ピリオド

  • since 12/06/19
「今日、うち、誰も居ないんです」
 さり気無く言うつもりだったのに、声は固くなっていたし、緊張と期待を、ちっとも隠しきれていない。心臓の音が煩くて、聞こえてしまっているんじゃないかと不安になる。ぎゅっと握りしめた鞄の持ち手は汗ばんでいて手を繋がないで良かった、なんて思ってしまう。
 何も言わないでいる先輩を見るのが怖くて、俯いた。
 私服はパンツスタイルばかりで、履き慣れることのないスカートは校則のまま膝下まである。友人曰くダサい、らしい。短くしなよと言われても跳ね除けている。だが短いスカートが翻るたびに多くの男性は無意識なのだろうが、視線を向けるから気になってしまう。まさか先輩も、なんて思って不安になる。
「先輩はあのスカート丈どう思います?」
「校則違反だね」
 興味を示すことなく淡々とした先輩の様子に、胸を撫でおろした。これでちょっとでも言いよどんだら、ジャキジャキとスカート丈を短くして風紀指導に咎められるのも吝かではなかった。
 優等生であることよりも、如何に先輩に好まれるかが重要なことなので。
 一生涯、誰かを恋しいと思う事なんてないんじゃないかと諦めていたと言えば、まだ16だろと笑われてしまうかもしれない。たった16年しか生きていないけれど、先輩に出会わなければきっと恋なんて知らなかったのだろうと確信している。
 初めて恋をした。
 手を繋いで、キスをした。
 大事にされてると、思う。
 初めて付き合うから、比べることは出来ない。
 その先に、進んでみたい、って、思うのは、はしたないのだろうか。幻滅されてしまうだろうか。
「だから、あの──

──この恋はきっと、最後の恋だから。

 飲み物を持ってきますねと、取り残される。心なしか早口で、顔が赤くなっていた彼女に、思い違いでなければ、求められている。
 そわそわと、落ち着かない。
 彼女の家に上がったのは初めてだった。
「大丈夫ですよ、先輩が帰るの遅くなってしまいますから」
 遠慮をする彼女を生徒会に誘い、遅くまで付き合わせた責任、なんて言い訳で、独り占めしたいがために、送り届けていたから、家は知っていた。彼女の家の前までが、境界線だった。また明日と言って、手を振る。彼女はこたえるように、はにかみながらありがとうございます、また明日、気を付けてくださいねと言って、別れる。
 生活している温度が残ったまま、人がいない家。
 前を歩く彼女が歩くたびに、ひらりと長いスカートが揺れた。ちらりと、ソックスに隠されていない、生白さが覗き、目を逸らした。やけに、喉が渇いて、つばを飲み込む。
 興味はあるのだ。歴とした十代の男であるから、欲情を覚えることはある。勿論、恋人に対して抱くことは当然である。触れた手は、小さく、細く、壊れやしないかと心配になった。合わせた唇は、甘くて、離れがたかった。触れ合いに満足できずにその先にと思っても、怖がらせてしまったら嫌がられてしまったらと思うと、進めずにいた。情けない、ことだ。
 同級生にはそれでも十代かと、お前の獣を解き放てと散々に言われ、マナーだと渡されたスキンは鞄の奥底に仕舞われていた。スキンの使い方は知識として得ている。
 窓から差し込んだ夕日に照らされ、赤くなったテディベアがちょこんとベッドの、枕元に置かれていた。じっとつぶらな、黒い目が見詰めて来る。
 妙な気まずさを覚えてしまい、目を逸らした。

 先輩と知り合って、先輩のことが知りたい、少しでも話を広げたい、なんて邪な気持ちで触れだした珈琲も今や立派な趣味だと胸を張って言える。自分でも凝り性だと自覚はしていたけれど、どっぷりとはまっている。
 苦味にどこが美味しいのか分からなかったことが、ずいぶんと昔のように思えた。昔と言っても1年も前ではないのに、今や珈琲は日常にすっかりと溶け込んでいる。なくてはならない存在だ。
 家にある来客用のティーセットが、紅茶と珈琲兼用であることに気づかないで過ごしていた。
 ケトルをセットする。なんと無しに開けた冷蔵庫には夜ごはんに食べてねとメモと共に、夕飯が用意をされていた。
 父と母は旅行に行って、帰宅は明日の夜だ。
 先輩と、二人きり。
 この日の為に、なんて言ってしまったら下品だと思われるかもしれない。期待しすぎだと、重たく、思われるかもしれない。
 ブラウスのボタンを三つ外して、確認をした下着は新品である。下着屋で買ったセットのブラジャーとショーツだ。先輩の趣味かどうかはわからない。似合っているのかどうかも、分からない。白色にレースとリボンなんてデザイン、可愛すぎるのではないかと思ったが、普段身に着けている、色気も可愛げもへったくれもない下着で勝負をする勇気はなかった。
──勝負、だ。
 しゅんしゅんと沸騰をする音に、慌ててスイッチを切る。それから、緊張を思い出したみたいに冷たく、震える手でボタンを留めた。
 いつも通りに淹れたはずなのに、記憶が抜け落ちたように、気づけば部屋の前だった。自分の部屋だというのに、この部屋に先輩がいると思うと、気が張ってしまった。

