ピリオド

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 突き刺すように注がれる視線に息苦しさと、不安と、居た堪れなさを覚える。無意識に早足になる。かつんかつんとヒールによる耳障りな音が響いた。

 自室以外の立ち入りを原則として禁止されているなかで、ルシフェルが連れ出してくれる中庭は心の拠り所であった。ルシフェルという存在によって、サンダルフォンは初めて生きた心地を覚える。ただ肉体を維持するだけの存在ではなく、サンダルフォンという自我を許された気持ちになる。だからこそ、心が急いて、空回る。なぜ自分には役割が無いのだろうと言う疑問は尽きることなく、役割は何時与えられるのだろうかと問い掛けるたびに、ルシフェルの顔を曇らせてしまう。役立ちたいという焦りだけが、期待だけが行き場を失ってサンダルフォンを急かす。

 星の民がサンダルフォンに向けるのは、何故役割のない天司がこの区画にいるのだ、何故あれは天司長の寵愛を受けているのかという疑問でもなく、ただただ純粋なまでの、同情であることに気付くこともなく、それが逆鱗であることを知っている星の民が声を掛けることもない。



 逃げ出すように踏み入れた区画は、陽射しが降り注いでいるというのに不気味で気味が悪い。人の気配が感じられない。視線を注がれないという安堵以上の、逃げ場のない不安がサンダルフォンを追い立てる。いつまで経っても慣れることはない。指定されている部屋へと足早になっていたが、部屋に近づくにつれて重くなる。だけど、逃げ出すことは出来ずに、サンダルフォンは呼び出された部屋の扉を叩いた。

「サンダルフォンです」

 入れ、と言う扉越しのくぐもった指示があってから、サンダルフォンは大きく息を吸い込んで、それから吐き出して、決心をしたように、所長室の扉を開ける。

「失礼します」



 研究所所長として書類を裁くルシファーの補佐としてサンダルフォンが控えるようになったのは最近のことだった。変化の乏しい研究所での劇的な変化であった。とはいえ、公式に周知された補佐ではない。非公式な存在である。到底、役割と呼べるようなものではない。

 暇を持て余しているのだろうという皮肉と共に部屋から連れ出されてから、サンダルフォンはルシファーの執務室で細々と、黙々と書類をまとめるという仕事ともいえない、手伝いに駆り出されていた。

 戸惑いと恐怖は、なぜ自分なのだろうという問いを押しつぶして、サンダルフォンは粗相のないようにと細心の注意を払って、神経を研ぎ澄まして作業に勤しむ。



 ルシファーとの接点といえば、サンダルフォンの検査くらいである。記憶にある限り、検査はルシファーが担当をしている。他の研究員が待機をすることもあったが、直接の検査はルシファーによるものだった。緊張で心細い時間に何度となく心が折れた。時折に、ルシフェルが居合わせることもあり、サンダルフォンは少しだけ安堵を覚えた。

 ルシファーとは、特別に親しくもなければ、軽口を叩くことも、世間話をすることもない。それどころか、厭悪されていると自負している。幾度となく向けられた厳しい視線は、サンダルフォンがルシファーを苦手に感じる材料としては十分過ぎた。



 何故嫌われているのだろうという疑問を抱くことはない。自分は何かしてしまったのだろうかと考えることもない。ルシファーに嫌われるということはサンダルフォンにとっては常識だった。好かれる理由がない。元より、研究所においてサンダルフォンの存在を肯定しているのは創造主であるルシフェルただ一人である。だからこそ、そっくりな顔で諦念の吐息を零されると身が竦み、生きた心地を覚えない。別人だと理解をしているつもりであっても、捨て去られたかのような錯覚に、世界から置いてきぼりにされたみたいな孤独に包まれる。



 所長決裁の書類には秘匿事項が含まれている。サンダルフォンには全く理解の出来ない内容であったり、しらない事柄について。サンダルフォンは意味を問い掛けることはない。ルシファーに対しても、ルシフェルに対しても。そして見聞きした事柄を外部に漏らすことはない。サンダルフォンという存在に手を出す愚か者は存在しない。サンダルフォンもまた、ルシフェル以外に心を許していない。

