ピリオド

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 何度目になるのか分からないため息を零す友人をちらりと見る。深い赤色の瞳は途方に暮れたようにぼんやりとしている。出された課題に悲鳴を上げている、というわけではない。彼はとっくに終わらせている。寧ろ無理を言って付き合わせていたのだ。もしかして用事があったのか、と思ったが義理堅い彼のことだ。用事が先に入っていればそちらを優先している。
「どうしたの、サンダルフォン」
「君には関係ないだろう」
「そんなこと言わずに。ね?」
 お節介だと分かっているが、無理矢理にでも聞きださないと不器用な友人は一人でなんでも抱え込んでしまうことをよくよく、身をもって知っている。サンダルフォンも、そんなお節介なんて昔ならば苛立たしく思っていたものの、今となっては受け入れるようになっていた。それでも、自分から悩みを打ち明けることはない。
 資料をまとめて、次の講義の支度を進めながら、サンダルフォンは意を決したように口にした。
「……夕飯のメニューが決まらないんだ」
 深刻な表情で、この世の終わりのように言うものだから、思わず、
「うん……。うん?」
「だから、メニュー。食事内容だ」
 サンダルフォンは長年、傍から見れば両想いであったルシフェルと、ようやく付き合いだしてそれから周囲を置いてけぼりに気付けば同棲をしているという。聞きだした限りでは、食事や洗濯といった家事はサンダルフォンがしており、社会人であるルシフェルが生活費を出しているらしい。サンダルフォンも、アルバイトをしているのだから、生活費を出させてほしいと言ってもきみは学生だからと拒否をされて、せめてと家事を請け負っていると、サンダルフォンは心底不甲斐無さそうに言っていた。もう結婚じゃん、夫婦じゃんとなんで報告してくれないのと詰め寄っても何故きみに言わないといけないんだと此方の心配なんて知ったこっちゃないからサンダルこの野郎!!とみんなでもみくちゃにして引っ越し祝いに洗剤の贈りつけたのは、つい三カ月前である。
 しょうもない……と内心で思う。だが聞きだした手前、口にはできない。
「参考までに昨日は何を?」
「オムライスとスープ、サラダ」
 苦悶を浮かべながらサンダルフォンは、なににしたら良いんだと頭を抱えている。
 サンダルフォンは料理が上手い。喫茶店でアルバイトをしているから軽食は勿論、努力家でもあるからルシフェルと暮らすようになって、家事を引き受けると決めてからはメキメキと料理スキルを磨いている。強請りに強請って、ランチを作ってもらったことがある。余りものだぞ期待をするな、と言った割には、お肉多めのヒレカツサンドであった。絶品だった。毎日食べたいと言えば、飽きるだろと言われたが得意気な顔をしていたのをよく覚えている。だから料理が出来ないなんて不安は一切ない。オムライスもきっと美味しいだろうなと食べてもいないのに確信があった。
「ルシフェルさんに聞いたら良いんじゃない。それか、ルシフェルさんの好きなものとか」
「……あの人に聞いて「なんでもいい」って言われたから困っているんだ。……というか、あの人はいつだって何だって良いっていう。それが一番困るんだぞ!? 出したら出したで全部美味しいよっていうから参考にならないし! だから俺はあの人の好きなものをしらん! 悪いか!?」
 溜めに溜め込んだフラストレーションが爆発して、溢れ出したかのようにサンダルフォンは荒い語尾になっていく。後半は殆ど叫んでいた。ちらちらと寄せられる視線に、すいませんと頭を下げておく。それから、本人は自覚もないようだから、まあまあ、どうどうと宥める。ほらほら珈琲飲んで、と安定剤をすすめておく。サンダルフォンは渋々とステンレスボトルを取り出してからキャップをひねる。
「ルシフェルさんも優柔不断なところあるんだね」