(そもそも部屋に案内するって、あからさますぎるよな)
 なんて反省が過ってしまったのは、耳に痛い程の沈黙が降りてしまったからだ。
 こんな相談を持ち掛けることの出来る知り合いなんていない。自分の交友関係の狭さを後悔する。しかし、交友関係が広かったとして、自分の弱みを晒すみたいに、それこそ先輩との関係を大っぴらに口にするなんて想像は出来ない。
「美味しいよ」
 先輩の感想にほっとした。
 ふわふわのラグは前の週末に洗濯をしたばかりだ。今日の朝には早起きをして入念に掃除機をかけ、念入りにカーペットクリーナーを掛けた。汚部屋ではないつもりだが、先輩に来てもらえるようにと掃除はまめにしている。小さな机を挟み、向かい合う。おかしな点はない、はずだった。
「あ、」
 おかしな点を見つけてしまった。
 ベッドの枕元で笑っているみたいな顔をしているテディベア。定位置のように納まっているから、気づかずに置いたままだった。クローゼットに隠すつもりだったのに。
 視線の先を追いかけた先輩が微笑ましそうに言う。
「大きなぬいぐるみだね」
「入学祝いに貰ったんです。ぬいぐるみで喜ぶ年じゃないのに」
 いらないと言っても反抗期だなんだと言われて結局部屋に置いてけぼりにされたテディベアに、何の罪もない。
「……抱き心地はふわふわで、良いんですけどね」
 口にしてから、言わないでもよかったことじゃないかと思ってしまう。別に深い意味はなく、ただの感想でしかない。だというのに、この状況だからか、妙な意味をもってしまったような気がしてしまう。
 先輩をちらりと、覗き見る。じっと、見つめられていたから、視線がばちりと合ってしまう。逸らすことのできない視線に、心臓が忙しなく脈打つ。
「先輩、あの、」
 声が震えてしまう。先輩の手が、頬に掛かっていた髪を払うと、そのまま頬に手が触れた。唇が触れ合う。小さな机なんて、なんの意味もない。
 期待して、いる。同時に不安になる。自分はこたえられるのだろうか、先輩は良いのだろうか。
 先輩の手が、指が、絡まる。
「いいだろうか」
 熱っぽい声を、聞いたことは無かった。
「せんぱい、」
「名前を、呼んでくれないか」
 舌がもつれる。緊張と、期待がまぜこぜになる。
「ルシ、「サンちゃん、ただいま帰りました!!」
 最悪だ。

 バンッと開かれた扉から、意気揚々と声を掛けてきたままぴしりと固まっている。視線の先にいる自分たちの体勢は、言い訳のしようがない。
 それなりに機転が働くと自負していたが、何もできない。
 無言で固まってしまう。
 そんな情けない自分の横を、白い何かが飛んで行った。
「あいた!!」
 勢いよく飛んで行ったのはテディベアだったようだ。顔面キャッチをされて、そのまま固まっていた男の手にぽすりと落ち着いている、それがきっかけになったみたいに、硬直が解ける。
「サンちゃん、ベッドに置くほど大事にしてくれるのは嬉しいのですが、シロクマルシオくんは投擲のためにプレゼントしたわけではありませんよ」
「っさっさと出ていけ!」
 声を荒げる彼女に肩を竦めて男が扉を閉める。ブラウスに掛けていた手をぎくしゃくと離す。彼女が後ろを向いて、ボタンを留めている。そんな姿がきまずくて、視線をさ迷わせた。
「……先輩、ごめんなさい。帰ってくるなんて、知らなくて……」
「驚かせるつもりだったのですが驚かされちゃいました」
「会話に入って来るな!」
「はいはい。下に降りてますから、来てくださいね」
 服装を整えてから、階下のリビングに気まずい気持ちで行けばにこにこ顔で歓迎されるから、不思議だった。サンダルフォンも不可解そうな顔をしている。彼は、気心の知れた存在なのだろう。今日は、彼女の知らない一面をよく見る。少しだけ、淋しく、羨ましい。

