ピリオド

  • since 12/06/19
 親子連れやカップル、友人同士が連れ立って賑わう雑踏の中、鳶色の髪が横切るたびに、振り返り、そして失望する。けれども、そんな失望を忘れてしまったみたいに、視界に入るたびに、期待が込み上がって、また、繰り返す。
 きっと、この世界の何処かに、サンダルフォンは生きている。
 ルシフェルには確信があるのだ。
 根拠のない確信は、ルシフェルの生きる希望であり、そしてそのために生きていると言っても過言ではなかった。

 果ての場所で珈琲を飲みながら、サンダルフォンが生きた空の世界の話に耳を傾けた。かつては、ルシフェルが空の世界の話をしてサンダルフォンが興味津々にして聞いていたから、立場が逆転をしてしまった。
 特異点達との旅路を語り、懐かしむ様子のサンダルフォンはルシフェルが知るサンダルフォンではない。ルシフェルが守らなければならない弱さはない。その成長が喜ばしく、そして淋しく感じるのは、ルシフェルのエゴだった。
 サンダルフォンの語る空の世界は、ルシフェルが知るものよりも輝いているようだった。サンダルフォンの目には、空の世界は美しく映ったのだろうと、そしてサンダルフォンの守った世界を知らぬことが口惜しく、残念に思った。
 語り合い、珈琲を淹れて飲み、そして、やがて、語る言葉がなくなった。
 名残惜しむ気持ちはある。誰にも咎められない。永遠に、ここで二人きりでも良いのではないか。──過った考えに苦笑して、踏み出したのだ。
 今度こそ。
 もう一度。
 新たな命として「共に生きよう」と約束をした。

(今日も、見つからなかった)
 薄暗闇が迫る中、肩を落としてとぼとぼと歩く。
 もしかしたらすれ違っているのかもしれない、タイミングが悪いのかもしれないと思うと、もう少しだけと粘っていたい気持ちがある。しかし、以前、暗くなったことも気づかずにサンダルフォンを探し続けて補導をされて以来、時間を気に掛けるようになっていた。「親御さんは?」と視線を合わせて問い掛けてきた警察官の姿に、ルシフェルは自分はまだ、保護されるべき立場であるのだということを思い出したのだ。警察に呼び出され迎えに来た父の静かな苛立ちに、恐怖よりも、迷惑を掛けてしまったと申し訳なさが勝った。

 家には明かりは点いていない。父は今日も仕事で忙しいのだろうと思いながら、郵便物の確認をする。一緒に暮らしていても顔を会わせない日は珍しくはない。それを、淋しいだとか育児放棄だと責め立てることがないのはルシフェルの精神が幼くはなく、成熟をしているからだ。

 父子二人で暮らすには広すぎる家には、使っていない部屋も幾つもある。維持には費用が掛かる。手間が掛かるだけで、非効率だとルシフェルは思うのだが、父は家を手放すつもりはないようだった。引っ越すつもりもないようでいる。ルシフェルも家が嫌なだけではない。生まれてから過ごして、住み慣れている。とはいえ、効率を求める父には珍しいと思うのだ。
 思い入れが、あるのだろうかと考えながら家政婦が用意した夕食を温める。
 父子揃って家事は不得手だ。
 家事に関しては平日のみ、日中に学校や仕事で不在の間に家政婦に依頼している。不在である土日や祝日の食事は総菜を購入したり、あらかじめ作り置きを依頼している。家政婦の入れ替わりが激しく、その度に料理の味もころころと変わるから、落ち着かない。家だというのに、外で食べているような感覚になる。

 義務的に栄養を摂取し終えたタイミングで父が帰宅をした。顔を会わせるのは三日ぶりのことだった。おかえりと声を掛ければ、父はああ、と首肯する。それから、手にしていた紙袋を押し付けるようにルシフェルに渡した。
 なんだろうかと、父の行動を不思議に思いながら日付を思い出す。そういえば、誕生日だった。
「ありがとう」
 父に呼びかければ、誰もが親子だと納得をする、そっくり同じ作りの顔立ちが歪んだ。それは、言われ慣れぬが故の不快感であり、いうなれば照れ隠しのようなものであることを、かつて友と呼ぶことを許されたルシフェルは理解していた。
 紙袋からラッピングされたガラス瓶を取り出す。中身は珈琲豆のようだった。
 ルシフェルは不思議な気持ちになる。
 親が子の誕生した日を祝うということを、知識として知り、そして産まれて物心ついたときから繰り返している。幸福な家庭で起こりえるありふれた光景。それが、正真正銘の親子であるとはいえ、ルシファーと自分との間でやり取りされることが奇妙に感じるのだ。不快ではないし、不満ではない。むしろ天司であった自分を作り出したルシファーは、与えられた立ち位置は「友」であったにせよ、ある種の「親」といえる存在であったのだ。今世においては、血の繋がった親子である。
 それが、不思議だった。
「今から飲んでも良いだろうか」
「好きにしろ」
 降りた許可にルシフェルは小さな笑みをこぼして、キッチンへと向かっていく。