 なんでもすぱっと決めそうなのに。ルシフェルとはサンダルフォンを介しての知り合い、という程度の認識なので、彼のパーソナルな部分は大して知らない。サンダルフォンも言いふらさないから、数回会ったなかで、あとはサンダルフォンが零した情報からルシフェルと言う人を構成していた。与えられた情報で作り出していたルシフェルの印象とは少々異なる様子なので、つい感想を零した。どうやら愚痴のようだし、あんまり深く関わっても馬に蹴られそうだしと危機回避能力が働いたので同意を示す。
「…………いや。優柔不断というよりも本当になんでも美味しいと思って、口に出しているだけだと思う。嘘をつく意味もないからな。それにいつも有難うと言ってくださる。だから別にそういうところが嫌いというわけじゃないし、むしろなんでも美味しく食べてくれる姿は「あ、そう。本人に言って」
 とりあえず毎日ご飯を作ってくれる母に感謝を伝えておこうと思ったし、これからは作ってもらったものに感謝をしようと改めて思った。サンダルフォンは聞いておいてなんだと言う顔である。聞いていたら、喧嘩でもなんでもないし、と安堵が2割ほどあったが、面倒くさいなと素直に口に出しかけて口を噤む。せめて夕飯のメニューを提案してやる優しさを受け取ればいい。
「じゃあハンバーグにしたら」
「ハンバーグ……。そうだな、暫く作っていなかったし」
 胸を撫でおろしたようなサンダルフォンは改めて珈琲を飲んでいる。これだもんなあとケロリとしているサンダルフォンを見てこの野郎、と内心では思わないでもない。



 本社はランチタイムとあって閑散としている。訪れた部署も、伽藍としていた。そんな中でプラチナブロンドの髪はガラス越しに、陽ざしをうけながら煌めいている。相変わらずの人外じみた容貌だ。ビルの高層フロアに位置して、陽ざしを受けて……熱くないのかねとベリアルは感想を漏らす。悩ましい様子でデスクに残り、昼食をとっているようだった。探す手間が省けたとベリアルは内心でほっとする。予め、電話を入れておけばよかったのだが急な案件であり、その暇もなかったのだ。そんな焦りをちらりとも見せることもなく、ベリアルは同期に声を掛けた。
「やあ色男。どうしたんだい? 随分と悩ましい吐息じゃないか」
「友ならば休みだ」
「別にファーさんがいなくてもこっちに来ることだってあるさ。で、どうしたんだい?」
 ルシファーの休みなんてベリアルだってルシファー本人に言われなくても把握している。
 問い掛けに答えることもなくばっさりと切り捨てる態度は好ましい。しかし、心酔をしている彼と姿が似ているとはいえ、ルシフェルとなるとベリアルとて手を出そう、なんて微塵も思わない。食指が動かない。ルシフェルに対してだけはそういった欲はいっさい湧かない。老若男女問わず情愛を語ることが出来る口も一切開かない。だってルシフェルは無機物なのだ。感情なんてカケラもないように淡々としていた。無機物にまで愛を囁くことはない。反応がないものに手を出したところで詰まらない。とはいえ、それもかつての話だ。
「……今日も困らせてしまった」
 しゅん、と肩を落とす姿は正直なところ気味が悪い。きみ、ちょっと前までは「ロボット」って言われていたじゃないか。誰に何を言われたって一切気にしていなかったじゃないか。
 困らせてしまった、とルシフェルが反省をするくらいの相手となると限られる。寧ろ一人しか思い浮かばない。思い浮かべるのは、遠目から見掛けたことがある、磨けば光るのだろうが、どうにもルシフェルとは不釣り合いなちんちくりんの学生である。忘れ物を届けに来たらしいところを見かけたのだ。その時のルシフェルが見たこともない笑みを浮かべていたので社内は騒然となった。ベリアルも表情筋があったのか、動いたのかと内心で思ったのだ。なお、もっと騒ぐだろうという予想に反して、ルシフェルを友として認定し、自分の所有物扱いであったルシファーは何も反応はなかった。意外だなと思ったが、既に、紹介をされていたらしい。なお反対をしようにも6時間をかけて、サンダルフォンのすばらしさを語られて、2時間をかけてこれからについての相談を持ちかけられて、流石に参った認めると言わざるを得なかったらしい。なおこの二人は遠縁の親戚であり別にルシファーの承認も何も不必要である。ただルシファーが天才である自分と対等であるのはルシフェルだけだと可愛がってきたに過ぎない。なお6時間は全てルシフェルの好意である。ルシフェルなりに、可愛がってもらったと恩義を感じており、だからこそ恋人を紹介したかったという。そして2時間は信頼であったらしい。きっとルシファーならばアドバイスをしてくれるだろう、というベリアルは「本気で言ってる? きみ、ファーさんと長い付き合いだよね? マジで言っての?」と正気を疑った。
