。ふと、サンダルフォンは抱き続けていた疑問を、言うか言うまいかと悩んでいた言葉を、口にした。
「もう、空の民の挨拶はしないのですか」
 ルシフェルが咽る。
 ごほごほと盛大に咽る姿に、慌てふためきながらサンダルフォンは背中を摩り、それから水を用意した。ありがとう、と咳き込みながらルシフェルは水を飲むとぎこちなく、サンダルフォンを見た。サンダルフォンは、そんな姿が新鮮で、つい、笑ってしまった。
 観念したみたいに、ルシフェルが口を開いた。
「しても良いのかい?」
「……挨拶は嫌ですけど、本当の意味でなら、良いですよ」
 知っているんですからねとサンダルフォンは悪戯っぽく笑うと、「そうか」と言ったルシフェルはサンダルフォンの頬に手を添えた。それから、唇を重ねる。サンダルフォンは目を閉じて、受け入れた。
 珈琲味で、ほろ苦い口づけは不思議と甘くて、何度も繰り返した。

2020/11/05
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