ピリオド

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 意識が浮上する。何が、あった。何が起こった。カナンの神殿ではない。悲劇の舞台ではない。守ることの出来なかった揺り籠は、何処にもない。研究所だ。星の民の研究所。もはや失われて久しい場所。しかし、失われていない。記憶のままと変わらない。柱の位置。柱から覗く切り取られた青空。
 言葉を失い、呆けていた。
「どうした? 不具合か?」
「いや……問題はない」
「そうか。なら早速取り掛かれ。素材については好きに使え」
「期限は?」
「……お前が納得するまでで構わん。だが、あまり時間を掛けるなよ」
「承知した」
 覚えのある会話だった。友に天司を作るように命じられた際の会話だと、記憶している。白昼夢かと思えば、これは歴とした現実だ。友は生きている。彼の死を確認したのは私に他ならない。彼の首を刎ねたのは私に他ならない。覚えている。見開かれた目。何かを言いかけて音の無かった唇の動き。ごとりと転がる、首。
 夢であるはずがない。
 どうやら、私は過去の世界にいるようだった。あるいは、戻っている、が正しい。
 数千年の記憶の中で、天司を造るように命じられたのは後にも先にも、一度きり。その一度きりの中で、彼を造った。私が望んだ、私が求めた天司。私の、サンダルフォン。
 揺り籠を見つめる。フラッシュバックする。カナンの神殿。空を舞う羽。破壊された、揺り籠。がらんどうの、揺り籠。悪夢。あれは、悪い、夢だ。あのような惨く、残酷な未来は最早無い。二度と、繰り返しはしない。あってはならない。おぞましい、結末。
「ルシフェルさま!!」
 駆け寄るサンダルフォンを前に、胸に暖かなものが込み上がり、満ち足りる。
 爛々と輝く瞳には、私が映っている。
「息災だったろうか?」
「はい!」
「そうか」
 研究所ではない。中庭ではない。名前の無い島。星の民どころか、空の民でさえも求めない辺境の島。サンダルフォンが生きるためだけにある島だ。誰にも傷付けられないように。誰にも触れられることのないように。今度こそ、間違えることのないように。
 サンダルフォンは何も知らない。ルシフェルが与えることだけを知っている。ルシフェルから与えられることこそが世界であると思っている。珈琲という苦い飲み物。雨が降れば室内で過ごすこと。外は危ないということ。何が危ないのか、危ないということはどういうことなのか、ルシフェルは教えることはない。ただ瞳を昏くさせてサンダルフォンをぎゅっと、痛いほどに抱きしめる。
「どうかここに居てほしい。君が傷つくことに、私は耐えられない」
 ルシフェルさまが不安になることが、危ないことなのだろう。きっと、それはサンダルフォンなんて敵いもしない、おそろしいものなのだろう。サンダルフォンにとってルシフェルという存在は創造主であり、絶対的な存在だ。何でもできて、何でも知っている。サンダルフォンの世界はルシフェルによって整えられている。ルシフェルこそが世界であると、疑うことも知らず信じている。信じていた。
「退屈じゃないか?」
 聞き覚えの無い声に、サンダルフォンはきょとりと首を傾げた。ルシフェル以外の存在を知らないサンダルフォンにとって、初めての外的接触であった。視線を彷徨わせる。小さな家はルシフェルがサンダルフォンのために用意をしたものだ。テーブルと椅子。それから棚にはルシフェルが持ち寄った花や本が納められている。珈琲の香りが室内に染みついている。男と目が合う。酷薄な笑みを浮かべた男は、いつ現れたのかわからない。だがサンダルフォンに恐怖はない。恐怖という感情は、サンダルフォンに宿っていない。生まれていない感情だった。それよりも、
「退屈?」
「ああ! つまらないだろう?」
 退屈。つまらない。どれも、理解が出来ない。意味が分からない。サンダルフォンは考え込む。そんなサンダルフォンに、男はきょとりとしてから、吹き出して、耐えきれないといわんばかりにげらげらと声を上げて狂ったように笑い転げた。
「マジか、マジでか! いやあ! 意外だ! いや意外でもないのか!? あの堅物の天司長さまも、やっぱりファーさんの作品なだけある!!」
 ひいひいと笑い転げていた男がやっと、笑いの波が引いたのか収まったように目じりに浮かぶ涙を拭いとりながら、
「なあ、キミは自分の役割を知っているのかい?」
「……あなたの言葉は、理解できない」
──役割とはいったい何のことだろうか。
 男の挙動も、言葉も、サンダルフォンの理解の及ばない。ルシフェルという絶対的な存在によって閉ざされてきた世界の中で、男は異物だった。男はけろりと言う。
「まあ、仕方ない。それはね。今はそれでいいさ。なに、次にルシフェルが訪ねてきたときに問いかければいい」
――俺の役割はなんですか?
 全て、無意味だった。友には全てが御見通しであった。
「お前にも執着があったとはな」
 呆れたように友が言った。
「だが、あれに執着をしたところでなんのメリットもない。違うか?」
 せせら笑うような声。
 変わらない。何も。
 変えられない。全て。
 サンダルフォンは彼による計画の手駒として叛乱のために、騒乱のために、利用をされた。結果は、かつてと変わることが無かった。サンダルフォンは、私を恨み、憎み、そして、私はサンダルフォンを守ることが出来なかった。救うことが出来なかった。分かり合うことは出来なかった。
 天司の揺り籠は私の目の前で、破壊される。再び共にあろうと願ったことすら、罪であるように。罰であるように。絶望して、そして、
「どうした? 不具合か?」
「いや……問題はない」
「そうか。なら早速取り掛かれ。素材については好きに使え」
「期限は?」
「……お前が納得するまでで構わん。だが、あまり時間を掛けるなよ」
「承知した」
 三度目。
 今度こそ、今度こそ。私は間違えない。
 何も、間違えはしない。
 サンダルフォンと、共に生きるのだ。
 今度こそ。
 また、二人で、空の世界で、対等な命として、
「どうした? 不具合か?」

Title:うばら
2020/05/27
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