 硝子天板のリビングテーブルを挟んだソファに座り、向き合う。ルシオを前に先輩と並んで座る。面談みたいだと思ってしまった。
「初めまして、サンちゃんのお兄ちゃんのルシオと申します」
 ニコニコしているルシオに、つい、不機嫌な顔を向けてしまう。殆ど1年ぶりに顔を会わせる。舞台役者になりたいと言い出して、家を飛び出した兄は幸いなことに成功しているらしく、スケジュールは常に詰まっている。公演であちこちを飛び回っており、その度にお土産として地産品が届けられるが、センスは悪い。その中で、シロクマルシオくん、なんて名付けられたテディベアは、まあ、気に入っていたのだ。
 ルシオがじろじろと先輩を見る。先輩は居心地が悪そうにしているから、申し訳ない気持ちになり、おいとルシオに声を掛けた。
「そうですか、貴方がルシフェルさん」
 知っているかのような口調だったから、首を傾げる。
 先輩と付き合っていることは両親には言っていない。母は気付いている様子だったが、何も言ってこないでいる。父はさっぱり気付いていない。母から伝わったのだろうかと不思議だった。
 ルシオがにっこりと笑って口を開いた。
「サンちゃん、本当に私が好きですよね」
「……は!?」
「だってルシフェルさんと私、そっくりでしょう?」
 どやどやと自信満々に言われて反論してしまうのは、仕方のない事だ。
「俺が好きなのはルシフェル先輩であって、ルシオじゃない!!」
 言ってからすっきりとした。おやと笑っているルシオにふんと笑ってやって、それから、隣からの視線に気づいて慌ててしまう。
「私も、サンダルフォンのことが好きだよ」

 サンダルフォンの顔がぽん、と赤くなる。視線があちこちを行ったり来たりしたあとに、珈琲のお代わりを持ってきますと、立ち去ってしまった。残されて、少しだけどうしたら良いのか分からない。
 迫っていた姿を見られているという、どうしたって言い訳のしようがない後ろめたさがある。
「サンちゃんから私のことを聞いてませんでしたか?」
「両親と暮らしている、とだけ」
「おや、まだ反抗期なんですね」
 やれやれと困った様子で朗らかに笑っている。彼が言ったとおり、私の容姿とよく似ている。
「ああ。兄だからと、気を負わなくて結構ですよ。兄と言っても、あのように、サンちゃんからはあまり、慕われていませんから」
「仲が悪いのだろうか」
 突っ込み過ぎただろうか。それよりも、ふと言葉遣いが砕けたままであることに気付いて謝ろうとすればそのままで良いと制される。
「私たちの距離感のようなものです。年齢も離れていますから、兄と妹、というよりは友人……一番近いのは、祖父と孫かもしれません」
「そこまで離れているようには思えない」
「感覚的なものですからお気になさらず」
 にこにことしているルシオは確かに、年齢不詳という雰囲気がある。サンダルフォンと話しているときには年相応、あるいは、幼く見えたが、向き合えば、見た目以上の経験を積んだ様子を感じ取る。
「先輩に変なこといってないだろうな!?」
「サンちゃんが可愛いって話をしてただけですよ」
「変な事言うな!!」
「変なことじゃありませんよ、ねえルシフェルさん」
「……うん、変な事ではないよ」
「先輩までコイツに毒されないでください!!」
 珈琲を淹れたサンダルフォンが戻ってくるとぱっと、場が華やいだ。

 二人を見る。ルシフェルの横にいる、サンダルフォン。生憎と、かつて共に生きていたときには見ることの叶わなかった表情を浮かべている。
 呆れた顔は見慣れたものだった。怒った顔も思い浮かべることができる。笑った顔も、見覚えがある。泣いた顔も、知っている。
 天司長としての役目を果たした最後の天司を看取った。
 今際に浮かべるには、安らぎ、満ち足りた顔だった。きっと、安寧と呼ばれて慈しまれた姿であった。その姿を、こうして、見ることができるのは主の思し召しなのだろう。
 妹は、災厄の邪神でもなければ、天司長でもない。
 無垢なまま、慈しまれ、育てられたどこにでもいる少女の幸せを祈ることに、理由はない。「ルシオ」として、兄として当然であり、そして、彼ならばと託せる。
 きっと、彼がルシフェルであるから。
 家族として、そして過去を記憶している存在として、幸せな未来を掴もうとしている二人に笑みを浮かべ、それからついでと、一つ、祝福を。

「ルシフェルさん、これを……」
 がさごそとポケットから取り出したものをルシフェルの手を取り、そっと手渡す。にこりと笑みを浮かべるルシオに戸惑いながらも、ルシフェルは手渡されたものを見て、瞠目した。ただならぬ様子に、サンダルフォンは何か、おかしなものを渡したのではないかと気が気でなく、覗き込めば四角い個包装が乗っている。馴染みが無く、わからないでいた。
「避妊はしてくださいね」
 理解を、してしまった。
「っこ、このっ、おおばかものぉ!!」
 悲鳴交じりの怒声が響き渡る。
 懐かしさに、ルシオは笑みを深くした。

2020/10/12
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