 善意から、サンダルフォンについて知ってほしいと思ったらしい。きみもわかってくれたか、まだ話足りないのだがとルシファーのぐったりとした様子が一切見えていないのかと言わんばかりに、ルシファーも見たことのない輝かしい笑顔を見せてきたのは最後のとどめだったと聞いてベリアルは爆笑した。その後面倒な案件を回されて、あちこちを走り回っている今に至る。
「なに? 喧嘩かい?」
 他人になんて興味がありません。欲望なんてありません。そんな、機械のような男であったルシフェルを変えた人間だ。ルシフェルに対しては全くもって興味はない。しかし、ほんの少しだけ、恋人については、興味がわいた。機械仕掛けのような冷徹であった男がこんなにも後悔を滲ませて、苦悩した様子を見せる。それがたった一人の手によって、見せられているのだ。ルシフェル本人にその意図はないとわかっていても、やはり、面白いものが転がっているとつい、突きたくなるのはベリアルの生まれながらの悪癖である。
 常ならばルシフェルは自身の弱みであったり、悩みを打ち明けることはない。人の上に立ち、他者に不安を与えることは好ましくないと自身を律している。しかし、愈々参っているのかぽろぽろと言葉を漏らしてく。
「喧嘩ではない、と思うのだが……。サンダルフォンに、夕飯は何が良いのかと尋ねられて答えることが出来なかった。その時のサンダルフォンが……」
「困っていた、っていうのかい?」
「ああ。批難をされたわけではないのだが、その……」
 サンダルフォンがどのような表情をしていたのかさっぱり分からない。寧ろどのような顔であったのかも遠目であったのだから知らないのだ。ルシフェルは恋人がいることを公言しているものの顔写真を見せびらかすことはない。見せてくれよと頼んでも、好意を寄せられると困るからと真剣な面持ちで言っていたのは、きっと彼なりのセンスはのない高度な冗句だと思っている。思いたい。
「夕飯ねえ」
 気儘な一人暮らしで、その日に好きなものを食べているだけのベリアルは特別に困るようなものでもない。料理は苦ではないから自分でも作りが面倒であれば適当に買ってくることもある。ちらりと、広げられたランチボックスを一瞥する。ちょっと前までは食事なんてエネルギー補給だと言わんばかりで楽しむこともなかった男が、すっかり、所帯じみている。
「メシマズってわけじゃないんだろう? 好きなものを言えばいいじゃないか」
 はい解決。とベリアルは息を吐き出す。
 喧嘩というのだから浮気だなんてというものを期待したのだが、なんてくだらない。ルシフェルは同期だ。同い年だ。何をおままごとのようなことをいっているのだかと呆れてしまった。サンダルフォンという青年と付き合うようになってから、人間味は増したがこんなにもポンコツだったろうかと不思議になる。
 どうやらルシフェルに甘いらしい様子だ。手のかかる料理だろうが、時間のかかる料理だろうが、ちょちょいと作ってやるだろうさと囁けども、ルシフェルの顔色は晴れる様子はない。
「サンダルフォンの作るものは全て、美味しいと思う。すべて好きだ。だから、どれか一つと絞ることなんてとても出来ない……」
「あー、はいはい。ところでさ、この書類の確認してくれない? 今すぐに頼むよ」
「昼食をとっているところだ。食べ終わってからにしてくれ」
 ベリアルはひくりと頬を引きつらた。ここまできたらこの男は梃子でも動かないだろう。そんなベリアルに対して、ルシフェルは困ったと言いながら、サンダルフォン手製のランチを頬張った。
 また一つ、好物が増えてしまった。

2020/03/31
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