ピリオド

  • since 12/06/19
 天才だといわれても、気の迷いというものは生じるものだ。若気の至りであったというのに、黒歴史として記憶の奥底に封じることは許されない。なんせ現在進行形である。
 新曲のオリコンチャート1位は当たり前、ライブのチケットは即完売、バンドメンバーの何気ないSNSへの投稿がトレンド入りなんて日常茶飯事になってしまった現状をルシファーはうんざりとした気持ちで、どうにか受け止めている。受け入れるまでには大層な時間が掛かった。まさか自分が音楽で食べる人間になるだなんて、とてもではないが想像もしていない。したことすらない。気心が知れた友人、でもない、ただの腐れ縁の知人と組んだバンドだ。この時点で頭がどうかしていたのだ。なぜバンドを組んだのか、そしてハチャメチャな演奏風景を動画投稿サイトに投稿したのか、記憶は定かではない。メンバー全員が協調性の欠片もないし相性もガタガタだ。だというのに早十年になり、その間に芸能界でもそれなりの地位を得てしまった。
 そもそも音楽活動に対して真面目ではない人種である。音楽に情熱をかけたこともなければ音楽に人生を救われた、なんていうお涙頂戴の過去があるわけではない。寧ろ合唱コンクールだとかいう行事をくだらないと思っていたし真面目に参加したことはない。そんな人間が音楽で食っているのだから、世の中理解できないものである。
 ルシファーは久々に得た休日、家に引き籠ることはなく外に出ていた。麗らかな陽射しが降り注ぐなか、帽子を目深にかぶり、薄く色付いたサングラスをかけて、自身の言動に対して何を恥じることがあると豪語しているルシファーにしては上出来な、変装であった。ファンであるならば一目で正体がバレるような変装であるものの、ルシファーが出向いた場所において、ルシファーは一目を集めることはない。なんせ主役は「彼女」なのだ。

 ルシファーは芸能界に身を置く以前から、アイドルや女優に微塵たりとも興味を抱くことはなかった。芸能界に身を置いてからは尚の事である。滅多に出演しないテレビ番組での楽屋挨拶で色目を使ってくる若手アイドルだとかを、バンドメンバーであるベリアルはあちこちでつまみ食いをしては、スキャンダルとしてしょっちゅう取り上げらているものの、彼は日頃の軽薄な言動から許されている節がある。ベリアルのキャラクター性をファンも知っているうえに、バンド自体が倫理だとか道徳だとかに反しているものだから、スキャンダルが原因でファンが離れることはない。ルシファーにはファンの心理がさっぱり理解出来ない。そもそもなぜ自分たちにファンがついているのかすら理解できないのだ。別段にファンサービスが豊富でもなければ人の心に訴えかけるような歌詞でもない。容姿の良さはあるだろうが、それだけで十年近く追っかけを出来るのかと不思議でならないでいた。
 人間なんて所詮は、皮の下には臓物がつまった肉袋に過ぎない。
 二十数年の人生経験の中で得た認識は、塗り替えられてしまった。不快なことだ。由々しき事態だ。ありえないことだ。

 イベント開始まで時間がある。ルシファーは壁にもたれかかり携帯端末をチェックする。スケジュールの変更をさらりと確認してから、動画配信アプリを開く。ブックマーク登録をしておいた動画はつい先日行われたライブのものだった。配信用にと編集をされているらしく、ライブ限定の曲もあったと知り歯ぎしりをした。それに加えてMCが彼女だというのだから、口惜しいったらない。なぜこの日のライブに限ってと、どうしてこの日のライブに参加出来なかったのかと、悔やんでも悔やみきれない。配信ではMC部分はカットされている。だから参加したファンの感想を追いかけてみれば、殊更、過去をやり直したいなんていう馬鹿げた考えに至るほどの虚しさを覚えてしまう。
 配信される映像では小さな舞台の上で数人の少女たちがスカートを翻す。忙しなく光が彼女たちを追いかけていく。ひらひらと揺れる色違いのスカート。少女テイストをちりばめた衣装の少女たちのなかで、彼女だけは釣り上げた眦で、挑発的にカメラを見詰める。その視線に釘付けになる。ルシファーを見ているわけではない。だというのに、見られているような、ぞわりとしたものが背をかける。

