ピリオド

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「お邪魔します、ルシフェル様」
 そういってはにかむサンダルフォンを、ルシフェルは「いらっしゃい」と部屋に招き入れた。騎空艇における、ルシフェルの自室である。騎空艇に身を寄せてからまだ日は浅く、物は多くない。唯一の所持品というのが、サンダルフォンが贈ったティーカップだった。ティーカップは居心地悪そうに、棚に仕舞われている。
 喫茶室の締め作業と、明日の仕込み作業を終えて、日付けは既に跨いでいる。時間が遅くなると伝えているとはいえ、不敬と不作法を承知の上で来訪したサンダルフォンをルシフェルは快く出迎えた。
 互いに見慣れない恰好だ。
 サンダルフォンは着慣れているとはいえ、その恰好が人前に出る、ましてや唯一の存在として敬愛してやまないルシフェルの前ですべき恰好ではないと認識している。見るに堪えない見すぼらしい恰好ではないにしても、空の民の常識として、その恰好が人前に出るには適さないと記憶している。
 ルシフェルは着慣れない装いに違和感を覚える。鎧のない装束は心許ない。
 そして、二人して、どこか気恥ずかしさを覚える。

 部屋に入ってから、無言だったが意を決したように、サンダルフォンが声を掛けた。
「ベッドに、入りましょうか」
 ルシフェルは、うんと言うもののいざ入るとなると1人用のベッドに2人は当然、狭い。サンダルフォンはルシフェルよりも小柄とはいえ、男性として作られている。触れないようにと身を縮こまらせても、どうしても、触れてしまう。ルシフェルもまた、落ち着ける恰好を探しているうちに、
「これでは休まらないのではありませんか?」
 サンダルフォンは至近距離にあるルシフェルにどぎまぎとしながら、声を小さくして問いかける。ルシフェルはすぐさまに「そんなことはない」とこたえた。
「何よりも安らげる」
「ならば、よいのですけれど……」
 サンダルフォンは、それ以上は何も言うことは出来ずに、羞恥で逃げ出したくなる自身を必死で抑えながらなすがままに抱きしめられたままだ。
 決してやましいことはない。
 ただ、眠るだけなのだから。

「昨夜は随分と騒がしかったですけれど、ルシフェル様は眠れましたか?」
 酒癖の悪い連中が、妙な酔いをしたのか昨夜はやけに煩かったのを思い出して、心配を口にしたサンダルフォンに、ルシフェルは視線をさ迷わせた。サンダルフォンがどうしたのだろうかと、ルシフェル様? と声を掛ければ、
「私は眠っていなかったから」
 ああそういえばとサンダルフォンは失言を思い出す。天司に睡眠は不要だ。サンダルフォンは自分が摂るからとつい、同じように話してしまったことを恥じて謝ろうとした。
「眠り方がわからないんだ」
 すっかり、困り果てたように打ち明けたルシフェルの言葉に、サンダルフォンは、はぁと曖昧にこたえるしか出来なかった。
「すべて、今、君と話していること、触れられること、何もかもが今際の夢であるような……二度と、会えないようで、おそろしい」
 ルシフェルは目を伏せた。それから、誤魔化すように微笑を浮かべた。この人でもできないことがあるのか、わからないことがあるのか、なんて不敬な感想を抱いた自分が腹立たしく、そして恥ずかしい。
「夢なんかじゃ、ありません。貴方はここにいます」
 サンダルフォンとて、覚えがある。今があまりにも幸福であるが故に、受け入れがたい。幸福が絶望に転じる瞬間、幸福が多ければ多い程、深く、深くなっていく。
「もしもよかったら、」
 そういって提案したのが、不敬を承知の上での添い寝だった。ルシフェルはふむと思案した様子で、その間、サンダルフォンのルシフェルに対してだけはおそろしく弱気になる心が言葉を取り消せと悲鳴を上げ続けていた。
「……きみの、迷惑にならなければ頼めるだろうか」
 やっぱり不敬だと分かっていても、役に立てるのかと思えるとサンダルフォンは、どうしようもなく、浮かれてしまう。今や天司長でもなければ麾下でもない関係だ。役割に縛られていない。それでも、サンダルフォンにとってルシフェルは特別な唯一無二。この人のためならばなんだって出来てしまう。なんだってしたいと、思ってしまう。
 ルシフェルが睡眠行為を得たいと思ったのは、ちっぽけな恐怖だった。日中の気配に慣れ親しみすぎたのか、それともサンダルフォンと過ごす日々を謳歌していたからなのか、夜になり、伽藍洞みたいな自室に、ひとりになると淋しさの気配ばかりが寄り添ってくる。逃げ出したくなるような孤独。追い払うこともできず、そのまま、朝の雑音に胸を撫でおろす。その果てにルシフェルは何もかも、すべて、都合の良い夢なのではないかという考えが過ってしまった。本来の自分は、ひとり、サンダルフォンを待ち続けているだけなのではないか、なんて考えてしまうのだ。
 これが、夢であるならばなんて残酷なのだろうか。残酷なまでに穏やかで優しく、故に目覚めに恐怖を覚える。

「……明日の朝は、喫茶室で朝食をとりませんか?」
 サンダルフォンが声を潜めて、内緒話みたいに提案をした。
 朝食をとる時間帯はまだ開けないのでは、という考えを読み取ったみたいにサンダルフォンは悪戯っぽく続ける。
「他の団員には……特に団長たちには、内緒ですよ」
 仕込みはしてるんです。と言ったサンダルフォンにルシフェルは目を瞬かせ、それから、ふと、表情を和らげる。
「ルシフェル様だけのスペシャルメニューです」
 追い打ちをかけるみたいに言うものだから、ルシフェルはついふき出してしまう。くすくすと吐息が掛かる。サンダルフォンは続ける。小さな声は柔らかくルシフェルの耳朶をうつ。声が心地よい。体が浮き上がるように、軽く、ふわふわとする。腕の中の温もりを抱え込んだ。はっと息を呑んだ気配に、だけど手放しがたく、ルシフェルは独り言みたいにぽつりと、
「楽しみだな……」
 呟いた。

「おはようございます、ルシフェル様」
 ほら、夢なんかじゃないでしょう?
 与えられた私室。何も無い部屋の、一人用のベッド。記憶が抜け落ちている。サンダルフォンと話をしていた。それだけを覚えている。意識の定まらない、寝ぼけているルシフェルを、可愛いなんて思ってしまったサンダルフォンは続ける。
「喫茶室にいきましょうか。……バレないうちに」
 ルシフェルはやっと、ああこれは夢ではないのだと知り得た。
 きっと朝日の輝きだけではない。微笑むサンダルフォンがたまらなく、輝いて見えた。それから、困ってしまう。ルシフェルは確信する。この安らぎを覚えてしまった。だからきっと、一人寝なんて出来やしない。
 表情を曇らせたルシフェルにサンダルフォンは、不快だったろうかと戸惑い、ぎゅうと抱きしめられて困惑を覚える。
「サンダルフォン、今日の夜も、共寝を頼めるだろうか」
「構いませんが遅くなりますよ」
「うん。構わないよ。待ってるから……今日も一緒に眠ってくれないだろうか」
 縋るような言葉にサンダルフォンは戸惑いながらも、首肯した。そしてルシフェルは眠り方を知り得た。同時にサンダルフォンは羞恥と戦う夜が始まる。

Title:馬鹿の生まれ変わり
2020/09/17
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