ピリオド

  • since 12/06/19
「じゃあ、俺と付き合ってみますか?」
 冗談交じりに持ち掛けたサンダルフォンに、ルシフェルは不快感を抱くことは無かった。
「そうだね、付き合おうか」と首肯すれば持ち掛けたというサンダルフォンの方がぽかんと口を開け、目を丸くしている。何を言っているんだろうと言わんばかりにまじまじとルシフェルを見詰めていたサンダルフォンは、洗い終えたばかりのグラスを思わず落としかけて、慌てて持ち直した。
 ぽーんと呑気なアンティークの掛け時計が告げる時刻にルシフェルは立ち上がる。そろそろオフィスに戻らなければならない。サンダルフォンも戸惑っていた様子から、どうにか、いつもの、小さな喫茶店の店主としての振る舞いに戻った。
 会計をするときには、先ほどの会話なんてなかったかのような関係である。
 常連客と若い店主。
 友人と呼ぶには互いを知らない。しかし、単なる顔見知りというには親しい関係から、恋人になった。のだと、共通認識はしているものの関係性に変化はない。恋人特有の親しみや、あからさまな好意は感じられないでいる。
 ルシフェルも変わらず、来るもの拒まず去るもの追わずな態度である。
 発端はルシフェルが「また振られてしまった」と世間話程度に持ち掛けたことだった。出張続きで顔を中々出すことの出来なかった行きつけの喫茶店で店主の顔をみてらしくもなく、ほっと一息を付いた心地を覚えて、つい、口にしたのだ。サンダルフォンはといえば「相変らずモテますね」と笑って、僻んだりはしない。
「兄にも身を固めろと言われた」
 苦々しく口にしたルシフェルに、サンダルフォンが揶揄う気持ちで言ったのだ。それを、ルシフェルは了承をした。
 女癖が悪いのかと言われても仕方がない頻度でルシフェルの女性関係は目まぐるしく変化する。週に八回恋人が変わったときには、同僚の軽薄な男からも「いつか刺されるんじゃないか?」なんて酷薄な笑みと共に心配をされて、苦い気持ちになった。
 女好き、という訳ではないが好意を向けられて、受け入れただけに過ぎない。ルシフェルに罪悪感は無い。何が悪かったのだろうと理解が出来ずにいるだけだった。
 サンダルフォンと付き合っているものの、ルシフェルの態度は変わらず、来るもの拒まず去るもの追わずで一貫しており、女性ものの香水が匂う時がある。ルシフェルは悪びれた様子もないし、サンダルフォンも口にも態度にも示さない。咎めることもしなければ不快だとも言わない。
 女性を連れ立っている姿でサンダルフォンと街中で出会ったときにも、サンダルフォンは少しだけ驚いた顔をしたものの声を掛けることもなかった。怒ったのだろうかと思って、喫茶店に行くのは憚られた。そんな自分が不思議だった。覚悟を決めて喫茶店を訪ねればサンダルフォンは変わらない様子で「いらっしゃいませ、いつもので良いですか?」と笑みを浮かべてルシフェルを出迎えた。
 傷ついた様子はちらりともなかった。
 サンダルフォンは、私のことが好きなのだろうかと、ルシフェルは疑問を抱いてしまう。
 自分ならばと考える。サンダルフォンの横に、見知らぬ女性がいる光景を想像すれば不快感を覚える。女性だけではない。喫茶店でも、サンダルフォンが接客と承知の上であっても、客と親し気な様子を見ると、面白い気分にはなれなかった。
 ルシフェルは自分を棚に上げてと、薄く笑った。
 サンダルフォンが怒ったり、悲しんだりすることを期待しているかのような自分はまるで、彼の事を大切に思っているようだ。

