ピリオド

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 つくづく、自分はタイミングというものが悪いとサンダルフォンはがっかりしたような、呆れたような気持ちになって、どうにも行動を起こすことなんて出来ずに、嘆息を漏らすしか出来ないでいた。精一杯の抵抗みたいなものは、猿轡に吸い込まれるだけで意味なんて無い。ため息一つ零さなければやっていられない。
 サンダルフォンは、不規則な、ゆらゆらとする動きに胃の中からせり上がるものを感じて、えずいてしまった。しかし、外の連中には聞こえないようで、サンダルフォンはいっそ眠りについたままであったならと思わずにはいられない。無理矢理に目を閉じても一度、自覚をした吐き気を忘れるなんて出来やしない。落ち着かない。吐瀉物で窒息死なんて惨めすぎる。拭えない吐き気に、冷や汗を垂らした。
 昔ながらの伝統を重んじる、閉鎖的な村で生まれ育った。数年前に両親を亡くした。祖父母や兄弟はいない。天涯孤独の身であるサンダルフォンの境遇はうってつけ、であったのだろう。うっかりと耳にした会話にサンダルフォンは薬草をのせたざるを手にして立ち尽くした。
「──サンダルフォンで良いだろう」
「ええ。サンダルフォンなら問題は無いでしょう」
 サンダルフォンの名前を生贄の候補として挙げたのは村長だった。親を亡くしたサンダルフォンの後見人を務める、朗らかで誰からも慕われている初老の男だ。賛同をしたのは独りで暮らすサンダルフォンを気に掛ける男だった。それ以外にも賛同をする村人たちのことを、サンダルフォンはよくよく、知っている。誰もが不気味なほどに優しいと思っていた。優しさを疑うなんてと申し訳なくおもった自分を恥じていた。だけど、正しかった。裏があったのだ。
 生贄を決める会議は満場一致で、サンダルフォンに決定をした。
「さあさ皆さん、お酒をお持ちしましたよ」そう言って村長夫人がにこにこ顔でやってくる。すっかりお開きな様子で寛ぐ村人たちは人一人の命の話し会いをしていたとは思えない。「やっぱりサンダルフォンなのね」と夫から話を聞いた夫人は納得をした様子で、ちっとも残念そうにも無念そうにも感じられず、御酌をしている。
 サンダルフォンはそっと、その場を離れた。
 村長の屋敷に訪れたのは、少し前に村長が胃の調子が悪いとぼやいていたからだ。年には勝てんなと笑っていた。両親が薬師であったから、薬草の見分けには自信があって、そういえばと思い出して届けに来たというのに、何もかもが空回る。
 悲しみが無かったといえば、嘘になる。信頼を寄せていたから裏切られたみたいな気持ちは勿論ある。一方で、なんだか仕方がないみたいな諦めみたいな気持ちがあった。
「二回目ともなると、慣れてくるもんだな」
 過去の再現みたいな状況に堪えがたい苦さを思い出したサンダルフォンは、逃げることはしなかった。