 もどかしさを覚える。
 妥協を許さず、完璧主義な気質を持つルシファーは作詞作曲を自ら手掛ける上に、ライブの演出や衣装のプロデュースにもメインとして携わっている。だからこそ、彼女がもどかしい。アイドルグループにおいて、彼女の人気は高くはない。ペンライトで推しを主張するライブともなれば、彼女のカラーリングは他のメンバーに比べると少なく感じてしまう。
 もしも自分がプロデュースするならばとルシファーは考えてしまう。身に着ける衣装は、化粧と、想像上の彼女を飾り立てる。投稿日時の古い配信映像から最新の日付まで、総て見終わって、それでも繰り返しに見て、つい、歌を口ずさむようになった。彼女に似合うメイクを考えるうちに、彼女がSNSをチェックして、投稿する画像を保存するようになった。
「それってファンじゃないの?」
 ルシファーが口ずさむ歌があまりにも似合わないアイドルソングだったから、つい突っ込んで事情を聴いたベリアルの感想にルシファーは「は?」と神経を逆立たせる。
「……別に好きなわけじゃない」
「え、でも無限リピってるくらいに見てるうえに態々CDも買ったんでしょ?握手会とか、ファーさんがめちゃくちゃディスってたじゃん」
 ルシファーは口を噤み眉間に皺をぐぐぐと寄せる。過去とはいえ、自らが口にした言葉を忘れるほど呆けていない。そんな、初めてみるルシファーの様子にベリアルはにんまりと笑う。
「俺が言えた義理じゃないけど、週刊誌には気を付けなよ」
 あいつら何処にいるんだかわかんないからさ、と言って肩を竦めるベリアルにほんとになとルシファーは口にせずに思った。
「それでなくてもファーさんのファンって熱狂的っていうか……宗教的じゃん。その子のこと、あんまり言わない方が良いんじゃない」
「そんなことするか」
 にまにまと笑うベリアルが不愉快で苛立たしいこのこの上なかった。

 ファンではない。好きではない。ルシファーとて、それなりの人生経験を積んでいる。恋愛に興味はないにしても、巻き込まれることは多々あった。他人を肉袋と認識していても、興味として湧き上がった結果、性行為も経験済みだ。
 じっくりと、「彼女」を見る。
 液晶画面越しに、まあ、可愛いのだろう。吊り上がった眦が印象的で、クールで、ボケの比率の多いメンバーの中では数少ない常識人でありツッコミを担当しているものの、彼女も割と天然な部分がある。そこが良いのだが、これはあまり知られてほしくないと、ルシファーは思ってしまう。厄介なファン心理ではないと、言い訳をするもののベリアルが聞けば「厄介なファンだよ」とにまにまと一蹴される。
 何十回とリピートしたか定かではない彼女の数少ないソロ曲。ルシファーが書くことは今後あり得ないような甘酸っぱい恋愛ソングである。芸能界に身を置くどころか、まさか自分の携帯端末に恋愛ソングがダウンロードされるとはとルシファーは言い知れぬ、不愉快ではないが、奇妙な感慨深さを覚える。
 ポップな曲調で、誰かを想う歌詞を紡いでいる。嫌いではない。好きでもないが、面白くはない。誰の事を想っているのだろうかと考えて、何を考えているのかと、いよいと勘違いしたファンのようだと自分に呆れてしまった。
 
 時間になり、整理券を手に入れて、列に並ぶ。朝から並んで、既に昼を過ぎた。へとへとに草臥れながらもどうにか彼女の前に辿り着く。
 ライブに参加したのは数える程度だ。そもそも、スケジュールが合わないし抽選から外れることが多かった。そのたびに、配信映像を見ていた。配信で、十分だと言い聞かせていたのだ。酸っぱい葡萄でしかないと自覚している。なんて、違う。
 愛想が無いと自覚しているルシファーに、彼女もまた、小さく笑みを浮かべた。他のメンバーのような満面の笑みではない。だけど、彼女の、不器用な、精一杯の笑みだ。やけにキラキラとして見える。眩しい。
「こんにちは」
 ルシファーの所有しているスピーカーはそれなりに、値が張る、最新型のものだ。その分、性能も良い。しかし、吐息の一つ迄感じられるこの距離感は、スピーカーでは再現できない。「生」を感じる。生きている。呼吸している。笑っている。動いている。顔が小さい。良い香りがする。細い。小さい。ルシファーは感動を覚える。そして知る。人間は、キャパシティを超えると思考が停止する。
 手が触れる。当たり前だ。握手会なのだ。ただその瞬間、ルシファーはこの世界から切り離されたような永遠に触れたのだ。

 何を話したのか覚えていない。時間にしては十数秒だというのに、夢のような、永遠のような一瞬であった。手にはほんのりと、温もりが残っているような気がする。
 ルシファーとて業界人だ。握手会において、アイドル側が除菌をしていることを承知である。だというのに、夢心地で、ふらふらと会場を後にする。この滾る思いをどこにぶつけていいのか分からず、滅多に開くことのないSNSで発散するしか思いつかなかった。

──天使が生きている。

 この滅多に投稿をしないルシファーの投稿はファンの次の新曲に関するワードかなにかだろうかという冷静な考察や阿鼻叫喚入り混じった反応と共に無事にトレンド入りを果たした。

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