 街中で偶然に見つけた姿に声を掛けようとした。
「偶然だね」と言って今まで一度たりとも一緒に出掛けたことなんて無かったから食事にでも誘おうかと考えていたルシフェルは言葉を失ってしまう。気付いたときには、サンダルフォンの手を取って連れ出していた。サンダルフォンと肩を並べて談笑をしていた少女一人を置き去りにしていた。
 ルシフェルには、憐れむような優しさもなければ、余裕もなかった。
 その場から離れたところで向き直る。サンダルフォンは戸惑いを浮かべて、置いてきぼりにした少女を気に掛けるように振り向いていたから、猶の事ルシフェルは腹の奥底から煮えたぎるような気持ちを覚えた。どうにかして総動員させた理性を以てして抑え込んだものの、声は怒りで震えた。
「君の恋人は私だろう」
「そう、ですね? 一応、付き合っているということにはなっています、けど……」
 詰るようなルシフェルの問い掛けに、サンダルフォンはきょとりとした顔で、歯切れ悪く首肯した。
「だったら彼女は?」
「友人ですよ。どうしてルシフェルさんに確認をしないといけないんですか?」
 なぜルシフェルがこんなにも心を乱しているのかと、自分が詰られているのかを察したサンダルフォンは戸惑いながらも告げた。彼女は友人だ。正確に言うならば、年下の幼馴染であり、妹のような存在だ。恋愛小説や漫画にありがちな恋心に発展をするような甘酸っぱい関係にはならないと断言が出来る。
 だからこそ、彼女の存在を勘違いとはいえ、邪推されるような存在として誤解されるのは許せないでいた。
 そして、友人だと言い切ったサンダルフォンに対して未だ納得をし切れていないルシフェルに呆れた気持ちで口を開く。
「どうしてルシフェルさんが怒るんですか?」
「それは、」
「ルシフェルさんは良いのに、俺はダメなんですか?」
 ルシフェルは何も言えなくなる。
 サンダルフォンは、ルシフェルの行動を非難している訳ではない。勿論、本来ならば不道徳だと糾弾するべき行為だ。だけど何も言えない。サンダルフォンは承知の上でルシフェルと付き合っている。お互いの交友関係に干渉しない。それが肉体を伴ったうえでも。暗黙の了承ともいえるルールの上で成り立つ関係であると、サンダルフォンは覚悟をしていた。
 サンダルフォンが口にした理由に、ルシフェルは唖然として、戸惑う。
「私は、君との関係は、」
 それ以上の言葉をルシフェルは知らない。
 サンダルフォンのことを大切に思っているのに、ならばなぜ言い寄ってくる女性を拒絶することをしなかったのかと、自分の行動が矛盾をする。口にする言葉の何もかもが真実であるというのに、無価値に宙を漂う。
 何を言ったところで説得力は無いことを痛感して、ルシフェルは顔を歪めた。
 サンダルフォンは、困ってしまう。
「本当に彼女は友人です、幼馴染なんです。彼女には恋人がいますよ、俺なんかよりもずっと魅力的で良い奴ですから」
「きみだって魅力的だ」
「ありがとうございます。でも本当に、彼女とはなんでもありませんよ。買い物に付き合っているだけです」
「お世辞なんかじゃない……」
 発した言葉はサンダルフォンをすり抜けていくようで、何も伝わっていない。
 サンダルフォンは魅力的だ。
 何を言っても、サンダルフォンは困った顔をするだけだ。自分の言葉はなんて薄っぺらいのだろと、自業自得だと分かっている。それでも、後悔をした。
 どうしたら、信じてもらえるのだろうと、もどかしさに泣きたくなる。

 サンダルフォンはカレンダーを見る。ルシフェルと街中で偶然会ってから、二週間が経つ。以来、ルシフェルは姿を見せなくなった。忙しいのだろう、出張だろうかと考えて気を紛らわせる。連絡を取り合う手段を持っていないから、確認のしようがない。また、ふらりと来てくれるだろうかと淡い期待を抱きながら閉店準備をする。店を出れば、夕焼けが沈みかけてぼんやりとした薄暗さが包み込もうとしていた。
 メニューボードを入れようとして、不意に伸びた影が視界に入った。振り返ればルシフェルがいた。
 なんだかやつれた様子だった。仕事が忙しかったのかと心配になる。同時に、珈琲を飲みに来ただけではない、ただならぬ気配がした。
「話せないだろうか」
 サンダルフォンは寂しく笑ってから、中に入ってくださいと招き入れた。