 日照り続きで作物はろくに育たず、栄養不足で免疫力の弱った体を病が蝕んでいき働き手が臥せっていく。思い出したかのように訪れる不幸続きに、時代錯誤の村が縋ったのは古臭い因習だった。
 よくある昔話だ。
──悪い事がたくさん続いて村が困っていたときに、竜が助けてくれました。竜のお陰で村は救われました。感謝を込めて、ひとりぼっちが寂しくないようにとお嫁さんを捧げることになりました。お嫁さんと竜は幸せに暮らしました。めでたしめでたし──といった内容であったように記憶している。お伽噺に憧れるような精神構造をしていなかったサンダルフォンは白けてしまい、あまり覚えていない。体のいい口減らしだろうと感想を抱いたものの、口にはしなかった。今、まさに口減らしに間引かれようとしているのだから、どうせならば口にしておけばよかっただろうかと考える。
 話を聞いてから、サンダルフォンが知らないふりをしているとはいえ、村人たちの態度に変化は無かった。他所他所しくすることもなければ、同情に可愛がられることもない。何食わぬ顔で日常を繰り返している。茶番だとうんざりとした気分で、サンダルフォンも素知らぬ顔で付き合った。
 儀式の仔細をサンダルフォンは知らない。何をするのか分からない恐怖と、もしかしたらなんて期待が居合わせていた。就寝中に連れ去られて身動きの一切を封じられた現状を考えると期待は、しない方が良いらしい。
 木製の箱に詰められている。棺桶みたいだと気持ちの悪い想像をした。つなぎ合わせた木々の隙間からぼんやりとした月明りが差し込み、湿った空気を感じる。森の奥へ奥へとずんずんと進んでいるようだった。森の奥は整備もされていないから立入を禁止されていた。サンダルフォンも立ち入ったことはない。
 やがて、揺れが収まる。ひそひそという囁きも聞こえなくなり、枯れ葉を踏みしめる音は遠ざかっていく。風のそよぐ音だけが不気味にあった。
 置いてきぼりにされたようだ。
 なんて女々しいんだろうと思ったけれど今や女であるから、別に良いかと思えた。天司であった頃に比べれば、なんてことはない絶望だ。利己主義と糾弾する気はない。自分が死んだところで問題は無い。村にとって、軋轢を生まない。死ぬために生かされていたみたいだと思えば複雑だった。
 どうせもう村には戻れはしないしこんな森の奥深くで助けられるなんて期待もない。餓死か獣に食い殺されるのかと、サンダルフォンは覚悟を決めた。
 就寝中に拉致をされてここまで運ぶ中で吐き気を抑え込んでいた。疲れていたことを思い出したのように、疲労感でいっぱいだった。状況は危機的であるにもかかわらず、睡魔に抵抗する気力はない。
 森で熊が出たという話を聞いたことは無かったなと思い出した。それから、重くなる瞼に逆らえなかった。
 来世はあの人と巡り合いたいなとぼんやりと願う。

 微睡みから浮上をしたサンダルフォンはぼんやりと目を開ける。それから、不思議に、首を傾げた。記憶違いでなければ、棺桶みたいな木箱に詰め込まれていたはずだ。なのにどうしてこんなにも明るさを確認できるのだろうと不思議でならない。体を起こして、それから、手足が自由になっていることに気付く。眠ってから目覚めるまで時間は経っていないのであろう、手足には何もかもが夢ではないのだと言わんばかりに、縄の跡がくっきりと残っていた。
 もしかしたら、夢遊病を発症したのかもしれない。あるいは火事場の馬鹿力みたいなものでと考えて、ありえないなと否定をした。自力で逃げ出したとすれば、縄の跡以外の傷跡がないのは不自然だった。密閉をされた木箱の内側から藻掻いたのであれば、最低でも爪が欠ける程度の傷は生じるはずだ。誰かが助けてくれたと思うのは自然だった。
 痛みよりもむず痒さを感じて、サンダルフォンは手首を摩りながら、きょろりと周囲を見渡す。
 朽ち果てた遺跡が目についた。人は寄り付いていないようで草花が群生している。サンダルフォンが眠らされていたのは、柔らかな草の上に情け程度の布を被せた簡易ベッドのようだった。
 サンダルフォンには覚えのあるような、ないような光景だった。既視感はあるものの、そっくり同じではない。もどかしさを覚えて、悲しくなる。寂しくて、膝を抱えた。
 村には戻るつもりなんてない。生まれ育ったとはいえ愛着はないし、かといって恨みもない。とっくに今の命を諦めるつもりでいたから、生き延びている現状に、嬉しいとか安堵したみたいな気持ちよりも、落ち着かず、戸惑いが勝っていた。
 不意に風が吹いた。わっと、構えることも出来ずに吹き飛ばされたサンダルフォンは痛みを覚悟したのにいつまでたっても痛みが訪れることはなかった。おずおずと、痛みに備えてぎゅっと瞑っていた目を開ける。それからぎょっとして、あげかけた悲鳴を呑み込んだ。竜が、覗き込んでいた。サンダルフォン一人なんて、たやすく、一口で食べられてしまう。食べるならひと思いに食べてほしいと願った。だけど、何時まで経っても口が開かれることもなければ、サンダルフォンをミンチにしようと鋭い爪が振り下ろされることもない。それどころかサンダルフォンは優しく再び整えられたベッドの上に降ろされた。竜はじっとサンダルフォンを見詰める。
 青い瞳に、覚えがあった。
 記憶にこびり付いた、決してはがれることのない色だ。
「ルシフェル、様?」
 そうだよと言わんばかりに竜は目を細めてからぐるぐると喉を鳴らした。

