ピリオド

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 美しい背中に、蚯蚓腫れした細い傷がある。完璧に造形された肉体に、とてもではないが、似つかわしくない、醜い傷跡だ。天司を作り出してきた研究者が最高傑作というだけあって、ルシフェルのスペックは他の天司とは比べ物にならない。再生能力にしたって、当然のこと。だというのに、ルシフェルは態々、自動的に修復される機能を制限してまで傷を残しているということになる。再生機能に不備があるのかと思い不安になって尋ねたサンダルフォンに、ルシフェルは肉体の機能は全て以前のままだと言う。その言葉はきっと本当なのだ。だから、ますます、サンダルフォンには分からない。
「このままで良いんだ」
 ルシフェルが、優しく言うからサンダルフォンは何も言えない。
(また、増えてる)
 慣れることのない、どうすればよいのか分からない気まずさ。決して不快ではないのだ。ただただ、どういう顔をしたらいいのか分からない。動けず、後始末をさせてしまう申し訳なさと恥ずかしさ。俺がやりますと言っても、気遣われて寝台に押しこめられてしまう。サンダルフォンは清潔なシーツに包まりながら背中を見詰めて、もどかしさを覚える。このままで良いとは、サンダルフォンは思えない。サンダルフォンを侮っているのではない、見縊っているのではない。自分に心配を掛けないようにしているのだと、彼なりの優しさだと分かっている。だけど、サンダルフォンはそんな優しさは欲しくはなかった。だけどルシフェルの性質も理解をしているつもりだ。サンダルフォンは項垂れる。
 自分一人では、どうしようもなかった。
 団長、ちょっといいか。少し遅れた昼食を取っているグランに、サンダルフォンは緊張で強張らせた声音で声を掛けた。グランは頬張っていたサンドイッチを飲み込むといいよと快諾する。寧ろもっと気楽に声を掛けてくればいいのにと呑気なものだった。それから、躊躇いがちにサンダルフォンが口にした言葉を、繰り返した。
「怪我? ルシフェルが?」
「何か知らないか?」
「どうだろう……」
 復活をしたルシフェルが騎空艇に身を寄せるようになり、一団員として、任務に同行することは多々あった。ルシフェル自身が空の世界に自ら触れることを喜んでいるのだと、サンダルフォン経由でグランも知っている。最近、立ち寄った島で依頼されたものを思い出す。魔物の討伐や採取といったいつも通りのものだ。魔物も凶悪なものでもないから、大きな怪我をしたという話は聞いていない。
「うーん。聞いてないし、任務から帰ってきたときはいつも通りだったよ」
「そう、か」
 サンダルフォンは沈痛な面持ちなものだから不安が過る。
「そんなにひどいの?」
「いや……傷自体は大きなものじゃない。致命傷のようなものではないが……」
「天司って傷跡は残らないんじゃない?」
「ああ、もしや復活の際に不手際があったのかとお聞きしたのだが、再生能力に問題はないようだ。だからこそ、不可解でな。知らないなら良いんだ、すまない時間を割かせた」
「いいよ。こっちでも何かわかったら伝えるね」
 少しだけ、嬉しくなる。サンダルフォンが、不安を、悩みを打ち明けたことが、信頼されていると言われているようで、こそばゆさを感じる。ルシフェルの傷、というと少し気がかりでもある。しかし、今はそれよりも不安で倒れてしまいそうな目の前のサンダルフォンが心配になる。
「もしかしたら日常生活で出来た傷じゃない? 騎空挺の生活に慣れてないのかも」
「そう、なのだろうか……」
 空の世界を見守ってきたとはいえ、ルシフェルは空の世界に介入することはあまりなかったという。知識として理解はしていても、身をもって体験したのは、天司長という役割がなくなった今になってやっとである。
「どこを怪我してるの?」
 怪我の場所によっては、何かがわかるかもしれない。ルシフェルは上背があるから、頭部を怪我しているのかもしれない。背の高い団員が騎空艇で暮らすなかで、ぶつけている姿は頻繁に見かける。まだ成長途中のグランにとっては羨ましい限りである。グランもいつかは部屋の出入りに少しだけ屈んで入ってみたいものだと思うのだ。
「背中だ」
「……まって」
「ひっかき傷だと思う」
「ねえ、それ聞いていいの?」
「きみが聞いたんだろう」
 全く分かっていないサンダルフォンの様子に、グランも、もしかしたら勘違いかもしれないなと思うのだ。思い過ごしというか、年頃なのでそういう風に邪推しているのかも。ただ日常生活で背中にひっかき傷だなんて想像もつかない。そもそもルシフェルの背中を取れる相手なんて……と、ちらりとサンダルフォンを見る。
 二人の関係はそういうものにどうやら納まっているようだということは、なんとなく、雰囲気で察している。割り込んではならない、二人だけの雰囲気があった。
「背中……背中かあ……」
「戦闘や、日常に支障はないようだし、そうそう露出する部分でもないとはいえ……。治療を申し出ても問題ないよ、言われるだけでな……。君からもルシフェルさまに話してくれないか」
「え」
「サンダルフォン、ちょっと来てー!」
「俺が具申しても、あまり意味がないみたいだからな。すまないが、頼む。……どうした?」
 言うだけ言うと、サンダルフォンは呼び掛けてきた団員の方へと行ってしまった。寂しげな声で、最後にとんでもないことを頼まれてしまったと、独りぽつんと残されたグランは、途方に暮れるしかない。しかしあれだけ一人で抱え込んできたサンダルフォンの頼み事、しかもルシフェルに関することだ。ルシフェル、というサンダルフォンにとって何よりの存在である。有耶無耶にできない。何故、露出する部分でもない場所の傷を知っているのかとか思うことはあったが、もしかしたら本当に深い理由があるのかもしれない。何千何万何億かの不安があるのかもしれないから、グランはルシフェルに尋ねたのだ。
「背中の治療? 必要ない」
「ですよね」
 にべもない一刀両断であった。それどころか剣呑な視線を向けられて肌がざわめく。
「なぜきみが知っている?」
「サンダルフォンに相談されたんだけど、あのさ、その傷ってさ」
「……想像する通りのものだがサンダルフォンには「言ってないよ!」
 渋々と理由を説明すれば、そうか、と言うルシフェルは、どうやら胸を撫で下ろしているようだった。全く、感情が表に出てこないので、分かり辛い。怒っている様子はないのだが、威圧感がある。表情が分かりづらいのだ。
 対サンダルフォンだけが例外であるのだと知ったのは、騎空艇で暮らすようになってからだった。
 ルシフェルが復活をしてから、顕現をした四大天司は目をひんむいてルシフェル様はどうしたのだ、とグランに問い詰めてきた。いやいや、いつもあんな感じですよとそれが当たり前であったから答えた。今になって四大天司が何故あんなにも驚いていたのかがわかる。サンダルフォンといるときだけが特別なのだ。騎空艇では殆どの時間を一緒に過ごしているから、それがルシフェルの通常状態だと勘違いをしてしまった。サンダルフォンがいるときといないときの落差が激しすぎる。
「痛くないの?」
 野次馬根性か、年ごろの好奇心で、尋ねた。ルシフェルは目をぱちりとさせてからふっと。
「痛みはあるが、嬉しいものだ。きみも何時かはわかる」
 ルシフェルは不意に和らいだ顔を見せた。一瞬のことであるが、その顔をさせたのはサンダルフォンであると分かってしまう。グランはふうんと曖昧に頷いてから、サンダルフォンにどう報告したらいいのだろうと頭を抱えた。

2020/04/01
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