 ルシフェルが淹れた珈琲を飲みながら、ふと、零したのは今日がルシフェルの誕生日だからだ。それは、ルシファーが妻を喪った日でもある。
「アイツも……お前の母親も珈琲が好きだった」
 ルシファーがなんでもないように、口にしたことに少しだけ驚いた。そして、何を言えば良いのか分からないでいる。
 天司として「作られた」という記憶を持ち、その延長のように人間として生きている。だから、「母」と言われても「父」と言われても、どこかで、他人事のように思っている。
 母という存在を、ルシフェルは知らない。
 どのような女性であったのか、ルシフェルは知らず、ルシファーも語らず、たずねることもできなかった。たとえば、出会いだとか、どこに惹かれたのだとか。ルシフェルは知らないでいる。
 自分を産んだために、亡くなった女性。曖昧な、顔も知らない、血の繋がった遠い存在。
 珈琲を啜るルシファーの横顔は、淋し気に感じた。
 ルシフェルは、無性に、サンダルフォンに、会いたくなる。

 ちらりと見る。珈琲を飲む、血の繋がった子ども。何も知らないまま、過去に縋り、生きている。信じて止まないでいる。
──無駄なことだ。
──この世界にアイツはいない。
──お前の探し求めているやつの血が、今のお前には流れている。
 ルシファーは、せり上がった言葉を、珈琲と共に流し込んだ。




 不幸な女だった。
 蹲る女を助けなければ、なんて正義感で声を掛けたのではない。邪魔だったからだ。往来の激しい道で、女を避けて人が割れる中、ルシファーは声を掛けた。「おい」と呼びかければ、のろのろと青白い顔がルシファーを見上げ、一瞬で顰められる。あの態度はあまりにも失礼だろうとルシファーは今でも、根に持っている。
 歩けないほどに気分が悪いなら病院に行けと言っても休めば治るといって病院に行く気配を微塵もないサンダルフォンを無理矢理に病院に連れていけば、重度の貧血に加えて栄養失調だという。表示される数値に、医療知識のあるルシファーはよく生きているなと、相変わらずの生き汚さというべきか、しぶとさというべきか、感嘆した。帰るなら迎えを呼べと言ってもサンダルフォンは呼ぼうとしない。渋々と独りで暮らしていることと、家族とは疎遠であることを口にしたから、ルシファーは可哀そう、なんて同情よりも、それは都合が良いと思ったのだ。
 家事手伝いとして雇った人間の妙な勘繰りと押し付けがましい好意にうんざりとして、解雇したばかりだった。
 ルシファーはサンダルフォンに対して好意は無い。寧ろ嫌悪、あるいは憎悪の類を抱いていた。とはいえ、きっかけとなった存在が不在である以上、ルシファーにとってサンダルフォンはその他大勢の一部でしかない。サンダルフォンもまた、仇であったものの、復讐は終わっている。
 加えて、丁度というべきか解雇され求職中であったから、ルシファーの殆ど強引な命令のような誘いに、乗ったのだ。
 その日のうちにアパートを解約すると、ルシファーの暮らすマンションの一部屋に転がり込むことになった。