 ルシフェルは人語を口に出来ないものの、言葉自体は理解ができるようだった。それにかつてと変わらぬ優しさを持ち合わせていて、サンダルフォンのことを見捨てたりなんてしない。空腹を覚える前に、どこからとってきたのだろうかと、サンダルフォンが見たことのない輝く果物を持ち帰ってきては、食べなさいと言わんばかりに押し付けた。食べて大丈夫なのだろうか、なんて心配はなかった。ルシフェル様が選んだのならばとサンダルフォンが戸惑いなく、齧りつけば甘い果汁が口いっぱいに広がり、飲み込めきれなかった果汁がぽたぽたと零れ落ちていく。
 ぬるりと、生暖かな感触が肌を這った。
 果汁のべたつきなんて比にならないべっとり具合にサンダルフォンは苦く笑う。ルシフェル様だからなのか、生臭いだとか気持ち悪いだとか思わない。ただ宥められてるみたいな、あやされているみたいな気持ちになる。
「俺は雛じゃありませんよ?」
 サンダルフォンが何度も口にしても、ルシフェルはぐるぐると喉を鳴らすだけだった。サンダルフォンは困り顔を浮かべる。ルシフェルは目を細めてから、触れてもいいのだというように、鼻先を押し付けた。じゃれついてるなんて、不敬だろうかと思いながら、サンダルフォンはためらいがちに触れた。
 白い鱗で覆われた皮膚は、見た目通りにつるりとしていた。それから、暖かかった。だから、悲しくなってしまう。
 相変らず、村に戻りたいという気持ちはなかった。生贄として捧げられた自分がのこのこと帰ったところで、どのような扱いを受けるかだなんて分かったものじゃない。だけど、また生贄が捧げられたらと考えると薄暗い気持ちになる。ルシフェルが、今のサンダルフォンへの扱いと同じことを誰かにするだなんて、考えだけでも、烈火のような怒りが、見知らぬ誰かへとわきあがる。みっともない、妬みだと分かっていても、悲しいことに、抑えつけられないのだ。
 サンダルフォンは人間だ。百年も経たずに死んでしまう。そう思うと、人間で生まれたことに後悔を覚えては、どうしようもない悲しみが押し寄せた。
「不安がることはないよ、サンダルフォン」
 ルシフェルが声を掛けてもサンダルフォンには聞き取れない。悲し気な顔のまま、ルシフェルを見上げている。ルシフェルは鼻先をサンダルフォンに寄せた。鋭い爪では、サンダルフォンを傷つけてしまうからだ。ほんのりと香るサンダルフォンの香りにルシフェルはうっとりと、目を細めた。
「いつか、私の言葉が君にも届けばいいのだが……」
 雛だなんて思っていない。サンダルフォンのことを、番として、愛しく思っている。幾ら口にしようとも、行動で見せようとも、どうにも伝わらず、もどかしい。
 今やサンダルフォンのことを知る人間はいない。ルシフェルがサンダルフォンを連れ去り、番としてから、既に百年が過ぎている。黄金の果実を口にしたサンダルフォンは人の輪から外れている。何も不安に思うことは無いのだけれど、未だサンダルフォンは気付いていない。いつになったら気付くのだろうかと思いながら、嫉妬と不安に揺れる姿に独占欲が満たされたルシフェルは紛れもなく竜である。

Title:約30の嘘
2020/05/23
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