 情報漏洩に関して、機密保持に関して、サンダルフォンに憂慮はない。

 都合が良いのだと身の程をわきまえているつもりだ。信頼をされているなどという淡い期待を抱くほど、愚かではない。

 内心でルシフェル様と縋りながら、サンダルフォンは無心で、ひたすらに、乱雑にまとめられていた書類の仕分けをしていた。自分がいま、何処にいるのか、誰と空間を共有しているのかを頭から追い出すようにこの書類はと考える。だから、サンダルフォンをちらっと窺う視線になんて気づくことは無かった。



 コンコンと叩かれた扉にサンダルフォンは顔を上げる。期待を込めて、緊張で強張っていた顔を和らげたから、ルシファーは言い知れぬ気持の悪さに舌を鳴らした。びくりと震わされた肩を見咎めて、再度の舌を鳴らしかけたのを堪える。

「友よ、ルシフェルだ。帰還をした」

 入室の許可を出す間もなく、遠慮することもなく入室をしたルシフェルにサンダルフォンは立ち上がり出迎える。

「おかりなさいませ、ルシフェル様」
「ただいまサンダルフォン」

 そういってにこやかな、二人だけの空間が出来上がっていくのが忌々しく不愉快でならない。部屋の主だというのに、居心地の悪さのような、自分が異物であるかのような感覚に、苛々とする。

「友よ、私たちは中庭に行く」
「さっさと行ってしまえ」

 ルシフェルの言葉を遮るように追い立てる。明確に拒絶をされて、困り顔のルシフェルとサンダルフォンは顔を見合わせた。サンダルフォンはまとめ終えていた書類を、いつものようにと几帳面にルシファーの執務机に置いてから退室をしていくのを、視界の片隅に留める。



 うきうきとした気分で研究所に帰還をしたベリアルは、けしかけた責任半分と、野次馬半分で所長室に顔を出した。サンダルフォンが所長室での待機へと変更になったらしい。ベリアルが一切関知していない事件である。所長の独断である。随分と大胆じゃないかと驚き、さてと声を掛ける。

「サンディとはどうだい?」
「………………あぁ、アイツか」

 間が空いたものだからベリアルはちらりと不安を覚えたが、どうやらルシファーのなかでやっと認識をされたらしい。サンダルフォン、という存在はしっかりと天司長ルシフェルが作ったスペア、と紐づかれているようだった。これで誰だそれはと言われたら流石のベリアルもお手上げである。

「聞くところによると補佐の仕事をさせているようじゃないか。俺一人では不満かい?」
「……補佐の仕事ともいえん」

 苦々しく吐き捨てるルシファーはベリアルの軽口に付き合うつもりはない。何時ものことである。そしてベリアルも、その程度でたじろぎ、すごすごと気後れすることはない。

「…………まるで役に立たん。わかりきったことだ」
「なら態々呼びつけることはないだろう?」

 にやにやと意地の悪い笑みを浮かべれば、ぎろりと睥睨され肩を竦めた。
 無自覚だからこそ、愉快でならない。揺ぎ無い崇拝とは別に、狡知たる悪癖を押さえつけることができない。ごめんよファーさんと謝りながらも心地よい愉悦に浸る。



「そんなに好きなら好きっていえば良いじゃないか!」

 と胸中でつぶやきながらもベリアルはしおらしい表情を浮かべて、まぁ次があるさ気長に進めていこう、二人きりなんてチャンスじゃないかと慰めの言葉を掛ける。さっぱり意味の分かっていない様子のルシファーは何を言っているのだ、とうとう思考回路が狂ったかと不愉快さを隠しきらずに忌々しそうに舌を鳴らした。

 雑な仕草は見慣れたものである。ルシファー本人をベースとした最高傑作には受け継がれることのなかった仕草に、それが怯えられるんじゃないかとは思ったが口には出さなかった。先が思いやられるなと思いながら、ベリアルは姦計をめぐらせる。

【ファーサン】「好きなら好きっていえば良いじゃないか!」
#この台詞から妄想するなら
2020/05/07
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