ピリオド

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 教育機関を卒業してから念願だった企業への入社が叶い、早数年が経った。フレッシュさとは遠く、かといってベテランとも言い難い曖昧な立ち位置から、少しだけ抜け出たように思ってしまうのは鼻に掛けているのだろうか。傲慢になっていないかと自分を戒める。だけど、プロジェクトを任される機会が増えたことが、自分が評価をされているのだと、今までの業務は無為ではなかったのだと自信が持てた。

 終業時間を知らせるチャイムが鳴り、手元を止めてデータを保存する。問題が起きなければスケジュール通りに、無事に終わることができるだろう。何事もなく終わるようにと念じながら帰り支度をする。
 原則として、会社規則として残業は許されていない。どうしても残業をしなければならない場合は上司の許可が必要となる。あまり、良い顔はされず残業をする社員は皆無である。おかげ様というべきか優良企業としての知名度も上昇している。ネームバリューは求めていなかったものの、勤めていると話せば凄いねと一目置かれる。その分、男受けは悪いがしったことではない。

 上司をちらっと見れば、帰り支度を終えて立ち上がろうとしているところだった。相変わらず早いなと思いながらも、理不尽な妬みや咎めるような気持ちは一切ない。少なくとも、彼の部下である同僚全員が負の感情を抱くことはない。理想の、憧れの存在であることが共通認識である。

 それでは先に失礼する。プラチナブロンドがさらりと揺れた。それからフレグランスの爽やかな香り。凛とした声に、お疲れ様でしたと声を掛ける。上司がいなくなったあとは、明かりが落ちたように薄暗い雰囲気になる。
 決してノリが良くて明るいお喋りな人ではない。寧ろ寡黙で静かな人だ。だけど、存在感があり、それでいて華やかだった。カリスマ、というのだろう。人生経験が豊富とは言い難いなかでも上司以上の存在感の人に出会った記憶はない。

「いっつも早いですよね」

 転属してきたばかりの彼女にとってはまだ見慣れない光景であるようだった。不満ではなくて、ただ漏らしてしまったというような感想に懐かしいなと思う。自分自身が、転属したばかりのときに思ったのだ。帰っていいのだろうかとそわそわとしたことも懐かしい。上司が早々に帰ってくれるから余計なプレッシャーを感じることなく、帰社することへの罪悪感はなくなった。
 彼女は図太いようだから早くに慣れるだろうと思う。

「あんなに毎日早く帰るって、結婚とかしてるんですかね? あれ、でも指輪とかはしてないですよね……。同棲とかかな……ねえ、知りません?」

 ぎょっとして新人を見る。新人はといえば、上司に恋愛感情を抱いているようすはなくて、ただ純粋な疑問として口にしたようだった。誰も、その疑問に答えることはできずに聞かなかったふりをしてお疲れ様と出ていく。私もそれに続いた。新人は自分で口にしたことも忘れた様子で携帯端末を触っていたから、若い子は怖いもの知らずだと思ってしまった。

 上司の交友関係は謎で包まれている。
 一説では創業者の血縁者であるだとか、実は産業スパイだったけど今では会社に忠誠を誓っているのだとか、二つ目に至ってはフィクション感が隠せないでいる。なのにフィクションから飛び出てきたような容貌の上司が存在するから、まるっと否定が出来ない。
 風のうわさで、妹を溺愛しているのだと聞いたことがあるが、それも定かではない。

 趣味や、何処に住んでいるのかも、誰も知らない。勝手に、モデルルームに住んでいそう、それから冷蔵庫にはミネラルウォーターが入っていそうと想像すると、なんだか人間味が薄くなっていく。いっそ食事ととる姿も見たことが無い。

 暖かくなり、日が沈むのも遅くなった。街灯もまだ明るくはない。それでも十分に明るいから、いつもと変わらぬ時間であるというのに早く終わったような気分で、得をしたように感じた。夕飯はなににしようかと考える。スーパーで総菜を買おうか、それとも何かを作ろうかと考えながら、メイク落としが無くなってしまったのだと思い出す。
 駅前のドラッグストアに使い慣れたメイク落としがあればいいのだが、いつもは面倒くさくて通販で購入しているから、不安だった。
 平日の夕方とだけあって、人は疎らな店内をきょろりと見渡して違和感を覚える。何かあったのだろうかと思うほどに、余所余所しい客とすれ違いながら、ああここだと洗顔コーナーを確認してから、慌てて物陰に隠れる。

(隠れることなくない?)

 別に、悪い事はしていないのだ。堂々と、挨拶を、或いは見て見ぬふりをすれば良いのに一度隠れてしまうと中々勇気も度胸もなくなってしまう。
 見間違えだと思うことは難しい。それこそ、何故サラリーマンなんてしているのかと思うほどに、芸能人が霞む程の美丈夫である。あまりにも整った外見故に恋愛相手として見れずに、社内の絶対的不可侵領域となっている。彼に色仕掛けをしたが最期である。会社内の居場所も仕事も失ってしまう。
 別に好きなることは悪い事ではないし、感情が制御できるわけではないのだ。
 ただ、触れてはならない存在なのである。
 故に彼の部下となる人物は慎重に選ばれるらしい。これも噂である。

 そっと、物陰に隠れながら上司を見る。携帯端末を確認しながら、商品を手に取って、首を傾げている。真剣な様子だから、格好いいと思うのだ。だけど、声はかけられない。だって、手に取っているのは女性用ナプキンである。
 そいういう趣味であるのかと、いやいやまさかそんなと脳内会議が開かれているうちに、上司はといえば携帯端末で通話を始めていた。

「───────、すまないが羽付き、で良いのだろか? それとも──ああ、わかった。うん。薬はあるのかい? 無いようだったら……、体調は? ……うん。…………いや、無理をすることは無い。今日は私がするから休んでいなさい__病院には行った……そうか。気にしないで良い。辛いのはきみなのだから。電話をきるね。うん───────すぐに帰るよ」

 どうやら頼まれた買い物であるらしいから胸を撫でおろした。女装癖だとか、そういった性癖であったところで軽蔑をすることはないつもりであった。尊敬は変わることはないものの、ほっと、してしまった。早とちりと、飛躍した発想に、笑いが込み上がる。普通に考えたら頼まれてだというのに。

 それから、通話をする声があまりにも優しく、穏やかであったから驚いてしまった。親しい様子は、噂のような溺愛する妹ではないだろう。自分は中々、恋人にナプキンを頼むようなことは出来ないが長い付き合いなのだろうか。
 恋人がいたのかと、そりゃあ、年齢と容姿を考えればいてもおかしくないのだが、恋人がいることを醸し出すことが一切なかったので驚いてしまった。ストイックで、潔癖なのかと思い込んでいたから、不思議だった。
 恋人の存在を隠しているのだろうか、隠さなければならないのだろうか分からないが、人に言いふらすことはしない。そっと、胸の奥底に秘める。何時か、結婚をしたのだと紹介をされたら嬉しいなと思うし、どんな人なのだうかと想像が膨らんだ。
 モデルや女優のような美人か、あるいはアイドルのような可憐な女性だろうか。あまり想像が出来ない。

 現実離れした光景になぜ自分はドラッグストアにいるんだろうとすっかり目的が頭からは抜け落ちてしまった。何を買おうとしていたのかと記憶を探って、そういえばと慌てて洗顔コーナーで目当てのものを探す。探しながら、気になってちらりと覗き見る。

 通話を終えて、羽付き多い日用を手に取った姿は威風堂々としていて、周囲の視線や恥じらいなんて一切感じていないようで男らしくすらあった。

2020/04/29
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