ピリオド

  • since 12/06/19
──ありがとうございました。
 会計を終えた二人組が店を出ていく。自分以外に客はいなくなっていた。やっと話を切り出せるなと思いながらサンダルフォンを見れば、てきぱきと、二人組が使っていたボックス席を片付けている。小さな喫茶店とはいえ、一人で切り盛りするのは大変じゃないかなと心配になる。その後ろ姿を見詰めながら、
「ねえ、会わないの?」
 サンダルフォンは一瞬だけ動きを止めた。だけど、何も言わない。店内には有線放送が流れている。アンティークな調度品で揃えられたクラシカルな店内とはミスマッチな、男性アイドルの曲だ。拘りの強いサンダルフォンが、と思ったけど理由は察している。新曲がリリースされるらしく、朝のニュース番組のエンタメコーナーで宣伝をしていた。SNSを見れば、トレンド入りをしていた。もっとも、リリース情報の解禁は日付が変わった瞬間からであり、それから今に至るまでトレンド入りをし続けているらしい。
 まさしく時の人である。飛ぶ鳥を落とす勢いである。デビューした当時から変わらぬ人気は他の追随を許さぬ、追いつけぬ破竹の勢いである。懐かしい友人たちに会う旅をしていても、彼の名前を見ない国はなかった。
「残念だが今度のライブは落ちたよ」
「そうじゃなくって!!」
 分かってる癖にと唇を尖らせれば、くすくすと笑っている。むっとしながら、パフェのクリームを掬う。時間が経って、少しだけ、どろりと溶け出しているから早く食べなければならないのに、全く、サンダルフォンときたら。ぷりぷりとしながらパフェを掻き込む。
 カウンターに戻ってきたサンダルフォンは涼しい顔をしている。本当に、なんでもないみたいに。その程度なのと言いかける。でも言えない。言えるわけがない。だって知っている。
「きみの言いたいことは分かってる。ただ、どういう理由で会うんだ? いきなり押しかけて俺に前科をつけたいのかい? きみは」
「それ、は「言っておくが。前世だなんだ、という理由は無しだからな」
 先手を打たれてたじろぐ。サンダルフォンはこちらの考えなんてお見通しだと言わんばかりである。涼しい顔は決して諦めたわけではない。さっぱりとした、自信に溢れたものである。だから、どうしてと口をはさんでしまう。なんでと、理由を探ってしまう。
 恨みがましくサンダルフォンをじっとりと見詰めれば、サンダルフォンは観念したように息衝くと、
「きみの親切心も、お節介も変わらないな」
「サンダルフォンの頑固さも変わってない……。絶対に、変わってないよ」
 誰、とは言わない。だけどサンダルフォンも分かっているのだろう。
「良いんだよ、本当に。別に我慢をしてるわけじゃない。意固地になってるわけじゃない。ただ、区切りはついているんだ」
 サンダルフォンが静かに言う。
 有線放送で流れていた曲は違うアイドルになっていた。サンダルフォンがそっとチャンネルを切り替える。本当に、他のアイドルには興味がない。他のアイドルの話を振ってもそういえばこの前のライブにゲストで出ていたなと、付随情報としてしか認識していない。
「それに生きているのか、そもそも生まれているのかすら分からないままよりも、お元気な姿を見られるだけで幸せだろう」
「だけど……」
「ありがとう。本当に、良いんだ。俺は、あの人がただ生きているだけで幸せだから」
「もうファンの鑑みたいなこと言うんだもん」
「何を言っているんだ、知らなかったのか?」
 サンダルフォンが呆れ混じりにいう。
「俺はルシフェル様過激派だぞ?」
 そういって、サンダルフォンは悪戯っぽく笑った。その顔は自信に満ちていて、愛されている顔だった。卑屈に世界を恨んでいた顔でも、約束のためだけに生き続けようとしていた顔ではない。世界に居場所を見つけた優しい顔だ。だから、とても、寂しくなる。胸がギュウと締め付けられる。どうしてここに居ないんだろうと、恨みがましく、思うのだ。
 パフェの最後はほとんど液体になってしまった。
「ねえ、SNSに乗せてもいい?」
 サンダルフォンはちょっとだけ渋った。だけど、ほらと身内だけのアカウントを見せると目を丸くしてから笑った。投稿をすれば、再会をした仲間たちからの反応が、ぽこぽこと反映される。そのアイコンを見て、笑った。みんな、変わらない。