 憐れな女だった。
 すぐに強がる。体調が悪いなら休んでろと言っても青白い顔でちっとも平気じゃないくせに「平気だ」と無理をして、結果、倒れるのだ。その癖に、雇い主であるルシファーには「休め」「飯を食え」と口うるさい。そのまま跳ね返っていると言っても聞く耳を持たない。
 頑固で、面倒な女と共同生活をして3年が経っていた。
 ルシファーの研究が認められ開発チームのリーダーとなった。学会に出れば中年だらけの中、ひとり若いルシファーが天才と称され注目されるのは致し方なことであったのだ。
 家を買ったのは安かったのと、マンションの面倒な隣人つき合いだとか噂話だとかにうんざりとしたからだ。無駄遣いするなよと誰に言っているんだと思いながら、サンダルフォンの言葉を無視して買った。
 家の広さにサンダルフォンは呆れていた。
 安い分、古い家の内装は全部変えなければならない。面倒で、すべて丸投げをした。取り寄せたカタログをテーブルに広げ、選んでおけと言えばサンダルフォンはなんで俺がなんていう。洗濯物を畳んでいた手が止まった。
「お前が買った家だろう」
「家にいる時間はお前の方が多い」
「そうだけど」
「お前の好きにしていい」
「……全部、俺の好きにするからな? 後から文句は言うなよ」
 そういって家具や内装を任せて作った家にルシファーの好みは反映されていないが、嫌いではない。
 キッチンの棚に頭をぶつけるルシファーを見ては笑うサンダルフォンに、お前が小さい所為だとか、全部俺に任せたのはお前だろとか、馬鹿みたいな言い合いをした。
 ぽつぽつと一軒家が立ち並ぶ住宅街は静かで、落ち着いていた。近くには広い公園があり、どの季節に訪れても緑が豊かだった。サンダルフォンはふらりと、散歩といって歩き回っていた。倒れたら面倒だからと、ルシファーも仕方なく付き合って歩いた。
 散歩の何が楽しいのか分からないが、サンダルフォンは体調が良い様子で、倒れることは少なくなっていた。

 愚かな女だった。
 結婚をしたのは、成り行きだった。雇用主と従業員という関係よりも、夫婦であることのほうが周囲への説明が簡単だった。あとは、ルシファーが言い寄られて断ることが面倒になったという理由もある。
 紙切れ1枚の契約書で、ルシファーは夫となり、サンダルフォンは妻となった。
「婚姻届け、提出してきたけど」
 サンダルフォンが作った夕食は、豪華なメニューでもなければルシファーの好むものでもなんでもない。いつもと変わらぬ食事風景だった。
「わかった」
「本当に良かったのか?」
「構わん」
 何度も、うんざりするほど、繰り返された確認を流しながら食事と続ける。まだ納得の出来ていないサンダルフォンは諦めたみたいに、食卓に着いた。テレビをつけずに、黙々と食事を終えた。
 それが、夫婦となった初日だった。
 なければ不自然だろうとルシファーが贈った指輪を、サンダルフォンはおっかなびっくりと受け取るときょときょとして面白いくらいに動揺したから、ルシファーはちょっとだけ愉快な気分になった。
 形だけの関係だ。
 互いに恋心なんてものもない。片方が辞めようと言えば解消する関係だった。それがずるずると、続いて、触れることが当たり前になって、嫌いではなくなって、どうでもよい存在ではなくなって、サンダルフォンは命を宿した。
 紛れもなくルシファーの子どもである。
 寝込むことがなくなったとはいえ、体が弱いことに変わりはなく、出産にたえられる体ではない。子どもか、母胎かと医者に選択を迫られルシファーは迷うことなく、母胎を選んだ。

「きっとルシフェル様だ」

 まだ膨らんでいない腹に触れながら、確信を得ているように、呟いた。
 薬品の臭いが不快な気持ちにさせた。
 窓から差し込む夕日の毒々しい赤が目に痛い。
「やっと、役割を果たせる。お役に、立てる」
 これこそが自分の役割なのだと、相変わらずの独り善がりな姿に、ルシファーは何も言えなくなった。
 何を言っても、無駄なのだと悟った。
 ルシファーが産むなといっても、聞く耳を持たない。
 死ぬかもしれないのだと言われても、それがどうしたと言わんばかりに、頑なだった。
「俺は、どうなる」
 情けなく、縋るような問い掛けをこぼした。
「ルシフェル様がいる」
「お前はいない」
 サンダルフォンは困ったように笑った。

 どうしようもない女だった。
 子どもを産まなければ死ななかった、訳ではない。
 産んでも、産まずとも、平均的な寿命を全うできる体ではなかった。ただ、出産が弱まっていた体に追い打ちをかけたのは事実だった。
 結局、女は産まれて来た子どもを腕に抱くこともなく、そして本当にルシフェルであるのかなんて知ることもなく息を引き取った。最期の瞬間、満足な顔で、どうだと言わんばかりにルシファーに笑い掛けた。
 ぽっかりと穴が空いた。
 自分勝手。自分本位。理解しかねる。ルシファーの予想を裏切っていく。ルシファーの思い通りにならない。なぜ、そんな女を妻にしたのか。
 それでもルシファーは、不幸で、憐れで、愚かで、どうしようもない、女のことを、命と引き換えに産んだルシフェルに嫉妬をするくらいに、愛している。

Title:馬鹿
2020/10/01
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