ピリオド

  • since 12/06/19
 四角に切り取られた空は、爽快さを感じるほどに澄み渡っている。雲一つない。これから天気が崩れたらなんて心配の一つも予感させないほどに晴れ晴れとしていた。
 爽やかな風が頬を撫でる。
 幾度目になるのか、数えることも億劫になる決心をした。
 監視は昼食の用意のためにと部屋を出ている。勿論というべきか、入口はしっかりと施錠をされている。しかし、窓はたまには空気の入れ換えもしないとねと、開けられたままだった。
 サンダルフォンはそっと、窓に、近づき息を呑んだ。
 覗き込み、見下ろせば、怪我は免れないだろうし、打ちどころが悪ければ死んでしまうかもしれない。だけど、この機会を逃す手は無い。
──多分、死にはしない。多分。
 眩暈を覚える高さと、それから痛みを覚悟して、サンダルフォンは、窓枠に足を掛けると、同時にガチャリと音がした。監視が帰ってきてしまったのかと焦り、サンダルフォンはええいままよと言わんばかりに、飛び降りる。足をける。しかし浮遊感を覚えることはない。
 腹部に巻き付かれた腕と後頭部にごつりとボタンの感触を覚えただけだった。手は窓枠から離れて宙ぶらりんにさ迷って、目前に広がるのは真っ白な天井と、レースカーテンが風に揺られている光景だった。
 腹部に回された腕が無遠慮に力を込める。サンダルフォンは呻いた。呻いてもなお、力は緩まることはない。内臓が口から出てしまいそうだ。ろくに鍛えてもいない、それも脆弱な女の体に、男の力は強すぎる。
「なに、何の音!?」
 血相を変えて昼食の準備を中断して駆け込んできたベリアルは「まじか」と呆然と呟いた。それからぎろりと、サンダルフォンの下敷きになっている男からの視線に気付く。蔑む視線は慣れているが怒りを向けられるのは久々だった。まあ、仕方ないとはいえと思いながら窓を閉める。
 サンダルフォンはそれはもう愉快なほどに絶望を浮かべていた。対して、下敷きになっているルシファーの、ほっとした顔にベリアルは人間みたいじゃないかと思いながら、そういえば人間だったと改めて思いなおした。

 嫌がらせにしては不可解である。
 ルシファーのことを理解がしたいなんて思ってもいないし、理解なんてしたくもない。サンダルフォンにとってルシファーはどう足掻いても好意を向けるべき存在ではないし、好意を抱くことのない存在だ。
 そりゃあ確かにルシファーがいなければサンダルフォンは好事家の性具だか、ソープだかに沈められていたのだから、感謝をしなければならない。しかし、ルシファーに感謝をするというのはなんだか癪だった。借りを作ったままでは居心地が悪いからと返そうとしても、ルシファーが何を望んでいるのか分からない。
 それどころか、サンダルフォンが行動を起こすことを嫌悪している。
 優しさではない。
 今世では慈悲が溢れる善人にでもなったのだろうかと思えば、以前と変わらぬ冷酷で冷徹な態度である。
 かつてのように試験台になれだとか、実験に付き合えだかと言われることもない。今や人間であるのだからサンダルフォンには付き合うだけの頑丈さはない。
 不審に思うには十分だった。
 あるいはこの状況こそが実験であるのかもしれない。
 快眠環境と栄養バランスのしっかりと取れた食事を与え続けた結果が求められるのだろうか。実験結果に何を求めているのか分からない。外部と切り離した結果におけるストレス反応を見たいのかとサンダルフォンは考えて、だけど、そんな結果に意味があるのかと不思議だった。

 両親は蒸発をして、その両親こそがサンダルフォンが売られた現況を作り出したのだから、恨みや怒りはあるにしてもそれだけが外に出たいという理由ではない。サンダルフォンは外に希望を抱いている。ルシファーがいる。ベリアルがいる。それだけだ。それだけでも、もしかしたらと、期待を抱かずにはいられない。この世界のどこかに、尊い、唯一の存在である人がいるのかもしれないと思うと、居ても立っても居られない。
 一人で暮らしていた時とは段違いに良い生活を送っていると理解はしている。へとへとになってアルバイトに明け暮れて家計をやりくりすることもないし、寒さに震えることもなければ暑さで体調を崩すこともない。押しかけて来る借金取りにうんざりとすることもない。良い暮らしであるのだろうけれど、サンダルフォンは決して望んではいないし、それがルシファーから与えられているのだと思えば猶の事である。
 必ずや裏があるに違いないのだ。
 サンダルフォンを決して安いとは言い難い金額で引き取った理由をルシファーは語らない。しかし、サンダルフォンはもしかしたらなんて思っている。
──この世界でルシフェル様も生を受けていらっしゃるのではないか。
 ルシファーは、サンダルフォンがルシフェルと共にあることを好ましく思っていなかったし、最終的にはサンダルフォンのことをノイズと切り捨てた。ルシファーに認められたいなんて思ったことは無いから寂しさだとか虚しさだとかは覚えなかったにせよ、ルシファーがサンダルフォンの事を敵視していることは理解している。ルシファーは、サンダルフォンがルシフェルに近づくことを良しとしていない。故に今世では近づかせまいとして、サンダルフォンのことを隔離、監禁をしているのではないかいう結論に至ったのだ。

