ピリオド

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 からりとした晴天と涼やかな風の中、グランサイファーは悠々と航行を続けていた。昼下がりの艇内はのんびりとした時間が流れている。そんな中で、グランは一際はしゃぐ声を耳にして、顔を覗かせた。発生源は、喫茶室だった。
「じゃあ……グランサイファーは?」
「こう、だな」
「わぁ全然違うんだぁ……あ、でも……こことか、ちょっと似てる気がします」
「あぁ。今の文字は…………グラン? 突っ立ってどうした?」
 喫茶室の主であるサンダルフォンがグランに気付くと声を掛けた。顔を付き合わせていたルリアは、グランに気付くとそうだ、と言うように広げていた紙をグランにじゃん、と見せた。
「これ、なんて読むと思います?」
「え、なにこれ……っていうか、文字なの?」
 細い線で幾つもの記号が記されているだけにしか思えない。ルリアはグランの言葉に満足したみたいに笑った。
「ふふふ。正解はぁ……コーヒーでした!」
「何処をどう読んだらコーヒーなの」
「……ふ。星の民が使用していた文字だ。とっくに、失われたものだよ」
「へぇ……僕の名前はどうかくの?」
「──こう書く」
「全然違うじゃん……あ、ならルリアは?」
 ビィ、カタリナ、ラカム、イオ……仲間たちの名前が二千年前の文字で書き記されていく。グランが知る文字とは異なるそれは、歴史研究者が見れば騒然とするのだろう。そもそもサンダルフォン自身が歴史的価値が高いといわれる、星の民の技術の結晶なのだ。そんな存在が生きて、騎空艇に乗って、珈琲を淹れているって、よくよく考えると不思議な光景だとグランは改めて思った。
 なら次はとルリアはサンダルフォンに強請って、それからふと、まだ書いていないことを思い出した。
「サンダルフォン、ってどうかくんですか?」
「ん? 俺の名前は──」
 書き記した文字列を見つめ、サンダルフォンはふと、思いを馳せる。
 研究所において、サンダルフォンはただ肉体を維持するだけの日々を送っていた。与えらえれた私室と、それから中庭がサンダルフォンに許された活動区域だった。珈琲をルシフェルから教えられてから、好ましく思うようになり、研究をするようになった。とはいえ、時間はいつも、持て余していた。
 大っぴらに研究所内を動き回ることは許されず無為に過ごす日々は、苦痛だった。早く役割が欲しいと焦がれる日々だった。
 今日は帰還をされるのだろうかとそわそわとしながら、中庭に降りたサンダルフォンは珈琲の準備をする。湯の温度を調整して、珈琲豆の状態を確認してあとはルシフェルを待つだけだった。この瞬間がいちばん、恐ろしいのだ。帰還されるか否か、分からない。期待をして、外れて、落ち込んでしまう。
 今日は、落ち込まないですむようだった。
「ルシフェル様、お帰りなさいませ」
 声を掛けるサンダルフォンにルシフェルはただいまと言うと、
「友から許可が下りた」
 そう言ったルシフェルは幾つもの分厚い本を手にしていた。サンダルフォンはきょとりとしながら、その本を受け取る。
「ありがとう、ございます……ですが、」
 サンダルフォンは戸惑う。意図して排除されたものか、あるいは稼働初期における欠陥であるのか不明であるが、サンダルフォンは文字の読み書きが出来ない。それを知らないルシフェルではない。
 現状において支障をきたすことはない。そもそも文字の読み書きができる天司は上位天司の中でも限られていた。サンダルフォンに読み書きの機能が無い事は不自然なことではなかった。
「案ずることは無い、私が教えよう」
「ルシフェルさまが、ですか?」
「私では不満か?」
「いえ、とんでもないです!!」
 ぴんと居住まいを正すサンダルフォンに、ルシフェルは穏やかな微笑で返した。その笑みに、サンダルフォンは微苦笑でこたえる。
──役割のない俺なんかに時間を割くだなんて勿体ないことです
 口にしようとして、あまりにもな言葉に自らが傷ついて、出来なかった。
 ルシフェルが紙を取り出すと、そこに幾つもの、サンダルフォンにとっては複雑怪奇な記号を記していく。
「これが、文字、ですか?」
「ああ……この文字の組み合わせが単語で、単語をさらに組み合わせたものが文章となる」
「なるほど……」
「……たとえば……」
 言いながらルシフェルは記したばかりの文字列表の下に、すらりと単語を書き記した。文字列表に合わせてごらんといわれ、サンダルフォンはじっと読み比べて、はっと、
「……サンダルフォン?」
「そう。君の名前だ」
 よくできましたというように笑みを浮かべたルシフェルは、また単語を書いた。サンダルフォンは同じく、文字列表を見合わせる。それから、おそるおそると、口にする。
「…………かひ?」
「惜しいな、珈琲だ」
 間違えてしまったくやしさと恥ずかしさに顔が赤らんだ。ルシフェルはふふふと笑って、それからまた、単語を書いていく。
 そら。はな。なかにわ。けんきゅうしょ。てんし。げんそ。
 サンダルフォンは、ルシフェルが書き記した文字を読み上げていく。研究者が見れば、呆れてしまうのだろう。そんなことをして、何の意味があるのだと言われることは目に見えていた。
「ルシフェル様のお名前は、どう書かれるのですか?」
「私の名前は……」
 書き記された文字だけが光って見えた。黒いインクで、周囲に書かれている単語と同じ色だというのに、特別に思えた。サンダルフォンはそっと、指先でなぞってみる。まだ乾いていないインクが指先を汚した。
「書いてみるかい?」
「……はい」
 おそるおそると、ペンを受け取る。それから、見様見真似で、初めて書いた文字は、よれよれで、力んで、滲んで、とても、読めたものではなかった。その文字を、ルシフェルがなぞった。指先にインクがついていたのを、サンダルフォンはふと思い出した。
「これは、なんて読むと思う?」
 仲間たちの名前を真似て書いているグランとルリアに、問いかける。さらりと、何度も、何度も書いた文字列は迷うことなく、美しく書き記された。
 グランとルリアは顔を見合わせてうんうんと唸っている。サンダルフォンはそんな二人が可笑しくてつい、笑ってしまった。
 二千年経って、よれることのなくなった文字列は変わらず、特別だった。
「うーん……ヒントは?」
「そうだな──」

2020/10/26
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