 また来るねと旅立ったのと入れ替わるように、ちらほらと覚えのある顔が小さな喫茶店に訪れるようになった。少ない常連たちもぎょっとするような顔ぶれ。知り合いなの? という常連の問いかけに曖昧に頷いたのはごく最近の記憶だ。どうやって知り合ったのかと聞かれると、頭がおかしいと思われる。王族や貴族、騎士ではなくなったようだがそれでも名前も顔も知れ渡っている有名人ばかりである。かつての団長の、相変わらずの交流関係に驚く暇もない。今世では一介の学生で、長期休暇でバックパッカーをしているのだと言っていたが、卒業後はどうするつもりなのだろうかと、想像もつかない。団長は慕われている。自分とて、口にはしないものの頼りにしている。
 訪れた顔ぶれに、一瞬だけ驚いても、誰もが久しぶり、なんて言葉もなく「いつものを頼む」というものだから仕方なく、分かったと答えるしかない。
 騎空艇の小さな喫茶室ではない。騎空艇を降りた後に開いた、小さな喫茶店ではない。ただの人間が開いた、小さな喫茶店だ。
 忘れられない光景がある。数えることもできないほど、はるか彼方の記憶だというのに、薄れることのない、魂に刻まれた光景。優しさと慈しみで満たされた場所。帰るべき場所。そして、さよならをした場所。
 覚えている。
 役割を果たして辿り着いた場所で、お帰りという暖かな声が迎えてくれた。空の世界で体験したことはトンチキで馬鹿馬鹿しくて、頭が痛くなることも多くて、伝えてよいものかと迷ったが、話せば笑ってくれた。楽しかったかいと問われて、迷うことなく頷いた。楽しかった。団長たちには散々に振り回された。空の民から、悪意をぶつけられた。自分は災厄を起こしたのだから当たり前である。嫌われて、憎まれて仕方のない存在である。分かっていたことだ。だけど、それでも、空の世界は美しくて、楽しかった。
「そうか」
 ただ一言。そういった彼の人がきらきらと眩しかったことを、覚えている。
 しとしとと雨が降っている。春先だというのに空気はひやりと冷たい。暖房器具を仕舞ってしまったことに少しだけ後悔した。朝は晴天で、お年寄のたまり場となっていたが今は誰もいない。昼も過ぎて、客足も期待できそうにない。
 私物のティーカップに淹れた珈琲を啜る。
 タブレット端末で動画を見て時間を潰していたが、雨がやむ気配はない。閉めてしまおうかと腰を上げる。だというのに、タイミングが良いのか悪いのか。カランとベルが鳴って来店を告げるものだから、慌てて動画画面を閉じた。
「いらっしゃいませ」
 しっとりと濡れたプラチナブロンドを前に、掛けようとした声は出ずに、喉で尻窄んだ。

 顔を見たら、伝えたかったこと、伝えようとしたこと、全てを忘れてしまった。いつも、そうだった。彼を前にすると心が満ち足りてしまう。
 居心地の良い空間に、ふと思い出した中庭に、期待をすることは許されたい。あの中庭を、空の世界を旅した彼が今でも心に置き留めているのだと、心に刻まれているのだと思いたいのは、エゴだと理解をしても。
 注文をした珈琲を淹れる姿を、じっと見つめた。不躾で、行儀が良いとは言えないと分かっていても、視線は追ってしまう。追い求めてやまない。
 注文をした珈琲。逸る気持ちを抑える。
「美味しい」
 懐かしさと、安らぎを思い出す。
 かつて、彼と共に旅をしていた特異点から知らせを受けたのは随分と前だった。サンダルフォンを見つけたよというタイトルと共に、喫茶店の写真と、ルシフェルのファンなんだってというメッセージに居ても立ってもいられなかった。ライブにも行ってるんだってという言葉に、会場で彼を探しては、小さく落胆をした。
 いつまでも、この穏やかな空間にいたいのに、許されない。
 打ち合わせに向かわなければならない。マネージャーや、スタッフがいる。名残惜しい。このまま、彼とともにいたい。なのに、急かすように携帯端末が鳴る。仕方なく立ち上がる。
 会計のため、向かい合う。
 店員と客の会話でしかない。
 心臓が、破裂しそうなほどに痛みを覚える。早鐘が、耳に響く。
「また来てもいいだろうか」
「はい。お待ちしています」
 それは店員としてだろうかと、ちらりと不安になる。
 少しだけ、少しだけ。口の中が渇く。喉が引き攣る。緊張だ。お前の神経は図太いと散々に言われていたというのに、マイペースだと言われていたのに、たった一人を前にすると情けない男に成り下がる。アイドルと持て囃される姿とは程遠い。
「……いってくるよ」
 ああ、言ってしまったという後悔のようなものが湧き上がる。ふっと、漏れた音に顔をあげた。
「いってらっしゃい」
 待ってます。そういった彼は穏やかな、寂し気な顔をしていた。
 抱きしめたいのを、耐える。抱きしめてしまったらきっと、歯止めなんて効かなくなる。
 雨は止んでいた。
 あちこちに水たまりが出来ていた。跳ねた泥水で、足元が汚れる。それでも、気分が良かった。胸の内から溢れるものを、形にしたい。思い浮かぶメロディ、言葉をはやく、書き留めたい。らしくもないと思う。だけど、らしさなんてものは恋の前に忘れて、愛の前に消えてしまうものだ。
 きっと私は、マネージャーが呆れるようなラブソングを造り続けてしまう。

2020/04/07
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