 持ち帰った資料を確認するルシファーの傍らで、サンダルフォンは、やっぱり美味しいんだよなと不満に思いながら、食材に罪はないから勿体ないからと、ベリアル手作りの昼食を黙々と口にしていた。ルシファーとサンダルフォンの視線は合わないし、お互いを居ないものとして扱っている二人にベリアルは面倒臭いなと思いながらルシファーの分の昼食を用意する。ついでにサンダルフォン用のデザートの準備をした。
 ベリアルは特別にサンダルフォンを気に掛けている訳ではない。そもそもはルシファーに命じられた上に仕事であるから世話をしているに過ぎないのだ。仕事であると割り切っている。因縁があり突けば面白いと知っているとはいえ、面倒が増えたと辟易と感じていた。現状でこそ、サンダルフォンはベリアルの食事を完食をしているが、ベリアルも否定が出来ない監禁生活が始まった頃は警戒心をむき出しにして、用意をした食事なんて手も付けられなかった。
「まあ仕方ないか」とベリアルは思った。
 やせ細っている姿に死んじゃうんじゃないかと心配に思ったのは、証拠隠滅が面倒だと思ったからに過ぎない。
 サンダルフォンが食事をとらないと報告をすればルシファーは不愉快な顔をした。叱られるかなと期待交じりなベリアルを他所にルシファーは、ベリアルが用意をした食事を手にしてサンダルフォンに馬乗りになって無理矢理に口に詰め込んだ。サンダルフォンが吐き出そうが、藻掻こうが抑え込む力技であった。そんなことが食事を拒否する度に起こればサンダルフォンも食事に手を付けるようになり、お陰というべきかサンダルフォンは少しだけ肉が付いた。
 まさかルシファー自らが行動を起こすとはベリアルにも予想外だった。必死な形相であったから猶の事である。

「そうだ、サンディ言わなくていいのかい?」
 もぐもぐと咀嚼をしていたサンダルフォンが首を傾げる。何か言うことなんてあったかなんて忘れている様子に、ベリアルは何度目だと呆れてしまう。自分から言うといったというのにその度に忘れている。サンダルフォンにとってはその程度の事なのであっても知っているベリアルにとっては見過ごせない。
「下着だよ。キツいって言ってただろ」
「、あぁ」
 ごくりと飲み込んでからサンダルフォンは思い出したと頷いた。食っちゃ寝の生活をしている所為で太ってしまった。ベリアルやルシファーが確認をしている限り、標準体型から遠い体型と数値であるが、サンダルフォンはふにふにと肉付いた体をそのように認識している。摂食障害のように痩せなければならない、という意識はないものの生まれてから貧乏生活であったために肉付きの悪かった体だ。少し肉がついただけであるのに太ったと思えてならないのだ。
 特に辛いのは乳房だ。
 ぎゅうぎゅうに締め付けられて苦しいったらない。最近では付けないままで過ごすこともあったのだが、ベリアルに見つかってしまった。渋々と理由を話せばニヤニヤとした顔で、気分が悪いったらない。
 話を聞いていただけのルシファーは、二人の会話に資料をばさりと落としかける。寸での所で再び握りなおしたものの、内心では動揺をしていた。平然と、恥じらいもなく下着を話題にする神経が信じられない。
「ファーさん?」
 異変に気付いたベリアルが声を掛ける。それからサンダルフォンも不貞腐れたように、
「新しい下着が欲しいんだが。無理なら別に要らない」
「サンディ……形が崩れるよ?」
「別に崩れたっていいだろ。見せる相手なんていないし」
「いやいや、ダメでしょ。ファーさんだって折角育てたんだから言ってやってよ」
 サンダルフォンはルシファーに買われたのだ。食事も徹底管理をして肉付きもよくなっている。それに2人は一緒の寝台で眠る仲であるのだから、とベリアルははっとしてルシファーを見た。ルシファーときたら俯いたままである。無関心を装っている。興味が無い好きにしろ、なんて言わんばかりのその姿に違和感を覚えたのは長年付き合っていた勘である。曖昧な、ルシファーが鼻で嗤うような頼り甲斐のない根拠であるがいざという時、面白いものに対する勘の働きに掛けてはベリアルはピカイチであった。
 この反応は──。
「え、ファーさん手を付けてないの? もしかしてイン」言いかけた言葉は投げつけられたカトラリーで掻き消えた。一歩間違えたら流血沙汰であるというのにベリアルときたらゲラゲラと笑っているのだから、サンダルフォンはますます頭のおかしな男だと認識をして、ルシファーがキレた理由もわからず恐ろしくなる。もしかして自分の所為だろうかと、別に心の底から新しい下着が欲しいわけじゃないしと思いながら胸がきつくてため息を零した。

Title:馬鹿
2020/05/28
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