ピリオド

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 キーボードを打つ指が止まる。
 打ちこんだ文章を読み返しながら、ふと、喉の渇きを思い出す。視線を画面に向けたまま、手探りでマグカップを持ち上げれば、その軽さにサンダルフォンは、はっとする。いつの間に飲み干していたのだろうと思いながら、画面の片隅の時刻を確認すれば深夜、とは言い難い時間帯になっていた。
 閉めていたカーテン越しにぼんやりとした薄明かりが差し込む。
(やってしまった)
 ある程度の計画を立てるため、締め切りギリギリに取り掛かるようなことはしない。レポートに関しても提出期限が近いとはいえ、徹夜をしてまで取り掛かる状況では無かったのだ。それが妙に集中してしまって、中断をするタイミングを逃してしまった。
 朝一番の講義が無いことが幸いだった。
 ぐっと、伸びをすれば、長く同じ姿勢で座っていたために体のあちこちでぱきぽきと鳴った。
 サンダルフォンはちょっとだけ、迷う。
 徹夜をしているからなのか、脳は冴えわたっている。いっそ起きてレポートを完成させてしまおうか、なんて考えながら、なんせ喉を潤そうとマグカップを片手に立ち上がる。勿論、しっかりと、レポートの途中保存の確認をしてから。
 マグカップを片手に立ち上がったサンダルフォンの、一瞬の隙を逃さないというようにするりと通り過ぎていく。
「あ、まて」
 サンダルフォンの制止なんて聞く素振りを見せもしない。
 普段はちっとも寄り付かない上に、触ろうとしようものならば引っかいて噛みついてと暴れた挙げ句に不機嫌になるというのに、サンダルフォンが集中して取り込もうとすると邪魔をしてくる姿は憎らしくもあり、同時に微笑ましくもあるのだ。すっかり、親馬鹿である。
 するりとキーボードの上に乗り上がり、我が物顔で寝そべっている。
 甘えてきているわけではない。ここで迂闊に触れようものならば痛い目をみることになる。
「こらルシファー」
 サンダルフォンの声なんて、聞こえていないというように、ツンとすまし顔のルシファーはまさに、御猫様である。
 ルシファーはサンダルフォンがペットショップで買ってきたわけでもなく、友人から譲り受けたわけでもなく、ましてや拾ってきたわけでもない。
 独り暮らしをして間もない頃に、洗濯物をするために開けていたベランダから、サンダルフォンが一瞬目を離した隙にするりと入り込んで、以来、居着いているのだ。アパートがペット可であったことは幸いであった。そしてルシファーがあちこちで爪とぎをしたりだとか、走り回ったりだとか粗相をしないことに、サンダルフォンはほっとしたのだ。
 当初は躾けられている様子で大人しく見え、見知らぬ人間であるサンダルフォンを前にしても威嚇をすることもない態度に、飼い猫かと思ったのだ。近くで猫の脱走が無いか確認をしたものの、ルシファーらしき猫を探しているという話は無かった。
 野良猫ならば良いだろうか、とサンダルフォンは、あまりにもどうどうと、まるで最初から自分の家のようにくつろいでいるルシファーを追い出せずに、そのまま三年が経っている。一応は、ルシファーはサンダルフォンのペットとして周囲からは認識をされているのだ。
 とはいえ三年の間、ルシファーがサンダルフォンの言うことを聞いたことなんて一度もない。
 ルシファーにとってサンダルフォンは世話係で、あるいは「世話をさせている」という態度であった。そもそも、家に住み着いているとはいえ、サンダルフォンに懐いているのかと問われればサンダルフォンも首を傾げてしまう。それでも追い出したりなんて出来ないのだ。
 サンダルフォンはキーボードの上からぴくりとも動こうとしない、挙句の果てにはぺろぺろと毛繕いを始めたルシファーを前に仕方ないな、なんて思ってしまう。
 これは、無理だ。
 諦めるしかない。
 今からなら、3時間は眠れるか。なんて、ことを考える。
 無理にキーボードの上から動かそうものならば引っ掛かれるし、噛みつかれる。サンダルフォンも、学習をする。サンダルフォンの手や腕には、今でこそ真新しいものは見当たらないがうっすらと傷が残っている。
 サンダルフォンは込み上がった欠伸をこぼした。
 ルシファーはご機嫌な様子で尻尾をぺたんぺたんと揺らしている。滅多に見ることのないご機嫌な様子で、サンダルフォンは珍しさに可愛がりたい衝動がわき上がるが、ぐっと堪える。うかつに触ろうとしようものならば怪我は免れぬ上に、何より気難しいルシファーの曲がった機嫌を直すのは手ごわいのだ。玩具なんて元より興味がないらしくそっぽをむくし、おやつでつろうとしよう魂胆を見抜いているように見下ろされる。そのくせふと気が付けば機嫌が直っている。これぞ猫だと言わんばかりの気儘で気まぐれな性格を、彼是3年弱一緒に暮らしても、サンダルフォンはわからないでいる。
 ただ腹が立ってもルシファーなら仕方ないなんて許してしまうのも、この可愛らしく、白くてふわふわとした姿だからだ。
「これで人間だったら無理だな」
 猫だから許されるし、許している。
 ルシファーが何を言っているんだとでもいうように、馬鹿にするみたいに、笑ったような気がした。
 ありもしないことを口にした自分は、相当に眠気がピークなのだろうと実感をしたサンダルフォンはアラームをセットするとベッドにもぐりこんだ。ぽすん、と邪魔をするみたいに軽やかな重みが腹に圧し掛かる。
 サンダルフォンは仕方ないと思いながらまどろみの中に落ちていく。

Title:約30の嘘
2020/10/04
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