ピリオド

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 帰還をした研究所内は騒然としていた。慌ただしい様子の研究者に、事故があったのだろうかと考えると、気が気でなくなる。サンダルフォンは無事だろうかと、じりじりとした不安に駆られたルシフェルが気が付けば、サンダルフォンの部屋の前であった。
 中からはサンダルフォンの気配がすると同時に、小さな気配を感じ取る。
 焦り、ノックもせずに入り込めば寝台に座りこみ、きょとりした顔でルシフェルを見るサンダルフォンの姿がとびこんだ。そして、寝台には小柄な獣が尻尾の毛を逆立ている。
「良かった、……サンダルフォン?」
 呼びかけても、ルシフェルが知る笑みが返ってくることはなかった。安らぎを抱く笑みもなく、ただきょとりと不思議そうな顔がルシフェルのことをじっと見つめているだけである。
 やがて、ふと飽きたように視線が逸らされる。
 ショックだった。
 優秀な思考回路も処理落ちをして、呆然と、立ち尽くす。そんなルシフェルの横をサンダルフォンがふらふらと通り抜けていこうとした。
「見張っていろと言ったはずだ」
 サンダルフォンの腕をつかんで、うんざりと苛々を隠しもせず部屋の中に向かって言うルシファーの姿にルシフェルは眉間にしわを寄せた。ルシファーが態々出てきたということは、このサンダルフォンの異変にも関わっているということだ。
 しかし、今回に限ってはルシファーは無実である。
「事故だ」
「なぜ彼が巻き込まれる事態に?」
「俺に聞くな。既に処分済みだ」
 ルシファーに腕を掴まれたサンダルフォンはといえば、立っていられない様子で、ふらふらとして、しゃがみこもうとする。
「この程度の命令も果たせないのか」
「誰に向かって……」
 ルシファーはサンダルフォンをルシフェルに押し付けた。自分のことをさっぱり理解していない姿には、淋しいものを覚える。乱暴な扱いを咎めようとしたものの、ルシファーは、ずかずかと部屋に入り込むと、見渡してから寝台の下を覗き込み、手を入れた。それから掴んだものをぶら下げて、それもまたルシフェルに投げ渡す。投げ渡された小さな獣はぽかんとした後にルシフェルの手元から逃げようと藻掻いた。
 ルシフェルはサンダルフォンと、それから獣を抱える。獣はすっかり参ったというようにおとなしく収まっていた。それどころかぶるぶると震えている。サンダルフォンはきょとりとルシフェルを見上げて、やがて、首筋に顔をうずめた。くすぐったさに身動ぎをすれば、獣がサンダルフォンにむかって毛を逆立て威嚇をした。
「数日で元に戻るらしい」
 抱え込んだ一人と一匹に語り掛ける。1人はといえば興味がなさそうに相変わらずルシフェルの首筋に顔を埋めてすりすりと額を押し付け、時折、はむはむと甘噛みをしている。そんな1人に対して1匹はシャアと咎めるように鳴き声をあげた。
 本来はサンダルフォンではない天司が実験検体であったらしい。聞いてぞっとして1人と1匹を抱きしめてしまった。今回は元に戻る上に危険性は低いが、もしもと考えたら、もの恐ろしさを感じる。
 実験内容は意識の交換であり、今のサンダルフォンの肉体の意識は獣であり、獣の中にはサンダルフォンがいる。中身が異なるとはいえ、外身が異なるとはいえ、どちらもサンダルフォンであることに変わりはない。
 元に戻るという安心もあって、ルシフェルは現状を少しだけ、楽しんでいた。
 中身は異なる、と理解をしても無邪気に触れ合ってくるサンダルフォンの様子は嬉しいものがある。その上で外身は異なるサンダルフォンもルシフェルの腕の中に納まっているのだ。身を固くしたまま、暴れる気配はない。暴れて、万が一にも傷をつけてしまったらと思うと、体を動かせずにいるだけなのだが、ルシフェルは知らない事である。
 首筋に顔を埋めていたサンダルフォンが顔をあげた。じっと見詰められたルシフェルが声を掛ける。
「どうしたんだい?」
 返事はない。2人分のサンダルフォンを満喫できるとはいえ、会話が出来ないことは、やはり淋しくなる。サンダルフォンの声が聴きたい。ルシフェル様と、名前を呼ばれたい。
 じっと見つめていた顔が近づく。
 頬に、生温い触感が這った。
 驚いて目を見開くルシフェルにも目も呉れず、ペロペロとルシフェルを舐め続けている。頬を舐め終わったかと思えばはむはむと唇をあまがみして舐められる。ルシフェルはびくりと震えた。中身はサンダルフォンではないと、言い聞かせる。
 人語を話せたならば「何をしている!? 不敬だぞ!! いますぐ辞めろ!!」と非難をしたうえで引き剥がしていたのだが、悲しきことに今のサンダルフォンが入っている肉体は人語を発するのに不適正な構造であった。口からはシャーシャーという音だけである。その上、小さな体では引き剥がすこともできやせず、まだ、ペロペロと舐めているのだからたまったものじゃない。ルシフェル様を汚してしまったと、サンダルフォンは自分の体を押しのけるように登ると、せめてもと、ぷにぷにとした肉球のついた手で触れた個所を拭きとる。実際はといえば押し付けるだけの仕草である。
 動けずにいるルシフェルに対して1人と1匹のサンダルフォンは舐めては拭ってを繰り返している。 
「ここが、楽園か」
「なにをとち狂ったことを言っている。準備が整った、そいつらを寄越せ」
 最優先で実験設備を整えさせたルシファーが、所長自ら、態々呼びつけに来れば最高傑作が呆けたことをほざいている。やはり此れはルシフェルにとって害でしかない、再実験は失敗をしたということにして、廃棄してやろうなんて考えが過る。
 ルシファーの言葉に、ルシフェルは渋々と1人と1匹を器用に抱きあげる。どうやら天司長が態々運んでくれるらしいから、ルシファーはなにも出来やしない。
 天司長の厳しい監視下で行われた再実験は、研究所所長が監督したこともあり無事、成功に終わった。
 実験が終わるや否や、ぴゅんと、獣は研究室を駆けだしていった。振り返ることもない後ろ姿を、少しだけ淋しく思いながら、俯いたままのサンダルフォンを「つい、うっかりと」抱きあげてしまう。
「も、もう、戻っています!! 自分で歩けます!!」
「……そうだったね」
 必死の声に、ルシフェルは名残惜しく、サンダルフォンを降ろした。ほっとしたサンダルフォンは、中身も、外身も、ルシフェルが作り出した存在である。
 やはり先ほどのように触れ合うことは出来ないかと、少々残念に思ってしまったことは、「ルシフェル様?」と不安を浮かべるサンダルフォンを前に、胸の奥底に秘めて隠した。

2020/10/14
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