ピリオド

  • since 12/06/19
「ルシフェル様、起きてください。ルシフェル様」
 椅子の背にもたれ掛かり、寝息を立てていた姿は、楽しい夢をみているのか、寝顔は小さな笑みを浮かべていたから、起こすのは忍びないと思いながらも、まだ肌寒さが残る季節だ。風邪を引いてしまうし、何より淹れた珈琲を持て余してしまう。
 何と無しに、珈琲を淹れて、のむ時間帯が出来ていた。日によって、あるいはその日の気分でサンダルフォンが淹れることもあれば、ルシフェルが淹れることもある。今日は、サンダルフォンが淹れる日だった。
「……眠っていたかな」
「ええ、ぐっすり」
 ぼんやりとした様子で、今日は暖かいからねと言い訳みたいなことを言うルシフェルにサンダルフォンは少し笑った。
「もうすっかり、春ですね」
 言いながら小さなテーブルの上にティーカップをセットして、珈琲を注いだ。まだ不慣れでたどたどしく淹れている。まだ苦味にはなれない珈琲であるが、ルシフェルと過ごす時間が好きだった。サンダルフォンはエプロンを外して、自分用にとシュガーポットを手に取る。
 ルシフェルは待っていたようで、気恥ずかしさを覚えながら向かいの椅子に座った。
「うん、今日も美味しいよ」
 珈琲を一口飲んだルシフェルの表情がほころび、サンダルフォンもつられるように笑みをこぼす。静かな時間が流れる。風がそよぎ、真新しい緑が薫る。サンダルフォンは陽射しの中でも輝くプラチナブロンドに、目を細めてから、意を決したように、口にした。
「あの、ルシフェル様。本当に、良いんですか?」
 きょとりとしたルシフェルが何がだろうかと、目だけで問い掛ける。
「……王族としてならば、何不自由なく、生きることが出来ます。もっともっと、大きな世界を見ることだってできるのでしょう? その可能性を、捨て去るのは、貴方にとって」
「良いんだよ。サンダルフォン」
 サンダルフォンの言葉を遮り、ルシフェルはきっぱりと否定する。手にしていたコーヒーカップをソーサーに戻せばかちゃりと、音が鳴った。緊張が走って、サンダルフォンは自然と背筋が伸びていた。対してルシフェルは穏やかだった。
 サンダルフォンの心配も不安もお見通しであるかのように、包み込むように笑い掛ける。
「地位や名誉なんてものの愚かさを知っているからね」
「随分な言い草だな」
 笑顔で思っていたことを、隠し切れていない毒っ気のままに口にしたルシフェルを、同じ声音が批難する。批難といえども、言葉だけで、揶揄うような親し気な風であった。その声にサンダルフォンは慌てて居住まいを正す。
「陛下!?」
「畏まらんでいい、俺にも珈琲を……待たせる気か」
 サンダルフォンに命じて、混乱をしている様子を睥睨する。青い目に射貫かれてサンダルフォンはきょどきょどとしてから立ち上がった。
「ルシファー」
 咎める声にチッと舌打ちをした男は、ルシフェルの兄であり、現在では玉座を有する王である。サンダルフォンはぱたぱたと家の中に戻っていき、空いた席にどかりとルシファーは座った。小さな椅子で、柔らかさもない。不遜にひじ掛けを使ってふんぞり返る。
 ルシフェルが見ていた、庭先を見詰める。
 美しく整えられた庭園を日々見慣れているルシファーにとっては、雑草同然であった。



 あの日、焼け落ちる屋敷はすぐさま消火をされた。指示を出したのは先立って王位を継いだ若き王であるルシファーである。不愉快な臣下の手により、秘匿されていた弟の存在を知った。ルシファーを傀儡として権威を物にしようとした計画の中で、怪物にされたという弟。ルシファーの弟として生まれたばかりに、政敵として排除をされた。
 2、3度の面識があるだけだった。
 ルシファー自身は家族愛を求めていない。ただ、弟が優秀であることは聞き及んでいた。領地を任せようかと捜した矢先に、ルシフェルの惨状を知った。臣下として、求めただけであり、容姿なんぞどうでもよく、弟が囚われていた屋敷に迎えに行けば屋敷は燃えているものだから、一瞬ばかり呆気にとられた。
 はっとして、すぐさま消火を命じた。
 よそ者が何を言っているんだという視線はルシファーが引き攣れていた臣下が黙らせた。幸いと、雨も降り、どうにか消化をしたものの、生存は絶望的だった中で、二人は一命をとりとめていた。
 ルシファーが聞いていた姿の怪物は無く、ルシファーそっくりな男と、幼さが残る青年。
 呪いが解けていたことに驚き、二人の関係がそういうことなのだろうとルシファーは誰に言うでもなく納得をした。
 ルシフェルに掛けられた呪いを解く方法を鼻で嗤ったものだった。解かせるつもりなんぞないではないかと、馬鹿にした。真実の愛、だなんてそんまもの、存在するはずがない。愛なんて不確かなものを信じていないルシファーだったが、認めざるを得ず、実際に解けた姿を見てしまえば彼らは愛し合っているのだろう。
 サンダルフォンはといえば、何故自分はこんなにも好待遇なのか分からずに治療を受けていた。ルシフェルはサンダルフォンが必死になって火の粉からかばい続けたこともあってか、傷は殆ど残っておらず、精々小さな火傷だけだった。しかしサンダルフォンは体のあちこちと、気管支に火傷を負って入院を要した。不思議な顔をするサンダルフォンが、ルシフェルが王族であり、現王の異母弟であることを知ったのは退院をする間際であった。
 入院をするサンダルフォンの世話を焼くルシフェルは、とても王族とはルシファーにも見えなかった。
 屋敷に火を放った者たちは王家の所有物を破壊したとして、そして怪物がいるなどと不敬なことを口にした男からは領地を没収した。なんせ彼らの言う怪物なんていやしないのだ。
「ファーさんってば優しすぎじゃない?」
 処分を詰まらなさそうに評価する部下をルシファーは蹴りだして、決裁の印を押す作業に戻る。