 ルシフェルは今までの女性関係を清算した。ずるずると続けていた、ふしだらな関係の清算に奔走した。身内から散々にいい加減にしておけと言われてきたというのに、たった一人のために総て断ち切った
 一人一人に、もう会うことは無いと伝えた。どうして今更とヒステリックに叫ばれて殴られても、ルシフェルは撤回をすることはなかった。私の何がいけなかったの、どうしてと縋られてもただすまないと謝るしか出来なかった。
 サンダルフォンと向き合うためだった。
「私と付き合ってほしい」
 自分から想いを告げることは初めてだった。勇気を奮い立たせて絞り出した言葉。サンダルフォンは喜び、ではなく、不可解だと言わんばかりに首を傾げている。
「一応、まだ付き合っているとは思いますけど」
「ちがうんだ。いや、違わない。サンダルフォンと、付き合っている」
「ならそれで良いんじゃないですか?」
「良くないんだ、サンダルフォン。私は、きみが好きみたいなんだ」
「みたいって……」
「わからないんだ。ただ、きみが私以外と親しくするのも、私以外を気に掛けるのも、嫌なんだ」
「わがまますぎますよ」
 ルシフェルはしょぼくれて、悲しい顔をしている。サンダルフォンはふと、実家で飼っていた犬を思い出した。真っ白な大型犬は叱られたときに、しゅんと肩を落として、そんな姿を見るとおかしくて叱るどころではなくなってしまった。
「なら言いますけど、俺だって嫌なんですからね。好きな人が他人と仲良くしてる姿なんて面白くないです。それに香水なんて最悪ですからね」
「うん……」
 ああ、この人。気づいていないな。
 しょげたルシフェルを可愛く思ってしまった。もう怒った振りなんて出来やしない。仕方なくなってしまって、笑みを浮かべる。
「珈琲はいつもので良いですか?」
「あ、あぁ!」
 はっきりと答えるルシフェルがおかしくてサンダルフォンは笑ってしまう。ルシフェルも申し訳ない顔をしながら、釣られるみたいに静かに、微苦笑を浮かべた。

 一目ぼれだった。
 元から同性愛者という訳ではなくて、ただ、彼だから好きになった。証拠というべきか、他の同性を魅力的だとか性的だとか思うことは無い。一般的な恋愛体験をしてきたし交際をしたこともある上で、初めて恋焦がれたのは彼だった。
 何時も、違う香水がすることを知っていた。女性が好きなのかと好意を口にすることも出来ずに想いを葬る覚悟であったが、彼が来るもの拒まずであるだけと知って、ほっとしたのだ。別れたと聞く度に内心では喜んでいた自分の性格の悪さは最早矯正なんて出来やしない。性根から腐っている。つけ込んだという自覚はあった。
 冗談交じりに口にしたのは、断られたときの保険だった。笑って誤魔化せるようにと予防線を張っていた。それでも、言葉は真剣だった。
 そうだねと言われて嬉しくて涙が出そうになったけれど耐えた。なんてことのない振りをして、彼の言葉にも行動にも傷ついていないように振舞った。
 嫌に決まっているじゃないか。
 世界中に俺がこの人の恋人なのだと言ってやりたい気持ちだった。
 だけどそんなことをしたら嫌われる、捨てられると思うと足は竦んだ。恋人だと思っているのは自分だけなのだろうかと悲しくなった。だけど、幼馴染と歩いているだけで、それはきっと、不愉快であったのだろうけれど、不愉快に思うくらいに、気に掛けられているのだと思うと、薄暗い喜びが芽生えた。
 この人に選ばれたのは、美しい女性でもなく、俺なのだとサンダルフォンは恍惚とした顔を隠して珈琲を淹れた。

Title:朝の病
2020/05/26
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