「まぁまぁ、だな」
 サンダルフォンが新しく淹れた珈琲を一口飲んで、感想を呟いたルシファーは、また珈琲を啜る。サンダルフォンは曖昧に笑った。ルシファーのことはあまり、得意ではない。随分と世話になっておきながら何様のつもりだと自分でも思ってしまうが、ルシフェルとそっくりな見た目で吐き出される言葉は毒々しくて、怯えてしまう。ルシファーとの付き合いも短いから、まぁまぁ、という言葉がルシファーにとっての誉め言葉であることも、伝わらないでいる。
 ルシファーなりの、賛辞であった。
 サンダルフォンが退院をする運びとなって次に、これからどうしようかと、サンダルフォンとルシフェルは膝を付き合わせて話した。この時になると、二人はもう、離れたくはないと口に出したものの、困ったことになる。ルシフェルにはルシファーから戻ってこいと言われている。サンダルフォンも連れてきて構わないというのだから、それは破格の待遇であるのだろう。だが、あの泥沼の醜い世界にサンダルフォンを連れていくことを、ルシフェル自身がしたくなかった。
 それこそ、身をもって知っているのだ。現王の弟の寵愛を受けているとなれば、何をされたか分かったものではない。サンダルフォンを危険には晒したくはなかった。
「俺は、ルシフェル様と一緒なら、何処にでもついていきます」
 覚悟をして、ルシフェルに告げた。
 席を外したルシフェルと入れ替わるように、ルシファーに呪いのことを聞かされた。
「ルシフェル様のことだから、俺のため、だなんて考えそうだから」
「君は私の考えが分かるのか?」
「だって、俺だってルシフェル様のためって考えてるんです」
 サンダルフォンは得意げに笑ったから、ルシフェルも心を決めた。決意をして、翌日にはルシファーに伝えた。連れ戻すつもりでいたものの、やはりなという気持ちもあって、ルシファーは首肯した。無理矢理に連れ戻したところで、何をしでかすか分かったものではない。
 その日をもって、ルシフェルは王位継承権を放棄して、王族からも消された。
 代わりとして、貴族としての地位と、領地が与えられた。ルシファーなりの、兄心のような詫びのような何かである。自分にもそういった情があるのかと他人事に思いながら手続きをした。固辞しようとしたルシフェルは長年引きこもりであり、労働を知らぬ箱入り息子、そして世間知らずである。連れ合いであるサンダルフォンとて元奴隷であり一般常識には欠けている。どうやって生きていくつもりなのだとルシファーに懇々と諭されれば、ルシフェルも理想だけでは生きていけぬことを承知であるから、地位と領土を受け入れた。
 あてがわれた領地は長閑な田舎である。閉鎖的な土地柄で、住人の出入りは少ない。前の領主が亡くなり、跡継ぎとして、親類もいないこと、領民たちが自主的に納税をしていること、そして土地を有することへの目だった利益もないことから、長らく、放置をされていた。新たに領主となったルシフェルを村人たちは快く出迎えた。
「付きの者はどうした……そもそも何をしに来たんだ?」
「視察だ」
 ルシファーの嘘を、ルシフェルは承知であり、そしてルシフェルが承知であることをルシファーは承知している。二人の会話をサンダルフォンはよくわからないなと思いながら、御茶請けにスコーンとジャムを出そうかと考える。作ったばかりの、とりたてのイチゴジャムは甘酸っぱい出来で、ルシフェルとサンダルフォンのお気に入りだった。



 何をするわけでもなく、珈琲を飲んで、それからスコーンとジャムを食べてからルシファーは帰って行った。迎えに来た部下らしき男は疲れたような顔をしていたから、きっと抜け出していたのだろう。それで良いのだろかと、不安になる。命を狙われる立場であるのにと、サンダルフォンは心配になってしまった。
 かつて過ごした屋敷には遠く及ばない、小さな家である。それでも、二人で暮らす分には十分な広さであり、引っ越してから日も浅く、まだ家具は少ないから余計に広く感じる。
 珈琲が名産であるらしく、あちこちに珈琲の木を見かけた。
「庭にも、植えられるだろうか」
 ルシフェルがなんと無しに言えばサンダルフォンは、庭に珈琲の木がある風景を思い描いた。白い花が咲いて、そして赤い実が生る。それまでに、珈琲を砂糖無しで飲めるようになれたらいいのにと思いながら、
「明日、買いに行きましょうか」
「そうだね。ついでに、砂糖も買っておこうか」
 ジャムを作る際に使った量を思い出した。あと何かを買うものはあっただろうかと、考える。二人並び、日が暮れた庭から家の中へと入った。
 庭の片隅にひっそりと小さな花が咲いていた。
 二つの花が寄り添い、風に揺れる。
 春が来ていた。

2020/04/30
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